自京竄至鳳翔達連行在所 三首 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 170

粛宗は757の二月、居所を岐山の西の鳳翔(ほうしょう)に移していた。前年の大敗で唐王朝軍は戦況が不利であった。安禄山の側に内紛により、徹底した闘掃がなされず、唐王朝に巻き返しのチャンスを与えることになってしまっていた。王朝軍が鳳翔(陝西省鳳翔県)に進出できた。ここに行在所を確保できたことは、奪回にたいして画期的時期となった。
皇帝を称して一年、眼病を患っていた安禄山は、後嗣のもつれから、正月に息子の安慶緒(あんけいしょ)に殺される。安慶緒は大燕の帝位に就くが、幽州挙兵のときから同志であった史思明(ししめい)は、これに反発して独自の行動をとるようになる。
杜甫は粛宗が鳳翔に行在所を設けたことを、晩春になって知り、長安脱出の決意を固めた。その頃、長安の西市に南隣の懐遠坊、大雲寺に訪ねた。その時の内容は次のブログを参照されたい。
大雲寺贊公房 四首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 164
大雲寺贊公房 四首 其一#2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 165#2
大雲寺贊公房 四首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 166
大雲寺贊公房 四首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 167
大雲寺贊公房 四首 其四 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 168
大雲寺贊公房 四首 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 168
杜甫はかねてから親しくしていました大雲寺の寺主賛公に長安脱出の決意を打ちあけ、寺内に止宿して機会をうかがたのだ。
大雲寺は長安の西の大門である金光門に近く、西市に出入りする人も多種多様なので、番兵の目を誤魔化すのには便利だったのだ。杜甫は四月のある夕暮れ、閉門の人ごみに混じって城外に出て、暗くなるまで身をひそめてから西に走った。詩の前半四句は脱出まで、後半四句は鳳翔にたどり着くまでを描く。
自京竄至鳳翔達連行在所 三首
(京より竄れて鳳翔至り 行在所に達することを喜ぶ 三首)
長安からにげみちして鳳翔に至り、粛宗皇帝の行在所に達したことを喜んで作った詩。
製作時は至徳二載夏四月。757年至徳二載 46歳 ・五言律詩
自京竄至鳳翔達連行在所三首
喜達行在所三首 其一
西憶岐陽信,無人遂卻回。眼穿當落日,心死著寒灰。
霧樹行相引,連山望忽開。所親驚老瘦,辛苦賊中來。
其二
愁思胡笳夕,淒涼漢苑春。生還今日事,間道暫時人。
司隸章初睹,南陽氣已新。喜心翻倒極,鳴咽淚沾巾。
其三
死去憑誰報,歸來始自憐。猶瞻太白雪,喜遇武功天。
影靜千官裡,心蘇七校前。今朝漢社稷,新數中興年。
自京竄至鳳翔達連行在所三首其一
長安より夜にまぎれて鳳翔に至った。粛宗の行在所に達することを喜ぶ。 三首あるうちのその一。
西憶岐陽信、無人遂却廻。
自分は西方の岐陽からの消息があるかとおもっていたが、いつまでたってももどって天子の消息をしらせてくれる人がなかったので自分自身がでかけた。
眼穿当落日、心死箸寒灰。
これまで自分の眼はいつも天子の在所方角の落日をみつめていたし、西へと走りながら見つめるので眼に穴があくほどであった、叛乱軍の中をくぐってゆくのであるから心は死んでつめたい灰をつけた様に怖くて仕方がない。
霧樹行相引、蓮峰望忽開。
道路にそって並み木があり、それに導かれながら進んだのである、だんだん気持ちが元気になってきて、このあいだに忽ち連山の眺望が目の前に開かれて鳳翔の方へ続いていたのだ。
所親驚老痩、辛苦賊中来。
平生親しくしていた人々は自分の年よったのと痩せたのとに驚いているが、驚くのももっとものことだ、千辛万苦して叛乱軍の中からやって来たのだもの。
行在所に達するを喜ぶ三首 其の一
西のかた岐陽(きよう)の信(しん)を憶(おも)うに、人の遂に却廻(きゃくかい)する無し。
眼(まなこ)は穿(うが)たれて落日に当たり、心は死して寒灰(かんかい)に箸(つ)く。
霧樹(むじゅ) 行くゆく相い引き、蓮峰(れんぽう) 望み忽ち開く。
所親(しょしん) 老痩(ろうそう)に驚き、辛苦(しんく) 賊中より来たれり。
喜達行在所三首 現代語訳と訳註
(本文) 其一
西憶岐陽信、無人遂却廻。
眼穿当落日、心死箸寒灰。
霧樹行相引、蓮峰望忽開。
所親驚老痩、辛苦賊中来。
(下し文) 其の一
西のかた岐陽(きよう)の信(しん)を憶(おも)うに、人の遂に却廻(きゃくかい)する無し。
眼(まなこ)は穿(うが)たれて落日に当たり、心は死して寒灰(かんかい)に箸(つ)く。
霧樹(むじゅ) 行くゆく相い引き、蓮峰(れんぽう) 望み忽ち開く。
所親(しょしん) 老痩(ろうそう)に驚き、辛苦(しんく) 賊中より来たれり。
(現代語訳)
長安より夜にまぎれて鳳翔に至った。粛宗の行在所に達することを喜ぶ。
自分は西方の岐陽からの消息があるかとおもっていたが、いつまでたってももどって天子の消息をしらせてくれる人がなかったので自分自身がでかけた。
これまで自分の眼はいつも天子の在所方角の落日をみつめていたし、西へと走りながら見つめるので眼に穴があくほどであった、叛乱軍の中をくぐってゆくのであるから心は死んでつめたい灰をつけた様に怖くて仕方がない。
道路にそって並み木があり、それに導かれながら進んだのである、だんだん気持ちが元気になってきて、このあいだに忽ち連山の眺望が目の前に開かれて鳳翔の方へ続いていたのだ。
平生親しくしていた人々は自分の年よったのと痩せたのとに驚いているが、驚くのももっとものことだ、千辛万苦して叛乱軍の中からやって来たのだもの。
(訳注)
自京竄至鳳翔達連行在所
長安より夜にまぎれて鳳翔に至った。粛宗の行在所に達することを喜ぶ。
○京長安。○竄かくれながら。○鳳翔・陝西省鳳翔府扶風県、時に扶風を改めて鳳翔と称した。○行在所 行とは天子の旅行、行在所とは御旅さきのおわします処をいう。反撃の拠点となった。
西憶岐陽信、無人遂卻回。
自分は西方の岐陽からの消息があるかとおもっていたが、いつまでたってももどって天子の消息をしらせてくれる人がなかったので自分自身がでかけた。
○岐陽信 岐陽は岐山の陽、ほうさん鳳翔府岐山県をさす、行在のある地方をいう、信は消息。○卻回 もどってくること。唐時の常言である。
眼穿当落日、心死箸寒灰。
これまで自分の眼はいつも天子の在所方角の落日をみつめていたし、西へと走りながら見つめるので眼に穴があくほどであった、叛乱軍の中をくぐってゆくのであるから心は死んでつめたい灰をつけた様に怖くて仕方がない。
○眼穿 あまりみつめるため眼に穴があくようであることをいう。○当落 太陽の落ちる方、即ち鳳翔は西に直面している。○心死著寒灰 死灰は冷灰をいう。寒灰を着くとは、心が活気を失い死んだようになっていること、怖くて怯えきったことを言う。
霧樹行相引、蓮峰望忽開。
道路にそって並み木があり、それに導かれながら進んだのである、だんだん気持ちが元気になってきて、このあいだに忽ち連山の眺望が目の前に開かれて鳳翔の方へ続いていたのだ。
○霧樹しげっている樹、道路の並み木をさす。○行相引 引とはこちらをてぴきし、案内してくれること。○連山 岐陽の連山。○望 眺望。
所親驚老痩、辛苦賊中来。
平生親しくしていた人々は自分の年よったのと痩せたのとに驚いているが、驚くのももっとものことだ、千辛万苦して叛乱軍の中からやって来たのだもの。
○所親 親しい人々。○老痩 自己の老い且つやせていること。○辛苦賊中来 ・賊:叛乱軍、これは老痩について自ずから弁解する謙譲語。このブログでは官軍と賊軍の用語はできるだけ、使用しない。それは、単純に二分化されるものではないからである。史実からできるだけどのような軍かわかるように表現していく。
この三首連作は、時系列に場面を買えていく連作ではない。題は共通で、視点を変えて詠っている。内容に重複させところもあり、三首を通してみると脱出劇の様子がよく分かる。長安脱出が杜甫にとって如何に印象的な出来事であったかを示しているのだ。
杜甫がたどった道は、玄宗一行が落ちて行った渭水北岸の道である。脱走者の杜甫は昼間の街道をゆくわけにはいいかない。霧のなかで土手の並木の樹々をたよりに間道を進んだ。やがて見覚えのある太白山の峰々が雲間から咲き出た蓮の花のように見えてきて、次第に歓びの気持ちがこみ上げてくるのである。
尾聯の二句は鳳翔に着いたときの様子で、知人たちは杜甫のやつれた姿に驚いた。
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