杜甫『月夜』と比較してみる 白居易『八月十五日夜禁中独直対月憶元九』 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 147 

月夜」と家族の考え方の考察(研究)
 1.なぜ「長安の月」ではなく「州の月」なのか
月夜 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 144
 2. 九月九日憶山東兄弟  王維
    ー 杜甫『月夜』の理解を深めるために ー
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3. 除夜作  高適
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 4.八月十五日夜禁中独直対月憶元九   白居易
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 5. 夜雨寄北 李商隠
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kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 149 李白の家族の詩について(6


 7.杜甫の彭衙行(ほうがこう)自京赴奉先縣詠懷五百字遺興
 8. 「月夜」子供に対する「北征」の詩に、淋前の南中女

月夜 と家族を詠う詩について 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 150

 

9. 《倦夜〔倦秋夜〕》 763年 蜀の乱を避けて「蜀中転々」の時期に、江南の地に移住しようと思っていたころ、自分と家族のことを考えている中で旅の空のもと自然を詠う秀作。

695 《倦夜〔倦秋夜〕》 蜀中転々 杜甫 <602  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3320 杜甫詩1000-602-858/1500


月夜」と家族の考え方の考察(研究)


杜甫『月夜』と比較してみる 白居易『八月十五日夜禁中独直対月憶元九』
 809年元和4年 憲宗神策軍強化に宦官を抜擢、李絳、白居易宦官糾弾の上奏文、元稹は更に強く矢継ぎ早に糾弾した。そのため、宰相に嫌われ、左遷される。元稹はその手腕は高評価され、すぐ中央に呼び戻される。また、元稹は地方の節度使、地方官僚の汚職、収賄にまみれているじょうたいを、徹底糾弾しているのだ。31,32歳の若者が地方の最高責任者や権力者を糾察するわけだけだから徹底的に嫌われてしまう。こうして宦官の策略で、810年3月元稹は四川に左遷される。8月一緒に戦っていた白居易が宮中において宿直をしているとき、元稹にあてて詠った詩がこの詩である。 


八月十五日夜禁中独直対月憶元九   白居易
 


八月十五日夜禁中独直対月憶元九 
銀台金闕夕沈沈、独宿相思在翰林。
宮中のあちこちに聳え立つ銀で作られた翰林院に入る銀台門、金で飾られた樓閣への門が夕闇の内に夜は深深と更けていった。私は一人宿直をしていて君のことを思い続けている、天子の秘書室の中だ。
三五夜中新月色、二千里外故人心。
今宵は8月15月の夜だ、出たばかりの明月に対して2千里も離れている親友の君のことが偲ばれる。
渚宮東面煙波冷、浴殿西頭鐘漏深。
そこ、渚の宮の東の方には水面に煙る靄の中で、波が月明かりにに冷たく揺れていることだろう。ここ私のいる宮中の浴殿の西側では、時を告げる鐘と水時計の音が静かな深く更けていく中で響いている、西にいる君はそう思っていることだろう。
猶恐清光不同見、江陵卑湿足秋陰。

それでもなお私は恐れているのはこのような清らかな月の光がここで見るのとは違ってはっきり見えないのではないかということだ。君のいる江陵は日常的に湿った空気が蔓延しており、秋の空が曇りがちなのではないだろうか。(巫山の雨で有名なところだろう)
八月十五日の夜 禁中に独り直し 月に対して元九を憶う
銀台【ぎんだい】  金闕【きんけつ】  夕べ沈沈たり、独宿【どくしゅく】  相思うて 翰林【かんりん】に在り。
三五夜中【さんごやちゅう】  新月の色、二千里外【にせんりがい】  故人【こじん】の心。
渚宮【しょきゅう】の東面には煙波【えんぱ】冷やかならん、浴殿【よくでん】の西頭には鐘漏【しょうろう】深し。
猶【な】お恐る  清光【せいこう】  同じくは見えざるを、江陵は卑湿【ひしつ】にして  秋陰【しゅういん】足る


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八月十五日夜禁中独直対月憶元九 現代語訳と訳註
(本文)

銀台金闕夕沈沈、独宿相思在翰林。
三五夜中新月色、二千里外故人心。
渚宮東面煙波冷、浴殿西頭鐘漏深。
猶恐清光不同見、江陵卑湿足秋陰。

(下し文)
銀台(ぎんだい)  金闕(きんけつ)  夕べ沈沈たり、独宿(どくしゅく)  相思うて 翰林(かんりん)に在り。
三五夜中(さんごやちゅう)  新月の色、二千里外(にせんりがい)  故人(こじん)の心。
渚宮(しょきゅう)の東面には煙波(えんぱ)冷やかならん、浴殿(よくでん)の西頭には鐘漏(しょうろう)深し。
猶(な)お恐る  清光(せいこう)  同じくは見えざるを、江陵は卑湿(ひしつ)にして  秋陰(しゅういん)足る。


(現代語訳)

宮中のあちこちに聳え立つ銀で作られた翰林院に入る銀台門、金で飾られた樓閣への門が夕闇の内に夜は深深と更けていった。私は一人宿直をしていて君のことを思い続けている、天子の秘書室の中だ。
今宵は8月15月の夜だ、出たばかりの明月に対して2千里も離れている親友の君のことが偲ばれる。
そこ、渚の宮の東の方には水面に煙る靄の中で、波が月明かりにに冷たく揺れていることだろう。ここ私のいる宮中の浴殿の西側では、時を告げる鐘と水時計の音が静かな深く更けていく中で響いている、西にいる君はそう思っていることだろう。
それでもなお私は恐れているのはこのような清らかな月の光がここで見るのとは違ってはっきり見えないのではないかということだ。君のいる江陵は日常的に湿った空気が蔓延しており、秋の空が曇りがちなのではないだろうか。(巫山の雨で有名なところだろう)

唐朝 大明宮2000

銀台金闕夕沈沈、独宿相思在翰林。
宮中のあちこちに聳え立つ銀で作られた翰林院に入る銀台門、金で飾られた樓閣への門が夕闇の内に夜は深深と更けていった。私は一人宿直をしていて君のことを思い続けている、天子の秘書室の中だ。


三五夜中新月色、二千里外故人心。
今宵は8月15月の夜だ、出たばかりの仲秋の明月に対して2千里も離れている親友の君のことが偲ばれる。


渚宮東面煙波冷、浴殿西頭鐘漏深。
(そこ、)渚の宮の東の方には水面に煙る靄の中で、波が月明かりにに冷たく揺れていることだろう。(ここ)私のいる宮中の浴殿の西側では、時を告げる鐘と水時計の音が静かな深く更けていく中で響いている、西にいる君はそう思っていることだろう。
  
猶恐清光不同見、江陵卑湿足秋陰。
それでもなお私は恐れているのはこのような清らかな月の光がここで見るのとは違ってはっきり見えないのではないかということだ。君のいる江陵は日常的に湿った空気が蔓延しており、秋の空が曇りがちなのではないだろうか。(巫山の雨で有名なところだろう)

「三五夜中新月色,二千里外故人心。」(三五夜中(さんごやちゅう)  新月の色、二千里外(にせんりがい)  故人(こじん)の心。


(解説)
 白居易が「新楽府五十篇」「秦中吟十篇」に集約される諷諭詩を作ったのは、元和四年から五年にかけて、三十八歳から三十九歳のときで、政事批判の詩は、これまでに先例はあったものの、これだけ意識的に集中的に作られたのは画期的なことであった。タイムリーな時期に発表されてものかどうかはわからないことであり、元稹の言動は露骨に近かったから、露骨な策略に貶められたということではなかろうか。

 これら詩文をもってただちに、唐代においては比較的言論の自由はあったとみるのは早計であろう。歴史は力関係により作られるもので、批判は陰にこもったものであったはずである。陰に籠もったからこそ詩文として残ったのではなかろうか。いずれにしても、白居易にとって、元稹という心許せる同調者がいたときはよかったが、元稹が宦官の策略に落ちって左遷されると、白居易は孤立感、孤独感に陥らざるを得なかった。

 掲げた詩は元稹が長安を去るときに見送りに行けなかったことを弁明し、友情は不変であると誓っている。「青門」は青明門のことで、春、東が青で示される五行思想に基づいたもの、塗られていた青門といい、長安の東壁南側にあった。 
10risho長安城の図035

月夜 
今夜鄜州月、閨中只独看。
遥憐小児女、未解憶長安。
香霧雲鬟湿、清輝玉臂寒。
何時倚虚幌、双照涙痕乾。

今夜  鄜州【ふしゅう】の月、閨中【けいちゅう】  只だ独り看【み】るらん。
遥かに憐【あわ】れむ小児女【しょうじじょ】の、未【いま】だ長安を憶【おも】うを解(かい)せざるを。
香霧【こうむ】に雲鬟【うんかん】湿【うるお】い、清輝【せいき】に玉臂【ぎょくひ】寒からん。
何【いず】れの時か虚幌【きょこう】に倚【よ】り、双【とも】に照らされて涙痕【るいこん】乾かん。


さて杜甫の「月夜」は、 白欒天のこの詩にもいうように、「三五夜中新月の色、二千里外故人の心」であって、月色は、山河を隔て、環境を異にしつつも、その色を同じくするものである。だから、それに誘発されて、杜甫は、はるかなる妻の身の上を思うのであり、おなじ月の光にさそわれて、はるかなる妻も、自分を思うであろうことを自分自身に思わせるのであるが、自分の見る月とはいわないで、妻の見る月の色を、はるかに思いやったというところは、この詩人の心が、常に常識を越えて別の次元につき入ろうとしていたこと、そうしてまたその結果、表現としては、緊迫した言葉を常に求めていたこと、つまりみずからもいうように「語の人を驚かさずんば死すとも休まず」とする傾向にあったことを、もとより最も顕著に示す例ではないけれども、なお何がしか示すものである。


続く 李商隠「夜雨寄北」

杜甫月を詠うシリーズ

杜少陵集

全唐詩   詩題

本文、句

04-18

224_66 《月夜》 

今夜鄜州月,閨中只獨看。遙憐小兒女,未解憶長安。

香霧雲鬟濕,清輝玉臂寒。何時倚虛幌,雙照淚痕幹。 

04-29

224_71 《一百五日夜對月》 

無家對寒食,有淚如金波。斫卻月中桂,清光應更多。

仳離放紅蕊,想像嚬青蛾。牛女漫愁思,秋期猶渡河。 

05-17

225_06 《月》 

天上秋期近,人間月影清。入河蟾不沒,搗藥兔長生。

只益丹心苦,能添白髮明。干戈知滿地,休照國西營。 

07-53

225_49 《月夜憶舍弟》 

戍鼓斷人行,秋邊一雁聲。露從今夜白,月是故明。

有弟皆分散,無家問死生。寄書長不避,況乃未休兵。 

07-69

225_58 《初月》 

光細弦豈上,影斜輪未安。微升古塞外,已隱暮雲端。

河漢不改色,關山空自寒。庭前有白露,暗滿菊花團。

05-17

227_73 《玩月呈漢中王》 

夜深露氣清,江月滿江城。浮客轉危坐,歸舟應獨行。

關山同一照,烏鵲自多驚。欲得淮王術,風吹暈已生。 

05-17

225_57 《天河》 

常時任顯晦,秋至輒分明。縱被微雲掩,終能永夜清。

含星動雙闕,伴月照邊城。牛女年年渡,何曾風浪生。

20-42

229_59 《東屯月夜》 

抱疾漂萍老,防邊舊穀屯。春農親異俗,月在衡門。

青女霜楓重,黃牛峽水喧。泥留虎鬥跡,月掛客愁村。

喬木澄稀影,輕雲倚細根。數驚聞雀噪,暫睡想猿蹲。

日轉東方白,風來北斗昏。天寒不成寢,無夢寄歸魂。 

17-07

230_25 《江月》 

江月光于水,高樓思殺人。天邊長作客,老去一沾巾。

玉露團清影,銀河沒半輪。誰家挑錦字,滅燭翠眉顰。

17-08

230_35 《月圓》 

孤月當樓滿,寒江動夜扉。委波金不定,照席綺逾依。

未缺空山靜,高懸列宿稀。故園松桂發,萬里共清輝。

巻18-84

230_50 《月三首》 之一

斷續巫山雨,天河此夜新。若無青嶂月,愁殺白頭人。

魍魎移深樹,蝦蟆動半輪。故園當北斗,直指照西秦。

巻18-85

230_50 《月三首》 之二

並照巫山出,新窺楚水清。羈棲愁裏見,二十四回明。

必驗升沉體,如知進退情。不違銀漢落,亦伴玉繩橫。

巻18-86

230_50 《月三首》 之三

萬里瞿塘峽,春來六上弦。時時開暗室,故故滿青天。 

爽合風襟靜,高當淚臉懸。南飛有烏鵲,夜久落江邊。 

20-30

230_59 《八月十五夜月二首之一》 

滿目飛明鏡,歸心折大刀。轉蓬行地遠,攀桂仰天高。

水路疑霜雪,林棲見羽毛。此時瞻白兔,直欲數秋毫。

20-31

230_59 《八月十五夜月二首之二》 

稍下巫山峽,猶銜白帝城。氣沈全浦暗,輪仄半樓明。

刁鬥皆催曉,蟾蜍且自傾。張弓倚殘魄,不獨漢家營。

20-32

230_60 《十六夜玩月》 

舊挹金波爽,皆傳玉露秋。關山隨地闊,河漢近人流。

穀口樵歸唱,孤城笛起愁。巴童渾不寢,半夜有行舟。

20-33

230_61 《十七夜對月》 

秋月仍圓夜,江村獨老身。捲簾還照客,倚杖更隨人。

光射潛虯動,明翻宿鳥頻。茅齋依橘柚,清切露華新。

17-18

230_67 《月》 

四更山吐月,殘夜水明樓。塵匣元開鏡,風簾自上鉤。

兔應疑鶴發,蟾亦戀貂裘。斟酌姮娥寡,天寒耐九秋。

巻21-48

卷232_17 《書堂飲既,夜複邀李尚書下馬,月下賦句》 

湖水林風相與清,殘尊下馬複同傾。

久判野鶴如霜鬢,遮莫鄰雞下五更。

巻21-63

232_30 《江邊星月二首之一》 

驟雨清秋夜,金波耿玉繩。天河元自白,江浦向來澄。

映物連珠斷,緣空一鏡升。餘光隱更漏,況乃露華凝。 

巻21-64

232_30 《江邊星月二首之二》 

江月辭風纜,江星別霧船。雞鳴還曙色,鷺浴自清川。

歷歷竟誰種,悠悠何處圓。客愁殊未已,他夕始相鮮。 

巻21-65

232_31 《舟月對驛近寺》 

更深不假燭,月朗自明船。金刹青楓外,朱樓白水邊。

城烏啼眇眇,野鷺宿娟娟。皓首江湖客,鉤簾獨未眠。