kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 149 李白の家族の詩について(6)
6.李白 については最近ブログとして取り上げたものを参考として詩題のみをあげる。

李白、家族女性についてのブログ index

李白10  採蓮曲

淥水曲  李白 11

越女詞 五首 其一 李白12

越女詞 五首 其二 李白13

越女詞五首其三 14其四 12-5其五

李白18 相逢行 19  玉階怨

李白20 春思、秋思

李白22 子夜呉歌 春と夏

李白24 子夜呉歌其三 秋 と25 冬

李白37 静夜思 五言絶句 李白は浮気者?

李白39玉階怨 満たされぬ思いの詩。

李白41 烏夜啼

李白66 遠別離 67長門怨二首其一 68其二

李白69丁都護歌 70 勞勞亭71 勞勞亭歌  

李白81白紵辭其一  82白紵辭其二  83 巴女詞

李白53大堤曲 李白54怨情 李白55贈内

李白と道教(3 李白47 寄東魯二稚子

李白85 安陸白兆山桃花岩寄劉侍御綰

86 太原早秋 87遊南陽清泠泉

南陵別兒童入京 李白121「就活大作戦」大成功

内別赴徴 三首 其一李白122

内別赴徴 三首 其二李白123

内別赴徴 三首 其三李白124

春夜桃李園宴 李白116

紫藤樹 李白168 玄宗(1)

觀放白鷹 李白169 玄宗〈2

白鷺鷥 李白 170 玄宗(3)

三五七言 李白

送内尋廬山女道士李騰空二首 其一 李白 350 -230

送内尋廬山女道士李騰空二首 其二 李白350 -231

黄葛篇 李白 紀頌之の漢詩 李白特集350 -237

妾薄命 李白 紀頌之の漢詩 李白特集350 -238

自代内贈 #1 李白 紀頌之の漢詩 特集350 -239-#1

自代内贈 #2 李白 240 350 -239#2

自代内贈 #3 李白 241 350 -239#3

獨不見 李白紀頌之の漢詩 李白特集242/350

秋浦寄内 紀頌之の漢詩 李白特集-243/-350

   
このほかにも女性を詠ったものはたくさんある。

「自代内贈」
寶刀截流水。無有斷絕時。妾意逐君行。纏綿亦如之。」
別來門前草。秋黃春轉碧。掃盡更還生。萋萋滿行跡。
鳴鳳始相得。雄驚雌各飛。」―#1
游云落何山。一往不見歸。估客發大樓。知君在秋浦。
梁苑空錦衾。陽台夢行雨。妾家三作相。失勢去西秦。
猶有舊歌管。淒清聞四鄰。」―#2
曲度入紫云。啼無眼中人。妾似井底桃。開花向誰笑。
君如天上月。不肯一回照。 窺鏡不自識。別多憔悴深。
安得秦吉了。為人道寸心。」―#3

時。之。/碧。跡。飛。/歸。浦。雨。秦。鄰。/云。人。/笑。照。/深。心。

自ら内に代りて贈る

宝刀流水を截(た)つとも、断絶の時あるなし。
妾が意 君を逐うて行く、纏綿(てんめん)またかくのごとし。
別れてこのかた門前の草 秋は黄に春はまた碧(みどり)なり。
掃い尽せば更にまた生じ 萋萋(せいせい)として行跡に満つ。
鳴鳳 はじめあい得しが 雄驚いて雌おのおの飛ぶ。
遊雲いづれの山にか落つ 一たび往いて帰るを見ず。
估客大楼を発し 知る 君が秋浦にあるを。
梁苑むなしく錦衾 陽台 行雨を夢む。
妾が家は三たび相となりしが 勢を失って西秦を去る。
なほ旧歌管あり 凄清 四鄰に聞ゆ。
曲度(きょくど)  紫雲に入り 啼いて眼中の人なし。
妾は井底の桃のごとく 花を開けども誰に向ってか笑まむ。
君は天上の月のごとく あへて一たびも廻照せず。
鏡を窺ふもみづからも識らず 別多くして憔悴(しょうすい)深し。
いづくんぞ秦吉了(はっかちょう) 人のために寸心を道(い)はしめん。

 別れる時、自分の蛾眉の大きさであった桃が百余尺となり、更に枯れたといって別れの時間の経過の長さをあらわしている。同様に、春の若草がたちまち黄草に変わる。そして自分は轉蓬であるというのが、李白の得意の手法で、人として、好意的に見れるか見れないか分れる所である。李白という詩人が妻と同じところで過ごしていてこれだけの詩が作れるのかというと、それは絶対にできないのである。
 李白の居住は少年時代以来、流転を極めている。僅かに最初の結婚の頃、即ち安陸時代と後の開封居住の頃とにやや定住の跡が見られる位で、その他は数年、もしくは一年に足らず、羈旅の生涯ということである。彼は妻子がいたのである。

儒教的見方からは、李白は、誠実さに欠ける、人の口を借りたり、相手が李白のことを「きっとこのように思っているであろう」と間接的に李白の考えをあらわしている。このような表現法に終始している。だから、数多く、娼婦や、妓女、あるいは線上に送り出した妻、行商人の妻というように景色を借りて妻のことを語っているのである。
 この詩のように、妻が特定できるのは少ない。特定できるものから判断して、4人の妻がいたことになっている。
 
この詩は明清の詩人が多く作った閨怨の詩よりも清新である。ところでここで問題になるのは、その梁苑にいる妻とは誰かということである。李白の結婚に関しては魏顥(魏万)以外に拠るものがない。

それによると李白が妻を四度娶っていたことをいっている。
① 初は許氏を娶って一男一女を生み、
② 次に劉氏を娶って離婚し、
③ 三たび魯の一婦人を娶って一子頗黎(ハリ)を生んだ。杜甫と斉趙で遊んだ直後である。
④ 四度目の結婚を「終ニ於宋ニ娶ル」といっている。そこで開封にいた妻は、この後の二人の中のどれかでなければならないが、この詩でみると新婚の情を湛へているような所もあるから、宋に娶った妻のようである。ところでまたこの宋が地を指すのか、姓を指すのかが問題になるが、李白が後に夜郎に流される時、宗璟といふ者に贈った詩があって、その姉が自分に嫁いだ趣をのべているから、宋は宗の誤りで、宗氏の婦人を娶ったと解すべきだろう。そうするとこの詩の「妾家三作相」というのは、則天武后の治世に三度宰相になった宗楚客の家の出ということになり、この婦人の素性は一層はっきりして来る。

この詩に表われた孤閨にある自分の妻の心情をこれに代って詠ずるという詩作の態度が、李白の多くの閏怨の詩の基盤であったということである。即ち彼は自己の生活が常に羈旅にあり、そのため妻とは殆どすべて別居の状態にあったが、この別居に関しては彼もたえず責任を感じていた。従って妻の立場になって考へることしかできなかったということだ。
李白らしい表現ということなのだ。古表現を多くの人が指示したことが歴史の結果として理解する。いずれにしても、儒教的な思考の持ち主には理解が難しいということではある。

 至徳元年の初には、安禄山の兵は既に開封、洛陽に迫っていた。李白の心配もさこそと思はれるが、それよりもこの詩に表はれた孤閨にある自分の妻の心情をこれに代って詠ずるといふ詩作の態度が、李白の多くの閏怨の詩の基盤であったということが考へられる。即ち彼は自己の生活が常に羈旅にあり、そのため妻とは殆どすべて別居の状態にあったが、この別居に関しては彼もたえず責任を感じており、「自代内贈」にみるように妻の立場になって考へることも多かつたのである。ともかく李白の詩中の代表として、今なお愛誦されているものの中には、閨怨の詩が多く、これを看過しては李白の詩を論ずることができない。


(月夜とその頃の詩 につづく)