官定後戲贈 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 100

 

755年天宝十四載、秋になり、杜甫は奉先県の妻子を訪ねている。女児が無事に育っているのを確認し、それから奉先県の北45kmのところにある白水県まで足をのばしている。
 白水県には母方の崔明府と崔少府がいる。明府は県令、少府は県尉のこと、親族が同じ県の長と次長をしていたことになるのである。杜甫は、帰途に奉先県に寄って秋の終わりに長安にもどってきた。
杜甫乱前後の図001
 十月のはじめに「河西の尉」という赴任地が示されてきた。河西の尉は河西節度判官の尉。当時、涼州(甘粛省武威県)にあった河西節度使の節度判官の尉(副官)の地位のことは友人の高適から聞いていて、高適もこの職についてすぐ退任している。

封丘県(河南省開封の北)の尉となって、やがてやめてしまった友人の高適から、県尉の仕事の実情を聞かされていたのかもしれない。高適が封丘の尉をやめた理由は、

「封丘の作」 高適、

只言小邑無所爲  只だ 小邑ほ為す所無しと言うも

公門百事皆有期  公門の百事は皆な期有り

拝迎官長心欲砕  官長を拝迎しては心砕けんと欲

鞭捷黎庶令人悲  黎庶を鞭撞するは人をして悲しましむ


小さな町だから何もすることなどないということだったが、役所の仕事はすべて期限つきで忙しい。官長の出迎え見送りをするたびに、いやでいやで心も砕けそうになり、租税の督促などで人民をむち打つのは、つらくてやりきれない」と詠っているごとくであったらしい。
その昔、陶淵明が、せっかく就いた彰沢県の知事を、「吾、五斗米の為に腰を折る能わず。拳拳として郷里の小人に事えんや」(『晋書』陶淵明伝)といってわずか三か月で辞任して故郷に帰っていった、それと同じ気持ちであったようである。


 杜甫も辞退した。



官定後戯贈(官定まりて後戯に贈る)
河西の尉という空名の任官を免ぜられて太子右衛率府兵曹参軍事に任ぜられることにきまったあとで戯に自分自身に贈った詩である。製作時は755年天宝十四載。 * 〔原注〕時免河西尉烏右衛率府兵曹。


官定後戯贈         
不作河西尉、淒涼為折腰。
自分が河西の尉にならないのは官職の先輩や上官に腰を折るというかなしさがあるためなのだ。
老父怕趨走、率府且逍遥。
老父になっているものとしては尉などに使い走りすることになるのはまさかのことと思っている、この右衛率府に置いていただけるということは最初の任官としてはのんびりできるのでしばらくはゆっくりしていようと思う。
耽酒須微禄、狂歌託聖朝。
酒にふけることもしたいが少しばかりの俸禄を頂戴してからだ、もっぱら歌をうたい続け、ありがたい朝廷にこの身を託していくことになる。
故山帰興尽、囘首向風飇

官につけば故郷へ帰りたいという思いがさめてくる、ただ風にむかって遠く故郷の方向をふりむいてみるぐらいのことはするのである。


官定まりて後 戯れに贈る

河西(かせい)の尉()と作()らざるは

淒涼(せいりょう)  腰を折るが為なり

老父(ろうふ)  趨走(すうそう)を怕(おそ)

率府(そっぷ)に且()つ逍遥(しょうよう)

酒に耽(ふけ)るには微禄(びろく)を須()

狂歌して聖朝(せいちょう)に託(たく)

故山(こざん)  帰興(ききょう)()

(こうべ)を囘(めぐ)らして風(ふうひょう)に向かう



官定まりて後 戯れに贈る  訳註と解説

(本文)

官定後戯贈         
不作河西尉、淒涼為折腰。
老父怕趨走、率府且逍遥。
耽酒須微禄、狂歌託聖朝。
故山帰興尽、囘首向風飇。



(下し文)

官定まりて後 戯れに贈る

河西(かせい)の尉()と作()らざるは

淒涼(せいりょう) 腰を折るが為なり

老父(ろうふ) 趨走(すうそう)を怕(おそ)

率府(そっぷ)に且()つ逍遥(しょうよう)

酒に耽(ふけ)るには微禄(びろく)を須()

狂歌して聖朝(せいちょう)に託(たく)

故山(こざん) 帰興(ききょう)()

(こうべ)を囘(めぐ)らして風(ふうひょう)に向かう


(現代語訳)
自分が河西の尉にならないのは官職の先輩や上官に腰を折るというかなしさがあるためなのだ。
老父になっているものとしては尉などに使い走りすることになるのはまさかのことと思っている、この右衛率府に置いていただけるということは最初の任官としてはのんびりできるのでしばらくはゆっくりしていようと思う。
酒にふけることもしたいが少しばかりの俸禄を頂戴してからだ、もっぱら歌をうたい続け、ありがたい朝廷にこの身を託していくことになる。
官につけば故郷へ帰りたいという思いがさめてくる、ただ風にむかって遠く故郷の方向をふりむいてみるぐらいのことはするのである。



(訳註)
官定後戯贈

* 〔原注〕時免河西尉烏右衛率府兵曹。
官定任官が一定したこと。作者にとってこれが最初の任官である。○戯贈贈とは自己に贈ること。○免河西尉免というのからすればすでにその官になって後に免ぜられたもののようである。其の名義ばかりで実務には就くに至らなかったものと見える。河西尉は河西節度使の管下の尉官である。○右衛率府兵曹こ。太子右衛率府兵曹参軍事の官をいい、従八品下という卑い官である。元積の「杜君墓係」の右衛率府宵曹、「旧唐書」本伝の京兆府兵曹参軍、「新唐書」本伝の右衛率府胃曹参軍、とあるのは皆作者のこの詩の自注によって訂正されるべきものである。

不作河西尉、淒涼為折腰。
自分が河西の尉にならないのは官職の先輩や上官に腰を折るというかなしさがあるためなのだ。
淒涼 ものがなしいさま、二字は折腰にかけてみる。○折腰 陶淵明の故事、淵明は五斗米のために腰を折って長官につかえることをいとった。

老父怕趨走、率府且逍遥。
老父になっているものとしては尉などに使い走りすることになるのはまさかのことと思っている、この右衛率府に置いていただけるということは最初の任官としてはのんびりできるのでしばらくはゆっくりしていようと思う。
老父 自ずからいう。○怕趨走 趨走とは事務のためあちらこちらと奔走することをいう。尉官となるときはかかる煩累があることをおそれる。○率府 東宮(皇太子)に属する諸率府の事務官(従八品下)で、太子禁衛軍の兵員の管理をする事務職。 ○しばらく。○逍遥ぶらぶらしているさま。

耽酒須微禄、狂歌託聖朝。
酒にふけることもしたいが少しばかりの俸禄を頂戴してからだ、もっぱら歌をうたい続け、ありがたい朝廷にこの身を託していくことになる。
須微 禄わずかな俸禄がいりようである。○狂歌他もっぱら歌をうたい続ける、詩歌だけをつくったりすることをさす。○託聖朝 聖明の朝廷におのがからだを託す。



故山帰興尽、囘首向風飇。
官につけば故郷へ帰りたいという思いがさめてくる、ただ風にむかって遠く故郷の方向をふりむいてみるぐらいのことはするのである。
故山 故郷の山。○帰興尽 今まで故郷にかえりたいかえりたいというたが官が定まってみるとかえりたいとの興もなくなった、という。これは本心から官を慕って故郷を思わなくなったのではなく、ちょっとそんな気がすることをいう。○向風飇 飇とは下より吹きまくる暴風。必しも暴風をいうのではなく、ただ風の義に使ったもの。




(解説)
吹きつける「風飇」とは、役所での風当たりのことであろうか。時は晩秋で西風の強い日が多くなることも併せているが、十数年士官の道を求めてきた杜甫にとってはこれから先の希望の方が多かったのかもしれない。
官につけることが定まった杜甫は、家族に知らせ、そして長安へ連れて帰る支度をするため、十一月に入ると率先県に出かけた。それは、安禄山が挙兵した十一月九日に先だつ幾日かまえのことだった。このときの旅の様子は「京より奉先県に赴き、懐いを詠ずる五百字」は五言百句に及ぶ長篇である。のちの「北征」の詩五言百四十句と並ぶ雄篇と称されている。