重經昭陵 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 230

ふたたび、昭陵の地を経過したとき作る。此の詩は己に鄜州に到著の後、更に鄜州を発し長安に赴こうとするとき作ったもの。

(1)鄜州に向かう

晚行口號  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 199

徒步歸行 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 200

九成宮」#1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 201

行次昭陵1/2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 203

玉華宮 ① 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 205

北 征 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-207


(2)鄜州羌村において
喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 223

收京三首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 227


(3)長安に向かう
・重經昭陵 杜甫 757年 冬(9月終わりころ~10月初めころ 46歳)
・左拾位
粛宗が10月19日に鳳翔を出発するのに、間に合うように、杜甫は10月の初めころには鳳翔に到着していたのであろう。

昭陵は唐の太宗の陵で、陝西省西安府醴泉県の西北六十里九嵕山に在り、封内は周囲百二十里、陪葬せられるものは諾王七、公主二十一、妃嬪八、宰相十二、丞郎三品五十三人、功臣大将軍等六十四人。太宗の乗った六駿の石像は陵後にあったが今は持ち出されている。又、陵そのものは「唐会要」に「昭陵は九嵕の層峰に因りて山の南面を穿ち、深さ七十五丈、玄宮を為る。巌に傍い梁を架して桟道を為る、懸絶すること百仞、繞回すること二百三十歩にして始めて玄宮の門に達す。頂上にも亦遊殿を起す。」とあるのによって大略をうかがうことを得る。



重經昭陵
草昧英雄起,謳歌歷數歸。
隋末煬帝による過大な土木事業により、国家財政に問題が生じ、秩序が乱れて混沌としたとき、草の中から秀で、獣の中の勇者たる英雄である太宗が決起した、それ以降人々は太宗の徳を歌につくって歌いことその人は世の人から徳をうたわれ、天子の位をふむべき順位が太宗に帰した。
風塵三尺劍,社稷一戎衣。
太宗は強大な兵馬の巻き起こす風塵の中に有って周の武王のように三尺の剣を提げてたったのだ、一たび決起したからには軍服をつけて社稷を安寧にする力をつくしたのである。
翼亮貞文德,丕承戢武威。
それから父たる高祖をたすけて文の徳をかたく守り、高祖の意を継承して自己の世には武力の威を全くとりかたづけたのである。 
聖圖天廣大,宗祀日光輝。』
その生時のはかりごとは天の如く広く大きなものであり、その死後まで中興の宗としてあがめられるおまつりは太陽のごとく光輝がある。』
陵寢盤空曲,熊羆守翠微。
いまここは御陵、寝廟がさびしき山の隈にわだかまわっており、熊や羆の様な兵士が山の半腹をみまもっている。
再窺松柏路,還見五雲飛。』

わたしは前もここをとおって帰り、さらにこのたび松柏のしげっている御陵道をうかがいみている、やはり天子の佳気である五色の雲が飛んでいるのをみとめるのである


(重ねて昭陵を經【ふ】)
草昧【そうまい】 英雄 起る、謳歌【おうか】暦数【れきすう】帰す。
風塵 三尺の剣、社稷【しゃしょく】一戎衣【いちじゅうい】。
翼亮【よくりょう】文徳を貞【ただ】しくす、丕承【ひしょう】武威【ぶい】を戢【おさ】む。
聖図【せいと】天のごとく広大に、宗祀【そうし】日のごとく光輝あり。』
陵寝【りょうしん】空曲に盤【わだかま】る、熊羆【ゆうひ】翠徴【すいび】を守る。
再び窺【うかが】う 松柏の路、還た見る五雲の飛ぶを。』

杜甫乱前後の図003鳳翔

昭陵と杜甫関連地図


現代語訳と訳註
 (本文) 重経昭陵
草昧英雄起,謳歌歷數歸。
風塵三尺劍,社稷一戎衣。
翼亮貞文德,丕承戢武威。
聖圖天廣大,宗祀日光輝。』
陵寢盤空曲,熊羆守翠微。
再窺松柏路,還見五雲飛。』


(下し文)(重ねて昭陵を経る)
草昧【そうまい】 英雄 起る、謳歌【おうか】暦数【れきすう】帰す。
風塵 三尺の剣、社稷【しゃしょく】一戎衣【いちじゅうい】。
翼亮【よくりょう】文徳を貞【ただ】しくす、丕承【ひしょう】武威【ぶい】を戢【おさ】む。
聖図【せいと】天のごとく広大に、宗祀【そうし】日のごとく光輝あり。』
陵寝【りょうしん】空曲に盤【わだかま】る、熊羆【ゆうひ】翠徴【すいび】を守る。
再び窺【うかが】う 松柏の路、還た見る五雲の飛ぶを。』



(現代語訳)
隋末煬帝による過大な土木事業により、国家財政に問題が生じ、秩序が乱れて混沌としたとき、草の中から秀で、獣の中の勇者たる英雄である太宗が決起した、それ以降人々は太宗の徳を歌につくって歌いことその人は世の人から徳をうたわれ、天子の位をふむべき順位が太宗に帰した。
太宗は強大な兵馬の巻き起こす風塵の中に有って周の武王のように三尺の剣を提げてたったのだ、一たび決起したからには軍服をつけて社稷を安寧にする力をつくしたのである。
それから父たる高祖をたすけて文の徳をかたく守り、高祖の意を継承して自己の世には武力の威を全くとりかたづけたのである。 
その生時のはかりごとは天の如く広く大きなものであり、その死後まで中興の宗としてあがめられるおまつりは太陽のごとく光輝がある。』
いまここは御陵、寝廟がさびしき山の隈にわだかまわっており、熊や羆の様な兵士が山の半腹をみまもっている。
わたしは前もここをとおって帰り、さらにこのたび松柏のしげっている御陵道をうかがいみている、やはり天子の佳気である五色の雲が飛んでいるのをみとめるのである


(訳注)
草昧英雄起,謳歌歷數歸。
隋末煬帝による過大な土木事業により、国家財政に問題が生じ、秩序が乱れて混沌としたとき、草の中から秀で、獣の中の勇者たる英雄である太宗が決起した、それ以降人々は太宗の徳を歌につくって歌いことその人は世の人から徳をうたわれ、天子の位をふむべき順位が太宗に帰した。
○草昧「まだ世が開けきらず、秩序が整っていないこと。未開。『易経』屯「天造草昧」とみえる。天地創造のとき、この世にまだ秩序がなく混沌こんとんとして定まらないこと。また、世の中に秩序がなく、天下のまだ定まらないことにもいう。▽「天造」は天が万物を創造すること、また、その創造物。「草」ははじめの意。また、乱雑の意。「昧」は暗い意。大宗の枕詞の様なもので、随末に世が乱れて混沌としていた時をさす。○英雄 草の秀でたものを英といい、獣の特なるものを雄という、すぐれた人物を英雄という、ここは太宗をさす。○謳歌 その人の徳をうたにつくってうたうこと。堯の民が堯亮の子を謳歌せずして舜を謳歌したことが「孟子」万章上にみえる。○暦数「論語」堯日篇にみえる、「天位ノ列次」と注する、天子の順位。○帰 太宗に帰著する。


風塵三尺劍,社稷一戎衣。
太宗は強大な兵馬の巻き起こす風塵の中に有って周の武王のように三尺の剣を提げてたったのだ、一たび決起したからには軍服をつけて社稷を安寧にする力をつくしたのである。
○風塵 戦乱によっておこるかぜほこり。〇三尺剣 漢の高祖は三尺の剣を提げて天下を取った。太宗もまた同様であった。○社稷 天下をいう。〇一戎衣「尚書」武成篇に(ひとたび戎衣し、天下大いに定まる。)とみえる、周の武王がひとたび戎衣(軍服)をきて殷の紂王を討ち滅ぼしたのによって天下が大いに定まったという意、太宗も亦た同様でその国土の広さから言って実質天下統一を初めてした皇帝である。


翼亮貞文德,丕承戢武威。
それから父たる高祖をたすけて文の徳をかたく守り、高祖の意を継承して自己の世には武力の威を全くとりかたづけたのである。 
○翼亮 たすけ、たすける。太宗が高祖を輔佐したこと。○貞文徳 貞は正しくして固いこと、固く守ってかわらぬこと。文徳は平和の徳で、「尚書」大禹膜に「誕に文徳を敷く」とみえる。○丕承 丕は大に同じ、大にとは敬語である。承とは先代の意をうけること、「尚書」君牙篇、「孟子」滕文公下に「丕に承くる哉、武王の烈。」とみえる。周の武王の功烈は文王の意を継承したものだという意、太宗もまた同様である。○戢武威 戢は鳥が羽をすぼめること、その様に武力の威をとりかたづけてしまう。


聖圖天廣大,宗祀日光輝。』
その生時のはかりごとは天の如く広く大きなものであり、その死後まで中興の宗としてあがめられるおまつりは太陽のごとく光輝がある。』
○聖図 太宗のはかりごと。○天広大 天のごとく広く大きい。○宗祀 宗としてまつること、宗とは祖についで大功ある君としてみることをいう。後嗣の天子が太宗をまつりそのはかりごとに遵うことをいう。〇日光輝 日のごとく光輝がある。


陵寢盤空曲,熊羆守翠微。
いまここは御陵、寝廟がさびしき山の隈にわだかまわっており、熊や羆の様な兵士が山の半腹をみまもっている。
○陵寝 山陵・寝廟。廟は木主を蔵し、寝は平生の衣冠等を蔵する建物。○盤 建築物の曲折して立つことをいう。○空曲 人無き山のくま。○熊羆 くま、びぐまのようなつよい番兵。○守 番をする。○翠徴 山の半腹以下をいう、空気がみどりにたちわたる処であるのによっていう。


再窺松柏路,還見五雲飛。』
わたしは前もここをとおって帰り、さらにこのたび松柏のしげっている御陵道をうかがいみている、やはり天子の佳気である五色の雲が飛んでいるのをみとめるのである
○再窺 再とは第二回であるからいう。〇五雲 五色の雲。綵雲。