宣政殿退朝晚出左掖 杜甫kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 237

宣政殿は東内に属し、含元殿の後(北)に在る。左技とは左(東)側の小垣門をいう、作者は時に左拾遺の官にあり、門下省に属する。門下省は東内の東に在るので左垣門よりでるのである。宜政殿の参朝から退いて、夕方に左垣門を出て門下省の方へかえろうとしたときの作。

唐朝 大明宮2000
 


大明宮は634年に建設が開始され、唐代の首都長安の3つの宮殿の中でも規模が最大のものである。唐の高宗帝(650~683)から、唐の皇帝たちはみなここに住み、政治を行った。大明宮は国家の統治の中心として200年にわたって存続し、唐末に戦火に焼かれ、その遺跡が今でも陝西省西安市の市街の北部に残る。

この唐代の長安のもっとも大きく偉大な宮殿建築は、もともと唐の太宗帝が父李淵のために建てた夏の宮殿、永安宮であった。宮殿の建造が始まるやいなや、李淵が病没するなどとは、誰が知っていただろうか。このため、宮殿の工事も停止された。唐の高宗帝が位を継いだ後、もともと住んでいた太極宮は湿気が多すぎると考え、662年、大明宮に大規模な拡張工事を行い、周囲7.6キロ、面積3.3平方キロメートル、北京の紫禁城の面積の4.5倍の広さとなった。宮城の南部は長方形をしており、北部は南が広く北が狭い台形になっている。大明宮は前朝と内庭のふたつの部分に分けられ、前朝は政治を執り行う部分で、内庭は居住や宴会などを行う部分であった。

前朝について言えば、含元殿が大明宮の正殿で、重大な儀式や謁見などが行われたところで、とても雄大である。主殿の前には長さ78メートルの階段と斜面の間の竜尾道があり、それは真ん中の御道と両側のわき道に分けることができ、その表面には模様入りのレンガが敷かれている。含元殿は地形を利用して建てられ、壮観で広く、都長安の全体を見渡すことができた。含元殿の北300メートルのところにあるのが宣政殿で、皇帝が政を行うところであった。殿の左と右にはそれぞれ中書省・門下省などの官署があった。紫宸殿は宣政殿の北95メートルのところにあり、臣下はここで皇帝に謁見した。含元、宣政、紫宸という構造は、後世の宮殿建築に受け継がれ、北京の紫禁城も太和、中和、保和という三殿の構造を示している。

大明宮の内部の配置も、とても凝ったものである。宮殿北部が庭園区で、建築は少なく、形式は多様である。太液池が中庭のハイライトで、面積は約16000平方メートルである。池のかたちはだ円形に近く、岸辺には回廊がめぐり、その付近には多くの亭や楼閣、殿宇などがたつ。麟徳殿は大明宮の西北部にあり、宮廷で最大の別殿で、皇帝が宴会を催したり、楽や舞などを見たり、外国使節と接見したりした場所である。

宣政殿退朝晚出左掖(掖門在兩旁如人之臂掖) 杜甫
 天門日射黄金榜,春殿晴曛赤羽旗。
門下省のある宣正殿から退庁して晩方、左の旁門から退出する。(正門わきの旁門には両の傍らに肩と腕を守るかのように立っている)
 宮草微微承委佩,鑪煙細細駐游絲。
宮殿の門は夕日のひかりがあたって、黄金の額縁のようにきれいだ、春の御殿の庭では朱雀を描いた旗が晴れてはいるが夕暮れにさしかかり、薄暗くにおうようである。
 雲近蓬萊常好色,雪殘鳷鵲亦多時。
このときわたしが玉佩をひきずって来ると庭の草は幽静な緑色に変わっている、部屋内から、庭にまで香の煙を漂わせる。そして、香気、佳気を感じさせてほそぼそとのぼっている。
 侍臣緩步歸青瑣,退食從容出每遲。

このあたりに浮んでいる夕霞は蓬莱宮に近いからいつも五色の彩をしているし、鳷鵲観かとおもえる建物にはずいぶんながく雪が残っている。
かくしてわたしはゆっくりと歩いて門下省青瑣門の方へ帰るのだが、わたしの詰め所へさがるには、今日もいつものように庭景色を楽しむため、ゆったりとして時刻おくれて退出するのである。


(宜政殿より退朝して 晩に左掖より出づ)
天門 日は射る 黄金の榜、春殿 晴 曛ず赤羽の旗。
宮草 微微として委佩を承け、鐘煙 細細として游糸を駐む。
雲 蓬莱に近うして常に五色、雪 鳷鵲【ししゃく】に残るも亦 多時。
侍臣 緩歩して青瑣【せいさ】に帰る、退食 従容として出づる毎に遅し。

kairo10682


現代語訳と訳註
(本文)
宣政殿退朝晚出左掖(掖門在兩旁如人之臂掖) 杜甫
 天門日射黄金榜,春殿晴曛赤羽旗。
 宮草微微承委佩,鑪煙細細駐游絲。
 雲近蓬萊常好色,雪殘鳷鵲亦多時。
 侍臣緩步歸青瑣,退食從容出每遲。


(下し文) (宜政殿より退朝して 晩に左掖より出づ)
天門 日は射る 黄金の榜、春殿 晴 曛ず赤羽の旗。
宮草 微微として委佩を承け、鐘煙 細細として游糸を駐む。
雲 蓬莱に近うして常に五色、雪 鳷鵲に残るも亦多時。
侍臣 緩歩して青瑣に帰る、退食 従容として出づる毎に遅し。

(現代語訳)
門下省のある宣正殿から退庁して晩方、左の旁門から退出する。(正門わきの旁門には両の傍らに肩と腕を守るかのように立っている)
宮殿の門は夕日のひかりがあたって、黄金の額縁のようにきれいだ、春の御殿の庭では朱雀を描いた旗が晴れてはいるが夕暮れにさしかかり、薄暗くにおうようである。
このときわたしが玉佩をひきずって来ると庭の草は幽静な緑色に変わっている、部屋内から、庭にまで香の煙を漂わせる。そして、香気、佳気を感じさせてほそぼそとのぼっている。
このあたりに浮んでいる夕霞は蓬莱宮に近いからいつも五色の彩をしているし、鳷鵲観かとおもえる建物にはずいぶんながく雪が残っている。
かくしてわたしはゆっくりと歩いて門下省青瑣門の方へ帰るのだが、わたしの詰め所へさがるには、今日もいつものように庭景色を楽しむため、ゆったりとして時刻おくれて退出するのである。


(訳注)
宣政殿退朝晚出左掖
(掖門在兩旁如人之臂掖)
門下省のある宣正殿から退庁して晩方、左の旁門から退出する。(正門わきの旁門には両の傍らに肩と腕を守るかのように立っている)
掖門  宮殿の正門の左右にある小さな門。旁門(ぼうもん)。
 ひじ肩から手首までの部分。腕。


天門日射黄金榜,春殿晴曛赤羽旗。
宮殿の門は夕日のひかりがあたって、黄金の額縁のようにきれいだ、春の御殿の庭では朱雀を描いた旗が晴れてはいるが夕暮れにさしかかり、薄暗くにおうようである。
○天門 宮殿の門。○日射 日は夕日の光をいう。○黄金榜 こがねを以て飾った扁額。〇春殿 春景色の宣政殿。○晴曛 はれてはいるが少し暗くなりかけている、題の「晩」の字をあらわす。○赤羽旗 赤羽鳥(朱雀)をえがいた旗。


宮草微微承委佩,鑪煙細細駐游絲。
このときわたしが玉佩をひきずって来ると庭の草は幽静な緑色に変わっている、部屋内から、庭にまで香の煙を漂わせる。そして、香気、佳気を感じさせてほそぼそとのぼっている。
○宮草 宮庭にはえている草。○微微 幽静なさま、草色をいう。○承草がそれを受ける。○委佩 佩はおびもの、委は地につくこと。○鑪煙 香炉のけむり、恐らくは殿庭にあるものであろう。○細細 ほそぼそ。○駐游糸 宮殿は、仙界であり、天界である。絲を横たえるように香の煙が留まっているさまをいう。部屋内から、庭にまで香の煙を漂わせる。香気、佳気に結びつくものである。


雲近蓬萊常好色,雪殘鳷鵲亦多時。
このあたりに浮んでいる夕霞は蓬莱宮に近いからいつも五色の彩をしているし、鳷鵲観かとおもえる建物にはずいぶんながく雪が残っている。
蓬莱 殿の名。○鳷鵲 漢の時の観の名、今借用する。


侍臣緩步歸青瑣,退食從容出每遲。
かくしてわたしはゆっくりと歩いて門下省青瑣門の方へ帰るのだが、わたしの詰め所へさがるには、今日もいつものように庭景色を楽しむため、ゆったりとして時刻おくれて退出するのである。
侍臣 天子のおそばに仕える臣、杜甫は左拾遺なので自分のこと。○緩歩 ゆるゆるとあるく。○青瑣 瑣形に離刻をほどこし青色にぬった門、門下省の門をさす。○退食 「詩経」烹羊詩にみえる、公の門より退いて食事をすることをいう。○従容 ゆったり。○ 退出する。○ 毎時、いつも。