喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 157
雨つづきのあとに晴れとなったことを喜んだ詩である。
製作時は至徳二載三月癸亥(756.3/7)より大雨があり、甲戌の日(756.3/11)に至って止んだ後の作である。

長詩のため3分割して掲載その1回目

(1)喜晴  157 (2)喜晴  158 (3)喜晴  159



喜晴
皇天久不雨,既雨晴亦佳。
好天がつづいて久しく雨ふらなかった。降りだして長雨になると晴れたのがよかったと思うものである。
出郭眺四郊,蕭蕭增春華。
晴れたので長安城郭からでかけて四方の野外をながめたのだ、もう、整斉と春の景色すっかりととのっていて春めく華やかさを増してきているのだ。
青熒陵陂麥,窈窕桃李花。
丘陵や土陂、堤の上に生えている麦は青々としてかがやいでいる、桃や李の花が色うつくしく咲いている。
春夏各有實,我饑豈無涯。』
#1
春と夏とに桃李や麦はそれぞれ実を結ぶから、叛乱軍も鎮圧され、自分の餓じい生活の果てが見えてくるようだ。』
干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。甘澤不猶愈,且耕今未賒。
丈夫則帶甲,婦女終在家。力難及黍稷,得種菜與麻。』#2
千載商山芝,往者東門瓜。其人骨已朽,此道誰疵瑕?
英賢遇轗軻,遠引蟠泥沙。顧慚味所適,回手白日斜。
漢陰有鹿門,滄海有靈查。焉能學眾口,咄咄空咨嗟!』#3


皇天久しく雨ふらず 既に雨ふれは晴も亦佳なり。

郭を出でて四郊を眺す,蕭蕭として春華を增す。

たり陵陂の麥 窈窕たり桃李の花。

春夏各々実有り 我が饑 豈に無涯ならんや。』


干戈横放して 惨澹として竜蛇闘うと雖も
甘沢猶愈らずや 且耕今未だ賒ならず
丈夫は則ち甲を帯ぶるも 婦女は終に家に在り
力黍稷に及び難きも 菜と麻とを種うるを得』
千載商山の芝 往者東門の瓜
其の人骨己に朽つ 此の道誰か疵瑕とせん
英賢轗軻に遇えば 遠く引いて泥沙に蟠る
顧みて慚ず適く所に昧きを 首を回らせば白日斜なり
漢陰に鹿門有り 滄海に霊査有り
焉ぞ能く衆口を学んで 咄咄空しく咨嗟せん』


喜晴 現代語訳と訳註
(本文)

皇天久不雨,既雨晴亦佳。
出郭眺四郊,蕭蕭增春華。
青熒陵陂麥,窈窕桃李花。
春夏各有實,我饑豈無涯。』

(下し文)
皇天久しく雨ふらず 既に雨ふれは晴も亦佳なり
郭を出でて四郊を眺す,蕭蕭として春華を增す
青熒たり陵陂の麥 窈窕たり桃李の花
春夏各々実有り 我が饑 豈に無涯ならんや』

(現代語訳)
好天がつづいて久しく雨ふらなかった。降りだして長雨になると晴れたのがよかったと思うものである。
晴れたので長安城郭からでかけて四方の野外をながめたのだ、もう、整斉と春の景色すっかりととのっていて春めく華やかさを増してきているのだ。
丘陵や土陂、堤の上に生えている麦は青々としてかがやいでいる、桃や李の花が色うつくしく咲いている。
春と夏とに桃李や麦はそれぞれ実を結ぶから、叛乱軍も鎮圧され、自分の餓じい生活の果てが見えてくるようだ。』

(訳注)
皇天久不雨,既雨晴亦佳。

好天がつづいて久しく雨ふらなかった。降りだして長雨になると晴れたのがよかったと思うものである。
皇天 おおぞら。好天。皇帝の大空。(日本だと「日本晴」)

出郭眺四郊,蕭蕭增春華。
晴れたので長安城郭からでかけて四方の野外をながめたのだ、もう、整斉と春の景色すっかりととのっていて春めく華やかさを増してきているのだ。
 長安城のそとくるわ。○ ながめる。○四郊 西方ののはら。城郭の南側には高い丘があるのでおそらくそこに上って眺めたのだろう。○粛粛 すっかりととのっている整斉なるさま。○増華 華やいだ美しさをます。

青熒陵陂麥,窈窕桃李花。
丘陵や土陂、堤の上に生えている麦は青々としてかがやいでいる、桃や李の花が色うつくしく咲いている。
青焚 あおくびかる。(1) かすかな光. (2) 目がくらむ○陵陵おか、どて。○窈窕 美人の心容のうつくしいさま。春の美しさは美人に喩えられるもので、擬人化表現である。

春夏各有實,我饑豈無涯。』
春と夏とに桃李や麦はそれぞれ実を結ぶから、叛乱軍も鎮圧され、自分の餓じい生活の果てが見えてくるようだ。』
各有実 麦と桃李とそれぞれ実を結ぶ。○豈無涯 無涯ははてしないこと、豈無涯は反語になり、はてのあることをいう。



(解説)
中國の中心であった、東都洛陽、世界最大の国際都市であった長安、幽州(現在の北京)から反旗を立て、2年で主要な都市をほとんど陥落させ、略奪の限りを尽くし、大量の殺戮を行った叛乱軍は、唐王朝に嫌気を向けていた民衆の支持をすぐに失うのである。そして、内部分裂を起こすため、唐王朝に、奪回のチャンスが生まれてきていた。

 杜甫は、軟禁状態で、叛乱軍の拘束下にあった。「春望」も春めいたことで希望を述べていたが、4,5日大雨が降って、外に出られないでいて塞いでいたのだろう。今日であれば、桜が長雨で散った後の時節と思われる。平安な時代は春三月といえば、長安の街は牡丹の花でいっぱいになった。安禄山の乱で、貴族の家、宮殿の牡丹は咲かなかったのか、杜甫はあまり好きではなかったので春の表現に使わない。杜甫が好きな景色は南の丘陵地である。ここからの眺めを詠ったものもある。

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