北征 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 208

(12回の1回目)

「北征」の詩の内容は四つの段に分けられる。すなわち第一段はこのたびの帰省のことと現在の時勢について、第二段は旅中の見聞、第三段は妻子との再会、第四段は胡賊撃退へと動き出した状況の説明と大乱平定の願い、となっている。

北征
皇帝二載秋,閏八月初吉。
粛宗皇帝の至徳二載の秋の閑八月一日。
杜子將北徵,蒼茫問家室。」
自分は北方にでかけて、家族の様子がはっきりしていないので預けている妻子の様子をたずねようとするものだ。』
維時遭艱虞,朝野少暇日。
この時は叛乱軍の長安を制覇されたことによる奪還のための心配に出くわした頃で、朝廷の者も民間の者もせわしくて暇がないのである。
顧慚恩私被,詔許歸蓬蓽。
それに自分はこのたび、どうしたことか特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許されたのは誠に恥じ入ったことである。
拜辭詣闕下,怵惕久未出。
おいとま乞の御挨拶に行在所の御門近くにまかり出たが、恐縮して心に憂いおそれをいだきおるためにいつまでも退出できないでいたのである。
雖乏諫諍姿,恐君有遺失。
自分は左拾遺の官職をいただいているとはいえ、天子の君をお諌めするという程の資質も無いのではあるが万一天子の為されることに失政がありはせぬかと恐れるのである。


皇帝二載の秋 閏八月初吉。
杜子将に北征して、蒼茫 家室を問わんとす。』
維(こ)れ時 艱虞(かんぐ)に遭う、朝野(ちょうや)暇日(かじつ)少(すくな)し。
顧(かえり)みて恩私(おんし)の被るを慚ず、詔して蓬蓽(ほうか)に帰るを許さる。
拝辞して闕下(けつか)に詣(いた)り、怵惕(じゅつてき)久しうして未だ出でず。
諫諍(かんそう)の姿に乏しと雖も、恐らくは君に遺失有らんことを。


現代語訳と訳註
(本文)

皇帝二載秋,閏八月初吉。
杜子將北徵,蒼茫問家室。」
維時遭艱虞,朝野少暇日。
顧慚恩私被,詔許歸蓬蓽。
拜辭詣闕下,怵惕久未出。
雖乏諫諍姿,恐君有遺失。


(下し文)
皇帝二載の秋 閏八月初吉。
杜子将に北征して、蒼茫 家室を問わんとす。』
維(こ)れ時 艱虞(かんぐ)に遭う、朝野(ちょうや)暇日(かじつ)少(すくな)し。
顧(かえり)みて恩私(おんし)の被るを慚ず、詔して蓬蓽(ほうか)に帰るを許さる。
拝辞して闕下(けつか)に詣(いた)り、怵惕(じゅつてき)久しうして未だ出でず。
諫諍(かんそう)の姿に乏しと雖も、恐らくは君に遺失有らんことを。


(現代語訳)
粛宗皇帝の至徳二載の秋の閑八月一日。
自分は北方にでかけて、家族の様子がはっきりしていないので預けている妻子の様子をたずねようとするものだ。』
この時は叛乱軍の長安を制覇されたことによる奪還のための心配に出くわした頃で、朝廷の者も民間の者もせわしくて暇がないのである。
それに自分はこのたび、どうしたことか特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許されたのは誠に恥じ入ったことである。
おいとま乞の御挨拶に行在所の御門近くにまかり出たが、恐縮して心に憂いおそれをいだきおるためにいつまでも退出できないでいたのである。
自分は左拾遺の官職をいただいているとはいえ、天子の君をお諌めするという程の資質も無いのではあるが万一天子の為されることに失政がありはせぬかと恐れるのである。


(訳注)北徵 ①
皇帝二載秋,閏八月初吉。
粛宗皇帝の至徳二載の秋の閑八月一日。
○皇帝 粛宗。○二載 至徳二載。○初吉 朔日二日)。


杜子將北徵,蒼茫問家室。」
自分は北方にでかけて、家族の様子がはっきりしていないので預けている妻子の様子をたずねようとするものだ。』
杜子 作者自身であるが、孔子、孟子などと同様に公式文書において自分の名を記す場合に使われるものである。官職を意識してのものである。 ○北征 北の方鄭州へゆく。○蒼茫 ぼんやりしてはっきりせぬさま。家族の様子の知れぬこと。蒼茫を急濾のさまとするのは不可、荒寂のさまとするのは可。○問家室 間はたずねにゆく、家室は妻子をいう。


維時遭艱虞,朝野少暇日。
この時は叛乱軍の長安を制覇されたことによる奪還のための心配に出くわした頃で、朝廷の者も民間の者もせわしくて暇がないのである。
維時 維はただ辞であり、時にということ。○艱虞 なんぎ、しんぱい、叛乱軍の長安を制覇されたこと。○朝野 在朝の入々も、在野の人々も。朝は朝廷、野は民間。○少暇日 いそがしくひまなし。


顧慚恩私被,詔許歸蓬蓽。
それに自分はこのたび、どうしたことか特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許されたのは誠に恥じ入ったことである。
顧慚 かえりみてはじる。○恩私被 恩私とは天子の自分へたまわる特別の恩寵、私は自分一己へのごひいき、被とはこうむる、こちらがそれをうけること。○詔許 詔を以てお許しになる。○蓬蓽 蓽は箪と通ずる、荊(いばら)のこと、いばらや竹で門をつくる。蓬はよもぎの草。二字で自已の粗末な家屋をさす。


拜辭詣闕下,怵惕久未出。
おいとま乞の御挨拶に行在所の御門近くにまかり出たが、恐縮して心に憂いおそれをいだきおるためにいつまでも退出できないでいたのである。
拝辞 おいとまごいのあいさつ。○ まかりでる。○闘下 行在所の御殿の小門のそば。○悼惧 心に憂いおそれをいだく。○ 退出する。


雖乏諫諍姿,恐君有遺失。
自分は左拾遺の官職をいただいているとはいえ、天子の君をお諌めするという程の資質も無いのではあるが万一天子の為されることに失政がありはせぬかと恐れるのである。
諫諍姿 君をおいさめするすがた、これは作者は左拾遺であるということ。諌官の職にあるということ。○ 粛宗。○遺失 おておち、あやまち。

述懐  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 177
ID詩 題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言古詩)
970晚行口號 鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
971徒步歸行鄜州へ赴く出発の詩
972九成宮鄜州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。
974行次昭陵鄜州へ帰る途すがら昭陵のほとりにやどって作る。大宗の施政が仁徳のあるものであったと賛美し、暗に粛宗の愚帝ぶりを批判している。秀作。
973玉華宮  鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。
975北征五言百四十句の長篇古詩。 至徳二載六月一日、鄜州に帰ることを許された。作者が此の旅行をした所以である。製作時は至徳二載九月頃。八月初めに鳳翔より出発し,鄜州に到著して以後に作ったもの。旅の報告と上奏文であり、ウイグルに救援を求める粛宗批判といえる内容のものである。一番の秀作。
977羌村三首・黄土高原の雄大な夕景色。夕刻に到着。
978・家族全員無事、秋の装い、豊作であった。
979・村の長老たちと帰還の祝い。 
981重經昭陵帰り道、第二回に昭陵の地を経過したとき作る。
ID詩 題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言律詩)
980收京三首王朝軍の手に長安を奪回したことを聞きつけてにつけて作る。製作時は至徳二載十月末~十一月初めの作。
粛宗に徹底して嫌われ、居場所がなく、家族を向かえに山中の道を行く。疎外された朝廷を後にするがすさまじい孤独感が詩全体にあふれるものである。が、一方、この時期の作品は左拾位としての役目をしようとする杜甫の誠実さを浮き彫りにするものでもある。秀作ぞろいである。ウイグル援軍要請批判は安禄山軍に拘束された時期、「黄河二首」「送楊六判官使西蕃」から一貫している。

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