北征 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 216

北徵 #9

#8までの要旨
757年粛宗の至徳二載の秋。特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許された。今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。
心配を胸に、最初は徒歩ですすんでいくと、わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた。そしてやっと馬を駆ることができ、鳳翔の方を振り返るとはるか遠くの山々が重なっていた。少量を過ぎ、邠州を過ぎていた。彌満和深くなり猛虎の声が大空を破りそうな声で唸っているのだ。少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた。山中の果物が多く、橡の実や栗などがあり、「桃源」の伯郷のようだ。自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもう。そのうちに秦の文公の祭壇を過ぎ、夜更けに戦場跡を通り過ぎた。たくさんの戦死者がそのままにされ、白骨が月明かりに照らされていた。
叛乱軍に掴まって長安に送られ、そこから鳳翔の行在所に逃げ、一年たって、戻ってきた。妻も子供も憐れな恰好であった。
嚢中の帛がないことで寒がってふるえている。それでもおしろいや眉墨をいれた包みものをひろげたので痩せた妻もその顔面に光があるようになった。
家へ帰ったばかりなのでわたしはこんな子供によって自分のこころを慰めている。
(全12回)


北徵(北征) 8
學母無不為,曉妝隨手抹。移時施朱鉛,狼籍畫眉闊。
生還對童稚,似欲忘饑渴。問事競挽須,誰能即嗔喝?
翻思在賊愁,甘受雜亂聒。新婦且慰意,生理焉得說?』
9
至尊尚蒙塵,幾日休練卒?
我が君にはまだ兵塵をさけて地方においでになる、いつになったら兵卒を訓練することをやめることができるだろう。
仰觀天色改,坐覺妖氛豁。
それでも上を仰いでみると天の色もいつも見るものとはかわった様子だ。そぞろになんだか兵乱の悪気が散らばりひろがる様な気がする。
陰風西北來,慘澹隨回紇。
西北の方から陰気な風が吹いてきた。その風はものがなしく回絃にくっついてきたのである。
其王願助順,其俗善馳突。
回紇の王は唐王朝軍を助けたいと願いでてくれた。回乾の習俗は馳突の騎兵船がうまい。
送兵五千人,驅馬一萬匹。
それが我が唐へ五干人の兵を送り、馬一万匹を駆ってよこした。
此輩少為貴,四方服勇決。
彼等は少壮なものを貴ぶ習慣で、彼の国の四方の者はその勇決に服従している。
所用皆鷹騰,破敵過箭疾。
彼等の用うる兵戎はみな鷹のように猛々しく獲物を狙う、いさましく敵軍をうち破ることは矢のはやさよりもはやい。
聖心頗虛佇,時議氣欲奪。』

世論は回紇などを援軍に使ってはと後難をおそれて気を奪われようとしているが、我が天子のお考えでは平気で彼等の援助をまっておられるのだ。』10
伊洛指掌收,西京不足拔。官軍請深入,蓄銳可俱發。
此舉開青徐,旋瞻略恆碣。昊天積霜露,正氣有肅殺。
禍轉亡胡歲,勢成擒胡月。胡命其能久?皇綱未宜絕。』

#8
母を学(まね)びて為(な)さざるは無く、曉妝(ぎょうしょう)  手に随(したが)いて抹す。
時(とき)を移して朱鉛(しゅえん)を施(ほどこ)せば、狼藉(ろうぜき)として画眉(がび)闊(ひろ)し。
生還して童稚(どうち)に対すれば、飢渇(きかつ)を忘れんと欲(ほっ)するに似たり。
事を問うて競(きそ)うて鬚(ひげ)を挽(ひ)くも、誰か能(よ)く即ち嗔喝(しんかつ)せん。
翻(ひるがえ)って賊に在りし愁いを思いて、甘んじて雑乱(ざつらん)の聒(かまびす)しきを受く。
新たに帰りて且(か)つ意を慰(なぐさ)む、生理(せいり)  焉(いずく)んぞ説くことを得ん。

#9
至尊(しそん)は尚(な)お蒙塵(もうじん)す、幾の日か卒(そつ)を練るを休(や)めん。
仰いで天色(てんしょく)の改まるを観(み)、坐(そぞろ)に妖氛(ようふん)の豁(かつ)なるを覚(おぼ)ゆ。
陰風(いんぷう)  西北より来たり、惨澹(さんたん)として回紇(かいこつ)に随う。
其の王は助順(じょじゅん)を願い、其の俗(ぞく)は馳突(ちとつ)を善(よ)くす。
兵を送る  五千人、馬を駆(か)る  一万匹。
此の輩(はい) 少(わか)きを貴(とうと)しと為(な)し、四方(しほう) 勇決(ゆうけつ)に服す。
用うる所は皆な鷹(たか)のごとく騰(あが)り、敵を破ることは箭(や)の疾(と)きに過(す)ぐ。
聖心は頗(すこぶ)る虚佇(きょちょ)し、時議(じぎ)は気の奪われんと欲(ほっ)す。』

#10
伊洛(いらく)  掌(たなごころ)を指(さ)して収めん、西京(せいけい)も抜くに足らざらん。
官軍  深く入らんことを請(こ)う、鋭(えい)を蓄(たくわ)えて倶(とも)に発す可し。
此の挙(きょ)  青徐(せいじょ)を開かん、旋(たちま)ち恒碣(こうけつ)を略するを瞻(み)ん。
昊天(こうてん) 霜露を積み,正氣 肅殺(しゅくさつ)たる有り。
禍は轉ぜん 胡を亡ぼさん歲(とし),勢は成らん 胡を擒(とりこ)にせん月。
胡の命 其れ能く久しからんや?皇綱(こうこう)未だ宜しく絕つべからず。』

現代語訳と訳註
(本文) 9
至尊尚蒙塵,幾日休練卒?
仰觀天色改,坐覺妖氛豁。
陰風西北來,慘澹隨回紇。
其王願助順,其俗善馳突。
送兵五千人,驅馬一萬匹。
此輩少為貴,四方服勇決。
所用皆鷹騰,破敵過箭疾。
聖心頗虛佇,時議氣欲奪。』


(下し文) #9
至尊(しそん)は尚(な)お蒙塵(もうじん)す、幾の日か卒(そつ)を練るを休(や)めん。
仰いで天色(てんしょく)の改まるを観(み)、坐(そぞろ)に妖氛(ようふん)の豁(かつ)なるを覚(おぼ)ゆ。
陰風(いんぷう)  西北より来たり、惨澹(さんたん)として回紇(かいこつ)に随う。
其の王は助順(じょじゅん)を願い、其の俗(ぞく)は馳突(ちとつ)を善(よ)くす。
兵を送る  五千人、馬を駆(か)る  一万匹。
此の輩(はい) 少(わか)きを貴(とうと)しと為(な)し、四方(しほう) 勇決(ゆうけつ)に服す。
用うる所は皆な鷹(たか)のごとく騰(あが)り、敵を破ることは箭(や)の疾(と)きに過(す)ぐ。
聖心は頗(すこぶ)る虚佇(きょちょ)し、時議(じぎ)は気の奪われんと欲(ほっ)す。』


(現代語訳) ⑨
我が君にはまだ兵塵をさけて地方においでになる、いつになったら兵卒を訓練することをやめることができるだろう。
それでも上を仰いでみると天の色もいつも見るものとはかわった様子だ。そぞろになんだか兵乱の悪気が散らばりひろがる様な気がする。
西北の方から陰気な風が吹いてきた。その風はものがなしく回絃にくっついてきたのである。
回紇の王は唐王朝軍を助けたいと願いでてくれた。回乾の習俗は馳突の騎兵船がうまい。
それが我が唐へ五干人の兵を送り、馬一万匹を駆ってよこした。
彼等は少壮なものを貴ぶ習慣で、彼の国の四方の者はその勇決に服従している。
彼等の用うる兵戎はみな鷹のように猛々しく獲物を狙う、いさましく敵軍をうち破ることは矢のはやさよりもはやい。
世論は回紇などを援軍に使ってはと後難をおそれて気を奪われようとしているが、我が天子のお考えでは平気で彼等の援助をまっておられるのだ。』


(訳注)北征9
至尊尚蒙塵,幾日休練卒?

我が君にはまだ兵塵をさけて地方においでになる、いつになったら兵卒を訓練することをやめることができるだろう。
至尊 天子。鳳翔に粛宗が行在所を置き。成都に玄宗が上皇としていた。○蒙塵 叛乱軍の勢いを示すものとして、蒙塵ということを叛乱軍の中にいた杜甫は感じていた。その兵乱をさけて外に出ておられるというやわらかい表現をしている。○幾日 何日と同じ。○練卒 兵卒を訓練すること。


仰觀天色改,坐覺妖氛豁。
それでも上を仰いでみると天の色もいつも見るものとはかわった様子だ。そぞろになんだか兵乱の悪気が散らばりひろがる様な気がする。
天色改 そらの色がかわる。○妖氛 兵乱の悪気。叛乱軍の異民族の生活習慣が異なっていること、特に当時の中国に来ているイスラムの白い帽子は、北方の騎馬民族の毛の帽子など怖がられた。○ ひろがり散ずること。


陰風西北來,慘澹隨回紇。
西北の方から陰気な風が吹いてきた。その風はものがなしく回絃にくっついてきたのである。
陰風 陰気な風。○西北 回紇の方位。○慘澹 ものがなしく。○回紇 ウイグルの異民族の軍隊。


其王願助順,其俗善馳突。
回紇の王は唐王朝軍を助けたいと願いでてくれた。回乾の習俗は馳突の騎兵船がうまい。
其王 其は回紇をさす。王は第2代 可汗・磨延畷(葛 勒可汗)のこと○願助順 叛乱軍は道に逆らうものであり、王朝軍は理に順うものである。順とは唐の王朝のつながり順、王朝軍をさす、回紇は唐王朝軍を助けようと願いでた。(実際には回紇は当初は両方に軍を出兵させる状態であった。) 史によると至徳元載10月に回紇は其の太子葉護を遺わし、兵四干を率いて唐を助けて賊を討った。可敦(カトン;可汗の正妻)の妹を妾(めあわ)自分の娘とした上で、これを承粟に嬰す。さらにウイグルの首領を答礼の使者として派遣してきたので、粛宗はこれを彭原に出迎え、ウ イグル王女を砒伽公主 に封じた.。○其俗 回紇ウイグルの習俗。○善馳突 馬を馳せて突出するにじょうずである。ウイグルは大宛国であり名馬の産地であり、騎馬民族の兵術。

送兵五千人,驅馬一萬匹。
それが我が唐へ五干人の兵を送り、馬一万匹を駆ってよこした。


此輩少為貴,四方服勇決。
彼等は少壮なものを貴ぶ習慣で、彼の国の四方の者はその勇決に服従している。
此輩 回紇の兵をさす。○少為貴 少壮なものを貴しとする。「漢書」の匈奴伝に「壮者ハ肥美ヲ食シ老者ハ其ノ余ヲ飲食シ、壮健ヲ貴ビ老弱ヲ賤ム。」とみえる。回紇はそれと同じ。騎馬民族であるため、騎兵船は個人技を重視する。○四方 回紇の四面の国々。宗教的なことを意味するもの。○ 服従する。○勇決 回紇の勇敢、果決。


所用皆鷹騰,破敵過箭疾。
彼等の用うる兵戎はみな鷹のように猛々しく獲物を狙う、いさましく敵軍をうち破ることは矢のはやさよりもはやい。
所用 回紇の使用する兵戎。○鷹騰 鷹のように猛々しく獲物を狙う、いさましいことをいう。○過箭疾 矢のはやく疾風騎馬軍がまさる。


聖心頗虛佇,時議氣欲奪。』
世論は回紇などを援軍に使ってはと後難をおそれて気を奪われようとしているが、我が天子のお考えでは平気で彼等の援助をまっておられるのだ。』
○聖心頗虚佇、時議気欲奪 此の二句は倒句でよむ。時議は当時の議論、即ち世論をいう。気奪われんと欲すはこちらの意気が先方に奪われようとする。回乾の援兵をかりては後のたたりが恐ろしいということで気が気でなくおもうことをいう。・聖心は太子の御意。虚佇とは自己をむなしくして、即ち平気で、回紇が助けるというなら助けてもらおうとまちかまえられることをいう。(757年15万にふくれあがった唐軍は,広平王・淑 を総帥とし,鳳翔を出発.扶風で ウイグル軍を出迎 えた郭子儀は,3日 間の大宴会で接待.以 後,ウイグル軍には食料として毎日,羊200匹,牛20頭,米40石 が支給さるなど、戦いの後を予感させるものであった。1年前の霊武に行在所を置いている段階で朔方軍の郭子儀だけでウイグルの援軍がなかったら唐王朝は滅亡したかもしれないのだ。その早い段階でウイグルに応援を求めたことが滅亡を防いだのだ。しかしどの段階でも王朝軍の方が兵力的には勝っていた。杜甫は、天子が詩土砂をリードする力量にかけていたと思っていたようだ。.ここまでの分を見ても粛宗は杜甫に嫌悪を抱いたであろうと思われる。)

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