王維 菩提寺禁、誦示裴廸 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 252

(1)王維
菩提寺禁、裴廸来相看、説逆賊等凝碧池上作音楽、
供奉人等擧聲、便一時涙下、私成口読、誦示裴廸。

太子中允である王維に贈った詩。乾元元年の作。王維は天宝の末年に給事中の官であったが玄宗が蜀に奔ったとき従うに及ばず、叛乱軍にとらえられた。王維は薬をのんで痢を取り詐って痔の病と称した。安禄山はもとよりこれを憐んだが、人を遣わして洛陽に迎え来らせ菩提寺(或は普施寺という)に拘した。
杜甫は房琯の擁護をして粛宗の逆鱗に触れ、長安・洛陽奪還の肝心な時に鄜州羌村の家族のもとにあった。
朝廷内では他の官僚との交流もなく、疎外されていた。この間の詩については掲載の通り、内容的に、朝廷内で仕事は全くされてない状況であった。そうした中で王維に対して出過ぎた詩を贈ってしまった。杜甫が左遷されられる原因の一つに王維に対する詩をあげる。

この時期に至る王維の情況、朝廷の情況を見ていく。王維については、叛乱軍の中で口号して作った二首についてみる。その後に杜甫の王維に送る詩を見る。
(1)王維 菩提寺禁、誦示裴廸―『万首句人絶唐』引用の詩題
(2)王維 口號又示裴迪
(3)杜甫 奉贈王中允維

《菩提寺禁、誦示裴廸》(略題)

菩提寺禁、裴廸来相看、説逆賊等凝碧池上作音楽、
供奉人等擧聲、便一時涙下、私成口読、誦示裴廸。
菩提寺の拘禁所に、裴迪が面会にやって来て、『逆賊らが凝碧池の畔で音曲を楽しんだが、かつての梨園の弟子たちが泣きだすと、みなどっと涙を流した』と話してくれた。ひそかに即興吟を作り、口ずさんで裴迪に示した。
《菩提寺禁、誦示裴廸》
萬戸傷心生野煙、百官何日再朝天。
長安の町中が人家は、廃墟と化して街中というに野のかすみがたちこめ、見るものの心を傷しめる。思いねがうは、文武百官の再び天子に拝謁することである、いつの日であろうか。
秋槐葉落空宮裏、凝碧池頭奏管絃。

秋の槐の葵は、主のない宮殿に散り落ちているだけ、叛乱軍のやからは、洛陽宮の凝碧池の辺でにあわない音楽を奏し、酒宴をするという。

(菩提寺の禁に、裴廸【はいてき】来りて相い看るに、逆賊等、凝碧池【ぎょうへきち】上【じょう】に音楽を作【な】し、供奉【くぶ】の人等声を挙げて、便【すな】わち一時に涙下ると説く。私【ひそ】かにロ号口【こうこう】を成【な】し、誦【しょう】して裴廸に示す)。
(菩提寺の禁にて裴迪に示す」)
万戸傷心 野煙生ず、百官 何れの日か再び天に朝せん。
秋槐 望落つ 空宮の裏、凝碧 池頭 管絃を奏す

10risho長安城の図035

現代語訳と訳註
(本文)

菩提寺禁、裴廸来相看、説逆賊等凝碧池上作音楽、
供奉人等擧聲、便一時涙下、私成口読、誦示裴廸。

萬戸傷心生野煙、百官何日再朝天。
秋槐葉落空宮裏、凝碧池頭奏管絃。


(下し文)
(菩提寺の禁に、裴廸【はいてき】来りて相い看るに、逆賊等、凝碧池【ぎょうへきち】上【じょう】に音楽を作【な】し、供奉【くぶ】の人等声を挙げて、便【すな】わち一時に涙下ると説く。私【ひそ】かにロ号口【こうこう】を成【な】し、誦【しょう】して裴廸に示す)

万戸傷心 野煙生ず、百官 何れの日か再び天に朝せん。
秋槐 望落つ 空宮の裏、凝碧 池頭 管絃を奏す


(現代語訳)
菩提寺の拘禁所に、裴迪が面会にやって来て、『逆賊らが凝碧池の畔で音曲を楽しんだが、かつての梨園の弟子たちが泣きだすと、みなどっと涙を流した』と話してくれた。ひそかに即興吟を作り、口ずさんで裴迪に示した。
長安の町中が人家は、廃墟と化して街中というに野のかすみがたちこめ、見るものの心を傷しめる。思いねがうは、文武百官の再び天子に拝謁することである、いつの日であろうか。
秋の槐の葵は、主のない宮殿に散り落ちているだけ、叛乱軍のやからは、洛陽宮の凝碧池の辺でにあわない音楽を奏し、酒宴をするという。

(訳注)
菩提寺禁、裴廸来相看、説逆賊等凝碧池上作音楽、
供奉人等擧聲、便一時涙下、私成口読、誦示裴廸。
菩提寺の拘禁所に、裴迪が面会にやって来て、『逆賊らが凝碧池の畔で音曲を楽しんだが、かつての梨園の弟子たちが泣きだすと、みなどっと涙を流した』と話してくれた。ひそかに即興吟を作り、口ずさんで裴迪に示した。
○此の詩は、王維が安禄山に拘禁されていた時の作として知られる。○菩提寺 長安の平康坊南門の東にあったという。(長安城図参考)○ 王維が監禁されているところ、監獄。○裴迪 王維の友人。 
 王維詩 年賦・詩の時系序列
 王維 詩目次と詩のタイトル
 王維のアウトライン
 王維ものがたり


萬戸傷心生野煙、百官何日再朝天。
長安の町中が人家は、廃墟と化して街中というに野のかすみがたちこめ、見るものの心を傷しめる。思いねがうは、文武百官の再び天子に拝謁することである、いつの日であろうか。
野煙 野のかすみ。○朝天 朝廷に出仕する。
詩題でも裴迪(長安に住んでいた)の面会を言い、『洛陽伽藍記』の「菩提寺」の項にも、王維の拘禁について記述がない。王維はこの時長安にいた。裴迪も長安を居住としていた。「万戸」「百官」と対をなす語からも、首都長安のイメージが濃厚であり、賈至、王維、杜甫、岑参の「早朝大明宮」に
奉和中書賈舎人早朝大明宮  岑參
雞鳴紫陌曙光寒,鶯囀皇州春色闌。
金闕曉鐘開萬戶,玉階仙仗擁千官。
花迎劍珮星初落,柳拂旌旗露未乾。
獨有鳳凰池上客,陽春一曲和皆難。
鶏鳴いて紫陌曙光寒し、鶯囁じて皇州春色闌なり。
金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。
花は剣侃を迎えて星初めて落ち、柳は旋旗を払って露未だ乾かず。
独り鳳皇池上の客有り、陽春の一曲和すること皆難し。
「金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。」と見えるのが、そのイメージを支える例証となる。「秋槐」の句は長安・洛陽いずれの宮殿にかけてよく、結びは洛陽についていう。ここで重要なことは、安禄山の酒宴に王維が参加していないということである。彼は756年天宝十五載(七月に至徳元我と改元)の六、七月ごろ、安禄山軍の捕虜となり、やがて洛陽に送られて、安禄山から偽官に就くことを要求されたが、それを拒否し、再び長安に連れもどされて、菩提寺に拘禁されていたのであろう。この作品が両都回復後に行なわれた功賞と処罰において、彼が寛大な処分を受ける大きな原因となった


秋槐葉落空宮裏、凝碧池頭奏管絃。
秋の槐の葵は、主のない宮殿に散り落ちているだけ、叛乱軍のやからは、洛陽宮の凝碧池の辺でにあわない音楽を奏し、酒宴をするという。
 えんじゅ。○逆賊等 安史軍安縁山叛乱軍を指す。○凝碧池 唐の東の都、洛陽の禁苑にある池。○供奉人 宮廷の楽士。○挙声 楽器の音を出す。○口号 詩の体裁の一。口に隨って吟詠する意という。○誦示 文字に記さず、口づたえに示す。○なおこの時、王維と共に捕えられ、安禄山の官位を受けたものは、すべて罪せられたが、王維は此の詩のお陰で免かれたという。安縁山が凝碧池で宴した様子は「明皇雜録」にくわしい。抜粋して載せる。

「明皇雜録」 
 「天宝末、群賊両京(長安と洛陽)を陥し、大いに文武の朝臣及び黄門(宦官)、宮嬪(女官)を掠め、楽工、騎士、数百人を獲る毎に、兵仗を以て厳に衛り、洛陽に送る。山谷に逃るる者有るに至るも、而かも卒に能く羅捕迫脅し、授くるに冠帯(官位)を以てす。安禄山、尤も意を楽工に致し、求訪すること頗る切なり。旬日にして梨園の弟子数百人を獲だり。群賊、因りて相い与に大いに凝碧池に会して宴す。偽官数十人、大いに御庫(天子の宝物庫)の珍宝を陳べ、前後に羅列す。楽既に作る。梨園の旧人(かつての玄宗皐粧肛属の歌舞音曲団員)、覚えず歔欷(すすりなき)し、相い対し涙下る。群逆、皆な刃を露わし満を持し以て之れを脅かすも、已むあたわず。楽工の雷海青なる者有り。楽器を地に投じ、西向(玄宗皇帝のいる方角)して慟哭す。逆党(逆賊の一昧)乃わち海青を戯馬殿に縛し、支解(手足をばらばらにする酷刑)して以て衆に示す。之れを聞く者、傷痛せざるなし。禄山素より其の才を知る。迎えて洛陽に置き、迫って給事中と為すっ禄山大いに凝碧池に宴し、悉く梨園の諸工を召して合楽せしむ。諸工皆な泣く。維聞きて悲しむこと甚だしく、詩を賦りて悼痛めり。王維、時に賊の為に菩提仏寺に拘われ、之れを聞きて詩を賦す云云」とある。
《大意》
この凝碧池の宴会は、それによれば、安禄山軍以外に、偽政府のもと朝臣数十人も列席したという。安禄山は至徳二我の春正月六日早朝に子の安慶緒に殺されているから、この宴会は至徳元載(757)(時に王維五十六歳)の秋でなければならない。これに王維は出席していないから、当時は安禄山が与えようとした官(給事中)を拒否しつづけて、菩提寺(杜甫「崔氏東山草堂」原注を信すれば「東山北寺」)に拘禁されていたのであろう。 なおこのとき、音楽が始まったものの、梨園に席を置いた楽師たちは泣きだし、兵士たちは自刃で脅かしたが彼らは泣きやまず、雷海青という琵琶の名手は楽器を投げだし、玄宗が住む西方の覇に向かって慟哭した。怒った安禄山軍は彼の身体をばらばらに切り離して、見せしめにしたという。


王維が安禄山叛乱軍に捕らわれ、やむなえぬ事情ということで投降して、叛乱軍の政府の官僚となったことは、唐王朝に対する反逆である。男女別なくとらわれれば、敵の収穫物となるのであり。したがって、やむを得ない投降はないのであり、死か、反逆かしかないのであった。首都を回復した唐王朝としては叛乱者の官僚になるということは、許しがたい犯罪的行為であったのだ。彼は弟王潜の懸命な嘆願や後述する虜囚中の作品によって、微罪となったわけだが、この時代としては表面的なものでしかなく、王維自身には終生解決しえない重荷を負ったのである。

王維 輞川集

1孟城幼 もうじょうおう
2華子岡 かしこう
3文杏館ぶんきょうかん
4斤竹嶺 きんちくれい
5鹿柴   ろくさい 
6木蘭柴 もくらんさい
7茱萸拌 しゅゆはん
8宮塊陌 きゅうかいはく
9臨湖亭 りんこてい
10南 陀 なんだ
11欹 湖 いこ
12柳 浪 りゅうろう
13欒家瀬らんからい
14金屑泉 きんせつせん
15白石灘はくせきたん
16北 陀 ほくだ
17竹里館 ちくりかん
18辛夷塢 しんいお
19漆 園 しつえん
20椒 園 しょうえん