蘇端薛複筵簡薛華醉歌 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫700 特集 103
(蘇端薛複が筵にて薛華に簡せる酔歌)
蘇端・薛複が宴席で薛華に手紙がわりに寄せた酒酔の時の歌。製作時。長雨の後、安禄山の乱の直前。

蘇端薛複筵簡薛華醉歌
文章有神交有道,端複得之名譽早。
文章はそこに神の助けで神との交わりを得て人力以上のものでるという道義にかなっていることなのである、また人間の交際においてはそこに利益をはなれて真の道義があるのである。蘇端・藩復はこの二つの同義をもっておるという名誉を早いうちからしられている。
愛客滿堂盡豪傑,開筵上日思芳草。
二人は賓客を好んで座敷に来ているみんなに対しその豪傑ぶりをしめしている、きょう、正月の一日に筵を敷いて春の香り漂う若草を愛でることをかんがえているのだ。
安得健步移遠梅,亂插繁花向晴昊?』
できるならば健脚であるから遠方にある梅をここへ移植し、晴れた空に向かい花がいっぱいに咲き誇るところで髪に挿してあそんでみたいと思うのである。』
千裡猶殘舊冰雪,百壺且試開懷抱。
千里もはなれた遠いところにはまだ昨冬の泳雪がのこっている、それに対して試みに百壷の酒をのんでむねのなかを開こうとする。
垂老惡聞戰鼓悲,急觴為緩憂心搗。
年を取ってきたら戦の太鼓は悲しさをよぶので聞くのはいやである、矢継ぎ早に酒をのんで胸打つ心の憂鬱な動悸を緩やかにしようとするのだ。
少年努力縱談笑,看我形容已枯槁。』

青年たちは努めて遊ぶふりして自由に談笑をしているけれども、わたしのこの姿かたちを見てくれ、いまやこんなに枯木のようになってしまったのを。』

坐中薛華善醉歌,歌辭自作風格老。
宴座では薛華がうまく酔うて歌をうたっている、その歌辭は自然に老熟した風格がでているのである。
近來海內為長句,汝與山東李白好。
ちかごろでは天下を見渡し見ると長句の詩をつくるものがいる、その中では君と山東の李白とがとてもうまくいいものを作る。
何劉沈謝力未工,才兼鮑照愁絕倒。』
君にくらべると昔の何遜・劉孝綽・沈約・謝朓らは詩作力がまだ巧みではないのだ、君の詩才はさらに飽照をも兼ねておるから、飽照も負かされたくないと愁えるのである。』
諸生頗盡新知樂,萬事終傷不自保。
わかい人々と同席して知りあいになり、新しいことを知り、十分楽みをつくした、結局万事においてどこかに弱点、傷をもっていて、自らでその身さえ安全に保てないのである。
氣酣日落西風來,願吹野水添金杯。
自分の酔がまわり意気盛んになころに太陽が落ちかけ秋の西風が吹いてくるのである。この風に願いたい、我が手にする金杯の酒の上に野面の水を吹き添えてくれることを。
如澠之酒常快意,亦知窮愁安在哉!
澠水のながれが多量の酒となるようであればいつも我が心意を快くさせてくれるのである。そのうえこんな窮愁もどこへ飛んでいってしまい安らいだ気持ちになるというものではないだろうか!
忽憶雨時秋井塌,古人白骨生青苔;
ここでふとおもうのは、秋の長雨のときには我家の生活のために整然としていたものはくずれてしまった。古人を埋葬した白骨というものは青い苔が生じて厳然としておるではないか
如何不飲令心哀?』

こんなことをかんがえると、我が心をかなしくさせているのだ。どうして酒を飲まずにいることができようぞ。

文章には神有り交には道有り、端復之を得る名誉蚤し。
客を愛して満堂尽く豪傑、蓮を開いて上目に芳草を思う。安んぞ健歩遠梅を移し、乱れて繁花を挿みて晴臭に商うことを得ん』
千里猶残る旧泳雪、百壷且試みて懐抱を開く
垂老聞くことを恵む戦鼓の悲しきを、急鰻為めに緩うす憂心の掃くを
少年努力談笑を縦にす、看よ我が形容己に枯稿せるを』

座中の藩華善く酔歌す、歌辞自ら風椿の老ゆるを作す
近来海内長句を為る、汝と山東の李白と好し
何劉沈謝は力未だ工ならず、才飽照を兼ぬ絶倒せんことを愁う』
諸生頗る尽くす新知の楽み、万事終に傷む自ら保せざるを
気鮒に日落ちて西風来る、願くは野水を吹いて金杯に添え
潤の如きの酒常に意を快くせん、亦た知る窮愁安くに在るや
忽ち憶う雨時秋井の場るるを、古人の白骨青苔を生ず
如何ぞ飲ずして心をして哀ましめん』



蘇端薛複筵簡薛華醉歌
(本分)
文章有神交有道,端複得之名譽早。
愛客滿堂盡豪傑,開筵上日思芳草。
安得健步移遠梅,亂插繁花向晴昊?』
千裡猶殘舊冰雪,百壺且試開懷抱。
垂老惡聞戰鼓悲,急觴為緩憂心搗。
少年努力縱談笑,看我形容已枯槁。』

(下し文)
文章には神有り交には道有り、端復之を得る名誉蚤し。
客を愛して満堂尽く豪傑、蓮を開いて上目に芳草を思う。安んぞ健歩遠梅を移し、乱れて繁花を挿みて晴臭に商うことを得ん』
千里猶残る旧泳雪、百壷且試みて懐抱を開く
垂老聞くことを恵む戦鼓の悲しきを、急鰻為めに緩うす憂心の掃くを
少年努力談笑を縦にす、看よ我が形容己に枯稿せるを』


(現代語訳)
文章はそこに神の助けで神との交わりを得て人力以上のものでるという道義にかなっていることなのである、また人間の交際においてはそこに利益をはなれて真の道義があるのである。蘇端・薛複はこの二つの同義をもっておるという名誉を早いうちからしられている。
二人は賓客を好んで座敷に来ているみんなに対しその豪傑ぶりをしめしている、きょう、正月の一日に筵を敷いて春の香り漂う若草を愛でることをかんがえているのだ。
できるならば健脚であるから遠方にある梅をここへ移植し、晴れた空に向かい花がいっぱいに咲き誇るところで髪に挿してあそんでみたいと思うのである。』
千里もはなれた遠いところにはまだ昨冬の泳雪がのこっている、それに対して試みに百壷の酒をのんでむねのなかを開こうとする。
年を取ってきたら戦の太鼓は悲しさをよぶので聞くのはいやである、矢継ぎ早に酒をのんで胸打つ心の憂鬱な動悸を緩やかにしようとするのだ。
青年たちは努めて遊ぶふりして自由に談笑をしているけれども、わたしのこの姿かたちを見てくれ、いまやこんなに枯木のようになってしまったのを。』


(訳と註)
文章有神交有道,端複得之名譽早。

文章はそこに神の助けで神との交わりを得て人力以上のものでるという道義にかなっていることなのである、また人間の交際においてはそこに利益をはなれて真の道義があるのである。蘇端・薛複はこの二つの同義をもっておるという名誉を早いうちからしられている。
○有神 「高歌鬼神アリ」、「筆ヲ下セバ神アルガ如シ」 の神と同じく神の助けがあることをいう。○有道 道とは道義にかなっていることをいう。○得之 之とは文の神と交の道とをさす。

愛客滿堂盡豪傑,開筵上日思芳草。
二人は賓客を好んで座敷に来ているみんなに対しその豪傑ぶりをしめしている、きょう、正月の一日に筵を敷いて春の香り漂う若草を愛でることをかんがえているのだ。
上日 朔日、一日をいう、これは正月の一日。○思芳草 花のない故である。

安得健步移遠梅,亂插繁花向晴昊?』
できるならば健脚であるから遠方にある梅をここへ移植し、晴れた空に向かい花がいっぱいに咲き誇るところで髪に挿してあそんでみたいと思うのである。』
安得 どうしたしたらこのようなことになることができるのだろうか、希望の辞。○健歩 健脚をいう。○移遠梅 遠地にある梅をここへうつしてくる。○乱挿繁花 梅のしげき花を乱雑に髪にはさむ。○晴昊 はれたそら。



裡猶殘舊冰雪,百壺且試開懷抱。
千里もはなれた遠いところにはまだ昨冬の泳雪がのこっている、それに対して試みに百壷の酒をのんでむねのなかを開こうとする。
 前年冬からあるので、旧。〇百壺且試 且試百壺と同義、しばらく百壺の酒を試みに飲む。○開懐抱 むねにいだいている所を外へだしてしまう。

垂老惡聞戰鼓悲,急觴為緩憂心搗。
年を取ってきたら戦の太鼓は悲しさをよぶので聞くのはいやである、矢継ぎ早に酒をのんで胸打つ心の憂鬱な動悸を緩やかにしようとするのだ。
○垂 老ゆるになんなんとして。○戦鼓悲 安禄山の反軍を討つための太鼓の悲音。○急鯵 はやつぎにつぐさかずき。○為緩 自己のためにゆるやかにする、緩やかとは遅緩にならせること。○ 心が米をつくようにどきどきすることをたとえていう。



少年努力縱談笑,看我形容已枯槁。』
青年たちは努めて遊ぶふりして自由に談笑をしているけれども、わたしのこの姿かたちを見てくれ、いまやこんなに枯木のようになってしまったのを。』
少年努力 ここの努力は行楽につとめることをいう。○枯槁 枯も槁もかれること、枯木のように生気が無くなる。


蘇端薛複筵簡薛華醉歌
(本分)
坐中薛華善醉歌,歌辭自作風格老。
近來海內為長句,汝與山東李白好。
何劉沈謝力未工,才兼鮑照愁絕倒。』
諸生頗盡新知樂,萬事終傷不自保。
氣酣日落西風來,願吹野水添金杯。
如澠之酒常快意,亦知窮愁安在哉!
忽憶雨時秋井塌,古人白骨生青苔;
如何不飲令心哀?』

(下し文)
座中の藩華善く酔歌す、歌辞自ら風椿の老ゆるを作す
近来海内長句を為る、汝と山東の李白と好し
何劉沈謝は力未だ工ならず、才飽照を兼ぬ絶倒せんことを愁う』
諸生頗る尽くす新知の楽み、万事終に傷む自ら保せざるを
気鮒に日落ちて西風来る、願くは野水を吹いて金杯に添え
潤の如きの酒常に意を快くせん、亦た知る窮愁安くに在るや
忽ち憶う雨時秋井の場るるを、古人の白骨青苔を生ず
如何ぞ飲ずして心をして哀ましめん』

(現代語訳)
宴座では薛華がうまく酔うて歌をうたっている、その歌辭は自然に老熟した風格がでているのである。
ちかごろでは天下を見渡し見ると長句の詩をつくるものがいる、その中では君と山東の李白とがとてもうまくいいものを作る。
君にくらべると昔の何遜・劉孝綽・沈約・謝朓らは詩作力がまだ巧みではないのだ、君の詩才はさらに飽照をも兼ねておるから、飽照も負かされたくないと愁えるのである。』
わかい人々と同席して知りあいになり、新しいことを知り、十分楽みをつくした、結局万事においてどこかに弱点、傷をもっていて、自らでその身さえ安全に保てないのである。
自分の酔がまわり意気盛んになころに太陽が落ちかけ秋の西風が吹いてくるのである。この風に願いたい、我が手にする金杯の酒の上に野面の水を吹き添えてくれることを。
澠水のながれが多量の酒となるようであればいつも我が心意を快くさせてくれるのである。そのうえこんな窮愁もどこへ飛んでいってしまい安らいだ気持ちになるというものではないだろうか!
ここでふとおもうのは、秋の長雨のときには我家の生活のために整然としていたものはくずれてしまった。古人を埋葬した白骨というものは青い苔が生じて厳然としておるではないか
こんなことをかんがえると、我が心をかなしくさせているのだ。どうして酒を飲まずにいることができようぞ。


(訳と註)

坐中薛華善醉歌,歌辭自作風格老。
宴座では薛華がうまく酔うて歌をうたっている、その歌辭は自然に老熟した風格がでているのである。
歌辞 歌の文句。○風希老 歌の姿の老熟することをいう。



近來海內為長句,汝與山東李白好。
ちかごろでは天下を見渡し見ると長句の詩をつくるものがいる、その中では君と山東の李白とがとてもうまくいいものを作る
長句 七言の詩句をいう。○山東李白 李白は隴西成紀の人で蜀の彰明県青蓮郷に生まれたが、25歳で放浪し、斉州・兗州等の地に久しく客となっていたので、朝廷追放後、再びこの地で放浪していた。人は彼を「山東の李白」と称した。杜甫も洛陽で李白と遭遇、山東で一緒に遊んだ。



何劉沈謝力未工,才兼鮑照愁絕倒。』
君にくらべると昔の何遜・劉孝綽・沈約・謝朓らは詩作力がまだ巧みではないのだ、君の詩才はさらに飽照をも兼ねておるから、飽照も負かされたくないと愁えるのである。』
何劉沈謝 ①何遜・②劉孝綽・③沈約・④謝桃をいう、南北朝六朝の詩人。〇才兼飽照 ⑤飽照は宋の代の人、壁一己の楽府に長じていた。兼ぬとは薛華が兼ねること。○愁絶倒 (我れ其の絶倒を愁う)の義、我とは杜甫、其とは飽照をうける。絶倒とはまけてころげること。
①~⑤の詩人の概略は末尾に付記。



諸生頗盡新知樂,萬事終傷不自保。
わかい人々と同席して知りあいになり、新しいことを知り、十分楽みをつくした、結局万事においてどこかに弱点、傷をもっていて、自らでその身さえ安全に保てないのである。
諸生 同座の諸少年をさす。○新知楽 未知の人とあたらしく知りあいになるというたのしみ。○不自保 自分白身をも安全に保つことを得ぬこと。


氣酣日落西風來,願吹野水添金杯。
自分の酔がまわり意気盛んになころに太陽が落ちかけ秋の西風が吹いてくるのである。この風に願いたい、我が手にする金杯の酒の上に野面の水を吹き添えてくれることを。
氣酣 酒がめぐって意気のさかんになったとき。○野水 野にある川水。○添金杯 うつくしい杯の酒のうえにそえる。

如澠之酒常快意,亦知窮愁安在哉!
澠水のながれが多量の酒となるようであればいつも我が心意を快くさせてくれるのである。そのうえこんな窮愁もどこへ飛んでいってしまい安らいだ気持ちになるというものではないだろうか!。
如澠之酒 多量の酒をいう。澠は斉国にある川の名、その川水ほどたくさんの酒。○快意 きもちをよくする。○亦知一に亦を不とし、「不レ知」に作ったものがある。「不知」とすれば簡単明瞭であるが、「亦知」でも下の安在の安の字の関係で「不知」の義を生ずる。○窮愁 困窮のうれい。




忽憶雨時秋井塌,古人白骨生青苔;
ここでふとおもうのは、秋の長雨のときには我家の生活のために整然としていたものはくずれてしまった。古人を埋葬した白骨というものは青い苔が生じて厳然としておるではないか
忽憶 急におもう。○秋井塌 井は整然としていたもの。畑や井戸など土を盛ったり、掘ったりして、整地していたものが崩れたことを言う。 



如何不飲令心哀?』
こんなことをかんがえると、我が心をかなしくさせているのだ。どうして酒を飲まずにいることができようぞ。


○韻 道、早、草、昊、/抱、搗、槁、/老、好、倒。/保、/来、杯。/哉、苔、哀。




蘇端薛複筵簡薛華醉歌
文章有神交有道,端複得之名譽早。
愛客滿堂盡豪傑,開筵上日思芳草。
安得健步移遠梅,亂插繁花向晴昊?』
千裡猶殘舊冰雪,百壺且試開懷抱。
垂老惡聞戰鼓悲,急觴為緩憂心搗。
少年努力縱談笑,看我形容已枯槁。』

坐中薛華善醉歌,歌辭自作風格老。
近來海內為長句,汝與山東李白好。
何劉沈謝力未工,才兼鮑照愁絕倒。』
諸生頗盡新知樂,萬事終傷不自保。
氣酣日落西風來,願吹野水添金杯。
如澠之酒常快意,亦知窮愁安在哉!
忽憶雨時秋井塌,古人白骨生青苔;
如何不飲令心哀?』

文章には神有り交には道有り、端復之を得る名誉蚤し。
客を愛して満堂尽く豪傑、蓮を開いて上目に芳草を思う。安んぞ健歩遠梅を移し、乱れて繁花を挿みて晴臭に商うことを得ん』
千里猶残る旧泳雪、百壷且試みて懐抱を開く
垂老聞くことを恵む戦鼓の悲しきを、急鰻為めに緩うす憂心の掃くを
少年努力談笑を縦にす、看よ我が形容己に枯稿せるを』

座中の藩華善く酔歌す、歌辞自ら風椿の老ゆるを作す
近来海内長句を為る、汝と山東の李白と好し
何劉沈謝は力未だ工ならず、才飽照を兼ぬ絶倒せんことを愁う』
諸生頗る尽くす新知の楽み、万事終に傷む自ら保せざるを
気鮒に日落ちて西風来る、願くは野水を吹いて金杯に添え
潤の如きの酒常に意を快くせん、亦た知る窮愁安くに在るや
忽ち憶う雨時秋井の場るるを、古人の白骨青苔を生ず
如何ぞ飲ずして心をして哀ましめん』




詩中の詩人の概略


何劉沈謝 ①何遜・②劉孝綽・③沈約・④謝桃をいう、南北朝六朝の詩人。〇才兼飽照 ⑤飽照

李白
 701年 - 762年 中国最大の詩人の一人。西域で生まれ、綿州(四川省)で成長。字(あざな)は太白(たいはく)。号、青蓮居士。玄宗朝に一時仕えた以外、放浪の一生を送った。好んで酒・月・山を詠み、道教的幻想に富む作品を残した。詩聖杜甫に対して詩仙とも称される。「両人対酌して山花開く、一杯一杯又一杯」「白髪三千丈、愁いに縁(よ)りて個(かく)の似(ごと)く長し」など、人口に膾炙(かいしゃ)した句が多い。


①何遜(かそん) ?~518 何 遜(か そん、467年? - 518年?)は中国南北朝時代の文学者。東海郯の人。字は仲言。曾祖父は何承天。幼少より文才に優れ、8歳で詩を作り、20歳の時、州から秀才に選ばれた。南斉の永明年間に、当時の文壇の重鎮であった范雲に文才を認められ、年齢を超えた交際を結ぶ。現存する詩は110首あまり。生涯の大半を地方の幕僚として勤めたことから、友人や同僚たちとの間の応酬・離別の詩や行旅を主題とする詩が多くを占める。その詩風は、寒門の出身者であるが故の、官途の不遇から発せられた心情表現がしばしば見られることが特徴である。その一方で、詩中における自然描写は、精巧であるとともに、豊かな抒情性をたたえており、謝朓とならび、唐詩の先駆とみなされている。

②劉 孝綽(りゅう こうしゃく) 481年 - 539年 南朝梁の文学者。字は孝綽。彭城(現江蘇省徐州市)の人。本の名は冉。劉孝綽の一族は、祖父の宋の司空劉勔をはじめ、南朝において多くの高官を輩出した家柄であった。劉孝綽は7歳で文章を綴るなど、幼い頃から聡明で名高かった。舅の王融からは神童と呼ばれ、「私の死後はこの子が天下の文章を担うだろう」と言われていた。父の劉絵は南斉の時代、詔勅の起草に携わっていたが、15歳にならない劉孝綽に代筆させていたという。父の友人である沈約・范雲・任昉ら、当代一流の文人たちからも劉孝綽は非常に可愛がられた。


沈約(しんやく) 441年 - 513年 南朝を代表する文学者、政治家。呉興武康(現在の浙江省武康県)の人。字は休文。沈氏は元来軍事で頭角を現した江南の豪族であるが、沈約自身は幼いときに父を孝武帝に殺されたこともあり、学問に精励し学識を蓄え、宋・斉・梁の3朝に仕えた。南斉の竟陵王蕭子良の招きに応じ、その文学サロンで重きをなし、「竟陵八友」の一人に数えられた。その後蕭衍(後の梁の武帝)の挙兵に協力し、梁が建てられると尚書令に任ぜられ、建昌県侯に封ぜられた。晩年は武帝の不興をこうむり、憂愁のうちに死去したという。

謝朓(しゃちょう) 464年 - 499 南北朝時代、南斉の詩人。現存する詩は200首余り、その内容は代表作とされる山水詩のほか、花鳥風月や器物を詠じた詠物詩、友人・同僚との唱和・離別の詩、楽府詩などが大半を占める。竟陵八友のひとり


⑤鮑照 412 頃-466 六朝時代、宋の詩人。字(あざな)は明遠。元嘉年間の三大詩人の一人として謝霊運・顔延之と併称された。