奉先劉少府新畫山水障歌 #1 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 136
奉先県の尉官である劉単の新画の山水の図のついたての歌。


奉先劉少府新畫山水障歌
奉先県の劉警察の事務官の新しく画かれた山水の障にたいしての歌。
#1
堂上不合生楓樹,怪底江山起煙霧。
劉家の奥座敷のうえに楓の樹が生えるという理窟はないが、あるではないか。また不思議でないか、なんという江河か山なのか、そこからなんと煙や霧がたちのぼっている。
聞君掃卻赤縣圖,乘興譴畫滄洲趣。』
聞くところによれば、君は赤県の図をそそくさと画いたので、進んで興に乗じて更に滄洲の趣をも画いたのだ。』
畫師亦無數,好手不可遇。
世の画師というものは無数にたくさんあるが、うまい名工には遇うことがむずかしい。
對此融心神,知君重毫素。』
然しこの画に対すると精神がとけこんでいるような気がする、君がいかにこの画を貴重とするのかも うかがわれるものである。』
豈但祁嶽與鄭虔,筆跡遠過楊契丹。』

この画をかいた者は現代の祁岳や鄭虔以上であるばかりでなく、その筆の跡は遠く隋の楊契丹よりもまさっているのだ。』
#2
得非元圃裂?無乃瀟湘翻?
悄然坐我天姥下,耳邊已是聞清猿。
反思前夜風雨急,乃是蒲城鬼神入。
元氣淋灕障猶濕,真宰上訴天應泣。』
#3
野亭春還雜花遠,魚翁暝踏孤舟立。
滄浪水深青且闊,欹岸側島秋毫末。
不見湘妃鼓瑟時,至今斑竹臨江活。』
#4
劉侯天機精,愛畫入骨髓。
自有兩兒郎,揮灑亦莫比。
大兒聰明到,能添老樹巔崖裡。
小兒心孔開,貌得山僧及童子。』
若耶溪,雲門寺,
吾獨胡為在泥滓?青鞋布襪從此始。』

(奉先の劉少府の 新に画ける山水の陣の歌)
堂上合(まさ)に楓樹(ふうじゅ)を生ずべからず、怪(あやし)む底(なん)の江山か煙霧起る。
聞く君が赤県の図を掃却(そうきゃく)して、興に乗じて槍洲(そうしゅう)の趣(おもむき)を画(えが)か遣(し)むと。』
画師も亦無数なり、好手(こうしゅ)には遇う可(べか)らず。此に対すれば心神融(ゆう)す、知る君が毫素(ごうそ)を重んずるを。』
豈 但 祁嶽(きがく)と鄭虔(ていけん)とのみならんや、筆跡 遠く過ぐ 楊契丹(ようけつたん)。』
#2
元圃の裂くるに非(あらざ)るを得ば、乃ち瀟湘(しょうそう)の翻るなる無からんや。

悄然(しょうぜん)我を天姥(てんぽ)の下に坐せしむ、耳辺(じへん) 己に清猿(せいえん)を聞くに似たり。
反って思う 前夜 風雨 急なりしを、乃ち是 蒲城(ほじょう)に鬼神入る。
元気 淋灕(りんり)として障 猶 湿う、真宰(しんさい)に上り 訴えて 天 応(まさ)に泣くなるべし。』

#3
野亭(やてい) 春 還って 雜花 遠く、漁翁(ぎょおう)瞑(くれ)に孤舟を 踏みて立つ。
滄浪(そうろう) 水深くして青瞑(せいめい) 闊(ひろ)し、欹岸(いがん) 側島(そくとう)  秋毫(しゅうごう)の末。
湘妃(しょうひ)瑟(しつ)を鼓する時を見ざるも、今に至って斑竹(はんちく) 江に臨(のぞ)んで活す。』
#4
劉侯 天機 精なり、画を愛して骨髄に入る。
自ら 両 児郎(じろう)有り、揮灑(きさい)亦 比莫(な)し。
大児は聡明到る、能く老樹を添う巔崖(てんがい)の裡(うち)。
小児は心孔開く、貌(ばく)し得たり山僧及び童子。』
若耶(じゃくや)の渓、雲門の寺。
吾独り 胡為(なんすれ)ぞ 泥滓(でいし)に在る、青鞋(せいあい) 布襪(ふべつ)此従(よ)り始めん。』


奉先劉少府新畫山水障歌 現代語訳と訳註
(本文) #1
堂上不合生楓樹,怪底江山起煙霧。
聞君掃卻赤縣圖,乘興譴畫滄洲趣。』
畫師亦無數,好手不可遇。
對此融心神,知君重毫素。』
豈但祁嶽與鄭虔,筆跡遠過楊契丹。』


(下し文)
堂上合(まさ)に楓樹(ふうじゅ)を生ずべからず、怪(あやし)む底(なん)の江山か煙霧起る。
聞く君が赤県の図を掃却(そうきゃく)して、興に乗じて槍洲(そうしゅう)の趣(おもむき)を画(えが)か遣(し)むと。』
画師も亦無数なり、好手(こうしゅ)には遇う可(べか)らず。此に対すれば心神融(ゆう)す、知る君が毫素(ごうそ)を重んずるを。』
豈 但 祁嶽(きがく)と鄭虔(ていけん)とのみならんや、筆跡 遠く過ぐ 楊契丹(ようけつたん)。』

(現代語訳)
奉先県の劉警察の事務官の新しく画かれた山水の障にたいしての歌。
劉家の奥座敷のうえに楓の樹が生えるという理窟はないが、あるではないか。また不思議でないか、なんという江河か山なのか、そこからなんと煙や霧がたちのぼっている。
聞くところによれば、君は赤県の図をそそくさと画いたので、進んで興に乗じて更に滄洲の趣をも画いたのだ。』
世の画師というものは無数にたくさんあるが、うまい名工には遇うことがむずかしい。
然しこの画に対すると精神がとけこんでいるような気がする、君がいかにこの画を貴重とするのかも うかがわれるものである。』
この画をかいた者は現代の祁岳や鄭虔以上であるばかりでなく、その筆の跡は遠く隋の楊契丹よりもまさっているのだ。』


(訳注)
奉先劉少府新畫山水障歌

奉先県の劉警察の事務官の新しく画かれた山水の障にたいしての歌。
劉少府 劉少府単、名は単である。少府は県の警察の事務を掌る。○新画 あたらしくえがく、これを画いた人が劉少府であるとしておく。○ ついたて。


堂上不合生楓樹,怪底江山起煙霧。
劉家の奥座敷のうえに楓の樹が生えるという理窟はないが、あるではないか。また不思議でないか、なんという江河か山なのか、そこからなんと煙や霧がたちのぼっている。
堂上 劉単の家の奥座敷のうえ。○ まさに云々すべし。○ 俗語である。


聞君掃卻赤縣圖,乘興譴畫滄洲趣。』
聞くところによれば、君は赤県の図をそそくさと画いたので、進んで興に乗じて更に滄洲の趣をも画いたのだ。』
○聞君掃却赤県図、乗興遣画槍洲趣 掃却は劉がかくこと、赤県図は奉先県の山水の図、乗興は劉が興に乗ずること、遣画は杜甫が劉をして画かせること、槍洲趣は海上仙境の趣ととく。


畫師亦無數,好手不可遇。
世の画師というものは無数にたくさんあるが、うまい名工には遇うことがむずかしい。
 ○好手 画の名工。○対此 此とはこの画陣をさす。

對此融心神,知君重毫素。』
然しこの画に対すると精神がとけこんでいるような気がする、君がいかにこの画を貴重とするのかも うかがわれるものである。』
融心神 融とは画と一つになりとろけこむことをいう、心神は観客である杜甫の心神である。○重毫素 毫は筆、素は絹をいい、この画陣をさすもので、重とは貴重とすることをいう。


豈但祁嶽與鄭虔,筆跡遠過楊契丹。』
この画をかいた者は現代の祁岳や鄭虔以上であるばかりでなく、その筆の跡は遠く隋の楊契丹よりもまさっているのだ。』
祁岳、鄭虔 唐代の名画家。杜甫の陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 55では鄭虔と一緒に遊んでいる。その他にも鄭虔についての詩もある。○楊契丹 隋の参軍で其の画は骨気豊なりと称せられる。


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