送重表姪王砅評事便南海 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 131
770年58歳の作品
杜甫乱前後の図003鳳翔

 756年六月に入って哥舒翰の軍が潼関で大敗し、叛乱軍が長安に迫ってきたため、杜甫は家族を連れて危険の迫った白水県を去り、多くの避難民に混じって洛水ぞいに葦原を経てさらに北に進んだ。
「華原を過ぎてからは、もはや平らな土地は見られない。北に向かってゆくが、ただ土山が続いているばかり。来る日も来る日も、せばまった深い谷間を通ってゆく。空には赤くやけた雲が時となくわき立ち、電光がきらめく。山が深いために雨がよく降り、道は川になって激流がぶつかりあう」。その中を杜甫の一行は手を引きあって進んでゆく。
このとき、杜甫の遠い親戚にあたる王砅一家もいっしょに避難したが、のちに770年大暦五年、といえは、杜甫が亡くなる年に潭州で、南海に使者として赴く王砅を送る際に作った「送重表姪王砅評事便南海」(重表姪の王砅評事の南海に使いするを送る)には、避難の途中における危難の様子が次のように詠われている。

往者胡作逆,乾坤沸嗷嗷。
その昔、安禄山が異民族らを従えて反乱を起こした、天地はそのことでごうごうと沸きかえったのである。
吾客左馮翊,爾家同遁逃。
私は左馮翊の地に乱を避けようとしていたのだが、そのとき、君の家族もいっしょに逃げた。
爭奪至徒步,塊獨委蓬蒿。
途中、馬を奪われた私は徒歩になり、独り背丈の高い草草むらの中に残されていた。
逗留熱爾腸,十裡卻呼號。
私があまり遅れるので、おまえはじっとしておれなくなり、十里も先から私の名を呼んで引き返してきた。
自下所騎馬,右持腰間刀。
自分の乗っていた馬を下りて私を乗せ、右手には腰の刀を抜き放ちかまえた。
左牽紫遊韁,飛走使我高。
そしてこんどは左手にうまく紫の手綱を引き、私を守って飛ぶように走った。
苟活到今日,寸心銘佩牢。
なんとか今日まで生きてこられたのは君のおかげ、心に深く刻みこんでけっして忘れはしない。

往者 胡の逆を作すや、乾坤は沸きて吸吸たり。
吾は左清朝に客たらんとし、爾が家も同に遁逃す。
争奪されて徒歩するに至り、塊独 蓬高に委ぬ。
逗留して爾が腸を熱せしめ、十里 御きて呼号す。
自ら 騎る所の馬を下り、右に腰間の刀を持す。
左に紫の遊竜を牽き、飛走 我をして高からしむ。
筍しくも活きて今日に到る、寸心 銘侭すること牢し。

 
送重表姪王砅評事便南海 現代語訳と訳註
作時 770年 大暦五年
756年東都の洛陽が叛乱開始一か月で陥落した。大混乱になったが、叛乱軍は、国軍、支持者など卑劣で容赦しなかった。要求が通らなければすべて殺戮した。略奪、謀略の限りを尽くした。中國の町民、住民全てが震え上がったのだ。長安を守るための最後の砦として函谷関、潼関であったが、6月初めここでも王朝内の讒言で作戦を誤り、大敗をしたのである。(安禄山の乱と杜甫参照)一気に長安は叛乱軍の手に落ちるのである。潼関が破られたことが長安にもすぐ伝わった。安禄山が入場するまでの少しの間に三方ににげた。杜甫も川筋の道を通れば、2,3日のところ、山道を大勢の人と逃げたのだ。大雨の降りしきる中逃げる様子は、「三川觀水漲二十韻 で詳しく述べられている。この詩は、杜甫が逃げる際、自分の愛馬を叛乱軍に奪われるのである。そのため逃げ遅れていたところをこの詩の主人公“王砅”に助けられる。このことはこの詩にだけでてくるのでここで取り上げた。長詩であるので関係部分を取り上げる、

(本文)全文
我之曾祖姑,爾之高祖母。爾祖未顯時,歸為尚書婦。
隋朝大業末,房杜俱交友。長者來在門,荒年自糊口。
家貧無供給,客位但箕帚。俄頃羞頗珍,寂寥人散後。
入怪鬢髮空,籲嗟為之久。自陳翦髻鬟,鬻市充杯酒。
上雲天下亂,宜與英俊厚。向竊窺數公,經綸亦俱有。
次問最少年,虯髯十八九。子等成大名,皆因此人手。
下雲風雲合,龍虎一吟吼。願展丈夫雄,得辭兒女醜。
秦王時在坐,真氣驚戶牖。及乎貞觀初,尚書踐台鬥。
夫人常肩輿,上殿稱萬壽。六宮師柔順,法則化妃後。
至尊均嫂叔,盛事垂不朽。鳳雛無凡毛,五色非爾曹。
 
往者胡作逆,乾坤沸嗷嗷。
吾客左馮翊,爾家同遁逃。
爭奪至徒步,塊獨委蓬蒿。
逗留熱爾腸,十裡卻呼號。
自下所騎馬,右持腰間刀。
左牽紫遊韁,飛走使我高。
苟活到今日,寸心銘佩牢。

亂離又聚散,宿昔恨滔滔。

水花笑白首,春草隨青袍。廷評近要津,節制收英髦。
北驅漢陽傳,南泛上瀧舠。家聲肯墜地,利器當秋毫。
番禺親賢領,籌運神功操。大夫出盧宋,寶貝休脂膏。
洞主降接武,海胡舶千艘。我欲就丹砂,跋涉覺身勞。
安能陷糞土,有志乘鯨鼇。或驂鸞騰天,聊作鶴鳴皋。

(下し文)
往者 胡の逆を作すや、乾坤(けんこん)は沸きて嗷嗷(ごうごう)たり。
吾は左馮翊に客たらんとし、爾が家も同に遁逃(とんとう)す。
争奪されて徒歩するに至り、塊独(かいどく) 蓬蒿(ほうこう)に委(ゆだ)ぬ。
逗留して爾が腸を熱せしめ、十里 御きて呼号す。
自ら 騎(の)る所の馬を下り、右に腰間の刀を持す。
左に紫の遊覊(たづな)を牽き、飛走 我をして高からしむ。
筍(いや)しくも活きて今日に到る、寸心 銘佩(めいはい)すること牢し。

(現代語訳)
その昔、安禄山が異民族らを従えて反乱を起こした、天地はそのことでごうごうと沸きかえったのである。
私は左馮翊の地に乱を避けようとしていたのだが、そのとき、君の家族もいっしょに逃げた。
途中、馬を奪われた私は徒歩になり、独り背丈の高い草草むらの中に残されていた。
私があまり遅れるので、おまえはじっとしておれなくなり、十里も先から私の名を呼んで引き返してきた。
自分の乗っていた馬を下りて私を乗せ、右手には腰の刀を抜き放ち、左手は紫の手綱を引き、私を守って飛ぶように走った。
なんとか今日まで生きてこられたのは君のおかげ、心に深く刻みこんでけっして忘れはしない。


 
(訳注)
往者胡作逆,乾坤沸嗷嗷。
その昔、安禄山が異民族らを従えて反乱を起こした、天地はそのことでごうごうと沸きかえったのである。
○往者 その昔。○胡作逆 安禄山が異民族らを従えて反乱を起こした ○嗷嗷 ごうごうとしたさま。

吾客左馮翊,爾家同遁逃。
私は左馮翊の地に乱を避けようとしていたのだが、そのとき、君の家族もいっしょに逃げた。
 乱を避けようと客人になること。○左馮翊 (さひょうよく)現在の陝西省、前漢から後漢にかけて設置され、当時の都城である長安付近の県を管轄した。陝西省同州府という広い意味で奉先、白水も左馮翊に入る。○爾家 君の家族。○同遁逃 いっしょに逃げた。
長安黄河

爭奪至徒步,塊獨委蓬蒿。
途中、馬を奪われた私は徒歩になり、独り背丈の高い草草むらの中に残されていた。
爭奪 争って奪われた。このと時杜甫は何時もの愛馬で逃げていた。○塊獨 一人ぼっちになること。独り立ちする。○委 ゆだねる。○蓬蒿 蓬科の背丈の高い草。


逗留熱爾腸,十裡卻呼號。
私があまり遅れるので、おまえはじっとしておれなくなり、十里も先から私の名を呼んで引き返してきた。
逗留 その場にとどまって進まないこと。○熱爾腸 じっとしておれなくなったさまをいう。○卻呼號 呼んで引き返えしてくる。


自下所騎馬,右持腰間刀。
自分の乗っていた馬を下りて私を乗せ、右手には腰の刀を抜き放ちかまえた。


左牽紫遊韁,飛走使我高。
そしてこんどは左手にうまく紫の手綱を引き、私を守って飛ぶように走った。
紫遊韁 うまく遊びを持たせ紫の手綱を引くこと。○飛走 飛ぶように走る。○使我高 私を安心させ悠然とした。


苟活到今日,寸心銘佩牢。
なんとか今日まで生きてこられたのは君のおかげ、心に深く刻みこんでけっして忘れはしない。
銘佩牢 肝に銘じて体に佩びること。佩は腰につける飾り。




こうして必死の思いで避難を続ける杜甫とその家族は、三川県の周家窪という村にやっとたどり着いたが、その村で杜甫は思いもかけず、知り合いの孫宰に出会い、手厚いもてなしを受けることになった。

そのことはのちに「彭衙行」(ほうがこう)の中に、道中の苦労とともに詳しく詠われている。「彭衙」とは白水県の古名である。


彭衙行につづく。
毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi
kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首