哀王孫 杜甫142  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 140-3


■哀王孫(王孫を哀む)  #3
「王孫を哀しむ」詩は、賊に描らえられて間もなくの作で、賊軍の厳しい捜索の目をのがれて町なかに身を潜めている皇族に出会い、その惨めな様子を哀れみ、力づけたものである。

安禄山の乱に逃げ遅れた皇族が零落して民間に潜んでおるのを見てあわれにおもって作った詩である。製作時は756年至徳元載(即ち天宝十五載)の九月頃の作で、掴まって初めて書いたもの。。


哀王孫 #1
長安城頭頭白烏,夜飛延秋門上呼;
又向人家啄大屋,屋底達官走避胡。」
金鞭斷折九馬死,骨肉不得同馳驅。
腰下寶玦青珊瑚,可憐王孫泣路隅。』
#2
問之不肯道姓名,但道困苦乞為奴。
已經百日竄荊棘,身上無有完肌膚。
高帝子孫盡隆準,龍種自與常人殊。
豺狼在邑龍在野,王孫善保千金軀。』
#3
不敢長語臨交衢,且為王孫立斯須。
こんな人と交叉した巷にきて自分は長話をしないつもりでいたのだが、しかしこの王孫のためにはなおしばらく立ちどまってお相手をしようとおもう。
昨夜春風吹血腥,東來橐駝滿舊都。
昨夜、春の突風が吹いたように叛乱軍が戦場の血を吹いて残忍なものを送って来た。そうして東都から叛乱軍の駱駝軍が長安の都を大軍でまんぱいにしたのだ。
朔方健兒好身手,昔何勇銳今何愚?」
一時は体格・技術できこえた朔方軍の武士たちも、なんで昔はあんなに勇敢、鋭敏で誇らしく思えたものが、今はこんなに愚鈍で遺憾なことではないか。」
竊聞天子已傳位,聖德北服南單於。
ただひそかに聞くところによれば玄宗皇帝はもはや太子に譲位されたという、新帝の粛宗の聖徳が北の異民族の南単于というべき回乾の長をも悦服せしめられたそうである。
花門剺面請雪恥,慎勿出口他人狙。
異民族、回紇の側では面皮を割りさいて誠意を表わしてくれ、我が唐のため恥辱をそそぎたいと申し出てくれたそうである。この事はあなたにこっそりお聞かせするのであるから、之を口外して他人に話してはいけない、他人はあなたの身をねらっているのですから。
哀哉王孫慎勿疏,五陵佳氣無時無。』

哀しいことです。王孫さま。気をつけて自身を内街路にしてはいけないのです。長安には五陵の佳気がいつのときでも存在し、立ち上っているのですから、時がくればこのような災難はなくなりましょう。』

○押韻 烏,呼。胡。/死,驅。隅。/名,奴。膚。殊。軀。/衢,須。都。愚。/位,於。狙。無。


王孫を哀れむ #1
長安城頭頭白の烏、夜 延秋 門上に飛んで呼ぶ。
又人家に向って大屋に啄む、屋底の達官走って胡を遅く」
金鞭折断して九馬は死す、骨肉も同じく馳駆する を 得ず。
腰下の宝珠青珊瑚、憐れむべし 王孫路隅に泣く。』
#2
之に問えども 肯て 姓名を這わず、但だ 這う困苦なり乞う奴と為らんと
己に百日 刑疎に 窺する を 経たり、身上 完き 肌膚 有ること無し。
高帝の子孫は 尽く隆準、竜種 自ら常人と殊なり。
財狼 邑に在り 竜野に在り、王孫 善く 保てよ 千金の姫。』
#3
敢て 長話して 交衝に臨まず、且つ王孫の為めに立つこと斯須。
昨夜 東風 血を吹いて過し、東乗の秦乾は旧都に満つ。
朔方の健児は 好身手、昔 何ぞ勇鋭に今何ぞ愚なる。』
縞に聞く 天子 己に位を伝うと、聖徳 北服せしむ南単干。
花門 面を嘗きて 恥を雪がんと請う、憤みてロより出す勿れ他人に狙われん。
哀しい哉 王孫 慎みて疎なること勿れ、五陵の佳気は時として無きは無し。』


哀王孫 #3 現代語訳と訳註
(本文)

不敢長語臨交衢,且為王孫立斯須。
昨夜春風吹血腥,東來橐駝滿舊都。
朔方健兒好身手,昔何勇銳今何愚?」
竊聞天子已傳位,聖德北服南單於。
花門剺面請雪恥,慎勿出口他人狙。
哀哉王孫慎勿疏,五陵佳氣無時無。』

(下し文) #3
敢て長話して交衝に臨まず、且つ王孫の為めに立つこと斯須
昨夜東風血を吹いて過し、東乗の秦乾は旧都に満つ
朔方の健児は好身手、昔何ぞ勇鋭に今何ぞ愚なる』
縞に聞く天子己に位を伝うと、聖徳北服せしむ南単干
花門面を嘗きて恥を雪がんと請う、憤みてロより出す勿れ他人に狙われん
哀い哉王孫慎みて疎なること勿れ、五陵の佳気は時として無きは無し』


(現代語訳)
こんな人と交叉した巷にきて自分は長話をしないつもりでいたのだが、しかしこの王孫のためにはなおしばらく立ちどまってお相手をしようとおもう。
昨夜、春の突風が吹いたように叛乱軍が戦場の血を吹いて残忍なものを送って来た。そうして東都から叛乱軍の駱駝軍が長安の都を大軍でまんぱいにしたのだ。
一時は体格・技術できこえた朔方軍の武士たちも、なんで昔はあんなに勇敢、鋭敏で誇らしく思えたものが、今はこんなに愚鈍で遺憾なことではないか。」
ただひそかに聞くところによれば玄宗皇帝はもはや太子に譲位されたという、新帝の粛宗の聖徳が北の異民族の南単于というべき回乾の長をも悦服せしめられたそうである。
異民族、回紇の側では面皮を割りさいて誠意を表わしてくれ、我が唐のため恥辱をそそぎたいと申し出てくれたそうである。この事はあなたにこっそりお聞かせするのであるから、之を口外して他人に話してはいけない、他人はあなたの身をねらっているのですから。
哀しいことです。王孫さま。気をつけて自身を内街路にしてはいけないのです。長安には五陵の佳気がいつのときでも存在し、立ち上っているのですから、時がくればこのような災難はなくなりましょう。』


(訳注)#3
不敢長語臨交衢,且為王孫立斯須。

こんな人と交叉した巷にきて自分は長話をしないつもりでいたのだが、しかしこの王孫のためにはなおしばらく立ちどまってお相手をしようとおもう。
不敢 この二句は叙事の文。○長語 ながいはなし。○交衛 交叉した巷。○ しばらく。○斯須  須典と同じ、暫時。
 
昨夜春風吹血腥,東來橐駝滿舊都。
昨夜、春の突風が吹いたように叛乱軍が戦場の血を吹いて残忍なものを送って来た。そうして東都から叛乱軍の駱駝軍が長安の都を大軍でまんぱいにしたのだ。
昨夜 前の夜、漠然という。此の句より結句までは杜甫の言葉。○春風 五行思想で東、春、青で、吹血腥 春とは東都洛陽に禄山がいて、反乱を起こした方位、吹血腥とは戦争があって人が死んだことをいう。世界大戦以前の四大虐殺にはいる叛乱で人口が半減したといわれている。○橐駝 らくだ、叛乱軍の使用するもの。○旧都 長安。


朔方健兒好身手,昔何勇銳今何愚?」
一時は体格・技術できこえた朔方軍の武士たちも、なんで昔はあんなに勇敢、鋭敏で誇らしく思えたものが、今はこんなに愚鈍で遺憾なことではないか。」
○朔方健児 朔方軍の武卒をいう。朔方軍のこと。始めは陝西の霊州に鎮在し、後に山西の鄜州に鎮在した。哥舒翰は河陳・朔方の兵、及び蕃兵20万に将として安禄山の10万の軍と潼関で対峙し、大敗した。○好身手 好身とは体格のよいこと、好手とは戦の技術のうまいこと。統制のとれた軍隊ということ。○ 昔とは749年哥舒翰が吐蕃を破った当時をいい、今とは今回の756年6月4日の大敗時をいう。


竊聞天子已傳位,聖德北服南單於。
ただひそかに聞くところによれば玄宗皇帝はもはや太子に譲位されたという、新帝の粛宗の聖徳が北の異民族の南単于というべき回乾の長をも悦服せしめられたそうである。
竊聞 ひそかに聞くところ○天子 玄宗。○伝位 位を太子粛宗に譲位された。○聖徳 粛宗の徳、玄宗の徳ととく者があるが取らぬ。○南單於 漢の時、匈奴に南北があり、南部の酋長が南単於(于)である。ここは回紇の酋長をさしていう、唐の威徳が回紇に及んだことをいう。


花門剺面請雪恥,慎勿出口他人狙。
異民族、回紇の側では面皮を割りさいて誠意を表わしてくれ、我が唐のため恥辱をそそぎたいと申し出てくれたそうである。この事はあなたにこっそりお聞かせするのであるから、之を口外して他人に話してはいけない、他人はあなたの身をねらっているのですから。
花門 花門即ち回紇の門閥、種族のこと。○剺面 剺面の皮を割りさくことをいう、これは回紇の誠意を表示することである。○請雪恥 請とは唐へたのむこと、雪恥とは唐の官軍が叛乱軍に敗れた恥をすすぎきよめること。○出口 上述の事を口からそとへもらす。実際には唐粛宗の側から依頼しているが王孫が王家筋の人間であるため控えて発言している。


哀哉王孫慎勿疏,五陵佳氣無時無。』
哀しいことです。王孫さま。気をつけて自身を内街路にしてはいけないのです。長安には五陵の佳気がいつのときでも存在し、立ち上っているのですから、時がくればこのような災難はなくなりましょう。』
○勿疎 疎は疎略、疎忽の意、自己の挙動をかるががしくすること。〇五陵 漢の五陵をさす。長安にあり、高祖の長陵、恵帝の安陵、景帝の陽陵、武帝の茂陵、昭帝の平陵をいう。唐にも高祖より容宗まで五陵があるが、これは漢をかりて唐をさし、直接に唐をささぬ。○佳気 帝運興隆の気象。風水上の良い所の気配を指す。○無時無 佳気がない時はない。否定の否定で肯定を強調する。この句は王孫と五陵佳氣の関連付けにより、王孫を励ますもの。

長安の近郊

道端で見かけた逃げ惑う王家の孫。杜甫知り得た情報を話して励ますのである。長安の路傍にたまたま遭遇した杜甫、わずかな時間であったと思われるが詩にまとめたものである。
 8世紀の国際都市、100万人の都市であった。安禄山語時に倍の兵士がいる、しかも精鋭とされた軍隊であった。それが敗れたのは、無知な楊国忠の策略であった。当時、安禄山と、哥舒翰が、やりにくい相手で、安禄山と哥舒翰が戦えば哥舒翰が勝ってもダメージをこうむるものと思って、諫言を弄して、けしかけ、潼関から敵方に打って出たことが敗因である。大軍は狭い場所では軽挙妄動してはいけないのだ。安禄山は東側、北から、洛陽に唐軍が攻め浮足立っていた。その突破口を開かせたのだ。その結果、最悪のシナリオとなったのだ。一気に形勢は逆転し、諸国の潘鎮が安禄山討伐を辞め、洛陽長安を占めることになった。