送楊六判官使西蕃 #1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 197


楊某が判官として吐蕃国に使いにゆくのを送る。製作時は至徳二載の秋。なお長安をとりかえさなかった時。
2回分割の1回目。

これまで
・756年011~12月[通 鑑 によれ ば7~12月],安史勢力側 の阿史那従礼 が突廠・同羅 ・僕骨軍5000騎 を率い,河曲にあった九(姓?)府・六胡州の勢力数万も合わせて,行在=霊武 を襲わんとした。

・756年12月郭子儀は,磨延啜自身が率いて南下してきたウィグル本軍を陰山と黄河の間にある呼延谷で迎え,これと合流、

・一方これ以前 に葛遷支率いる ウイグル別働 隊2000騎 がまず范陽を攻撃したが,成功せずにそこから太原方面に移動.

・郭子儀軍はこれ らのウイグル本軍並びに別働隊と協力して,阿史那従礼軍を斥け,河曲(黄河の大湾曲部内側の北半部,す なわちオルドスを中心に,そ の外側の陰山山脈以南を合わせた一帯;現在の内蒙古自治区の一部とちんにし陝西省~寧夏回族自治区の北辺)を 平定した.

●757年至徳二 年元 旦,安禄山は洛陽で実子の安慶緒,並びに腹心の部下によって暗殺さる.

○757年安禄山の盟友で,洛陽政権樹立の最:大の功労者であった史思明は,いちはやく分離独立の方針を決め,莫大な軍資金を蓄積してある范陽に帰還.

○  757年同年2月,粛宗は鳳翔に進出.前年末からこれまでに,コータン・安西・北庭・抜汗那・大食からの援軍が集結.同 月,ウイグル首領の大将軍・多攬15人 が入朝.

○ 757年9月,ウ イグルの磨 延畷可汗は太子 の葉護 を筆頭に,将 軍の帝徳らに4000余 騎(旧 唐書 ・安禄山伝では3000騎)を率いさせて唐に派遣.粛宗は喜び,宴会を催し,元帥の広平王・淑(後の代宗)に命じて葉護と兄弟の契りを結ばせる.

○  蕃漢15万にふくれあがった唐軍は,広平王・淑 を総帥とし,鳳翔を出発.扶風で ウイグル軍を出迎 えた郭子儀は,3日 間の大宴会で接待.以 後,ウイグル軍には食料として毎日,羊200匹,牛20頭,米40石 が支給さる.

○ 757年9月17日,長安攻撃開始.朔方左廟兵馬使・僕固懐恩 とウイグル軍が連携して活躍.安慶緒側の守備軍は約6万の損失を蒙って潰走.唐軍,長安を回復す.

○ 757年10月,反乱軍は唐側の郭子儀軍やウイグル軍により滝関・陳郡を次々に落とされ,安 慶緒は洛陽を脱出して河北の鄭に走る.唐側は遂に洛陽を奪回.

○ 757年11月,長 安で粛宗と葉護が会見.粛宗は葉護を労い,司空の位を与え,忠義王に封じ,錦繍繰や金銀器皿を賜す,さらに毎年,絹2万匹を朔方軍にて支給する事を約す.

送楊六判官使西蕃
楊六判官使、西蕃に送る
送遠秋風落,西徵海氣寒。
あなたがウイグルという遠くへ行かれるのを見送る今、秋風が木の葉をゆり落す時となった、西方へと行かれるならば青海の寒気団でこごえそうになる季節になる。
帝京氛浸滿,人世別離難。」
都では安史軍、侵略者のもたらす悪い妖気、兵乱の悪気に満ち溢れている、この時、こんなの世情のなかでお別れをすることはつらくて別れづらいことだ。」
絕域遙懷怒,和親願結歡。
我が唐とはかけはなれた土地でありながら吐蕃は安史軍の叛乱を起した事について、はるかな地で憤怒の念をいだいていたのだ、それが我が唐と和親し、我と歓心を結んでくれるというのだ。
敕書憐贊普,兵甲望長安。
それで我が君も勅書を以て贊普が援助にでかけようとしている心根をお憐みになった。そして連合して、兵甲のいくさの用意をして長安を望むことになったのだ。
宣命前程急,惟良待士寬。
我が君の御命令を先方へ宜べつたえる正使の役目は前程として取り急ぎ長安を奪回することである、その地方長官としては、派遣特使を広範囲に守って寛大な方法をとらせた。
子雲清自守,今日起為官。』-
#1
漢の揚子雲は清貧を以て自らを守っていた。あなたもその清貧でもって今日は抜擢されて使者、官員となることとなった。』

垂淚方投筆,傷時即據鞍。儒衣山鳥怪,漢節野童看。
邊酒排金盞,夷歌捧玉盤。草肥蕃馬健,雪重拂廬乾。」
慎爾參籌畫,從茲正羽翰。歸來權可取,九萬一朝摶。』-#2


(楊六判官が 西蕃に使するを送る)#1
遠きを送れば秋風落つ 西征海気寒し
帝京気頑満つ 人世別離難し』
絶域迄に怒を懐く 和親して歓を結ぽんことを願う
勅書賛普が 兵甲長安を望むことを憐む
宣命前程急に 惟良士を待つ寛なり
子雲清く自ら守る 今日起って官と為る』

#2
涙を垂れて万に筆を投ず 時を傷みて即ち鞍に拠る
儒衣山鳥怪み 漢節野童看る
辺酒金怨を排し 夷歌玉盤を捧ぐ
草肥えて蕃馬健に 雪重くして払渡乾く』
慎みて爾書画に参し 玄従り羽翰を正しくせよ
帰り来らば権取る可し 九万一朝にして摶たん』
安史期のアジアssH



現代語訳と訳註
(本文) 送楊六判官使西蕃

送遠秋風落,西徵海氣寒。帝京氛浸滿,人世別離難。」
絕域遙懷怒,和親願結歡。敕書憐贊普,兵甲望長安。
宣命前程急,惟良待士寬。子雲清自守,今日起為官。』-#1


(下し文) (楊六判官が 西蕃に使するを送る)#1
遠きを送れば秋風落つ 西征海気寒し
帝京気頑満つ 人世別離難し』
絶域迄に怒を懐く 和親して歓を結ぽんことを願う
勅書賛普が 兵甲長安を望むことを憐む
宣命前程急に 惟良士を待つ寛なり
子雲清く自ら守る 今日起って官と為る』


(現代語訳)
楊六判官使、西蕃に送る
あなたがウイグルという遠くへ行かれるのを見送る今、秋風が木の葉をゆり落す時となった、西方へと行かれるならば青海の寒気団でこごえそうになる季節になる。
都では安史軍、侵略者のもたらす悪い妖気、兵乱の悪気に満ち溢れている、この時、こんなの世情のなかでお別れをすることはつらくて別れづらいことだ。」
我が唐とはかけはなれた土地でありながら吐蕃は安史軍の叛乱を起した事について、はるかな地で憤怒の念をいだいていたのだ、それが我が唐と和親し、我と歓心を結んでくれるというのだ。
それで我が君も勅書を以て贊普が援助にでかけようとしている心根をお憐みになった。そして連合して、兵甲のいくさの用意をして長安を望むことになったのだ。

banri11

(訳注)
送楊六判官使西蕃

楊六判官使、西蕃に送る
楊六判官 至徳元載に霊武に援軍要請、,河曲(黄河の大湾曲部内側の北半部,す なわちオルドスを中心に,その外側の陰山山脈以南を合わせた一帯;現在の内蒙古自治区の一部を勢力下においたことが唐王朝存続の危機を抜けられた重要な点であった。その後安史軍内部で抗争する間に鳳翔を勢力下におき行在所とした。長安を奪回するためウイグルに使者を送り協力を求めた。そのときのことをしにしたものが、これだ。


送遠秋風落,西徵海氣寒。
あなたがウイグルという遠くへ行かれるのを見送る今、秋風が木の葉をゆり落す時となった、西方へと行かれるならば青海の寒気団でこごえそうになる季節になる。
送遠 楊の遠く行くのを送る。○秋風落 落とは蓋し揺落をいう、木の葉をゆりおとすことをいう。又案ずるに落は高処より吹きおろすことをいうか。○西征 西の方へゆく、吐蕃は唐の酉にある。○海気寒 沙漢、湖水はみな海という、ここは青海をさす。


帝京氛浸滿,人世別離難。」
都では安史軍の侵略者のもたらす悪い妖気、兵乱の悪気に満ち溢れている、この時、こんなの世情のなかでお別れをすることはつらくて別れづらいことだ。」
帝京 長安。○氛浸 安史軍、侵略者のもたらす悪い妖気、兵乱の悪気。・:吉凶をあらわす雲気。夭気。・:侵略者。


絕域遙懷怒,和親願結歡。
我が唐とはかけはなれた土地でありながら吐蕃は安史軍の叛乱を起した事について、はるかな地で憤怒の念をいだいていたのだ、それが我が唐と和親し、我と歓心を結んでくれるというのだ。
絶域 かけはなれた土地。吐蕃をさす。○憤怒 安禄山の叛いたことに対して怒りの念をいだく。○和親 唐となかよくする。○結歓 即ち上の和親と同じ、歓びの心を結びあう。


敕書憐贊普,兵甲望長安。
それで我が君も勅書を以て贊普が援助にでかけようとしている心根をお憐みになった。そして連合して、兵甲のいくさの用意をして長安を望むことになったのだ。
勅書 唐の天子からのおかきつけ。○憐賛普 賛普は吐蕃語、賓とは強雄の義、普とは丈夫の義、その君長たるものをさして賛普という。燐とは唐となかよくしたいとの志をあわれむこと。○兵甲 吐蕃の兵、よろい。○望長安 吐蕃が望むのである。長安をさして唐を助けにゆこうとながめやる。
◎ここまで直訳では、ウイグルが助けさせてくださいと言って、且つ、仲良くもさせてくださいという和親の申し出をしてきたから、連合したのだ。滅亡しかけていても中華思想というのは強がりを言う。なぜなら、弱みを見せて援助を求めたなら、逆に攻め込まれ、壊滅するからである。もともと、中国古来から、軍隊はウイグルの支援を受けて成り立っていた。安禄山も、哥舒翰も西国出身者なのである。漢民族は農耕民族で、戦争において、騎馬民族の戦法に頼らざるを得なかったのだ。


宣命前程急,惟良待士寬。
我が君の御命令を先方へ宜べつたえる正使の役目は前程として取り急ぎ長安を奪回することである、その地方長官としては、派遣特使を広範囲に守って寛大な方法をとらせた。
宣命 天子からの命を吐蕃に対してのべつたえることをいう。漢の宣帝と楊子雲(楊雄)になぞらえている。宣帝は粛宗のこと。○前程急 前途のゆくさき、長安を奪回するということをいそぐ。○惟良待士寛 惟良は地方長官をさす。待士の士は楊をさす、待つとは判官の待遇を与えたことをいう、寛は寛大。目先で動いて、交渉が決裂するということは許されなかった。実際には安史軍からの援軍要請もあったのではなかろうか。ウイグルが安史軍と同盟が成立したなら、唐王朝は滅亡していたから、破格の条件を提示したのであろう。


子雲清自守,今日起為官。』-#1
漢の揚子雲は清貧を以て自らを守っていた。あなたもその清貧でもって今日は抜擢されて使者、官員となることとなった。』
子雲 漢の揚雄の字、借りて楊判官に比喩する。○清自守 清貧を以て己を守る。○起為官 無官の地から起ちあがって判官となる。
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