自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 112 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-#8

第一段(#1~#3)
杜陵有布衣,老大意轉拙。許身一何愚?竊比稷與契。
居然成獲落,白手甘契闊。蓋棺事則已,此誌常覬豁。』
窮年憂黎元,嘆息腸內熱。取笑同學翁,浩歌彌激烈。
非無江海誌,蕭灑送日月。生逢堯舜君,不忍便永訣。
當今廊廟具,構廈豈雲缺?葵藿傾太陽,物性固莫奪。』
顧惟螻蟻輩,但自求其穴。胡為慕大鯨,輒擬偃溟渤?
以茲誤生理,獨恥事幹謁。兀兀遂至今,忍為塵埃沒。
終愧巢與由,未能易其節。沉飲聊自遣,放歌破愁絕。』

第一段は、己れの素志と、それがいつまでたってもかなえられない悲しみを述べた杜甫は、一転して、奉先県への出発と、道中の様子を詠う。都から東に向かって車を進め、鷹山の離宮の下を通り、やがて北に進路を変えて軽水・澗水を渡る。

歳は暮れて百草は枯れ、疾風のために高い岡は裂けんばかり。空は曇ってどんよりとしており、旅人なる私は、その中を夜ふけに出発した。霜は厳しく、衣服の帯は絶れてしまったが、指はこごえて結ぶこともできない。夜明けをついて鷹山のふもとを過ぎれば、その高々とそびえるあたりに天子の玉座はある。禁軍の寅尤の旗は寒空をいっぱいにふさぎ、凍りついた滑らかな崖や谷に、ひしめき立っている。瑞の池のごとき温泉からは湯気が立ちこめて、近衛兵の物の具の触れあう音が響く。


第二段(#4~#8)
歲暮百草零,疾風高岡裂。天衢陰崢嶸,客子中夜發。
霜嚴衣帶斷,指直不得結。淩晨過驪山,禦榻在嵽嵲。』
蚩尤塞寒空,蹴蹋崖谷滑。瑤池氣鬱律,羽林相摩戛。
君臣留歡娛,樂動殷膠葛。賜浴皆長纓,與宴非短褐。』
彤庭所分帛,本自寒女出。鞭撻其夫家,聚斂貢城闕。
聖人筐篚恩,實欲邦國活。臣如忽至理。君豈棄此物?
多士盈朝廷,仁者宜戰慄。』
況聞內金盤,盡在衛霍室。中堂有神仙,煙霧蒙玉質。
暖客貂鼠裘,悲管逐清瑟。勸客駝蹄羹,霜橙壓香橘。
朱門酒肉臭,路有凍死骨。榮枯咫尺異,惆悵難再述。』

北轅就涇渭,官渡又改轍。群水從西下,極目高崒兀。
疑是崆峒來,恐觸天柱折。河梁幸未坼,枝撐聲窸窣。
行旅相攀援,川廣不可越。』

わが君とその従臣たちが、ここに逗留して歓楽を尽くしており、楽の音は、その険しきあたりに響きわたっている。ここで浴を賜わるのは、冠の樫を長く垂らした貴人ばかり、宴会に加わるのは、短い着物を着た貧乏人ではない。離宮の庭で天子が分かち下される絹は、もともと貧しい女たちが織ったもの。役人が、その主人を鞭打って、取り集めて朝廷にさし出したものである。わが君が、それを竹かごに入れて下賜されるのは、臣下の家国に活力をもたらそうとしてのことである。その御心を、諸臣がおろそかにするようなことがあるならば、わが君は、これらの品々を無駄に棄てられたことになる。朝廷には多くの臣が満ちあふれているが、心ある者は戦傑して恐れ入らねばならぬ。

「朱門に酒肉は臭く、路に凍死の骨あり」とは、戦国時代孟子が、梁の恵王に王道政治を説く中で、「厨に肥肉あり、厩に肥馬あり。民に飢色あり、野に餓莩あり」(『孟子』梁恵王・上)“王宮の台所には、よく肥えた肉塊があり、厩にはよく肥えた馬がいながら、人民は飢えに迫られ、野には餓死者の屍が横たわっている“ というのを踏まえたもので、儒家の伝統である人道主義にもとづく発想である。そうして、それが口先だけの借りものでなく、世の現実の姿を直視しての杜甫の怒りの表現であるところに鋭い説得力がある。
さて、涇水・渭水を渡って東北に進んだ杜甫は、家族の住む奉先県へと近づいてゆく。


自京赴奉先縣詠懷五百字 #8 
北轅就涇渭、官渡又改轍。
驪山のそばから車のかじ棒を北へむけて渭水・涇水の方へと就いて、官から設けられた渡り場でまた旧路とちがった道をとる。
羣冰従西下、極目高崒兀。
たくさんの氷が西の方から流れくだる、みきわめるとそれは高くて山のそばだつようにみえる。
疑是崆峒来、恐觸天柱折。
その氷は崆峒山あたりから来るので、それに触れたら天の柱をも折るとおもわれるほどのものである。
河梁幸未坼、枝撐声悉窣。
幸に河の舟橋はまだ破壊されてはいなかった、その支え柱がぎゅうぎゅう危なそうな声をたてている、
行旅相攀援、川李不可越。

それへ旅客たちがわれもわれもとよじり掴まりひっぱりあいをしている、川のはばが広いのでなかなか渡りにくいのだ。』


轅(ながえ)を北にして涇渭(けいい)に就(つ)き、官渡(かんと)にて又(ま)た轍(わだち)を改む。
群氷(ぐんぴょう)  西(にし)従(よ)り下り、極目(きょくもく)  高くして崒兀(しゅつごつ)たり。疑うらくは是(こ)れ崆峒(くうどう)より来たるかと、恐らくは触(ふ)れなば天柱(てんちゅう)も折れん。
河梁(かりょう)は幸いにして未だ坼(くだ)けず、枝撑(ししょう)  声  悉窣(しつしゅつ)たり。
行旅(こうりょ)は相い攀援(はんえん)すれども、川は広くして越ゆる可(べ)からず。


自京赴奉先縣詠懷五百字 #8 現代語訳と訳註 解説

(本文)
北轅就涇渭、官渡又改轍。
羣冰従西下、極目高崒兀。
疑是崆峒来、恐觸天柱折。
河梁幸未坼、枝撐声悉窣。
行旅相攀援、川李不可越。

(下し文)
轅(ながえ)を北にして涇渭(けいい)に就(つ)き、官渡(かんと)にて又(ま)た轍(わだち)を改む。
群氷(ぐんぴょう)  西(にし)従(よ)り下り、極目(きょくもく)  高くして卒兀(しゅつごつ)たり。
疑うらくは是(こ)れ崆峒(くうどう)より来たるかと、恐らくは触(ふ)れなば天柱(てんちゅう)も折れん。
河梁(かりょう)は幸いにして未だ坼(くだ)けず、枝撑(ししょう)  声  悉窣(しつしゅつ)たり。
行旅(こうりょ)は相い攀援(はんえん)すれども、川は広くして越ゆる可(べ)からず。

 
現代語訳
驪山のそばから車のかじ棒を北へむけて渭水・涇水の方へと就いて、官から設けられた渡り場でまた旧路とちがった道をとる。
たくさんの氷が西の方から流れくだる、みきわめるとそれは高くて山のそばだつようにみえる。
その氷は崆峒山あたりから来るので、それに触れたら天の柱をも折るとおもわれるほどのものである。
幸に河の舟橋はまだ破壊されてはいなかった、その支え柱がぎゅうぎゅう危なそうな声をたてている、
それへ旅客たちがわれもわれもとよじり掴まりひっぱりあいをしている、川のはばが広いのでなかなか渡りにくいのだ。』


(訳註)

北轅就涇渭、官渡又改轍。
驪山のそばから車のかじ棒を北へむけて渭水・涇水の方へと就いて、官から設けられた渡り場でまた旧路とちがった道をとる。
北轅 車のかじ棒を北へむける。○涇渭 二つの川の名、長安から奉先へゆくには北に路をとりこの二水をわたる。○官渡 官から設置してある渡りば。○改轍 別な車跡を通過する、或は出水のために官渡の位置がかわっているためとおもわれる。


羣冰従西下、極目高卒兀。
たくさんの氷が西の方から流れくだる、みきわめるとそれは高くて山のそばだつようにみえる。
羣冰 羣冰は多くの河が凍り始めて流れている。○崒兀 高く峻しいさま。


疑是崆峒来、恐触天柱折。
その氷は崆峒山あたりから来るので、それに触れたら天の柱をも折るとおもわれるほどのものである。
崆峒 甘粛省鞏昌府岷州にある山の名。(涇水の水源の山-地図参照)○天柱折「列子」湯問篇に共工氏が顓頊と帝たらんことを争い、怒って不周の山に頭を触れ、天柱を折り、地維を絶ったことをふまえる。


河梁幸未坼、枝撑声悉窣。
幸に河の舟橋はまだ破壊されてはいなかった、その支え柱がぎゅうぎゅう危なそうな声をたてている、
○河梁 梁はふなはし。○ 裂けること。破壊。〇枝撑 杜甫「同諸公登慈恩寺塔」詩では道を支える支柱。ここでは舟橋を支える仕え柱をいう。○悉窣 声の安からぬさま。氷交じりの水流が急なためギュウギュウ音をたてているさま。


行李相攀援、川広不可越。
それへ旅客たちがわれもわれもとよじり掴まりひっぱりあいをしている、川のはばが広いのでなかなか渡りにくいのだ。』
行李 いろんな旅人がいることをあらわす。一般旅客をさす。○攀援 よじる、ひく。○不可越 こえにくいことをいう。

(解説)
○押韻 轍。兀。折。窣。越。

 奉先県へ行くには、驪山の麓で左折し、北へ向かうことになる。涇水が渭水に合流する地点から少し下流に臥舟橋の地点になる。管の橋と一般の橋とあった。そこで渭水を渡る。流氷が西から流れてきますが、それはおおよそ涇水の上流の崆峒山から流れてきたものである。役人の身分の杜甫は渡橋用の別の車に乗り換え、一般の人は揺れる浮梁(小舟を横につなぎ合わせて板を敷き並べた舟橋)の上を手を取り合って渡ってゆくことになるのだ。

ここでこの詩の2段目は終了する。
杜甫乱前後の図002奉先