得舎弟消息 二首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 161
遠方にいる弟との再会が困難なさまを、 「客人の到来を告げるとされる烏鵲 (カササギ)」 と 「兄弟の情愛の象徴とされる鶺鴒 (セキレイ)」 とを対にして詠う。
其一得舎弟消息二首 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 160
得舎弟消息 二首 其二
汝懦歸無計,吾衰往未期。
叛乱軍の中にいるということは弱いものだ、帰ろうと思って無理な計画などするものではないよ。わたしは叛乱軍の中にいて、随分おとろえてしまった、洛陽に行くことなど約束もできないのだ。
浪傳鳥鵲喜,深負鶺鴒詩。
弟は会いに来ることもできないのに、 私を喜ばせようと、 カササギが嬉しそうに鳴いて客人の到来を知らせることでしょうと手紙で伝えてきた。 私の方も弟に会いに行くことができず、セキレイの心に深く背いているのだ。
生理何顏面,憂端且歲時。
人としていくのにどんな顔で生きたら良いのだろうか、こんな先行きのわからない憂いの気持ちはもうやめたいけれど何時まで続くのだろうか。
兩京三十口,雖在命如絲。
長安の私の家族、下部と洛陽の家族で三十人にもなる。それぞれ生きるとしてもその命は何時こと切れてもおかしくない糸の様なものなのだ。
舎弟の消息を得たり 其の二
汝 懦(よわ)く 歸えること計るなし,吾 衰えて 往くこと未だ期せず。
浪(みだり)に伝う 烏鵲(うじゃく)の喜ぶを、深く負(そむ)く鶺鴒(せきれい)の詩に。
生理 何に 顏面す,憂端 且つ 歲時。
兩京 三十口,在と雖も 命 絲の如し。
得舎弟消息 二首 現代語訳と訳註
(本文) 其二
汝懦歸無計,吾衰往未期。
浪傳鳥鵲喜,深負鶺鴒詩。
生理何顏面,憂端且歲時。
兩京三十口,雖在命如絲。
(下し文) 舎弟の消息を得たり 其の二
汝 懦(よわ)く 歸えること計るなし,吾 衰えて 往くこと未だ期せず。
浪(みだり)に伝う 烏鵲(うじゃく)の喜ぶを、深く負(そむ)く 鶺鴒(せきれい)の詩に。
生理 何に 顏面す,憂端 且つ 歲時。
兩京 三十口,在と雖も 命 絲の如し。
(現代語訳)
叛乱軍の中にいるということは弱いものだ、帰ろうと思って無理な計画などするものではないよ。わたしは叛乱軍の中にいて、随分おとろえてしまった、洛陽に行くことなど約束もできないのだ。
弟は会いに来ることもできないのに、 私を喜ばせようと、 カササギが嬉しそうに鳴いて客人の到来を知らせることでしょうと手紙で伝えてきた。 私の方も弟に会いに行くことができず、セキレイの心に深く背いているのだ。
人としていくのにどんな顔で生きたら良いのだろうか、こんな先行きのわからない憂いの気持ちはもうやめたいけれど何時まで続くのだろうか。
長安の私の家族、下部と洛陽の家族で三十人にもなる。それぞれ生きるとしてもその命は何時こと切れてもおかしくない糸の様なものなのだ。
(訳注)
汝懦歸無計,吾衰往未期。
叛乱軍の中にいるということは弱いものだ、帰ろうと思って無理な計画などするものではないよ。わたしは叛乱軍の中にいて、随分おとろえてしまった、洛陽に行くことなど約束もできないのだ。
○汝 杜甫の弟、洛陽近郊にいた実弟舎弟の杜観、次子の杜占は、羌村にいた。○懦 [音]ダ(漢) 気が弱い。意気地がない。「懦弱/怯懦(きょうだ)」○計 はかりごと。けいかくする。○期 約束。
浪傳鳥鵲喜,深負鶺鴒詩。
弟は会いに来ることもできないのに、 私を喜ばせようと、 カササギが嬉しそうに鳴いて客人の到来を知らせることでしょうと手紙で伝えてきた。 私の方も弟に会いに行くことができず、セキレイの心に深く背いているのだ。
○浪傳 いたずらに~つたえてくる。できもしないことをつたえる。○鳥鵲 うじゃく:かささぎ 「烏鵲の智」 遠い将来のことばかり心配して、近くに迫っている災難に気がつかないこと。かささぎは強風の多い年には風をさけようとして巣を低い枝にかけるが、そのために、雛や卵を人に捕られることまでは、知恵がまわらない。このことを「喜」に置き換えてうたう。李商隠辛未七夕」 李商隠にカササギが銀河の橋渡しをしてくれる鳥としている。『詩経』「鵲巢」にはカササギは巣作りに一生懸命、出来上がった巣は立派な頑丈なもの、しかし鳩が子育てに使う。しかしたくさんのお客がついてくる、というもの。○鶺鴒 せきれい:オシエドリ(教鳥)主に水辺に住み、長い尾を上下に振る習性がある。男女の性交についての比喩に使用される。
生理何顏面,憂端且歲時。
人としていくのにどんな顔で生きたら良いのだろうか、こんな先行きのわからない憂いの気持ちはもうやめたいけれど何時まで続くのだろうか。
○生理 生物が生きていく上での原理。生活。生物の生活する現象。
杜甫『自京赴奉先縣詠懷五百字』「以茲悟生理、独恥事干謁」(茲(ここ)を以て生理(せいり)を悟(さと)り、独り干謁(かんえつ)を事とするを恥ず。) 生活の方法
○憂端 憂のはし。杜甫『自京赴奉先縣詠懷五百字』「憂端斉終南、鴻洞不可掇」(憂端(ゆうたん)は終南(しゅうなん)に斉(ひと)しく、鴻洞(こうどう)として掇(ひろ)う可(べ)からず。)
兩京三十口,雖在命如絲。
長安の私の家族、下部と洛陽の家族で三十人にもなる。それぞれ生きるとしてもその命は何時こと切れてもおかしくない糸の様なものなのだ。
○兩京 東都、洛陽ここには弟家族がいる。弟には義理の母親を養うということ。西都、長安には杜甫、この時、鄜州羌村に妻を預けていた。数名の下僕が居るので合計で三十口、25名を超えればこのような表現をするので実際の人数は明確ではない。
○この時、安禄山の叛乱軍は、唐王朝を圧倒していたのである。残忍極まりない者たちで、民衆、人民の後押しは全くない。私利私欲の不満分子の集合体であるため、なおかつ、叛乱軍は20万の軍勢、唐王朝はその時分散しているとはいえ60万の軍勢だったのだ。したがって、安禄山が平定されるのは時間の問題で早晩落ち着くものと思っていた。ところが、軍勢としての兵力が劣勢だった唐王朝が、次々大敗をしたのである。
長安は、乱の前世界最大の国際都市、100万人を超える人口だった。飢饉が3年続いていた。その食料の供給先は江南だった。江南と長安を結ぶ輸送手段は、洛陽を中継基地とする運河のみだったのだ。長安付近では、自給率は50%以下であった。叛乱軍に洛陽を抑えられた唐王朝は、手もなく敗れる大きな問題であった。
杜甫は、こうした叛乱軍のもとに束縛されているのである。先行きに不安しかなかったのである。
1001 47.得舍弟消息二首
其一
近有平陰信,遙憐舍弟存。
側身千裡道,寄食一家村。
烽舉新酣戰,啼垂舊血痕。
不知臨老日,招得幾時魂。
其二
汝懦歸無計,吾衰往未期。
浪傳鳥鵲喜,深負鶺鴒詩。
生理何顏面,憂端且歲時。
兩京三十口,雖在命如絲。
d416 960 得家書(家書を得たり) 前の「述懐」の詩に見える如く、作者より安否問いあわせの手紙を出したのち、家族の方より返事を得て作った詩である。時に作者は鳳翔に在った。製作時は至徳二載の秋七月。757年 46歳
47.得舍弟消息
風吹紫荊樹,色與春庭暮。
花落辭故枝,風回返無處。
骨肉恩書重,漂泊難相遇。
猶有淚成河,經天複東注。
758年 47歳 五言律詩 d460 106 得舎弟消息(乱後誰帰得) 弟、無事。留守の娘もいなく犬だけが残されていた。
47.得舍弟消息
亂後誰歸得,他鄉勝故鄉。
直為心厄苦,久念與存亡。
汝書猶在壁,汝妾已辭房。
舊犬知愁恨,垂頭傍我床。
乾元2年759年 48歳五言律詩d459 105 憶弟二首 十三歳の杜観をひとり洛陽にやったことを「狂おしくも」と後悔。済州にあった弟を思って作る。杜甫は乾元元年の冬、華州より洛陽に赴いた。
乾元2年 759年 48歳 五言律詩 d462 140 月夜憶舎弟(戍鼓断人行) 仲秋八月、白露節頃、作品。弟たちの安否を気づかう。1036.月夜憶舍弟
戍鼓斷人行,秋邊一雁聲。
露從今夜白,月是故鄉明。
有弟皆分散,無家問死生。
寄書長不達,況乃未休兵。
広徳元年 763年 52歳 176 送舎弟頴赴斉州三首 其一(岷嶺南蛮北)
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