北征 #11(全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 218
北徵 11回目(全12回)


#10までの要旨
757年粛宗の至徳二載の秋。特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許された。今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。
心配を胸に、最初は徒歩ですすんでいくと、わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた。そしてやっと馬を駆ることができ、鳳翔の方を振り返るとはるか遠くの山々が重なっていた。少量を過ぎ、邠州を過ぎていた。彌満和深くなり猛虎の声が大空を破りそうな声で唸っているのだ。少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた。山中の果物が多く、橡の実や栗などがあり、「桃源」の伯郷のようだ。自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもう。そのうちに秦の文公の祭壇を過ぎ、夜更けに戦場跡を通り過ぎた。たくさんの戦死者がそのままにされ、白骨が月明かりに照らされていた。
叛乱軍に掴まって長安に送られ、そこから鳳翔の行在所に逃げ、一年たって、戻ってきた。妻も子供も憐れな恰好であった。
嚢中の帛がないことで寒がってふるえている。それでもおしろいや眉墨をいれた包みものをひろげたので痩せた妻もその顔面に光があるようになった。
家へ帰ったばかりなのでわたしはこんな子供によって自分のこころを慰めている。
その頃、粛宗はウイグルに再度の援軍を要請した。五干人の兵を送り、馬一万匹を駆ってよこした。精鋭部隊であり、おかげで傾性は次第に回復してきた。しかし、世論はウイグルに援軍を出すことが高い代償を払うことになるのではないかと心配しているのだ。
王朝連合軍は官軍となり進んで叛乱軍の本拠地まで深く攻め入ろうと請け負ってくれている。この軍事同盟による回紇軍との連合を云い洛陽地方までを攻めおとすことは青州・徐州の方面を開くことになるのである。また五嶽の一つ恒山や碣石の門の両の精神的支柱をも略取することになるのである。叛乱軍、異民族らの命運はながつづきできるというものではない、天子の皇道は断絶してはならないはずのものである。』


10
伊洛指掌收,西京不足拔。官軍請深入,蓄銳可俱發。
此舉開青徐,旋瞻略恆碣。昊天積霜露,正氣有肅殺。
禍轉亡胡歲,勢成擒胡月。胡命其能久?皇綱未宜絕。』
11
憶昨狼狽初,事與古先別。
昨年のことを思い出してみる、前年6月4日圧倒的に有利と見られていた王朝軍を率いる哥舒翰が潼関でが大敗した。都において慌てふためいて出奔の事変が起ったとき、朝廷でとられた御処置は昔の施策とはちがっていた。
奸臣竟菹醢,同惡隨蕩析。
我が朝では奸臣の代表する楊国忠は刑罰に処せられ、そのなかまの悪党らも追っ払い散らされてしまった。
不聞夏殷衰,中自誅褒妲。
諸君は夏殷の衰えたときのことを聞いたことはないか、宮廷の中で天子御自身で褒娰・妲己の悪女を誅されたのである。(楊貴妃は玄宗御自身が誅せられたということ。)
周漢獲再興,宣光果明哲。
そうして周の宣王と後漢の光武帝は皆が期待した通り、聡明で事理に明るい君主であったので周や後漢は再興することができた。(新天子に即位した粛宗は明哲であるので唐は再興していくのだ。)
桓桓陳將軍,仗鉞奮忠烈。
まことに桓々と勇武である、左竜武大将軍の陳将軍は。彼は天子から授けられた鉞をついて忠義な功しをふるわれたのである。
微爾人盡非,於今國猶活。』

あの時もし左竜武大将軍の陳将軍が居なかったならば唐の人民はみんな今見るような安泰なものであることができなかったであろう、あなたのおかげで今も我が唐の国はいきることができるのである。』
12
淒涼大同殿,寂寞白獸闥。都人望翠華,佳氣向金闕。
園陵固有神,灑掃數不缺。煌煌太宗業,樹立甚宏達!』

#10
伊洛(いらく)  掌(たなごころ)を指(さ)して収めん、西京(せいけい)も抜くに足らざらん。
官軍  深く入らんことを請(こ)う、鋭(えい)を蓄(たくわ)えて倶(とも)に発す可し。
此の挙(きょ)  青徐(せいじょ)を開かん、旋(たちま)ち恒碣(こうけつ)を略するを瞻(み)ん。
昊天(こうてん) 霜露を積み,正氣 肅殺(しゅくさつ)たる有り。
禍は轉ぜん 胡を亡ぼさん歲(とし),勢は成らん 胡を擒(とりこ)にせん月。
胡の命 其れ能く久しからんや?皇綱(こうこう)未だ宜しく絕つべからず。』

#11
憶う昨(さく) 狼狽(ろうばい)の初め,事は古先と別なり。
奸臣 竟に菹醢(そかい)せられ,同惡(どうあく)隨って蕩析(とうせき)す。
聞かず  夏殷(かいん)の衰えしとき、中(うち)の自ら褒妲(ほうだつ)を誅(ちゅう)せしを。
周漢(しゅうかん) 再興するを獲(え)しは、宣光(せんこう)  果たして明哲(めいてつ)なればなり。
桓桓(かんかん)たり  陳(ちん)将軍、鉞(えつ)に仗(よ)りて忠烈を奮(ふる)う。
爾(なんじ)微(な)かりせば人は尽(ことごと)く非(ひ)ならん、今に於(お)いて国は猶(な)お活(い)く。

#12
淒涼(せいりょう)たり  大同殿(だいどうでん)、寂寞(せきばく)たり 白獣闥(はくじゅうたつ)。
都人(とじん) 翠華(すいか)を望み、佳気(かき)   金闕(きんけつ)に向こう。
園陵(えんりょう) 固(もと)より神(しん)有り、掃灑(そうさい)  数(すう)欠けざらん。
煌煌(こうこう)たり 太宗の業(ぎょう)、樹立 甚(はなは)だ宏達(こうたつ)なり。


現代語訳と訳註
(本文) 11

憶昨狼狽初,事與古先別。
奸臣竟菹醢,同惡隨蕩析。
不聞夏殷衰,中自誅褒妲。
周漢獲再興,宣光果明哲。
桓桓陳將軍,仗鉞奮忠烈。
微爾人盡非,於今國猶活。』

(下し文) #11
憶う昨(さく) 狼狽(ろうばい)の初め,事は古先と別なり。
奸臣 竟に菹醢(そかい)せられ,同惡(どうあく)隨って蕩析(とうせき)す。
聞かず  夏殷(かいん)の衰えしとき、中(うち)の自ら褒妲(ほうだつ)を誅(ちゅう)せしを。
周漢(しゅうかん) 再興するを獲(え)しは、宣光(せんこう)  果たして明哲(めいてつ)なればなり。
桓桓(かんかん)たり  陳(ちん)将軍、鉞(えつ)に仗(よ)りて忠烈を奮(ふる)う。
爾(なんじ)微(な)かりせば人は尽(ことごと)く非(ひ)ならん、今に於(お)いて国は猶(な)お活(い)く。


(現代語訳)⑪
昨年のことを思い出してみる、前年6月4日圧倒的に有利と見られていた王朝軍を率いる哥舒翰が潼関でが大敗した。都において慌てふためいて出奔の事変が起ったとき、朝廷でとられた御処置は昔の施策とはちがっていた。
我が朝では奸臣の代表する楊国忠は刑罰に処せられ、そのなかまの悪党らも追っ払い散らされてしまった。
諸君は夏殷の衰えたときのことを聞いたことはないか、宮廷の中で天子御自身で褒娰・妲己の悪女を誅されたのである。(楊貴妃は玄宗御自身が誅せられたということ。)
そうして周の宣王と後漢の光武帝は皆が期待した通り、聡明で事理に明るい君主であったので周や後漢は再興することができた。(新天子に即位した粛宗は明哲であるので唐は再興していくのだ。)
まことに桓々と勇武である、左竜武大将軍の陳将軍は。彼は天子から授けられた鉞をついて忠義な功しをふるわれたのである。
あの時もし左竜武大将軍の陳将軍が居なかったならば唐の人民はみんな今見るような安泰なものであることができなかったであろう、あなたのおかげで今も我が唐の国はいきることができるのである。』


(訳注)11
憶昨狼狽初,事與古先別。

昨年のことを思い出してみる、前年6月4日圧倒的に有利と見られていた王朝軍を率いる哥舒翰が潼関でが大敗した。都において慌てふためいて出奔の事変が起ったとき、朝廷でとられた御処置は昔の施策とはちがっていた。
億咋 咋とは玄宗の逃出の時をさす。756年6月13日夜明け前長安を逃げ出した。玄宗は貴妃姉妹、皇子、皇孫、楊国忠および側近の者だけを連れ、陳玄礼の率いる近衛兵に衛られて西に向かったことを示す。○狼狽 前日の会議に出席するものが少なく、朝廷はうろたえる、多くのものがにわかの出奔をいう。○ 朝廷のなした処置。施政をいう。○古先 むかし。○ ちがう。


奸臣竟菹醢,同惡隨蕩析。
我が朝では奸臣の代表する楊国忠は刑罰に処せられ、そのなかまの悪党らも追っ払い散らされてしまった。
○奸臣 楊国忠を代表としている。楊国忠のことは麗人行  杜甫漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 65に詳しい。

安禄山の乱と杜甫

菹醢 菹は野菜の町づけ。醢は肉をこうじ、しお、さけをまぜたものにつけたもの。これは国忠が刑罰に処せられその肉が潰けものにされたことをいう。○同悪 悪いことをともにしたものども、国忠の党類をいう。○蕩析 蕩ははらいのける、析はばらばらに離す。


不聞夏殷衰,中自誅褒妲。
諸君は夏殷の衰えたときのことを聞いたことはないか、宮廷の中で天子御自身で褒娰・妲己の悪女を誅されたのである。(楊貴妃は玄宗御自身が誅せられたということ。)
不聞 君不に聞乎の意、積極的に「聞かず」というのではなく、「聞かざるや」ともちかけていうのである。○夏殷、褒娰 妲己蜘は周の幽王の寵姫、妲己は殷の紂王の寵妃、王朝が滅亡する原因となった美女である。夏殷では時代が合わぬとて夏を周とすべしとの説があるが、拘わる必要はないであろう。褒姐は楊貴妃をあてていう。○ 宮中をいう。


周漢獲再興,宣光果明哲。
そうして周の宣王と後漢の光武帝は皆が期待した通り、聡明で事理に明るい君主であったので周や後漢は再興することができた。(新天子に即位した粛宗は明哲であるので唐は再興していくのだ。)
宜光 周の宜王、後漢の光武帝、これは粛宗にあてていう。○明哲 才智明かなこと。聡明で事理に明るいこと。この二句も倒句として解釈する。


桓桓陳將軍,仗鉞奮忠烈。
まことに桓々と勇武である、左竜武大将軍の陳将軍は。彼は天子から授けられた鉞をついて忠義な功しをふるわれたのである。
桓桓 勇武なさま。『詩経』周頌の桓に「桓桓たる武王」に基づく。○陳将軍 左竜武大将軍陳玄礼をいう。○仗鉞 ほことまさかりによる、武力を用いたこと。○奮忠烈 忠義な功しを奮うた。次の事実がある。玄宗が長安より逃れて興平県の馬嵬駅に至ったとき陳玄礼は将軍として従ったが、楊国忠を誅しようとして、吐蕃の使者に命じ国忠の馬を遮って食の無いことを訴えさせた。国忠がまだこれに答えぬうちに軍士等は呼ばわっていうのに国忠は反を謀ったと。遂に国忠を殺し槍を以て其の首を揚げた。玄宗は駅門に出て軍士を慰労し隊を収めさせたが、軍士は応じなかった。玄宗は高力士をしてそのわけを問わせたところ、玄礼が対えて曰うのに、国忠が反を謀った上は貴妃は供奉すべきではない、願わくは陛下よ、恩を割き法を正さんことを、と。玄宗は力士をして貴妃を仏堂にみちびかせて、彼女を絞殺させた。


微爾人盡非,於今國猶活。』
あの時もし左竜武大将軍の陳将軍が居なかったならば唐の人民はみんな今見るような安泰なものであることができなかったであろう、あなたのおかげで今も我が唐の国はいきることができるのである。』
○徴 無かったとするならば。○ 諌玄礼をさす。O人尽非 非とは今日見る所の如き人ではないことをいう。○国 唐の国家。