悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153
 
ぜったい有利であった陳陶斜に続く青坂における王朝軍の敗北が長安にいる杜甫に知らせれ、それを悲しんで作った詩である。
756年至徳元載十月に、杜甫の幼友達の房琯は自ずから安禄山の軍を討とうと請い、軍を南中北の三派分け、楊希文は南軍に将として宜寿より入り、劉恵は中軍に将として武功より入り、李光進は北軍に将として奉天より入り、房琯は自ずから中軍に将として前鋒であった。10月21日の9日目(辛丑)、中軍・北軍は賊と陳陶斜に遇って敗績し、10月23日の11日目(癸卯)に房琯は自ずから南軍を以て青坂で戦い又敗れた。このとき房琯は古法にならって車戦を用いたが、安禄山軍は風に順って火を縦って之を焚いたために人畜は大いに乱れ王朝軍の死傷する者は四万余人。陳陶斜、は咸陽県の東にあり、斜とは山沢をいう。故に詩中に陳陶沢ともいう。咸陽の東門ちかく青坂があった。製作時は至徳元載十月。五行思想での日にち計算により、辛丑:9日目、癸卯:11日目、たった11日間で敗れたのである。兵力の多さを過信した作戦面で失敗である。

官軍が10月21日、青坂で敗れたことを悲しんで作る。製作時は至徳元載十月二十三日以後。
至徳元年  756年 45歳

悲青坂   
咸陽の東門外にある青坂の地での戦いの詩
我軍青坂在東門、天寒飲馬太白窟。
我が王朝軍は咸陽の東門ちかく青坂に陣取っている。この冬の寒空に太白山の窟に馬に水かい、西の峻山道から進んできたのだ。
黄頭奚児日向西、数騎彎弓敢馳突。
安禄山軍の黄頭の異民族の帽子の奚部族と漢民族の兵士等は勝ちに乗じて毎日だんだんと西へ向ってくる。それをいまいましがって味方(王朝軍)の二三騎が弓をひいてむりに馳せて突出してみるのだが、大勢的に劣勢で敗軍でどうにもならないのだ。
山雪河冰野蕭瑟、青是烽煙白人骨。
山には雪がふり河には冰がはり、原野は風が簫の笛や瑟琴のようにさびしく吹いていて、青くみえるのはのろし火の煙であり、白くみえるのは大殺戮による屍が、おびただしい数であった、今むりに戦をしても仕方がないというものなのだ。
焉得付書与我軍、忍待明年莫倉卒。
どうしたら、我が王朝の軍隊へ手紙をとどけ与えて「我慢して明年を待て、今は戦力を整えるのだ、そうしてあわてて軍をしかけてはならないのだ」と言ってやることができるだろうか。

青坂を悲しむ

我れ青坂(せいはん)に軍して東に門在り、天寒くして馬に飲(みずか)う太白の窟(いわや)

黄頭(こうとう)の奚児(けいじ) 日に西に向かう、数騎  弓を彎()いて敢(あえ)て馳突(ちとつ)す。

山雪  河冰 野に蕭瑟(しょうしつ)たり、青(せい)は是れ烽煙(ほうえん)  白は人骨。

(いずくん)ぞ書を付して我が軍に与え、忍んで明年を待って倉卒(そうそつ)なる莫かれと言い得む。




悲青坂 現代語訳と訳註
(本文) 悲青坂 
  
我軍青坂在東門、天寒飲馬太白窟。
黄頭奚児日向西、数騎彎弓敢馳突。
山雪河冰野蕭瑟、青是烽煙白人骨。
焉得付書与我軍、忍待明年莫倉卒。


(下し文) 青坂を悲しむ
我れ青坂(せいはん)に軍して東に門在り、天寒くして馬に飲(みずか)う太白の窟(いわや)。
黄頭(こうとう)の奚児(けいじ)  日に西に向かう、数騎  弓を彎(ひ)いて敢(あえ)て馳突(ちとつ)す。
山雪  河冰 野に蕭瑟(しょうしつ)たり、青(せい)は是れ烽煙(ほうえん)  白は人骨。
焉(いずくん)ぞ書を付して我が軍に与え、忍んで明年を待って倉卒(そうそつ)なる莫かれと言い得む。


(現代語訳)
咸陽の東門外にある青坂の地での戦いの詩
我が王朝軍は咸陽の東門ちかく青坂に陣取っている。この冬の寒空に太白山の窟に馬に水かい、西の峻山道から進んできたのだ。
安禄山軍の黄頭の異民族の帽子の奚部族と漢民族の兵士等は勝ちに乗じて毎日だんだんと西へ向ってくる。それをいまいましがって味方(官軍)の二三騎が弓をひいてむりに馳せて突出してみるのだが、大勢的に劣勢で敗軍でどうにもならないのだ。
山には雪がふり河には冰がはり、原野は風が簫の笛や瑟琴のようにさびしく吹いていて、青くみえるのはのろし火の煙であり、白くみえるのは大殺戮による屍が、おびただしい数であった、今むりに戦をしても仕方がないというものなのだ。
どうしたら、我が王朝の軍隊へ手紙をとどけ与えて「我慢して明年を待て、今は戦力を整えるのだ、そうしてあわてて軍をしかけてはならないのだ」と言ってやることができるだろうか。


(訳注)
悲青坂 
咸陽の東門外にある青坂の地での戦いの詩
青坂 咸陽の東門外にある地。

我軍青坂在東門、天寒飲馬太白窟。
我が王朝軍は咸陽の東門ちかく青坂に陣取っている。この冬の寒空に太白山の窟に馬に水かい、西の峻山道から進んできたのだ。
官軍と賊軍 勝てば官軍である。時限的にとらえると表現が難しい。客観性を持たせるため、唐の王朝軍に対して、叛乱軍、安禄山軍という。賊軍というものには、この反乱に便乗して、略奪をするためだけの盗賊が含まれていたのだ。○東門 咸陽城の東の門。○飲馬 馬に水をのませること。○太白窟、太白は山の名、武功県にあり、長安を去る二百里、武功を経て東門に来たことをいう。平坦部は安禄山軍に抑えられていた。北と南から際しい山を越え鳳翔をから西を制圧し、徐々に東方の長安に迫る作戦長安から20km位の地点であった。
 
黄頭奚児日向西、数騎彎弓敢馳突。
安禄山軍の黄頭の異民族の帽子の奚部族と漢民族の兵士等は勝ちに乗じて毎日だんだんと西へ向ってくる。それをいまいましがって味方(官軍)の二三騎が弓をひいてむりに馳せて突出してみるのだが、大勢的に劣勢で敗軍でどうにもならないのだ。
黄頭奚児 黄頭とは黄色の狐皮で頭をつつむことをいう。葵は東夷の部種の名、異民族の帽子の奚部族、児とは漢民族の兵士をいう。〇 日々。○向西 西とは安禄山軍は洛陽から長安そして咸陽に攻め入ろうとしている。ことを方角で示している、官軍の居る方を西という。○数騎 官退却しながら、その軍の中の三、四の騎兵。○敢馳突 安禄山軍の攻める速さを抑えるため、食い止めるために、突撃隊を編成して攻める。勝つためのものではない。
 
山雪河冰野蕭瑟、青是烽煙白人骨。
山には雪がふり河には冰がはり、原野は風が簫の笛や瑟琴のようにさびしく吹いていて、青くみえるのはのろし火の煙であり、白くみえるのは大殺戮による屍が、おびただしい数であった、今むりに戦をしても仕方がないというものなのだ。
山雪河氷 山には雪がふり、河には泳が結ぶ。○蕭瑟 風が簫の笛や瑟琴のようにさびしく吹いている。○蜂煙 のろし火のけむり。○白足骨 山の白雪、河冰、川風が吹きあげ、大殺戮による屍が、おびただしい数であった様子をいう。


焉得付書与我軍、忍待明年莫倉卒。
どうしたら、我が王朝の軍隊へ手紙をとどけ与えて「我慢して明年を待て、今は戦力を整えるのだ、そうしてあわてて軍をしかけてはならないのだ」と言ってやることができるだろうか。
焉得 希望の辞。○附書 手紙をとどける。○忍待 以下が書中の意である。○倉卒 あわてるかたち。こちらの用意がととのわれ打に叛乱軍へ攻めかかることをいう。



青坂を悲しむ 解説
 陳陶斜の敗戦は彼我の戦闘方法に違いがあった。
安禄山の幽州の兵は、騎兵を中心とした機動性・突撃力の高い兵であった。対する王朝軍の総司令官の房琯は伝統的な兵法を用いた。兵車を並べ歩兵力で戦うというものだ。反乱軍の将の安守忠は川風を利用、風上から草に火を放って火煙で歩兵軍は大混乱になるのだ、無理な突撃はもはや戦いではない、ひとたまりものであった。
 敗れた房琯は太白山(陝西省武功県)の麓で兵を整えて、二日後の11月23日に青坂で対峙した。軍は西から攻めているので、東方向の門に対して布陣したことになる。「黄頭の奚児」は黄色の狐の皮物で頭を包んだ胡族の兵で、門を出た城外で挑発してきた。これに兵数騎が挑発に乗って突出し、またも大敗を喫してしまった。
 杜甫は、「国軍は力を蓄え、体制を整えてから攻め込め、今は忍耐して明年を待て」と言ってやりたいと悔しい思いを歌う。