送樊二十三侍禦赴漢中判官  #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 173
(樊二十三侍禦が漢中判官に赴くを送る)四回に分割して掲載。その第一回
侍御史の官である樊某が漢中王の判官となって任に赴くのを送る詩。製作時は757年至徳二載の初め、鳳翔の行在所に赴いたころの作。

送樊二十三侍禦赴漢中判官
樊侍御史の漢中判官に赴くを送る。
#1
威弧不能弦,自爾無寧歲。
我が唐の王朝軍は三十万の兵をもってして十五万の安禄山の叛乱軍に大敗した。これは威力あるべき弓に弦を加えてその威力を発揮させることができなかったのだ、そのときからこのかた安寧なる年は無くなったのである。
川穀血橫流,豺狼沸相噬。』
川や谷にまで剣や矛による地吹雪が横に飛び流れた、豺狼の様な略奪をほしいままにする叛乱軍はお湯の沸き立つようにあちこちに起って人をかむように傍若無人なのである。』
天子從北來,長驅振凋敞。
新たに即位された若き粛宗皇帝は霊武の北地から決起し、鳳翔に行在所とされた、諸侯も遠地を駆けて集結し始めた疲弊した人民の凋敞をお救いになることである。
頓兵岐梁下,卻跨沙漠裔。
岐山・梁山の下なる鳳翔の地方に兵を留め軍事の整備をされている、その間、他方で回紇と連絡をとって遠く沙漢のはてまで足をのばされ、背後を固め援軍としたのだ。
二京陷未收,四極我得製。
幽州、山東から長安・洛陽の二京までは完全に叛乱軍に陥ってまだ王朝軍は手もだせず奪回はできなかった、その地に及ばない四方、周辺とその先まで王朝軍が之を制御し得るようにはなってきた。
蕭索漢水清,緬通淮湖稅。』
自給できない鳳翔にとって、もともとものさびしい漢水は清流の地であった、二京が陥落している状況下では、この漢中の地は期待するはるかな地、准水両湖の地方の租税を通運し得る重要な場所となったのである。』
#2
使者紛星散,王綱尚旒綴。南伯從事賢,君行立談際。
坐知七曜歷,手畫三軍勢。冰雪淨聰明,雷霆走精銳。』
#3
幕府輟諫官,朝廷無此例。至尊方旰食,仗爾布嘉惠。
補闕暮徵入,柱史晨徵憩。正當艱難時,實藉長久計。』
#4
廻風吹獨樹,白日照執袂。慟哭蒼煙根,山門萬重閉。
居人莽牢落,遊子封迢遞。徘徊悲生離,局促老一世。
陶唐歌遺民,後漢更列帝。恨無匡複姿,聊欲從此逝。』


#1
威弧(いこ) 弦する能(あた)わず、 爾(しか)りし自(よ)り寧歳(ねいさい)無し。
川谷(せんこく )血横(けつおう) 流す 豺狼(さいろう) 沸(ふつ)として 相 噬(か)む。』
天子 北従り来り、 長駆(ちょうく) 凋敞(ちょうへい)を振(すく)う。
兵を頓す 岐梁(きりょう)の下、 卻って沙漠(さばく)の裔(えい)に跨(またが)る。
二京 陥(おちい)りて 未だ収めざるも 四極(しきょく)我 製するを得。
蕭索(しょうさく) 漢水 清し 緬(はるか)に准湖(わいこ)の税を通ず。』
#2
使者紛としで星散す、王綱(おうこう)尚旒綴(りゅうてい)す。
南伯(なんぱく)従事賢なり、君行きて立談の際。
坐(そぞ)ろに知る七曜暦 手(てずか)ら画す三軍の勢。
泳雪(ひょうせつ)聡明(そうめい)浄(きよ)く、雷霆(らいてい) 精鋭(せいえい)走る。』
#3
幕府 諌官(かんかん)を輟(綴つづる) 朝廷 此の例無し。
至尊(しそん)方(まさ)に旰食(かんしょく)す 爾(なんじ)に仗(よ)って嘉恵(かけい)を布(し)く。
補闕(ほけつ)暮に徴(め)し入る 柱史(ちゅうし)晨(あした)に征(ゆ)かんとして憩(けい)す。
正に艱難(かんなん)の時に当る 実に長久(ちょうきゅう)の計に藉(よ)る。』
#4
廻風(かいふう) 独樹を吹く、白日 執袂(しっぺい)を照らす。
慟哭(どうこく)す 蒼煙(そうえん)の根、 山門 万重(ばんちょう) 閉ず。
居人 莽(もう)として 牢落たり、 遊子 方(まさ)に 迢遞(ちょうてい)たり。
徘徊(はいかい) 生離(せいり)を悲しむ、 局促(きょくそく) 一世に老ゆ。』
陶唐(とうとう) 遺民(いみん)に歌わる 後漢列帝(れつてい)を更(こ)う。
匡複(きょうふく)の資(し) 恨む無し、 聊(いささ)か此(これ)従り逝(ゆ)かんと欲す。』



歲、噬/來,敞、裔、製、稅/

送樊二十三侍禦赴漢中判官 #1 現代語訳と訳註
(本文)
#1
威弧不能弦,自爾無寧歲。
川穀血橫流,豺狼沸相噬。』
天子從北來,長驅振凋敞。
頓兵岐梁下,卻跨沙漠裔。
二京陷未收,四極我得製。
蕭索漢水清,緬通淮湖稅。』

(下し文)
威弧(いこ) 弦する能(あた)わず、 爾(しか)りし自(よ)り寧歳(ねいさい)無し。
川谷(せんこく )血横(けつおう) 流す 豺狼(さいろう) 沸(ふつ)として 相 噬(か)む。』
天子 北従り来り、 長駆(ちょうく) 凋敞(ちょうへい)を振(すく)う。
兵を頓す 岐梁(きりょう)の下、 卻って沙漠(さばく)の裔(えい)に跨(またが)る。
二京 陥(おちい)りて 未だ収めざるも 四極(しきょく)我 製するを得。
蕭索(しょうさく) 漢水 清し 緬(はるか)に准湖(わいこ)の税を通ず。』

(現代語訳)
樊侍御史の漢中判官に赴くを送る。
我が唐の王朝軍は三十万の兵をもってして十五万の安禄山の叛乱軍に大敗した。これは威力あるべき弓に弦を加えてその威力を発揮させることができなかったのだ、そのときからこのかた安寧なる年は無くなったのである。
川や谷にまで剣や矛による地吹雪が横に飛び流れた、豺狼の様な略奪をほしいままにする叛乱軍はお湯の沸き立つようにあちこちに起って人をかむように傍若無人なのである。』
新たに即位された若き粛宗皇帝は霊武の北地から決起し、鳳翔に行在所とされた、諸侯も遠地を駆けて集結し始めた疲弊した人民の凋敞をお救いになることである。
岐山・梁山の下なる鳳翔の地方に兵を留め軍事の整備をされている、その間、他方で回紇と連絡をとって遠く沙漢のはてまで足をのばされ、背後を固め援軍としたのだ。
幽州、山東から長安・洛陽の二京までは完全に叛乱軍に陥ってまだ王朝軍は手もだせず奪回はできなかった、その地に及ばない四方、周辺とその先まで王朝軍が之を制御し得るようにはなってきた。
自給できない鳳翔にとって、もともとものさびしい漢水は清流のちであった、二京が陥落している状況下では、この漢中の地は期待するはるかな地、准水両湖の地方の租税を通運し得る重要な場所となったのである。』



(訳注)
送樊二十三侍禦赴漢中判官

樊侍御史の漢中判官に赴くを送る。
樊侍禦 樊は姓、名は未詳、侍御は侍御史の官。○漢中判官 漢中は今の陝西省漢中府南部県治、判官は蓋し時の漢中王璃の下において判官となったのである。 


威弧不能弦,自爾無寧歲。
我が唐の王朝軍は三十万の兵をもってして十五万の安禄山の叛乱軍に大敗した。これは威力あるべき弓に弦を加えてその威力を発揮させることができなかったのだ、そのときからこのかた安寧なる年は無くなったのである。
威弧不能弦 威弧とは威力ある弓をいう。弦とはつるをかけること、弓につるをかけなければ弓の用を為さぬ。王朝軍は三十万の兵をもってして十五万の安禄山の叛乱軍に大敗した。この句はその軍事組織が兵力、精神力で勝っていないことを示すものである。〇自爾 そのときから。 ○寧歳 安らかな年。  


川穀血橫流,豺狼沸相噬。
川や谷にまで剣や矛による地吹雪が横に飛び流れた、豺狼の様な略奪をほしいままにする叛乱軍はお湯の沸き立つようにあちこちに起って人をかむように傍若無人なのである。』
血橫 戦死者の血。血吹雪で飛び散ったさま。 ○豺狼 盗賊をいう。 ○ わきたつ。 ○ 人をかむ。 傍若無人なことをする。


天子從北來,長驅振凋敞。
新たに即位された若き粛宗皇帝は霊武の北地から決起し、鳳翔に行在所とされた、諸侯も遠地を駆けて集結し始めた疲弊した人民の凋敞をお救いになることである。
○天子 756年7月移譲を承け即位した粛宗。 ○従北 来北とは霊武をさす、粛宗は初め霊武に即位し、後に叛乱軍の内紛に乗じて鳳翔にやって来た。○長駆  長遠の路をかけて来る。○振凋敞 振は趣、すくうこと。凋敵は民力のしぼみつかれたこと。


頓兵岐梁下,卻跨沙漠裔。
岐山・梁山の下なる鳳翔の地方に兵を留め軍事の整備をされている、その間、他方で回紇と連絡をとって遠く沙漢のはてまで足をのばされ、背後を固め援軍としたのだ。
頓兵 頓は止めることをいう。○岐梁下 岐山・巣山の下、二山は鳳翔境内にある。○卻跨 かえってまたがる、跨とはその方面へまで足をのはすことをいう。○沙漠裔 裔は衣のすそ、遠地をさす。沙漠とは回紇をさす、此の時回紇より援兵を出さんと請うてきた。この時叛乱軍と回紇が連携していたら挟み撃ちで全滅した。異民族に援軍を要請するほかなかったのである。(後に禍根を残すものではあった。)


二京陷未收,四極我得製。
幽州、山東から長安・洛陽の二京までは完全に叛乱軍に陥ってまだ王朝軍は手もだせず奪回はできなかった、その地に及ばない四方、周辺とその先まで王朝軍が之を制御し得るようにはなってきた。
二京 長安・洛陽。○ 官軍の手へとりこむ。〇四極 四方のはての地。○ 朝廷をさす。○ 制御すること。


蕭索漢水清,緬通淮湖稅。』
自給できない鳳翔にとって、もともとものさびしい漢水は清流の地であった、二京が陥落している状況下では、この漢中の地は期待するはるかな地、准水両湖の地方の租税を通運し得る重要な場所となったのである。』
粛索。ものさびしく、ひっそりしているさま。李白『古風五十九首 其十四 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白151』「胡關饒風沙、蕭索竟終古。」○漢水 長江の支流漢水。鳳翔とは太白山を挟む地点に南鄭があった。漢中府にある。○通准湖税 准水及び湖南湖北地方の租税を通運させた。756年至徳元載七月、隴西公瑀を漢中王・梁州都督・山南西道采訪防禦使と為し、十月、第五埼は江淮の租庸を以て軽貨を買い、江漢より泝って洋州(漢中府洋県)に至り、漢中王瑀をして陸運して扶風に至らしめて官軍を助けんと請うた、天子はこれに従った。当時漢中は南方の貨物を鳳翔の行在へ運ぶ唯一の要路にあたっていたのである。
この漢中ルートの補給は粛宗にとって生命線であった。

杜甫図陝西甘粛