觀兵 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 286


758年11~12月
乾元元年の冬、洛陽にあって北庭の李嗣業の兵が来たのを観たことをよむ。この年九月に朔方節度使郭子儀、涯西の魯貝、鎮西北庭の李嗣業等七節度に命じ、歩騎二十万に将として、賊将安慶緒を討たせ、李光弼・王思礼がこれを助けた。これを九節度の軍と号する。十一月、九節度の軍は鄴城を囲んだ。明年に至り、正月李嗣業が軍中に卒し、三月、史思明が鄴城を救ったために、官軍は大敗した。此の篇は前の「観安西兵過」詩と併せ看るべきである。


觀兵
北庭送壯士,貔虎數尤多。
北庭節度の方からこちらの洛陽へ壮士を送りこんできた。この軍には貌虎のようなつよい兵の数がいちばん多いのである。
精銳舊無敵,邊隅今若何?
彼等の精鋭なことはもとから敵するものがないのであるが、今どこもかしこも辺隅の場所であるというのはどうしたことであろうか。
妖氛擁白馬,元帥待雕戈。
叛乱軍の妖氛は叛乱軍の白馬の故事の通りにわるい兵気をつつんでいる、副元帥は元帥として雕戈をさずけられるのを待っている。
莫守鄴城下,斬鯨遼海波。
唐王朝軍たるものは叛乱軍の拠点、鄴城の下ばかりにへばりついていてはどうしようもない。直に進んで安史軍の巣穴をついて遼海の波に安慶緒、史思明など鯨を斬りすてる様にしてほしいものである。


兵を観る
北庭壮士を送る、貔虎【ひこ】数尤【もっと】も多し。
精鋭旧敵無し、辺隅【へんぐう】今 若何【いかん】。
妖氛【ようふん】白馬を擁す、元帥 雕戈【ちょうか】を待つ。
守る莫れ鄴城【ぎょうじょう】の下、鯨【げい】を斬れ遼海の波。

現代語訳と訳註
(本文) 觀兵

北庭送壯士,貔虎數尤多。
精銳舊無敵,邊隅今若何?
妖氛擁白馬,元帥待雕戈。
莫守鄴城下,斬鯨遼海波。

(下し文)兵を観る
北庭壮士を送る、貔虎【ひこ】数尤【もっと】も多し。
精鋭旧敵無し、辺隅【へんぐう】今 若何【いかん】。
妖氛【ようふん】白馬を擁す、元帥 雕戈【ちょうか】を待つ。
守る莫れ鄴城【ぎょうじょう】の下、鯨【げい】を斬れ遼海の波。

(現代語訳)
北庭節度の方からこちらの洛陽へ壮士を送りこんできた。この軍には貌虎のようなつよい兵の数がいちばん多いのである。
彼等の精鋭なことはもとから敵するものがないのであるが、今どこもかしこも辺隅の場所であるというのはどうしたことであろうか。
叛乱軍の妖氛は叛乱軍の白馬の故事の通りにわるい兵気をつつんでいる、副元帥は元帥として雕戈をさずけられるのを待っている。
唐王朝軍たるものは叛乱軍の拠点、鄴城の下ばかりにへばりついていてはどうしようもない。直に進んで安史軍の巣穴をついて遼海の波に安慶緒、史思明など鯨を斬りすてる様にしてほしいものである。

(訳注) 觀兵
洛陽を守るためには四方向に対して守る必要があり、安西・北庭の西方の領土は、半減していたが、一応安定してきており、洛陽の防備にあてられた。汴州、襄陽でも反乱がおこり、洛陽が陥落すると再び全土に広がる危険をはらんでいた。杜甫は、過去にも叛乱軍の動きを過剰に反応している。これ以降の杜甫は同様な反応を示している。この1年の唐朝はめまぐるしく動いた杜甫は左拾位にあってもほとんど情報を受けられなかったのであろう。そして、華州三軍に左遷されても変わらなかったようだ。味方によっては、唐朝が滅亡するかのように感じられたのかもしれない。


北庭送壯士,貔虎數尤多。
北庭節度の方からこちらの洛陽へ壮士を送りこんできた。この軍には貌虎のようなつよい兵の数がいちばん多いのである。
北庭 北庭節度をいう。○ おくりこしたことをいう。○貌虎 壮士のつよいものをたとえていう、貌は虎のたぐい、猛獣。


精銳舊無敵,邊隅今若何?
彼等の精鋭なことはもとから敵するものがないのであるが、今どこもかしこも辺隅の場所であるというのはどうしたことであろうか。
精鋭 精錬され、するどいこと。○辺隅 かたよっている地方、敵境に接している地を辺というが、この時点では安史軍が再び戦力を整え、洛陽は三方向敵に面していた。


妖氛擁白馬,元帥待雕戈。
叛乱軍の妖氛は叛乱軍の白馬の故事の通りにわるい兵気をつつんでいる、副元帥は元帥として雕戈をさずけられるのを待っている。
妖氛 わるい気、兵気をいう。安史軍の勢いにより、不安定な状況であった。○擁白馬 白馬は梁の叛将侯景の故事。ここは史思明等の賊将をさす、史思明は時に魏州(河北省大名府元城県東)を陥落させている。侯景は北魏の爾朱栄軍で頭角を現し、北魏が東西に分裂すると東魏の高歓の旗下に入り、河南大行台に任じられる。高歓死去後、東魏への叛乱を起こし、支配する州郡と共に梁の武帝に帰順した。その後、東魏の武将慕容紹宗に敗れ、寿春(安徽省)へ退いた。梁と東魏の間に和議成立の情勢となると、梁への叛乱を起こす。548年(太清2年)、梁宗室の蕭正徳を味方に就けて10万の兵を集め、都の建康に迫った。この時白馬にまたがっていたのが侯景であった。○元帥 郭子儀をさす、郭子儀はさきに副元帥となって洛陽を回復したが、今、元帥を子儀に授けられんことをのぞむのである。実際、郭子儀の威名は双方に認識されていたが、待遇、権限については不遇であった。、○待雕戈 雕戈ほほりものをしたほこ、天子より元勲に賜わるものである。


莫守鄴城下,斬鯨遼海波。
唐王朝軍たるものは叛乱軍の拠点、鄴城の下ばかりにへばりついていてはどうしようもない。直に進んで安史軍の巣穴をついて遼海の波に安慶緒、史思明など鯨を斬りすてる様にしてほしいものである。
鄴城 河南省彰徳府安陽県治、即ち唐の相州。ここには燕皇帝を名乗った安慶緒がここで兵力を整えていた。○ 安史軍のかしら、史思明の輩をさすというのであるが、この時、史思明は三権鼎立をもくろんでいた。。○遼海 遼東の海、これは渤海湾にあって史思明の根拠地である苑陽と遠くないのでこういうのである。


觀兵
北庭送壯士,貔虎數尤多。精銳舊無敵,邊隅今若何?
妖氛擁白馬,元帥待雕戈。莫守鄴城下,斬鯨遼海波。
(兵を観る)
北庭壮士を送る、貔虎【ひこ】数尤【もっと】も多し。精鋭旧敵無し、辺隅【へんぐう】今 若何【いかん】。妖氛【ようふん】白馬を擁す、元帥 雕戈【ちょうか】を待つ。守る莫れ鄴城【ぎょうじょう】の下、鯨【げい】を斬れ遼海の波。



758年6月~9月
安西都護府に属する兵が華州を過ぎるのを観て作った詩。その兵はこれから関中へ行って将来の行動について天子の仰せを待つものである。757乾元元年六月、李嗣業は懐州(今の河南懐慶府河内県治)の刺史となり、鎮西北庭行営節度使に充てられ、八月、郭子儀等と同じく歩騎二十万に将として安慶緒を討った。これは李嗣業の兵が懐州から長安へ赴く道すがら華州を経たもので八月討伐にでかけぬ以前のことである。


觀安西兵過赴關中待命二首 其一
四鎮富精銳,摧鋒皆絕倫。還聞獻士卒,足以靜風塵。
老馬夜知道,蒼鷹饑著人。臨危經久戰,用急始如神。
(安西の兵の過ぐるを観る 関中に赴きて命を待つなり二首)
四鎮【しちん】精鋭【せいえい】富【と】めり、鋒【ほう】を摧【くだ】くこと皆【みな】絶倫【ぜつりん】なり。還た聞く士卒【しそつ】を献ずと、以て風塵を静かならしむるに足る。老馬【ろうば】夜道【よるみち】を知る、蒼鷹【そうよう】餓【う】えて人に著【つ】く。危【き】に臨【のぞ】みて久戦【きゅうせん】を経たり、急なるに用【もち】うれば始めて神【しん】の如くならん。


其二
奇兵不在眾,萬馬救中原。談笑無河北,心肝奉至尊。
孤雲隨殺氣,飛鳥避轅門。竟日留歡樂,城池未覺喧。
(安西の兵の過ぐるを観る 関中に赴きて命を待つなり二首 其の二)
奇兵【きへい】衆【しゅう】に在らず、万馬【ばんば】中原を救わんとす。談笑 河北を無【な】みす、心肝【しんかん】至尊【しそん】に奉ず。孤雲 殺気随い、飛鳥【ひちょう】轅門【えんもん】を避【さ】く。竟日【きょうじつ】留まりて歓楽す、城池【じょうち】未【いま】だ喧【かまびす】しきを覚えず。

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