後出塞五首 其三 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 97


後出塞五首 其三
古人重守邊,今人重高勛。
むかしの人は侵略・拡張的でなく国境を敵から守ることを重んじていた、今の人は之に反して戦をしかけて高い勲功をたてることを重んじているのだ。
豈知英雄主,出師亙長雲。
意外にも英雄である君主も領土拡大を認知している、戦を外へしかけて、その砂塵はまるで長い雲が引き生えたように続いている。
六合已一家,四夷且孤軍。
今や唐王朝の天下は一家のように統一された、四方の夷にむかって孤軍を出して戦うのだ。
遂使貔虎士,奮身勇所聞。
そうしてついに、親は豹と思われるほど勇壮な兵士を使わされた、粉骨砕身自分が聞いている君主のおぼしめしに対して勇み立たせるのである。
拔劍擊大荒,日收胡馬群。
兵士は剣をぬいて極遠の荒れ地を攻撃するのだ、毎日敵の胡の騎馬群をうばいとっていくのだ。
誓開玄冥北,持以奉吾君。
心に誓って玄冥喝神が支配する北の地を開拓して、それを持って吾が君主にたてまつりたいものだというようにかんがえている。



後出塞五首 其三 訳註と解説
(本文)
古人重守邊,今人重高勛。
豈知英雄主,出師亙長雲。
六合已一家,四夷且孤軍。
遂使貔虎士,奮身勇所聞。
拔劍擊大荒,日收胡馬群。
誓開玄冥北,持以奉吾君。

(下し文)
古人は守辺を重んず 今人は高勲を重んず
豈に知らんや英雄の主 師を出して長雲亙る
六合己に一家なるに  四夷に且つ孤軍
遂に貌虎の士をして 身を奮って聞く所に勇ならしむ
剣を抜いて大荒を撃ち 日に胡馬の葦を収め
誓って玄冥の北を開いて 持して以て吾が君に奉ぜん

(現代語訳)
むかしの人は侵略・拡張的でなく国境を敵から守ることを重んじていた、今の人は之に反して戦をしかけて高い勲功をたてることを重んじているのだ。
意外にも英雄である君主も領土拡大を認知している、戦を外へしかけて、その砂塵はまるで長い雲が引き生えたように続いている。
今や唐王朝の天下は一家のように統一された、四方の夷にむかって孤軍を出して戦うのだ。
そうしてついに、親は豹と思われるほど勇壮な兵士を使わされた、粉骨砕身自分が聞いている君主のおぼしめしに対して勇み立たせるのである。
兵士は剣をぬいて極遠の荒れ地を攻撃するのだ、毎日敵の胡の騎馬群をうばいとっていくのだ。
心に誓って玄冥喝神が支配する北の地を開拓して、それを持って吾が君主にたてまつりたいものだというようにかんがえている。


古人重守邊,今人重高勛。
むかしの人は侵略・拡張的でなく国境を敵から守ることを重んじていた、今の人は之に反して戦をしかけて高い勲功をたてることを重んじているのだ。
守辺 国ざかいをまもること。敵を攻めず、敵から侵されぬようにつとめることをいう。○高勲 高いいさおしをたてること、これは戦争をしてたてるのである。



豈知英雄主,出師亙長雲。
意外にも英雄である君主も領土拡大を認知している、戦を外へしかけて、その砂塵はまるで長い雲が引き生えたように続いている。
豈知 意外なことをいう。○英雄 主えらい人主、玄宗をさす。○亙長 その出陣の砂塵はまるで雲長い雲の引き生えているようであることをいう。



六合已一家,四夷且孤軍。
今や唐王朝の天下は一家のように統一された、四方の夷にむかって孤軍を出して戦うのだ。
六合 天地と四方。〇一家 天下一統して一家のごとし。〇四夷且孤軍 此の句は孤軍の二字に属すべき動詞を省略した不完全句であり、孤軍を「出だす」とか「留どむ」とかいう語を添えてみるべきである。四夷は四方のえびす、四夷に対して孤軍をいだす。



遂使貔虎士,奮身勇所聞。
そうしてついに、親は豹と思われるほど勇壮な兵士を使わされた、粉骨砕身自分が聞いている君主のおぼしめしに対して勇み立たせるのである。
貌虎士 つよい兵士、親は豹の如き獣。○奮身 身の力をふるう。○勇所聞 我が耳にした所に対して勇気をだす、耳にした所とは「天子が四夷にむかって兵を用いるおぼしめしである」とのことをさす。



拔劍擊大荒,日收胡馬群。
兵士は剣をぬいて極遠の荒れ地を攻撃するのだ、毎日敵の胡の騎馬群をうばいとっていくのだ。
抜剣以下四句は兵士の決心をいう、即ち「勇所聞」の事実である。○大荒 遠方不毛の地をさす。○日収 毎日とりこむ。○胡馬北方のえびすの馬。



誓開玄冥北,持以奉吾君。
心に誓って玄冥喝神が支配する北の地を開拓して、それを持って吾が君主にたてまつりたいものだというようにかんがえている。
玄冥 玄冥喝神、北方の神の名、北方の地をさしていう。○ たてまつる、ささげる。


(解説)
過去の王朝は、領土を守ることに重点を置いてきた。唐王朝は領土拡大を進めてきた。結果、世界最大の国家になっていた。当時の人々も巨大な唐王朝を誇りに思っていた。律令体制も府兵制もうまくいっていた。ただこの律令体制の府兵制が崩壊し、傭兵性に変わったのである。杜甫のこの詩でこのあたりの点に触れている。杜甫は胡のこの地に行ったことは全くないのである。