「九成宮」#1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 201
 杜甫詩、杜甫の人生を語る重要な作品。

ID詩題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言古詩)
970晚行口號 鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
971徒步歸行 鄜州へ赴く出発の詩
972九成宮  鄜州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。
973玉華宮  鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。
974行次昭陵鄜州へ帰る途すがら昭陵のほとりにやどって作る。
975北征五言百四十句の長篇古詩。 至徳二載六月一日、鄜州に帰ることを許された。作者が此の旅行をした所以である。製作時は至徳二載九月頃か。八月初めに鳳翔より出発して鄜州に到著して以後に作ったもの。

977
978
979

羌村三首・黄土高原の雄大な夕景色。夕刻に到着。
・家族全員無事、秋の装い、豊作であった。
・村の長老たちと帰還の祝い。
981重經昭陵帰り道、第二回に昭陵の地を経過したとき作る。

ID

詩題

摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言律詩)

980收京三首王朝軍の手に長安を奪回したことを聞きつけてにつけて作る。製作時は至徳二載十月末~十一月初めの作。
粛宗に徹底して嫌われ、居場所がなく、家族を向かえに山中の道を行く。疎外された朝廷を後にするがすさまじい孤独感が詩全体にあふれる。
朝廷におけるいきさつについては下のブログ参照。

述懐 #1 杜甫 杜甫特集700- 178

述懐 #2 杜甫 杜甫特集700- 179

述懐 #3 杜甫 杜甫特集700- 180



九成宮
鄜州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。九成宮は鳳翔府麟遊県の西五里にある。山が九層あるので九成という。もと隋〔4〕の仁寿宮であり、初唐、唐の貞観年中に大宗によって修繕して避暑用離宮に供したものである。
九成は、宮殿周囲の垣根は千八百歩、太宗・高宗ここに臨幸している。
魏徴〔1〕の「九成宮醸泉銘序」に
「九成宮は、隋の仁寿宮なり。山に冠して殿を抗し、整を絶ちて池と為し、水に跨がりて橋を架し、巌を分かちて開を疎たせ、高閣回り建ち、長廊四に起り、棟宇膠葛し、台樹参差たり。仰ぎ視れば則ち迫運百尋、下に臨めば則ち崢嶸千仞、珠壁交々映じ、金碧相い輝き、雲霞ヲ照灼し、日月を蔽廠ス。其の山を移し澗を過し、泰を窮め惨を極め人を以て欲を従にするを観れば、良に深く尤むるに足れり。」
とある。宮の侈麗であったことを想像することができる。宮の官制には、総監一人、副監一人、丞・簿・録事各々一人があった。また、碑文「九成宮醴泉銘」〔2が現存しており、欧陽詢〔3〕がそれを書いている。


九成宮 #1
蒼山八百裡,崖斷如杵臼。
青々とした奥深い山へはいりこむこと百里(58km)ばかりにして前方を見る、崖がとだえて杵を搗く臼状にみえる縦断面の様な形状を示している
曾宮憑風迥,岌嶪土嚢口。』
それは幾重にもかさなった宮殿が風の吹きぬけていく高処に遠くそびえている、しかもその宮殿は両脇が臼状でその中に高く立っているようにみえているのである。
立神扶棟梁,鑿翠開戶牖。
この離宮は神霊を立てて棟や梁を扶助してもらい、汚れのない山翠の色の空気により室内をうがっていくので戸や窓を開けているのだ。
其陽產靈芝,其陰宿牛鬥。
その南面には霊芝が生えているし、その北面には牛宿、北斗九星の星辰がやどっていて厳然と権威を保っている。
紛披長松倒,揭櫱怪石走。
それなのに今度の騒乱で、丈高き松の木がみだれて倒れていたり、崩れかけている石がけわしくつらなり走っている。
哀猿啼一聲,客淚迸林叢。』1

おりしも、哀しそうな猿の鳴き声が響き渡った。そのもの悲しさはさびしい山道を行く旅人の自分も感に迫って涙があふれ、林薮に向ってほとばしり散るのである。

#2
荒哉隋家帝,製此今頹朽。向使國不亡,焉為巨唐有。
雖無新增修,尚置官居守。巡非瑤水遠,跡是雕牆後。』
我行屬時危,仰望嗟嘆久。天王狩太白,駐馬更搔首。』2


九成宮
蒼山(そうざん)入ること百里、崖(がけ)断(た)えて杵臼(しょきゅう)の如し。
曾宮(そうきゅう)風に憑(よ)りて迥(はるか)に、岌嶪(きゅうぎょう)たり土嚢(どのう)の口。
神(しん)を立てて棟梁(とうりょう)を扶(たす)け、翠を鑿(うが)ちて戸牖(こゆう)を開く。
其の陽(みなみ)には霊芝(れいし)を産し、其の陰(きた)には牛斗(ぎゅうと)宿す。
紛披(ふんぴ)として長松(ちょうしょう()倒れ、揭櫱(けつげつ)として怪石(かいせき)走(はし)る。
哀猿(あいえん)啼くこと一声(いっせい)、客涙(かくるい)林叢(りんそう)に迸(ほとばし)る。』

#2
荒(こう)なる哉(かな) 隋家(ずいか)の帝(てい)、 此を製(せい)して今頹朽(たいきゅう)せり。
向(さき)に国をして亡びざら使(し)めば 焉(いずくんぞ)ぞ巨唐(きょとう)の有(ゆう)と為(な)らん。
新(あらた)に増修(ぞうしゅう)する無しと雖(いえど)も 尚(なお)官を置きて居守(きょしゅ)せしむ。
巡は瑤水の遠きに非ず、 跡は 是 雕牆(ちょうしょう)の後(のち)なり。』
我行きて時の危(あやう)きに属す、仰望(ぎょうぼう)して嗟嘆(さたん)すること久し。
天王(てんのう)太白(たいはく)に狩(かり)す、馬を駐(とど)めて更に首を掻く。』

 DCF00209

 

「九成宮」 現代語訳と訳註
(本文) #1

蒼山八百裡,崖斷如杵臼。
曾宮憑風迥,岌嶪土嚢口。』
立神扶棟梁,鑿翠開戶牖。
其陽產靈芝,其陰宿牛鬥。
紛披長松倒,揭櫱怪石走。
哀猿啼一聲,客淚迸林叢。』

(下し文) 九成宮
蒼山(そうざん)入ること百里、崖(がけ)断(た)えて杵臼(しょきゅう)の如し。
曾宮(そうきゅう)風に憑(よ)りて迥(はるか)に、岌嶪(きゅうぎょう)たり土嚢(どのう)の口。
神(しん)を立てて棟梁(とうりょう)を扶(たす)け、翠を鑿(うが)ちて戸牖(こゆう)を開く。
其の陽(みなみ)には霊芝(れいし)を産し、其の陰(きた)には牛斗(ぎゅうと)宿す。
紛披(ふんぴ)として長松(ちょうしょう()倒れ、揭櫱(けつげつ)として怪石(かいせき)走(はし)る。
哀猿(あいえん)啼くこと一声(いっせい)、客涙(かくるい)林叢(りんそう)に迸(ほとばし)る。』


(現代語訳)
青々とした奥深い山へはいりこむこと百里(58km)ばかりにして前方を見る、崖がとだえて杵を搗く臼状にみえる縦断面の様な形状を示している
それは幾重にもかさなった宮殿が風の吹きぬけていく高処に遠くそびえている、しかもその宮殿は両脇が臼状でその中に高く立っているようにみえているのである。
この離宮は神霊を立てて棟や梁を扶助してもらい、汚れのない山翠の色の空気により室内をうがっていくので戸や窓を開けているのだ。
その南面には霊芝が生えているし、その北面には牛宿、北斗九星の星辰がやどっていて厳然と権威を保っている。
それなのに今度の騒乱で、丈高き松の木がみだれて倒れていたり、崩れかけている石がけわしくつらなり走っている。
おりしも、哀しそうな猿の鳴き声が響き渡った。そのもの悲しさはさびしい山道を行く旅人の自分も感に迫って涙があふれ、林薮に向ってほとばしり散るのである。


(訳注)
蒼山八百裡,崖斷如杵臼。

蒼山(そうざん)入ること百里、崖(がけ)断(た)えて杵臼(しょきゅう)の如し。
青々とした奥深い山へはいりこむこと百里(58km)ばかりにして前方を見る、崖がとだえて杵を搗く臼状にみえる縦断面の様な形状を示している
蒼山 あおい山。遠くに連なる山、遠くなるほど青くなる。・ 奥深い山にはいりこむ。・如杵白 きね・うすのようである。杵をつく臼の中の様な縦断面をいう。杜甫の『杜甫 2 『遊龍門奉先寺』「陰壑生虚籟、月林 散清影。天闕象緯逼、雲臥衣裳冷。」という表現もある


曾宮憑風迥,岌嶪土嚢口。』
曾宮(そうきゅう)風に憑(よ)りて迥(はるか)に、岌嶪(きゅうぎょう)たり土嚢(どのう)の口。
それは幾重にもかさなった宮殿が風の吹きぬけていく高処に遠くそびえている、しかもその宮殿は両脇が臼状でその中に高く立っているようにみえているのである。
曾宮 骨は層に同じ、層宮とは幾重にもかさなっている宮殿。 ・憑風迥 迥の字を迴に作るものがあるがこれではぐるぐる回ることになるのか、折曲がることになるので迥(はるか)の字がよい。風によってはるかとは、はるかに風の吹く高処によってみえることをいう。・笈業 高くけわしいさま、これは層宮のさまである。 ・土嚢 土嚢とは谷の口をいう。離宮がこの峡口に在るのは、沢風、日陰等を考慮し、最も避暑に適しているのである。 


立神扶棟梁,鑿翠開戶牖。
神(しん)を立てて棟梁(とうりょう)を扶(たす)け、翠を鑿(うが)ちて戸牖(こゆう)を開く。
この離宮は神霊を立てて棟や梁を扶助してもらい、汚れのない山翠の色の空気により室内をうがっていくので戸や窓を開けているのだ。
立神 神は神霊、これは実際の神像を立てることをいうのであろう。 ・扶棟梁 むなぎ、はりを神の御加護をうけることにより扶助される。 ・鑿翠 谷間に漂う神秘的な空気でこの谷を削り取ったことをいう。翠は山翠で山の汚れのないみどりの空気の色をいう。 ・戸牖 牖は土まど。『大雲寺贊公房四首 其四』明霞爛複閣,霽霧搴高牖」『晦日尋崔戢李封』「朝光入甕牖,屍寢驚敞裘。」


其陽產靈芝,其陰宿牛鬥。
其の陽(みなみ)には霊芝(れいし)を産し、其の陰(きた)には牛斗(ぎゅうと)宿す。
その南面には霊芝がはえているし、その北面には牛宿、北斗九星の星辰がやどっていて厳然と権威を保っている。
 山の南面、日光をうける処。 ・霊芝 摘草。・陰 山の北面、日光のあたらぬ処。 ・宿 やどる。北を指していて、動かない権威あることを示す。 ・牛鬥 鬥は闘 牛宿:牛宿(ぎゅうしゅく・いなみぼし)は二十八宿の一つで、北方玄武七宿の第二宿。斗宿:北斗九星。


紛披長松倒,揭櫱怪石走。
紛披(ふんぴ)として長松(ちょうしょう()倒れ、揭櫱(けつげつ)として怪石(かいせき)走(はし)る。
それなのに今度の騒乱で、丈高き松の木がみだれて倒れていたり、崩れかけている石がけわしくつらなり走っている。
紛披 みだれるさま。 ・長松 背の高い松の木。・揭櫱 巌のつみかさなっているさま。


哀猿啼一聲,客淚迸林叢。』1
哀猿(あいえん)啼くこと一声(いっせい)、客涙(かくるい)林叢(りんそう)に迸(ほとばし)る。
おりしも、哀しそうな猿の鳴き声が響き渡った。そのもの悲しさはさびしい山道を行く旅人の自分も感に迫って涙があふれ、林薮に向ってほとばしり散るのである。
客涙 旅客としての涙、杜甫の涙をいう。天子の世に不安があること、叛乱軍に長安を占拠されて、裏の抜け道を旅すること。朝廷の中において身を置く場所がないこと。


***** 文注 *****

〔1〕魏徴 580年 - 643年 隋、唐初の政治家・学者。癇癪を起こした太宗に直諫(じかに諫言)することで有名であり、魏徴死亡時太宗は非常に哀しんだという。曲城(山東省)の人。字(あざな)は玄成。太宗に召し出され、節を曲げぬ直言で知られる。「隋書(ずいしょ)」「群書治要」などの編纂(へんさん)にも功があった。魏徴 「九成宮醸泉銘序」

〔2〕この九成宮醴泉銘は唐の功臣として有名であり、また詩文の才に長じた魏徴が、太宗の勅命により撰文し、欧陽詢がそれを書いて陝西麟遊の離宮、九成宮に建てた。九成宮とは初め隋の文帝が建てた離宮で、仁壽宮といっていた。それを建てるには帝王の力と富をつくして、三年間かかったという規模広大なものであった。隋が滅んだ後、その離宮は唐朝に譲られ、九成宮と名付けられた。唐の太宗も時々避暑に出かけた。ところがこの離宮は元来水利に悪く、水源に乏しかった。貞観六年(632)四月に太宗が行かれた時、たまたま離宮内に泉がわき出ているのを発見せられた。これより離宮の水の出はよくなった。これは聖徳が、天地の神におよんだ瑞応であるとし、その徳を頌したのがこの九成宮醴泉銘である。

〔3〕欧陽詢(おうよう じゅん、557年 - 641年)は、唐代の儒家、書家。字は信本。潭州臨湘(現在の湖南省長沙市)に生まれ、安徽で死去した。

〔4〕隋(ずい、581 - 618年)、唐(とう、618 - 907年)中国の王朝。都は長安の同じ場所であった。


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