冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,宴飲散因為醉歌#1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 287
(冬末 事を以って東都に之き,湖城の東にて孟雲卿に遇う,複た劉顥宅に歸り宿す,宴して飲散に因りて醉歌を為す)


冬末以事之東都湖城東遇孟雲卿複歸劉顥宅宿宴飲散因為醉歌
冬も終わりのころ仕事で東都洛陽に行く、洛陽の湖城の城郭の東で孟雲卿にであう、その後劉顥の邸宅に宿するために帰ってきた、そこで宴をしてくれ呑んで別れる、それにちなんで醉歌をつくる。
疾風吹塵暗河縣,行子隔手不相見。
突風のように叛乱軍が平穏であったところに軍馬で砂塵を巻きおこし河南地方一帯を暗い影を落とし始めた。わたしは、旅人としてその戦火の場所より離れてはいるがもう見たいとも思わない。
湖城城東一開眼,駐馬偶識雲卿面。
函谷関の湖城をこえて、更に東にきて、一度目を開いた馬を止めてみると偶然にも知っている人、孟雲卿の顔であった。
向非劉顥為地主,懶回鞭轡成高宴。
劉顥公がこのあたりの地虫であるから向こうに行くことはない、ゆっくりと回って、鞭も、くつわもおいて、高らかに宴をしようというものだ。
劉侯歡我攜客來,置酒張燈促華饌。』
劉顥公は私が客と朋の帰ってきたのをとても喜んだ。酒を用意してくれ、かがり火を廻らせてくれ、華やかに御馳走を並べてくれて勧めてくれるのである。

且將款曲終今夕,休語艱難尚酣戰。
照室紅爐促曙光,縈窗素月垂文練。
天開地裂長安陌,寒盡春生洛陽殿。
豈知驅車複同軌,可惜刻漏隨更箭。
人生會合不可常,庭樹雞鳴淚如線。』


(冬末 事を以って東都に之き,湖城の東にて孟雲卿に遇う,複た劉顥宅に歸り宿す,宴して飲散に因りて醉歌を為す)疾風 塵を吹き 河縣 暗し,行子【こうし】 手を隔て 相見えず。
湖城 城東 一たび眼を開く,駐馬 偶々識し 雲卿に面す。
向うにあらず 劉顥 地主と為すを,回して 鞭轡を懶め 高宴を成す。
劉侯 我 客を攜えて來るを歡び,置酒して張燈 華饌を促す。』

且 將に 款曲して今夕終る,休語 艱難して 尚 酣戰す。
室を照らす 紅爐 曙光を促し,窗を縈る 素月 文練を垂れる。
天開き 地は裂けて 長安の陌,寒盡くす春生ずるは洛陽の殿。
豈知んや 車を驅る 複た同軌,惜むるべし刻漏【こくろう】 更箭【こうせん】に隨う。
人生 會合して常とすべからず,庭樹 雞鳴きて淚 線の如し。』


現代語訳と訳註
(本文)
冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,宴飲散因為醉歌
疾風吹塵暗河縣,行子隔手不相見。
湖城城東一開眼,駐馬偶識雲卿面。
向非劉顥為地主,懶回鞭轡成高宴。
劉侯歡我攜客來,置酒張燈促華饌。』


(下し文) (冬末 事を以って東都に之き,湖城の東にて孟雲卿に遇う,複た劉顥宅に歸り宿す,宴して飲散に因りて醉歌を為す)
疾風 塵を吹き 河縣 暗し,行子【こうし】 手を隔て 相見えず。
湖城 城東 一たび眼を開く,駐馬 偶々識し 雲卿に面す。
向うにあらず 劉顥 地主と為すを,懶回 鞭轡 高宴を成す。
劉侯 我 客を攜えて來るを歡び,置酒して張燈 華饌を促す。』


(現代語訳)
冬も終わりのころ仕事で東都洛陽に行く、洛陽の湖城の城郭の東で孟雲卿にであう、その後劉顥の邸宅に宿するために帰ってきた、そこで宴をしてくれ呑んで別れる、それにちなんで醉歌をつくる。
疾風 塵を吹き 河縣 暗し,行子 手を隔て 相見えず。
突風のように叛乱軍が平穏であったところに軍馬で砂塵を巻きおこし河南地方一帯を暗い影を落とし始めた。わたしは、旅人としてその戦火の場所より離れてはいるがもう見たいとも思わない。
函谷関の湖城をこえて、更に東にきて、一度目を開いた馬を止めてみると偶然にも知っている人、孟雲卿の顔であった。
劉顥公がこのあたりの地虫であるから向こうに行くことはない、ゆっくりと回って、鞭も、くつわもおいて、高らかに宴をしようというものだ。
劉顥公は私が客と朋の帰ってきたのをとても喜んだ。酒を用意してくれ、かがり火を廻らせてくれ、華やかに御馳走を並べてくれて勧めてくれるのである。


(訳注)
冬末以事之東都湖城東遇孟雲卿、複歸劉顥宅宿宴飲散因為醉歌

(冬末 事を以って東都に之き,湖城の東にて孟雲卿に遇う,複た劉顥宅に歸り宿す,宴して飲散に因りて醉歌を為す)
冬も終わりのころ仕事で東都洛陽に行く、洛陽の湖城の城郭の東で孟雲卿にであう、その後劉顥の邸宅に宿するために帰ってきた、そこで宴をしてくれ呑んで別れる、それにちなんで醉歌をつくる。
東都 洛陽。杜甫は華州から洛陽に仕事来た。○湖城 湖城縣,治今河南靈寶縣(戰國時,函谷關のこと。湖城縣故城は曹彰の任城のこと。曹植『上責躬応詔詩表 五』「孤魂翔故城、霊柩寄京師。」(孤魂 故城に翔【かげ】り、霊柩 京師に寄す)洛陽で孤立して死んだ曹彰を偲んで詠った詩に基づいている。○孟雲卿 孟雲卿は725年(唐の開元10年)生まれ、没年未詳。字名升之。平昌(商河県、山東省済南市に位置する県。)の人。商河県は山東賞西北部、徒駭河北岸に位置する。南北は51km、東西は43kmである。天宝年間30歳を過ぎて進士及第、長安に入る。残存詩17首。平易な言葉で、自尊心が強く社会的現実的な詩は、杜甫、元結などと共有する。758年、6月、杜甫、華州司公參軍に左遷される前夜、酒を酌み交わしている。半年後に再会した。○劉顥 杜甫の若いころ30~35歳くらいまで洛陽で過ごした。その頃の友人で、東都の役人になっていたもの。


疾風吹塵暗河縣,行子隔手不相見。
疾風 塵を吹き 河縣 暗し,行子 手を隔て 相見えず。
突風のように叛乱軍が平穏であったところに軍馬で砂塵を巻きおこし河南地方一帯を暗い影を落とし始めた。わたしは、旅人としてその戦火の場所より離れてはいるがもう見たいとも思わない。
河縣 河北省河縣。安慶緒が父の安禄山を殺して以来、史思明は范陽に帰って、一線を画していたが、郭子儀の唐王朝軍が鄴城を包囲していたのを安慶緒と連絡し合い、郭子儀をしりぞけた。郭子儀軍は洛陽城に入り、洛陽を守ると同時に、戦力を整え増強を図ることとした。しかし、河南、洛陽一帯は不安定な状況であった。○行子 旅人。旅客。


湖城城東一開眼,駐馬偶識雲卿面。
湖城 城東 一たび眼を開く,駐馬 偶々識し 雲卿に面す。
函谷関の湖城をこえて、更に東にきて、一度目を開いた馬を止めてみると偶然にも知っている人、孟雲卿の顔であった。
湖城縣,治今河南靈寶縣(戰國時,函谷關のこと。湖城縣故城は曹彰の任城のこと。曹植『上責躬応詔詩表 五』「孤魂翔故城、霊柩寄京師。」(孤魂 故城に翔【かげ】り、霊柩 京師に寄す)洛陽で孤立して死んだ曹彰を偲んで詠った詩に基づいている、


向非劉顥為地主,懶回鞭轡成高宴。
向うにあらず 劉顥 地主と為すを,回して 鞭轡を懶め 高宴を成す。
劉顥公がこのあたりの地虫であるから向こうに行くことはない、ゆっくりと回って、鞭も、くつわもおいて、高らかに宴をしようというものだ。
懶回 ゆっくりと帰ること。懶は朝廷の仕事を怠けるという意味。


劉侯歡我攜客來,置酒張燈促華饌。』
劉侯 我 客を攜えて來るを歡び,置酒して張燈 華饌を促す。』
劉顥公は私が客と朋の帰ってきたのをとても喜んだ。酒を用意してくれ、かがり火を廻らせてくれ、華やかに御馳走を並べてくれて勧めてくれるのである。

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