自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 113 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-#9

第三段は、長く別れて暮らす妻への厚い思いやりの情に始まる。


第三段(#9~10)
老妻寄異縣,十口隔風雪。誰能久不顧?庶往共饑渴。
入門聞號啕,幼子餓已卒。吾寧舍一哀?裡巷亦嗚咽。
所愧為人父,無食致夭折。豈知秋禾登,貧窶有蒼卒。』
生常免租稅,名不隸徵伐。撫跡猶酸辛,平人固騷屑。
默思失業徒,因念遠戍卒。憂端齊終南,澒洞不可掇。』


自京赴奉先縣詠懷五百字 #9 
老妻寄異県、十口隔風雪。
いま私の妻は他県(奉先県)に仮住まいしている、十人もの家族とわたしとは風雪をへだてているのである。
誰能久不顧、庶往共饑渇。
だれでもこ禹して預けた家族をながく顧みないでおれるはずはないものだ、できることなら貧しかろうが、ひもじかろうが一緒にしたいと思っているのだ。
入門聞号咷、幼子飢已卒。
(やがて到着したわたしが)門に入ると家のものが泣き叫ぶ声がきこえてくる、我が幼子は餓えてすでに死んでしまったというのである。
吾寧捨一哀、里巷亦鳴咽。
わたしは死んだ児に対しどうして大泣きして一哀することをやめることができるものか、わたしのようすをみて近所の人たちもむせび泣きをしてくれるのである。
所愧為人父、無食到夭折。
ただ自分は恥ずかしいとするのは、人として人の父親としているのである、それが食物が無いために幼児死、しかも栄養失調で死なせてしまったということなのである。
豈知秋禾登、貧窶有倉卒。

もし秋まで待てるものなら、秋になれば穀物がよく実ったはずで、こんなこととは知る由もなかったのだ、貧乏の境遇はまことに手が届かずひたすらあわただしくするのみなのでる。』


老妻(ろうさい)は異県(いけん)に寄(あず)け、十口(じつこう)は風雪(ふうせつ)を隔(へだ)つ。

誰か能()く久しく顧(かえり)みざらん、庶(ねが)わくは往()いて饑渇(きかつ)を共にせん。

門に入れば号(ごうとう)を聞く、幼子(ようし)の飢えて已(すで)に卒(しゅつ)す。

(われ)(なん)ぞ一哀(いちあい)を捨(おし)まんや、里巷(りこう)も亦()た鳴咽(おえつ)す。

()ずる所は人の父と為()り、食(しょく)無くして夭折(ようせつ)を到(いた)せしを。



自京赴奉先縣詠懷五百字 #9 現代語訳と訳註 解説
(本文)

老妻寄異県、十口隔風雪。
誰能久不顧、庶往共饑渇。
入門聞号咷、幼子飢已卒。
吾寧捨一哀、里巷亦鳴咽。
所愧為人父、無食到夭折。
豈知秋禾登、貧窶有倉卒。


(下し文)
老妻(ろうさい)は異県(いけん)に寄(あず)け、十口(じつこう)は風雪(ふうせつ)を隔(へだ)つ。
誰か能(よ)く久しく顧(かえり)みざらん、庶(ねが)わくは往(ゆ)いて饑渇(きかつ)を共にせん。
門に入れば号咷(ごうとう)を聞く、幼子(ようし)の飢えて已(すで)に卒(しゅつ)す。
吾(われ)寧(なん)ぞ一哀(いちあい)を捨(おし)まんや、里巷(りこう)も亦(ま)た鳴咽(おえつ)す。
愧(は)ずる所は人の父と為(な)り、食(しょく)無くして夭折(ようせつ)を到(いた)せしを。

  
(現代語訳)
いま私の妻は他県(奉先県)に仮住まいしている、十人もの家族とわたしとは風雪をへだてているのである。
だれでもこ禹して預けた家族をながく顧みないでおれるはずはないものだ、できることなら貧しかろうが、ひもじかろうが一緒にしたいと思っているのだ。
(やがて到着したわたしが)門に入ると家のものが泣き叫ぶ声がきこえてくる、我が幼子は餓えてすでに死んでしまったというのである。
わたしは死んだ児に対しどうして大泣きして一哀することをやめることができるものか、わたしのようすをみて近所の人たちもむせび泣きをしてくれるのである。
ただ自分は恥ずかしいとするのは、人として人の父親としているのである、それが食物が無いために幼児死、しかも栄養失調で死なせてしまったということなのである。
もし秋まで待てるものなら、秋になれば穀物がよく実ったはずで、こんなこととは知る由もなかったのだ、貧乏の境遇はまことに手が届かずひたすらあわただしくするのみなのでる。』


  
(語訳と訳註)
  
老妻寄異県、十口隔風雪。

いま私の妻は他県(奉先県)に仮住まいしている、十人もの家族とわたしとは風雪をへだてているのである。
老妻 年よりの妻、楊氏をさす。○寄寄寓。○異県 他県、奉先をさす。〇十口 家族十人。○風雪 時節のものをあげる。士官が思わしくなく生活ができないため妻の実家に預けた。


誰能久不顧、庶往共饑渇。
だれでもこ禹して預けた家族をながく顧みないでおれるはずはないものだ、できることなら貧しかろうが、ひもじかろうが一緒にしたいと思っているのだ。
 訪問してみまってやること。○ 庶幾、こいねがわくは。


入門聞号咷、幼子飢已卒。
(やがて到着したわたしが)門に入ると家のものが泣き叫ぶ声がきこえてくる、我が幼子は餓えてすでに死んでしまったというのである。
入門 奉先に到著して我が寓居の門にはいる。〇号眺 さけぶ、なく。眺は児どものなきやまぬことをいう字であるが、ここは家人等がなくことをいう。


吾寧捨一哀、里巷亦鳴咽。
わたしは死んだ児に対しどうして大泣きして一哀することをやめることができるものか、わたしのようすをみて近所の人たちもむせび泣きをしてくれるのである。
○捨一哀捨はおく、やめて為さぬこと。一哀は一度哀しむこと、文字は「礼記」檀弓上にみえる、死児に対してなくことを惜しまぬことをいう。○里巷 村の小路にいる人々。○亦鳴咽 むせびなきする、亦とは我と共にの義。

所愧為人父、無食到夭折。
ただ自分は恥ずかしいとするのは、人として人の父親としているのである、それが食物が無いために幼児死、しかも栄養失調で死なせてしまったということなのである。
○無食 食物のないこと。○到夭折 わかじにをまねく。幼児死、しかも栄養失調で死なせてしまった。


豈知秋禾登、貧窶有倉卒。
もし秋まで待てるものなら、秋になれば穀物がよく実ったはずで、こんなこととは知る由もなかったのだ、貧乏の境遇はまことに手が届かずひたすらあわただしくするのみなのでる。』
豈知秋禾登 禾は穀類をいう。豈はみのることをいう。豈知とは今かく穀物ができようとは知らなかったとの意。児の死後に実ったのが残念であるとの意味。○貧窶 窶はみすぼらしいこと。○倉卒 ひたすらあわただしくする


(解説)
わが妻は他県に預けてあり、人の家族は風雪を隔てた所に住んでいる。どうしていつまでも、そのままにしておけようぞ。そこに行って、飢えと渇きを共にしたいと思う。門を入ると家の者が号き叫ぶ声がする、幼い子が飢えて死んでいたのだった。私はどうして悲しみを尽くさずにおれよう、村の人たちもまた鳴咽している。人の子の父となりながら、食べ物がなくて天折させたのが悦ずかしい。それにしても今年の秋は豊作ということだったのに、貧乏人には思いもよらぬことが起きるものだ。
 予期せぬこととはいえ、これ以上の悲しみがあろうか。杜甫の真骨頂の部分である。飢饉のため疎開させたのにここまでのこととは思わなかったのである。