後出塞五首 其四 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 98


後出塞五首其四
獻凱日繼踵,兩蕃靜無虞。
勝った、勝ったとの報知が毎日、毎日漁陽の方から長安へ入ってくるたびに凱楽を奏ねられた、奚と契丹の兩蕃はしずかでなんにも心配はないといわれるほどに落ち着いた。
漁陽豪俠地,擊鼓吹笙竽。
漁陽はむかしから侠客風の土地がらである、軍師団中では激しく太鼓をうったり、笙や竽を吹きならしたりさわいでいる。
雲帆轉遼海,粳稻來東吳。
江南地方から船団になったので運河から海路遼海へと変更され、軍の食料米も東魯や呉の地方からくるのである。
越羅與楚練,照耀輿台軀。
また越の地方産のうす絹や楚の練絹がおくられ、賎しい身分の兵士らの躯体をてりかがやかしているのだ。
主將位益崇,氣驕淩上都。
ここの軍師団の主大将は一段と位がたかくなっていく、その横柄な態度と威張る気性は都の権威をもしのぐようになってきているのだ。
邊人不敢議,議者死路衢。

ここの群にいる兵士、この辺境の里にいる人たちは詮議や話題すらできないのだ、それを書面どこか口にしただけで殺され路傍に捨てられるのである。


凱を献ずること日々に踵を継ぐ 両蕃静にして虞無しと

漁陽は豪快の地なり 鼓を撃って生竿を吹く

雲帆遼海に転ず 硬稲東呉より来る

越羅と楚練と 輿台の姫に照耀す

主将位益主崇く 気騎りて上都を凌ぐ

辺人敢て議せず 議する者は路衛に死す




後出塞五首 其四  訳註と解説

(本文)
獻凱日繼踵,兩蕃靜無虞。
漁陽豪俠地,擊鼓吹笙竽。
雲帆轉遼海,粳稻來東吳。
越羅與楚練,照耀輿台軀。
主將位益崇,氣驕淩上都。
邊人不敢議,議者死路衢。

(下し文)
凱を献ずること日々に踵を継ぐ 両蕃静にして虞無しと
漁陽は豪快の地なり 鼓を撃って生竿を吹く
雲帆遼海に転ず 硬稲東呉より来る
越羅と楚練と 輿台の姫に照耀す
主将位益主崇く 気騎りて上都を凌ぐ
辺人敢て議せず 議する者は路衛に死す

(現代語訳)
勝った、勝ったとの報知が毎日、毎日漁陽の方から長安へ入ってくるたびに凱楽を奏ねられた、奚と契丹の兩蕃はしずかでなんにも心配はないといわれるほどに落ち着いた。
漁陽はむかしから侠客風の土地がらである、軍師団中では激しく太鼓をうったり、笙や竽を吹きならしたりさわいでいる。
江南地方から船団になったので運河から海路遼海へと変更され、軍の食料米も東魯や呉の地方からくるのである。
また越の地方産のうす絹や楚の練絹がおくられ、賎しい身分の兵士らの躯体をてりかがやかしているのだ。
ここの軍師団の主大将は一段と位がたかくなっていく、その横柄な態度と威張る気性は都の権威をもしのぐようになってきているのだ。
ここの群にいる兵士、この辺境の里にいる人たちは詮議や話題すらできないのだ、それを書面どこか口にしただけで殺され路傍に捨てられるのである。



(語訳と訳註)

獻凱日繼踵,兩蕃靜無虞。
勝った、勝ったとの報知が毎日、毎日漁陽の方から長安へ入ってくるたびに凱楽を奏ねられた、奚と契丹の兩蕃はしずかでなんにも心配はないといわれるほどに落ち着いた。
献凱 「周礼」大司楽に王の師が大いに勝ったときは凱楽を奏させたとある。凱は或は愷に作る、やわらぐこと、かちいくさにはやわらいだ音楽を奏してかえってくる、この献凱は捷報を奉ることをいう。○継踵 使者の足があとからあとからつづくことをいう。禄山は754年天宝十三載の二月、四月、755年十四載の四月にみな奚・契丹を破ったことを奏上したのだ。〇両蕃 奚・契丹の二蕃。○ しんばい。


漁陽豪俠地,擊鼓吹笙竽。
漁陽はむかしから侠客風の土地がらである、軍師団中では激しく太鼓をうったり、笙や竽を吹きならしたりさわいでいる。
漁陽 今の河北省順天府の地方をいう、唐のときは、幽州といい、苑陽郡といい、又そのうちに前州を分かって、漁陽郡といった。○豪快 おとこだての気風。○鼓、笙、竽 みな軍中の宴楽に用いる。


雲帆轉遼海,粳稻來東吳。
江南地方から船団になったので運河から海路遼海へと変更され、軍の食料米も東魯や呉の地方からくるのである。
雲帆 雲を帯びた帆、船団をいう。○ 船団を組んだので、運河での航行が難しく、領海にうつってゆく。○遼海 遼東方面の海。唐の時は揚州(江蘇省)に倉を置き水運によって貨物を東北に輸送した。禄山が苑陽に居るのによって南方より船が赴くのである。〇校稲 うるしね。○東呉 山東地方と江蘇省地方。



越羅與楚練,照耀輿台軀。
また越の地方産のうす絹や楚の練絹がおくられ、賎しい身分の兵士らの躯体をてりかがやかしているのだ。
越羅 漸江省地方でできるうすぎぬ。○楚練 湖南・湖北辺でできるねりぎぬ。○照耀 てりかがやかす。○輿台 「左伝」昭公七年に士以下の臣を順に臭、輿、隷、僚、僕、台とかぞえあげている。いやしきもの、ここは現に兵士となっておるものをさす。○ み、からだ。



主將位益崇,氣驕淩上都。
ここの軍師団の主大将は一段と位がたかくなっていく、その横柄な態度と威張る気性は都の権威をもしのぐようになってきているのだ。
主将 主人である大将、安禄山。○氣驕 威張る気性と横柄な態度。○上都 天子の都をいう。



邊人不敢議,議者死路衢。

ここの群にいる兵士、この辺境の里にいる人たちは詮議や話題すらできないのだ、それを書面どこか口にしただけで殺され路傍に捨てられるのである。
辺入国の辺都の地に居るもの、禄山の管内のものをさす。0 かれこれうわさする。○ 殺されてしぬ。○路衝 衝はちまた。



(解説)
 もともと、身分賎しい者が、貴族内の問題、府兵制度の崩壊、忠誠心の欠如、傭兵性の開始など様々な事柄の場当たり的解決策として、軍隊内の均衡化策をとり、異民族系のものを重用した。また、潘鎮の2極分化により、勢力の強くなるものを抑えるためと、地方の税徴収が上手くいかなくなったことにより、節度使を置いた。東の幽州を拠点にした安禄山、西の安西を拠点にした哥舒翰という構図になっていた。長安の朝廷には、楊国忠が宰相で、そこに宦官勢力も5,6000名に膨れ上がり、軍隊化していた。これ以外にも地方の潘鎮は君王化していた。

 玄宗は裸の大さま状態であったと思われる。忠義な家臣を味方に改革が必要であったが、ここまでの20年近く李林保と楊国忠によって徹底的な粛清がなされていて、忠義な家臣は遠ざけられていたのである。
かくして、誰が、クーデター、叛乱を起してもおかしくない状況になったのである。これに火をつけたのは、3年続きの干ばつ、長雨による物価高騰であった。国民のフラストレーションは最高潮に達していた。

杜甫の詩、750年頃から755年のものに彼らのことはすべて指摘している。罪にならない、当たり障りのない程度に詩を作ったのだ。