奉先劉少府新畫山水障歌 #4 杜甫139  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 136
奉先県の尉官である劉単の新画の山水の図のついたての歌。


奉先劉少府新畫山水障歌
#1
堂上不合生楓樹,怪底江山起煙霧。
聞君掃卻赤縣圖,乘興譴畫滄洲趣。』
畫師亦無數,好手不可遇。
對此融心神,知君重毫素。』
豈但祁嶽與鄭虔,筆跡遠過楊契丹。』
#2
得非元圃裂?無乃瀟湘翻?
悄然坐我天姥下,耳邊已是聞清猿。
反思前夜風雨急,乃是蒲城鬼神入。
元氣淋灕障猶濕,真宰上訴天應泣。』
#3
野亭春還雜花遠,魚翁暝踏孤舟立。
滄浪水深青且闊,欹岸側島秋毫末。
不見湘妃鼓瑟時,至今斑竹臨江活。』
#4
劉侯天機精,愛畫入骨髓。
劉君のかいた絵には天子の廟まで精密に描かれ、その愛する画には万物の精霊を描いて画家としての真骨頂というものだ。
自有兩兒郎,揮灑亦莫比。
だから自然に二人の子供もその感化をうけている、画をかくことがたぐいなく上手である。
大兒聰明到,能添老樹巔崖裡。
大きな方のお子はもはや聡明利発であり、よく、この山水画にも巌崖の処へ老樹を書き添えられた。
小兒心孔開,貌得山僧及童子。』
小さい方の子はまだ知識がひらけかけたところなのだ、だから、山寺の丸坊主の小僧や、童子をよくかいている。』
若耶溪,雲門寺,
(この画をみると南方へ旅がしたくなる。)あの若耶渓や、雲門の寺なのだ。
吾獨胡為在泥滓?青鞋布襪從此始。』

私一人どうして、この世の泥かすの中にいるというのだ。こんな処からのがれ出て、わらじを履き、布のくつたびで旅姿になり、この画のあそこをめざしてこれから旅を始めたく思うのである。』


(奉先の劉少府の 新に画ける山水の陣の歌)
堂上合(まさ)に楓樹(ふうじゅ)を生ずべからず、怪(あやし)む底(なん)の江山か煙霧起る。
聞く君が赤県の図を掃却(そうきゃく)して、興に乗じて槍洲(そうしゅう)の趣(おもむき)を画(えが)か遣(し)むと。』
画師も亦無数なり、好手(こうしゅ)には遇う可(べか)らず。此に対すれば心神融(ゆう)す、知る君が毫素(ごうそ)を重んずるを。』
豈 但 祁嶽(きがく)と鄭虔(ていけん)とのみならんや、筆跡 遠く過ぐ 楊契丹(ようけつたん)。』
#2
元圃の裂くるに非(あらざ)るを得ば、乃ち瀟湘(しょうそう)の翻るなる無からんや。
悄然(しょうぜん)我を天姥(てんぽ)の下に坐せしむ、耳辺(じへん) 己に清猿(せいえん)を聞くに似たり。
反って思う 前夜 風雨 急なりしを、乃ち是 蒲城(ほじょう)に鬼神入る。
元気 淋灕(りんり)として障 猶 湿う、真宰(しんさい)に上り 訴えて 天 応(まさ)に泣くなるべし。』

#3
野亭(やてい) 春 還って 雜花 遠く、漁翁(ぎょおう)瞑(くれ)に孤舟を 踏みて立つ。
滄浪(そうろう) 水深くして青瞑(せいめい) 闊(ひろ)し、欹岸(いがん) 側島(そくとう)  秋毫(しゅうごう)の末。
湘妃(しょうひ)瑟(しつ)を鼓する時を見ざるも、今に至って斑竹(はんちく) 江に臨(のぞ)んで活す。』
#4
劉侯 天機 精なり、画を愛して骨髄に入る。
自ら 両 児郎(じろう)有り、揮灑(きさい)亦 比莫(な)し。
大児は聡明到る、能く老樹を添う巔崖(てんがい)の裡(うち)。
小児は心孔開く、貌(ばく)し得たり山僧及び童子。』
若耶(じゃくや)の渓、雲門の寺。
吾独り 胡為(なんすれ)ぞ 泥滓(でいし)に在る、青鞋(せいあい) 布襪(ふべつ)此従(よ)り始めん。』




奉先劉少府新畫山水障歌-#4 現代語訳と訳註
(本文) #4

劉侯天機精,愛畫入骨髓。
自有兩兒郎,揮灑亦莫比。
大兒聰明到,能添老樹巔崖裡。
小兒心孔開,貌得山僧及童子。』
若耶溪,雲門寺,
吾獨胡為在泥滓?青鞋布襪從此始。』


(下し文) #4
劉侯 天機 精なり、画を愛して骨髄に入る。
自ら 両 児郎(じろう)有り、揮灑(きさい)亦 比莫(な)し。
大児は聡明到る、能く老樹を添う巔崖(てんがい)の裡(うち)。
小児は心孔開く、貌(ばく)し得たり山僧及び童子。』
若耶(じゃくや)の渓、雲門の寺。
吾独り 胡為(なんすれ)ぞ 泥滓(でいし)に在る、青鞋(せいあい) 布襪(ふべつ)此従(よ)り始めん。』


(現代語訳)
劉君のかいた絵には天子の廟まで精密に描かれ、その愛する画には万物の精霊を描いて画家としての真骨頂というものだ。
だから自然に二人の子供もその感化をうけている、画をかくことがたぐいなく上手である。
大きな方のお子はもはや聡明利発であり、よく、この山水画にも巌崖の処へ老樹を書き添えられた。
小さい方の子はまだ知識がひらけかけたところなのだ、だから、山寺の丸坊主の小僧や、童子をよくかいている。』
(この画をみると南方へ旅がしたくなる。)あの若耶渓や、雲門の寺なのだ。
私一人どうして、この世の泥かすの中にいるというのだ。
こんな処からのがれ出て、わらじを履き、布のくつたびで旅姿になり、この画のあそこをめざしてこれから旅を始めたく思うのである。』


(訳注) #4
劉侯天機精,愛畫入骨髓。
劉君のかいた絵には天子の廟まで精密に描かれ、その愛する画には万物の精霊を描いて画家としての真骨頂というものだ
天機精 心のはたらきが精微である。天機は南斗六星のひとつ。天子の廟を言うことが多い。〇人骨髄 愛画に魂の芯が通っている。


自有兩兒郎,揮灑亦莫比。
だから自然に二人の子供もその感化をうけている、画をかくことがたぐいなく上手である。
○兒郎 男のこども。○揮灑 筆をふるい墨汁をそそぐ、画をかくこと。○亦莫比 この亦の字は父もかき、子も亦たの意。

大兒聰明到,能添老樹巔崖裡。
大きな方のお子はもはや聡明利発であり、よく、この山水画にも巌崖の処へ老樹を書き添えられた。

小兒心孔開,貌得山僧及童子。』
小さい方の子はまだ知識がひらけかけたところなのだ、だから、山寺の丸坊主の小僧や、童子をよくかいている。』
○心孔開 知識がひらきかけた。○貌得 貌はかたちをにせてかくこと。

若耶溪,雲門寺,
(この画をみると南方へ旅がしたくなる。)あの若耶渓や、雲門の寺なのだ。
若耶渓 紹興府会稽県の南にある。此の以下四句は題外において自家の感をのべている。○雲門寺 会稽県南三十里にある。

吾獨胡為在泥滓?青鞋布襪從此始。』
私一人どうして、この世の泥かすの中にいるというのだ。
こんな処からのがれ出て、わらじを履き、布のくつたびで旅姿になり、この画のあそこをめざしてこれから旅を始めたく思うのである。』

泥滓 滓はかす。○青鞋 わらじ。○布鞋 ぬのでつくったくつした、旅装をいう。○従此始 此とは今をさす。


さて、次からは(2011.12.2)、杜甫、蘆子関で反乱軍に捕まり、長安に護送される。いきさつとそこで拘束の中で、初めて詩を作る。後世残る名作をいくつも作るのである。(2011.12.1)

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奉先劉少府新畫山水障歌
堂上不合生楓樹,怪底江山起煙霧。
聞君掃卻赤縣圖,乘興譴畫滄洲趣。』
畫師亦無數,好手不可遇。
對此融心神,知君重毫素。』
豈但祁嶽與鄭虔,筆跡遠過楊契丹。』
得非元圃裂?無乃瀟湘翻?
悄然坐我天姥下,耳邊已是聞清猿。
反思前夜風雨急,乃是蒲城鬼神入。
元氣淋灕障猶濕,真宰上訴天應泣。』
野亭春還雜花遠,魚翁暝踏孤舟立。
滄浪水深青且闊,欹岸側島秋毫末。
不見湘妃鼓瑟時,至今斑竹臨江活。』
劉侯天機精,愛畫入骨髓。
自有兩兒郎,揮灑亦莫比。
大兒聰明到,能添老樹巔崖裡。
小兒心孔開,貌得山僧及童子。』
若耶溪,雲門寺,
吾獨胡為在泥滓?青鞋布襪從此始。』

奉先の劉少府の 新に画ける山水の陣の歌)
堂上合(まさ)に楓樹(ふうじゅ)を生ずべからず、怪(あやし)む底(なん)の江山か煙霧起る。
聞く君が赤県の図を掃却(そうきゃく)して、興に乗じて槍洲(そうしゅう)の趣(おもむき)を画(えが)か遣(し)むと。』
画師も亦無数なり、好手(こうしゅ)には遇う可(べか)らず。此に対すれば心神融(ゆう)す、知る君が毫素(ごうそ)を重んずるを。』
豈 但 祁嶽(きがく)と鄭虔(ていけん)とのみならんや、筆跡 遠く過ぐ 楊契丹(ようけつたん)。』
元圃の裂くるに非(あらざ)るを得ば、乃ち瀟湘(しょうそう)の翻るなる無からんや。
悄然(しょうぜん)我を天姥(てんぽ)の下に坐せしむ、耳辺(じへん) 己に清猿(せいえん)を聞くに似たり。
反って思う 前夜 風雨 急なりしを、乃ち是 蒲城(ほじょう)に鬼神入る。
元気 淋灕(りんり)として障 猶 湿う、真宰(しんさい)に上り 訴えて 天 応(まさ)に泣くなるべし。』
野亭(やてい) 春 還って 雜花 遠く、漁翁(ぎょおう)瞑(くれ)に孤舟を 踏みて立つ。
滄浪(そうろう) 水深くして青瞑(せいめい) 闊(ひろ)し、欹岸(いがん) 側島(そくとう)  秋毫(しゅうごう)の末。
湘妃(しょうひ)瑟(しつ)を鼓する時を見ざるも、今に至って斑竹(はんちく) 江に臨(のぞ)んで活す。』
劉侯 天機 精なり、画を愛して骨髄に入る。
自ら 両 児郎(じろう)有り、揮灑(きさい)亦 比莫(な)し。
大児は聡明到る、能く老樹を添う巔崖(てんがい)の裡(うち)。
小児は心孔開く、貌(ばく)し得たり山僧及び童子。』
若耶(じゃくや)の渓、雲門の寺。
吾独り 胡為(なんすれ)ぞ 泥滓(でいし)に在る、青鞋(せいあい) 布襪(ふべつ)此従(よ)り始めん。』


(現代語訳)
奉先県の劉警察の事務官の新しく画かれた山水の障にたいしての歌。
劉家の奥座敷のうえに楓の樹が生えるという理窟はないが、あるではないか。また不思議でないか、なんという江河か山なのか、そこからなんと煙や霧がたちのぼっている。
聞くところによれば、君は赤県の図をそそくさと画いたので、進んで興に乗じて更に滄洲の趣をも画いたのだ。』
世の画師というものは無数にたくさんあるが、うまい名工には遇うことがむずかしい。
然しこの画に対すると精神がとけこんでいるような気がする、君がいかにこの画を貴重とするのかも うかがわれるものである。』
この画をかいた者は現代の祁岳や鄭虔以上であるばかりでなく、その筆の跡は遠く隋の楊契丹よりもまさっているのだ。』
崑崙山にあるという玄圃が裂けて飛んできたのではないだろう、また、南方の瀟湘江の水をぶちまけたというのでもないだろう。
しょんぼりとしてこの画にむかっていると自分を天姥山の下に坐らせてくれた気分になり、耳のあたりにすんだ猿の声が聞えるようである。
思い起こせば、前の夜に風雨が急であったこと、それはすなわちこの蒲城の奉先県へ鬼神がいりこんでこの画をかくことを助けに来たのだ。
その上、宇宙の元気がしたたり被うので衝立がまだうるおっているのだ。これは創造主が天上へあがって天帝に訴えたので天帝も絵に込めた純粋な誠実さに感動して泣かれたのだろう。』
画面には、野なかの四阿に春が廻ってきており、さまざまの花が遠くの方まで咲いている。魚釣りの老人がうす靄のかかるくらがりにさびしい一槽の舟に踏ん張って立っている。
仙界の雰囲気を漂わせる青い水が深浅を際立たせ青々とそして広々と描かれている。切立っている岸やそばだてる島がずっと遠く細く毛さきほど小さくみえている。
蛾皇と女英は舜王を追い求めて身投げした二人の湘妃が月夜に瑟琴をかきならす様子は見えないが、まだら同じ二人の湘妃が流した涙で斑竹は現に今もこの画の湘江のそばに活きている。』
劉君のかいた絵には天子の廟まで精密に描かれ、その愛する画には万物の精霊を描いて画家としての真骨頂というものだ。
だから自然に二人の子供もその感化をうけている、画をかくことがたぐいなく上手である。
大きな方のお子はもはや聡明利発であり、よく、この山水画にも巌崖の処へ老樹を書き添えられた。
(この画をみると南方へ旅がしたくなる。)あの若耶渓や、雲門の寺なのだ。
私一人どうして、この世の泥かすの中にいるというのだ。
こんな処からのがれ出て、わらじを履き、布のくつたびで旅姿になり、この画のあそこをめざしてこれから旅を始めたく思うのである。』
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