北征 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 209
#2(全12回)
「北征」の詩の内容は四つの段に分けられる。すなわち第一段はこのたびの帰省のことと現在の時勢について、第二段は旅中の見聞、第三段は妻子との再会、第四段は胡賊撃退へと動き出した状況の説明と大乱平定の願い、となっている。

954述懐  杜甫 kanbuniinkai紀頌之のブログ 杜甫特集700- 177
ID詩 題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言古詩)
970晚行口號 鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
971徒步歸行鄜州へ赴く出発の詩
972九成宮鄜州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。
974行次昭陵鄜州へ帰る途すがら昭陵のほとりにやどって作る。大宗の施政が仁徳のあるものであったと賛美し、暗に粛宗の愚帝ぶりを批判している。秀作。
973玉華宮 鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。
975北征五言百四十句の長篇古詩。 至徳二載六月一日、鄜州に帰ることを許された。作者が此の旅行をした所以である。製作時は至徳二載九月頃。八月初めに鳳翔より出発し,鄜州に到著して以後に作ったもの。旅の報告と上奏文であり、ウイグルに救援を求める粛宗批判といえる内容のものである。一番の秀作。
977羌村三首・黄土高原の雄大な夕景色。夕刻に到着。
978・家族全員無事、秋の装い、豊作であった。
979・村の長老たちと帰還の祝い。 
981重經昭陵帰り道、第二回に昭陵の地を経過したとき作る。
ID詩 題摘要 (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言律詩)
980收京三首王朝軍の手に長安を奪回したことを聞きつけてにつけて作る。製作時は至徳二載十月末~十一月初めの作。
粛宗に徹底して嫌われ、居場所がなく、家族を向かえに山中の道を行く。疎外された朝廷を後にするがすさまじい孤独感が詩全体にあふれるものである。が、一方、この時期の作品は左拾位としての役目をしようとする杜甫の誠実さを浮き彫りにするものでもある。秀作ぞろいである。ウイグル援軍要請批判は安禄山軍に拘束された時期、「黄河二首」「送楊六判官使西蕃」から一貫している。

北徵 #1
皇帝二載秋,閏八月初吉。杜子將北徵,蒼茫問家室。」
維時遭艱虞,朝野少暇日。顧慚恩私被,詔許歸蓬蓽。
拜辭詣闕下,怵惕久未出。雖乏諫諍姿,恐君有遺失。
#2
君誠中興主,經緯固密勿。
我が君粛宗皇帝におかせられては誠に中興の君主であらせられるもので、国政を経営せられるのにまことに御勉強を重ねられておるところである。
東胡反未已,臣甫憤所切。
それに東都に異民族を使った叛乱軍の安慶緒がいまだに皇帝と称してわが天子に叛いたままなのである。ことは臣下たる自分の痛切に憤怒しているところなのである。
揮涕戀行在,道途猶恍惚。
心中に行在におわす天子のことを敬愛しているため、涙と鼻水がとめどない、これを振り払って旅立とうとするのであるが、前途多難を思うに付けて、踏み出そうとはするのであるが心配な気持ちが高まりおさえきれない心もパニックになってしまうのだ。
乾坤含瘡痍,憂虞何時畢!』

今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。』

#3
靡靡逾阡陌,人煙眇蕭瑟。所遇多被傷,呻吟更流血。
回首鳳翔縣,旌旗晚明滅。前登寒山重,屢得飲馬窟。
邠郊入地底,涇水中蕩潏。猛虎立我前,蒼崖吼時裂。

#1
皇帝二載の秋 閏八月初吉。
杜子将に北征して、蒼茫 家室を問わんとす。』
維(こ)れ時 艱虞(かんぐ)に遭う、朝野(ちょうや)暇日(かじつ)少(すくな)し。
顧(かえり)みて恩私(おんし)の被るを慚ず、詔して蓬蓽(ほうか)に帰るを許さる。
拝辞して闕下(けつか)に詣(いた)り、怵惕(じゅつてき)久しうして未だ出でず。
諫諍(かんそう)の姿に乏しと雖も、恐らくは君に遺失有らんことを。
#2
君は誠に中興の主なり 経緯固に密勿たり
東胡反して未だ已まず 臣甫が憤の切なる所
沸を揮いて行在(あんざい)を恋う、道途(どうと)猶恍惚たり。
乾坤(けんこん)瘡痍(そうい)を含む、憂虞(ゆうぐ)何の時か畢(おわ)らん。』
#3
扉扉(ひひ)として阡陌(せんぱく)を逾(こ)ゆれば、人煙 眇(びょう)として蕭瑟(しょうしつ)たり。
遇う所は多く傷を被る 呻吟して更に血を流す。
首を回らす鳳翔県、旌旗(せいき)晩に明滅す。
前みて寒山の重れるに登る、屢々飲馬の窟(いわや)を得たり。
邠郊(ひんこう)地底に入る、涇水 中に蕩潏(とういつ)たり。
猛虎我が前に立つ、蒼崖吼ゆる時裂く。

現代語訳と訳註
(本文)
#2
君誠中興主,經緯固密勿。
東胡反未已,臣甫憤所切。
揮涕戀行在,道途猶恍惚。
乾坤含瘡痍,憂虞何時畢!』


(下し文)
君は誠に中興の主なり 経緯固に密勿たり
東胡反して未だ已まず 臣甫が憤の切なる所
沸を揮いて行在(あんざい)を恋う、道途(どうと)猶恍惚たり。
乾坤(けんこん)瘡痍(そうい)を含む、憂虞(ゆうぐ)何の時か畢(おわ)らん。』

(現代語訳)
我が君粛宗皇帝におかせられては誠に中興の君主であらせられるもので、国政を経営せられるのにまことに御勉強を重ねられておるところである。
それに東都に異民族を使った叛乱軍の安慶緒がいまだに皇帝と称してわが天子に叛いたままなのである。ことは臣下たる自分の痛切に憤怒しているところなのである。
心中に行在におわす天子のことを敬愛しているため、涙と鼻水がとめどない、これを振り払って旅立とうとするのであるが、前途多難を思うに付けて、踏み出そうとはするのであるが心配な気持ちが高まりおさえきれない心もパニックになってしまうのだ。
今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。』


(訳注)北徵 #2
君誠中興主,經緯固密勿。
我が君粛宗皇帝におかせられては誠に中興の君主であらせられるもので、国政を経営せられるのにまことに御勉強を重ねられておるところである。
中興主 隆興に中った御主人。唐史において中興主は第9代皇帝代層とされている。第7代皇帝玄宗も「元の治」言われる時期あったので、ここでは玄宗のことを示すのだが、武で第8代に即位して約1年やっと鳳翔に行在所を設けた間もない段階であり、これから中興の主になってもらいたいということで粛宗と解釈される。しかしは粛宗の性格に問題があり、施策にもおおくの疑問を抱いていた。

東胡反未已,臣甫憤所切。
それに東都に異民族を使った叛乱軍の安慶緒がいまだに皇帝と称してわが天子に叛いたままなのである。ことは臣下たる自分の痛切に憤怒しているところなのである。
東胡 この頃、史忠明は幽州に帰っており、安慶緒が東都洛陽において皇帝と称していた。○ 叛乱すること。むほん。○臣甫 臣たるわたくし、名をあげるのは臣礼を以て申すのである。この詩の先頭では、自分のことを杜子といっている。ここでも官職を意識してのものである。○所切 切とは身にひしひしとせまることをいう。
 
揮涕戀行在,道途猶恍惚。
心中に行在におわす天子のことを敬愛しているため、涙と鼻水がとめどない、これを振り払って旅立とうとするのであるが、前途多難を思うに付けて、踏み出そうとはするのであるが心配な気持ちが高まりおさえきれない心もパニックになってしまうのだ。
揮俤 なみだ、鼻水をふるう揮とはふるいおとすこと。○行在 天子のかりみや。○道途 前途をいう。○恍惚 心がパニック、どちらへ向いてゆくべきかはっきりせぬ。

乾坤含瘡痍,憂虞何時畢!』
今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。』
乾坤 天地、世のなか全体。○含療痍 戦争によるきずを内部にもっている。ここでは、治安が悪く、無政府状態のところ多いことを言っている。農民はの内を捨てて逃げ、兵士、地方官僚も収入がないので、人里離れたり、夜には盗賊になる。○憂虞 杜甫の心中のうれい、この先の心配。国を憂い、家族は安全か。

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