自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 105 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-1


 任官ということになった杜甫は、そのことを家族に知らせ、長安へ連れて帰るため、十一月に入って奉先県に出かけた。それは、安禄山が君側の紆臣「楊国忠」を除くことを名目に挙兵した十一月九日に先だつ5日である。このときの旅行を詠んだのが「自京赴奉先縣詠懷五百字」(京より奉先県に赴き、懐いを詠ずる五百字)は五言古詩、百句五十韻に及ぶ長篇で、のちの「北征」の詩、五言古詩 百四十句と並ぶ雄篇と称されている。この長い詩を一気に掲載すると雑になるので、10分割(区切りは””で示す)して掲載することになる。その後、本来の詩の三段にまとめて解説する。(これまでの長編は、就職活動の詩なので、資料として一括で掲載する方が良いと考えて行った。これからは、「魂の叫び」ともいえるもの丁寧に見ていきたい。)
杜甫乱前後の図001奉先


詩の概要を示す。すなわち第一段は、若いころから持ちつづけている自己の抱負と、それがなかなかかなえられないこと。#1~#3
第二段は旅中の見聞で、君臣ともに歓楽にふけっている驪山のふもとを通りすぎるときの感懐が中心。#4~#8
第三段は、家族と再会して幼子の餓死を知らされての深い嘆きと、世人への思いを詠う。#9~10




第一段(#1~#3)
杜陵有布衣,老大意轉拙。許身一何愚?竊比稷與契。
居然成
濩落,白手甘契闊。蓋棺事則已,此誌常覬豁。』

窮年憂黎元,嘆息腸內熱。取笑同學翁,浩歌彌激烈。
非無江海誌,蕭灑送日月。生逢堯舜君,不忍便永訣。
當今廊廟具,構廈豈雲缺?葵藿傾太陽,物性固莫奪。』
顧惟螻蟻輩,但自求其穴。胡為慕大鯨,輒擬偃溟渤?
以茲誤生理,獨恥事幹謁。兀兀遂至今,忍為塵埃沒。
終愧巢與由,未能易其節。沉飲聊自遣,放歌破愁絕。』
第二段(#4~#8)
歲暮百草零,疾風高岡裂。天衢陰崢嶸,客子中夜發。
霜嚴衣帶斷,指直不得結。淩晨過驪山,禦榻在嵽嵲。』
蚩尤塞寒空,蹴蹋崖谷滑。瑤池氣鬱律,羽林相摩戛。
君臣留歡娛,樂動殷膠葛。賜浴皆長纓,與宴非短褐。』

彤庭所分帛,本自寒女出。鞭撻其夫家,聚斂貢城闕。
聖人筐篚恩,實欲邦國活。臣如忽至理。君豈棄此物?
多士盈朝廷,仁者宜戰慄。』
況聞內金盤,盡在衛霍室。中堂有神仙,煙霧蒙玉質。
暖客貂鼠裘,悲管逐清瑟。勸客駝蹄羹,霜橙壓香橘。
朱門酒肉臭,路有凍死骨。榮枯咫尺異,惆悵難再述
。』
北轅就涇渭,官渡又改轍。群水從西下,極目高崒兀。
疑是崆峒來,恐觸天柱折。河梁幸未坼,枝撐聲窸窣。
行旅相攀援,川廣不可越。』
第三段(#9~10)
老妻寄異縣,十口隔風雪。誰能久不顧?庶往共饑渴。
入門聞號啕,幼子餓已卒。吾寧舍一哀?裡巷亦嗚咽。
所愧為人父,無食致夭折。豈知秋禾登,貧窶有蒼卒。』
生常免租稅,名不隸徵伐。撫跡猶酸辛,平人固騷屑。
默思失業徒,因念遠戍卒。憂端齊終南,澒洞不可掇。』



 天宝十四載(755)冬十一月の初め、杜甫は馬車で真夜中に長安を発った。奉先県への路は、冷たい風が北の砂漠地帯から吹きつけてくる。杜甫は四十四歳を過ぎて、やっと官職につけた。詩は、まず、現況から始まる。

白京赴奉先牒詠懐 五百字 1/10 1段目の#1
杜陵有布衣,老大意轉拙。
杜陵のあたりに一人の官についていない普段着の男が居る、年を取ってはいるがその抱いている志と意識はかたくなで処世術は実にうまくない。
許身一何愚?竊比稷與契。
そうした志と意識について自己に妥協して許すことができない愚者というのはいったいどうしてなのであろうか。それは心に秘めていることは自分を論語で示された賢臣、稷との契たちに匹敵すると思っているからなのだ。
居然成
濩落,白手甘契闊。
そんな大きな志をもっているうちにそのまま滴り落してしまうのであるが、もとより白髪にいたるまで甘んじて艱難辛苦に耐えているのである。
蓋棺事則已,此誌常覬豁。』

自己の価値は棺に蓋をした後に其の人の行為や事の評価が決定するとおもっている、このように心がけていることは、広々とした気持ちでいたいと願ってはいるということなのだ。』


自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫特集700-105-1 現代語訳と訳註

(本文)
杜陵有布衣,老大意轉拙。
許身一何愚?竊比稷與契。
居然成濩落,白手甘契闊。
蓋棺事則已,此誌常覬豁。』

(下し文)
杜陵(とりょう)に布衣(ふい)有り
老大(ろうだい)にして意(い)転(うた)た拙(せつ)なり
身(み)を許すこと一(いつ)に何ぞ愚(ぐ)なる
窃(ひそ)かに稷(しょく)と契(せつ)とに比す
居然(きょぜん)  濩落(かくらく)を成(な)し
白首(はくしゅ)  契闊(けいかつ)に甘んず
棺(かん)を蓋(おお)えば事は則ち已(や)むも
此の志  常に豁(ひら)けむことを覬(ねが)う

(現代語訳)
杜陵のあたりに一人の官についていない普段着の男が居る、年を取ってはいるがその抱いている志と意識はかたくなで処世術は実にうまくない。
そうした志と意識について自己に妥協して許すことができない愚者というのはいったいどうしてなのであろうか。それは心に秘めていることは自分を論語で示された賢臣、稷との契たちに匹敵すると思っているからなのだ。
そんな大きな志をもっているうちにそのまま滴り落してしまうのであるが、もとより白髪にいたるまで甘んじて艱難辛苦に耐えているのである。
自己の価値は棺に蓋をした後に其の人の行為や事の評価が決定するとおもっている、このように心がけていることは、広々とした気持ちでいたいと願ってはいるということなのだ。』


(訳註)
杜陵有布衣,老大意轉拙。
杜陵のあたりに一人の官についていない普段着の男が居る、年を取ってはいるがその抱いている志と意識はかたくなで処世術は実にうまくない。
杜陵 作者の住地。長安城の東に薪陵(漢の文帝の陵)があり、その南五里に楽遊原がある、漠の宜帝の葬られた処で、これを杜院という。杜陵の東南十余里に又一陵があり、宜帝の皇后許氏の葬られた処であり、これを少陵という。少陵の東は杜曲であり、西は杜甫が宅した地である。作者は自己の居を称するのに、杜陵、少陵、杜曲、下杜などというのは皆少陵を本としてその近地についていったものである。この年かいた詩の中でで杜甫の杜曲の住まいを覗わせるものである

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長安・杜曲韋曲
 
布衣 仕官せぬものをいう。○意転拙 その抱く所の意識、意見、物の見方がかたくなで世間向きでなく、処世術がへたである。


許身一何愚?竊比稷與契。
そうした志と意識について自己に妥協して許すことができない愚者というのはいったいどうしてなのであろうか。それは心に秘めていることは自分を論語で示された賢臣、稷との契たちに匹敵すると思っているからなのだ。
許身 我と我が身はかくかくの資格ありとゆるす。○ 二人とも儒教でいう賢臣で舜の賢臣。稷は官の名、本名は棄、農事を掌る、契は教育の事を掌る。『論語』・泰伯篇  「舜には五人の臣(瑀・稷・契・咎陶・伯益)がいて、天下が治まった。武王はいった、「わたしには賢臣が十人いる」 孔子はいった、「才能ある人物は得がたいものだ。そうではないか。尭が舜に禅譲してからは、周の初めにおいて盛んであった。(武王の賢臣のうち、)婦人が一人いるので、賢臣は九人のみであった。文王が西伯となって、天下を三分してその二を保ち、それで殷に服事した。周の徳こそは至徳というべきである」 *周が賢臣を得て国を治めたことを讃えた。


居然成濩落,白手甘契闊。
そんな大きな志をもっているうちにそのまま滴り落してしまうのであるが、もとより白髪にいたるまで甘んじて艱難辛苦に耐えているのである。
居然 そのままの意。○濩落 濩は雨だれがしたたり落ちること。○契闊 苦労すること。逢うことと離れること。慕う。約束する。ここでは艱難辛苦をいう。
 
蓋棺事則已,此誌常覬豁。』
自己の価値は棺に蓋をした後に其の人の行為や事の評価が決定するとおもっている、このように心がけていることは、広々とした気持ちでいたいと願ってはいるということなのだ。』
蓋棺 棺の蓋をする。人が死ぬことを指す。人は死後に其の行いや事の評価が決定することをいう。○此志 自己の志意をいう。○ 冀と同じ、こいねがう。○ 寛裕にする、ひろびろとする。