自京竄至鳳翔達連行在所 三首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 171


喜達行在所三首 其二
愁思胡笳夕,淒涼漢苑春。
夕になると叛乱軍が吹きならす胡の曲歌が耳に付くと愁いの思いを抱くことになる。いま、長安の宮苑は春というのにさびしくものがなしいいものでしかない。
生還今日事,間道暫時人。
生きてかえることがてきたというのは今日のことなのだ。、しばしば人に会ってびくびくしながら間道をくぐりぬけたのだ。
司隸章初睹,南陽氣已新。
粛宗皇帝は、むかし後漢の光武帝が興ったときの様に司隷校尉の行う典章(法則)も旧来のとおりなるのを見ることができ、この時分裂していた王朝軍は南陽において連合して新しく天子の気が動いた様に帝運隆興の気がうごきだしてきた。
喜心翻倒極,鳴咽淚沾巾。

だからわたしは嬉しくて喜びの心は顛倒するくらい最高なのだ。そして、嬉し泣きに、咽び泣きせられて涙が手ふきをしっとり濡れているのだ。

行在所に達するを喜ぶ 三首 其の二
愁思(しゅうし)  胡笳(こか)の夕(ゆうべ)、淒涼(せいりょう)たり  漢苑(かんえん)の春。
生還  今日(こんにち)の事、間道  暫時(ざんじ)の人。
司隷(しれい) 章(しょう) 初めて覩(み)る、南陽  気は已(すで)に新たなり。
喜心(きしん) 翻倒(ほんとう)の極、嗚咽(おえつ) 涙 巾(きん)を沾(うるお)す。

行在所に達するを喜ぶ 三首 其の二
夕暮れに胡笛が鳴れば  愁いはつのり
御苑の春は うらさびしいものだった
生きて今日  ここにいるが
昨日までは  隠れて生きる身であった
皇帝の威令は回復し
行在は  清新の気に満ちている
喜びは  極みに達して
とめどなく  涙は巾(きぬ)を濡らすのだ

喜達行在所三首  其二 現代語訳と訳註
(本文) 其二
愁思胡笳夕,淒涼漢苑春。
生還今日事,間道暫時人。
司隸章初睹,南陽氣已新。
喜心翻倒極,鳴咽淚沾巾。


(下し文) 其の二
愁思(しゅうし)  胡笳(こか)の夕(ゆうべ)、淒涼(せいりょう)たり  漢苑(かんえん)の春。
生還  今日(こんにち)の事、間道  暫時(ざんじ)の人。
司隷(しれい) 章(しょう) 初めて覩(み)る、南陽  気は已(すで)に新たなり。
喜心(きしん) 翻倒(ほんとう)の極、嗚咽(おえつ) 涙 巾(きん)を沾(うるお)す。


(現代語訳)
夕になると叛乱軍が吹きならす胡の曲歌が耳に付くと愁いの思いを抱くことになる。いま、長安の宮苑は春というのにさびしくものがなしいいものでしかない。
生きてかえることがてきたというのは今日のことなのだ。、しばしば人に会ってびくびくしながら間道をくぐりぬけたのだ。
粛宗皇帝は、むかし後漢の光武帝が興ったときの様に司隷校尉の行う典章(法則)も旧来のとおりなるのを見ることができ、この時分裂していた王朝軍は南陽において連合して新しく天子の気が動いた様に帝運隆興の気がうごきだしてきた。
だからわたしは嬉しくて喜びの心は顛倒するくらい最高なのだ。そして、嬉し泣きに、咽び泣きせられて涙が手ふきをしっとり濡れているのだ。

(訳注)
愁思胡笳夕,淒涼漢苑春。

夕になると叛乱軍が吹きならす胡の曲歌が耳に付くと愁いの思いを抱くことになる。いま、長安の宮苑は春というのにさびしくものがなしいいものでしかない。
愁思 うれいのものおもい。○胡節 叛乱軍の吹きならすあしぶえ。○凄涼 ものさびしいさま、叛乱軍が侵入したためである。○漢苑 漢代の御苑、唐の長安の宮苑をさすす。


生還今日事,間道暫時人。
生きてかえることがてきたというのは今日のことなのだ。、しばしば人に会ってびくびくしながら間道をくぐりぬけたのだ。
生還 いきながらえてかえる。○間道 ぬけみち。○暫時人 生命を保ち得ることがしばらくに過ぎぬ、いつ殺されるかも知れぬことをいう。ここでは、しばしば人に会ってびくびくしながら間道をくぐりぬけたという意味。


司隸章初睹,南陽氣已新。
粛宗皇帝は、むかし後漢の光武帝が興ったときの様に司隷校尉の行う典章(法則)も旧来のとおりなるのを見ることができ、この時分裂していた王朝軍は南陽において連合して新しく天子の気が動いた様に帝運隆興の気がうごきだしてきた。
司隸章 司隷(司州)とは、洛陽や長安等を含む州のこと。京兆尹(長安)・河南尹(洛陽)・河内郡 ・河東郡 ・弘農郡・馮翊郡・扶風郡の5郡で構成された。ここでは後漢の光武帝の故事。光武が更始の命により司隷校尉の職を行ったときすべて旧来の法則どおりにしたという。博亮の「進宋公為宋王詔」に「東京ノ父老、重ネテ司隷ノ章ヲ親ル。」とある。○章は典章(法則)をいう。○ 睹と【睹】[漢字項目] [音]ト(漢) [訓]みる見る。「逆睹(げきと・ぎゃくと)・目睹」◆ 「覩」は異体字。○南陽気「後漢書」光武紀に、望気者(気を望んで予言を為すもの)の蘇伯阿というものが王芥のために便となって南陽(河南省南陽府、光武帝の生まれた地)に至り、逢かに春陵の郭を望み見て、「気佳ナル哉、鬱鬱慈恵タリ」といったという。佳気とは帝王の興るべきめでたい気。


喜心翻倒極,鳴咽淚沾巾。
だからわたしは嬉しくて喜びの心は顛倒するくらい最高なのだ。そして、嬉し泣きに、咽び泣きせられて涙が手ふきをしっとり濡れているのだ。
○翻倒ひっくりかえる。顛倒の類。○鳴咽むせびなく。

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