黄河二首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 193
756年 至徳元年秋に安史軍(叛乱軍)に捕縛される前後の出来事を後になって作ったものと思う。時期的には、鳳翔に在った時以降だろう。どちらにしても中央で閑職状態の時期である。
黄河二首 其一
黄河北岸海西軍、推鼓鳴鐘天下聞。
陰山山脈と黄河の北側後に唐王朝軍援軍のためウイグル軍が駐屯している、鼓舞するための太鼓や鐘の音が、大空に響き渡る。
鐵馬長鳴不知數、胡人高鼻動成羣。
甲冑で武装した兵馬は長い嘶きが続いているので数がおおくて数えることができないだろう。異民族のウイグル人はひょっとすると唐軍に叛乱の群れになるかもしれない。
黄河の北岸 海西の軍、鼓を推(う)ち鐘を鳴らして天下に聞ゆ。
鐵馬 長鳴して數を知らず、胡人 高鼻にして動((ややも)すれば羣を成す。
オレンジが安史軍支配地域756年7月から12月期。
安史の乱は官軍と賊軍という範疇では説明できない。反乱軍という表現だけでもいけない。異民族はどちらにも構成軍に入っているし、安禄山の軍も、いろんな構成であった。
この詩、黄河二首の時期の勢力図であり、地図の中央上部の地点で安史軍と王朝ウイグル連合軍が対峙した。この時唐王朝は、霊武から河曲(緑の矢印辺)あたりしか支配地域が限定して、じり貧状態であった。
現代語訳と訳註
(本文) 黄河二首
黄河北岸海西軍、推鼓鳴鐘天下聞。
鐵馬長鳴不知數、胡人高鼻動成羣。
(下し文)
黄河の北岸 海西の軍、鼓を推(う)ち鐘を鳴らして天下に聞ゆ。
鐵馬 長鳴して數を知らず、胡人 高鼻にして動((ややも)すれば羣を成す。
(現代語訳)
陰山山脈と黄河の北側後に唐王朝軍援軍のためウイグル軍が駐屯している、鼓舞するための太鼓や鐘の音が、大空に響き渡る。
甲冑で武装した兵馬は長い嘶きが続いているので数がおおくて数えることができないだろう。異民族のウイグル人はひょっとすると唐軍に叛乱の群れになるかもしれない。
(訳注)
黄河北岸海西軍、推鼓鳴鐘天下聞。
(黄河の北岸 海西の軍、鼓を推(う)ち鐘を鳴らして天下に聞ゆ。)
陰山山脈と黄河の北側後に唐王朝軍援軍のためウイグル軍が駐屯している、鼓舞するための太鼓や鐘の音が、大空に響き渡る。
○黄河北岸 南下してきたウィグル本軍を陰山と黄河の間にある呼延谷のこと。○海西の軍。粛宗が即位し、援軍を求めたウイグルの騎兵隊の軍。
鐵馬長鳴不知數、胡人高鼻動成羣。
(鐵馬 長鳴して數を知らず、胡人 高鼻にして動((ややも)すれば羣を成す。)
甲冑で武装した兵馬は長い嘶きが続いているので数がおおくて数えることができないだろう。異民族のウイグル人はひょっとすると唐軍に叛乱の群れになるかもしれない。
○鐵馬 甲冑で武装した兵馬。○胡人 異民族の中で北方、西方にウイグル人がおり、北には鮮卑系もいた。○高鼻 異民族のウイグルの人。
○唐王朝は滅亡寸前という態勢であったが、霊武は西北辺境の要衝であり、朔方節度使・郭子儀の本拠地であった。ウイグルがこの時安史軍(叛乱軍)に味方するか、中立を取れば、唐は滅亡していたかもしれない。
○杜甫は、ウイグルによって救われていることを不安に思っていた。
安史の乱の年譜(黄河二首の背景)
○ 756年6月,玄 宗 の命令 により、哥舒翰軍は潼関より東に出撃.哥舒翰は敗北して敵の手中に。.
○ 長安では楊国忠の主張により、蜀(四川)への蒙塵を決定.。
○ 756年6月13日 未明、玄宗、皇太子夫妻、楊貴妃 とその一族、楊国忠一家、公主たちが、極秘裏に宮殿を脱出。
○ その後,玄宗は蜀へ蒙塵し、玄宗は皇太子に長安を奪回せよと命ず。皇太子は捲土重来を期して霊武へ向かう。霊武は西北辺境の要衝であり、かつ朔方節度使・郭子儀の本拠地。
○ 756年07月,皇太子は群臣の懇望を受けて、蜀にある玄宗を上皇にまつりあげ、粛宗として霊武で即位.至徳と改元。援軍を得るためには皇太子が皇帝にならなければ要請できない。
○ 756年09月,粛宗はウイグルに援軍を求めるために使者を。漠北のモンゴリアに派遣使者となったのは,王族の一人(敦 煙郡王承粟)とトルコ系武将の僕固懐恩とソグド系 武将の石定番。
★756年8~9月 杜甫蘆子関付近で捕縛される。
○ 756年10月にオルホン河畔のオルドバリクで会見.ウイグルの第2代 可汗・磨延畷(葛 勒可汗)は喜んで、可敦(カトン;可汗の正妻)の妹を妾(めあわ)自分の娘とした上で、これを承粟に嬰す。さらにウイグルの首領を答礼の使者として派遣してきたので、粛宗はこれを彭原に出迎え、ウ イグル王女を砒伽公主 に封じた。
○ 756年7~12月[通鑑 による],安史勢力側の阿史那従礼が突廠・同羅・僕骨軍5000騎を率い,河曲にあった九府・六胡州の勢力数万も合わせて、行在=霊武を襲わんとした。
○ 756年9~12月郭子儀は,磨延啜自身が率いて南下してきたウィグル本軍を陰山と黄河の間にある呼延谷で迎え,これと合流。
・一方これ以前 に葛遷支率いる ウイグル別働 隊2000騎 がまず范陽を攻撃したが,成功せずにそこから太原方面に移動。
・郭子儀軍はこれ らのウイグル本軍並びに別働隊と協力して,阿史那従礼軍を斥け,河曲(黄河の大湾曲部内側の北半部,す なわちオルドスを中心に,そ の外側の陰山山脈以南を合わせた一帯;現在の内蒙古自治区の一部とちんにし陝西省~寧夏回族自治区の北辺)を平定した。
★ 杜甫 黄河二首
★ 杜甫長安に護送される。
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