洗兵行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ992 杜甫特集700- 295
(洗兵の行【うた】) (4分割の1回目)



この詩の結句「淨洗甲兵長不用」(浄く甲兵【こうへい】を洗うて長く用いざるを得ん)とある「洗兵」の二句をとって題とする。
天の河の水で武器をあらい去り、永久に用いない様にしたいという意味をのべた詩である。九節度の官軍が相州の鄴城に敗れたのは乾元二年三月三日壬中であり、此の詩はしきりに官軍の捷報を得て未だ敗れなかったときに成ったものであるから、そのことにより同年二月中の作で、洛陽での作とする。原注に「収京後作」とある。



洗兵行(洗兵馬)
中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。
わが唐の中興の諸将らは山東河北の土地を安慶緒らの手から奪回、回収して、その勝ちをしらせる旗印が夜中にくるし、昼もまた同じようにやってくる。
河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
きくところによると王朝軍は黄河の広い河水も一束の葦を浮べてわたるかの様に容易く過ぎてしまい、安慶緒の軍は危くなってその運命は破竹の勢に乗っていくものとしているほど迫っている。
秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
ただのこっているのは鄴城であるがそれも日数の立たないうちに吾が唐軍の手に得られるであろうし、すべて唐王朝軍のこの形勢をきめることは朔方節度たる郭子儀のはかられざる大功勲にすべてがかかっているのである。
京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
長安のみやこでも回紇(ウイグル騎馬)の兵が援助にきて彼等はみな汗血の馬に騎り、葡萄宮の役割の御苑宮城ですべて養われつつあるのである。
已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
一方にはもはやわが天子の御威光が渤海・岱山の遠方までを鎮定するに至ったことを喜ぶとともに、他方には我が君がかつて崆峒山のあたりまで御通過になったことはわすれられぬことである。
三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』
およそ三箇年というものは笛中に関山月の曲を吹いて戦になやんだが、いまやあらゆる地方が唐王朝軍の討伐の前面には草木の風になびく様に服従せんとするほどになってきた。』

成王功大心轉小,郭相謀深古來少。
司徒清鑒懸明鏡,尚書氣與秋天杳。
二三豪俊為時出,整頓乾坤濟時了。
東走無複憶鱸魚,南飛覺有安巢鳥。
青春複隨冠冕入,紫禁正耐煙花繞。
鶴禁通宵鳳輦備,雞鳴問寢龍樓曉。』
攀龍附鳳勢莫當,天下盡化為侯王。
汝等豈知蒙帝力?時來不得誇身強。
關中既留蕭丞相,幕下複用張子房。
張公一生江海客,身長九尺須眉蒼。
徵起適遇風雲會,扶顛始知籌策良。
青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。』
寸地尺天皆入貢,奇祥異瑞爭來送。
不知何國致白環,複道諸山得銀甕。
隱士休歌紫芝曲,詞人解撰清河頌。
田家望望惜雨幹,布穀處處催春種。
淇上健兒歸莫懶,城南思婦愁多夢。
安得壯士挽天河,淨洗甲兵長不用!』
#1
中興の諸将山東を収む、捷書【しょうしょ】夜報じて清昼【せいちゅう】も同じ。
河の広きも伝聞す一葦【いちい】過ぐと、胡危くして命【めい】は在り破竹の中。
秖【ただ】鄴城【ぎょうじょう】を残すも日ならずして得ん、独り任【にん】ず朔方【さくほう】無限の功。
京師【けいし】皆 騎【の】る汗血【かんけつ】の馬、回紇【かいこつ】肉を喂【い】す葡萄宮【ぶどうきゅう】。
己に喜ぶ皇威【こうい】の海岱【かいたい】を清【きよ】うするを、常に思う仙仗【せんじょう】の崆峒【こうどう】に過【よ】りしを。
三年 笛裡【てきり】の関山月、万国 兵前【へいぜん】草木の風。』
#2
成王【せいおう】功大【こうだい】にして心 転【うたた】小なり、郭相【かくしょう】謀【はかりごと】深うして古来少【まれ】なり。
司徒の清鑒【せいかん】明鏡【めいきょう】を懸【か】く、尚書【しょうしょ】の気は秋天【しゅうてん】と杳【はるか】なり。
二三の豪傑【ごうけつ】時の為めに野で、乾坤【けんこん】を整頓して時を済【すく】い了【おわ】る。
東走【とうそう】復【ま】た鱸魚【ろぎょ】を憶【おも】う無く、南飛【なんぴ】巣に安【やす】んずるの鳥有るを党ゆ。
青春復た冠冕【かんべん】に随うて入る、紫禁正に煙花の繞【めぐ】るに耐えたり。
鶴駕【かくが】通宵【つうしょう】鳳輦【ほうれん】備わり、雞鳴【けいめい】寝を問う竜楼【りゅうろう】の暁【あかつき】。』

攣竜【はんりゅう】附鳳【ふほう】勢【いきおい】当る莫し、天下尽【ことごと】く化して侯王【こうおう】と為る。
汝等 豈に知らんや帝刀【ていとう】を蒙【こうむ】るを、時来るも身の強に誇【ほこ】ることを得ず。
関中 既に留む蕭【しょう】丞相【しょうじょう】、幕下【ばくか】復た用う張子房。
張公 一生 江海の客、身の長【たけ】九尺 須眉【しゅび】蒼たり。
徵【め】され起【た】って適【たまたま】遇う風雲の会、顛を扶けて貯めて知る籌策【ちゅうさく】の良きを。
青砲 白馬更に何か有らん、後漢 今周【こんしゅう】再び昌【さかん】なるを喜ぶ。』

寸地 尺天【せきてん】皆入貢【にゅうこう】す、奇祥【きしょう】異端【いずい】争うて来り送る。
知らず何の国か白環を致す、復た道【い】う諸山【しょさん】銀甕【ぎんおう】を得たりと。
陰士【いんし】歌うを休めよ紫芝【しし】の曲、詞人【しじん】撰することを解す清河の頌。
田家 望望 雨の乾【かわ】くを惜む、布穀【ふこく】処処 春種【しゅんしゅ】を催【うな】がす。
淇上【ぎじょう】の健児は帰るに懶【らん】なること莫れ、城南の思婦【しふ】は愁えて夢多し。
安【いずく】んぞ壮士【そうし】天河【てんが】を挽きて、浄く甲兵【こうへい】を洗うて長く用いざるを得ん。』


現代語訳と訳註
(本文)
#1
中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。
河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』


(下し文) #1
中興の諸将山東を収む、捷書【しょうしょ】夜報じて清昼【せいちゅう】も同じ。
河の広きも伝聞す一葦【いちい】過ぐと、胡危くして命【めい】は在り破竹の中。
秖【ただ】鄴城【ぎょうじょう】を残すも日ならずして得ん、独り任【にん】ず朔方【さくほう】無限の功。
京師【けいし】皆 騎【の】る汗血【かんけつ】の馬、回紇【かいこつ】肉を喂【い】す葡萄宮【ぶどうきゅう】。
己に喜ぶ皇威【こうい】の海岱【かいたい】を清【きよ】うするを、常に思う仙仗【せんじょう】の崆峒【こうどう】に過【よ】りしを。
三年 笛裡【てきり】の関山月、万国 兵前【へいぜん】草木の風。』


(現代語訳)
わが唐の中興の諸将らは山東河北の土地を安慶緒らの手から奪回、回収して、その勝ちをしらせる旗印が夜中にくるし、昼もまた同じようにやってくる。
きくところによると王朝軍は黄河の広い河水も一束の葦を浮べてわたるかの様に容易く過ぎてしまい、安慶緒の軍は危くなってその運命は破竹の勢に乗っていくものとしているほど迫っている。
ただのこっているのは鄴城であるがそれも日数の立たないうちに吾が唐軍の手に得られるであろうし、すべて唐王朝軍のこの形勢をきめることは朔方節度たる郭子儀のはかられざる大功勲にすべてがかかっているのである。
長安のみやこでも回紇(ウイグル騎馬)の兵が援助にきて彼等はみな汗血の馬に騎り、葡萄宮の役割の御苑宮城ですべて養われつつあるのである。
一方にはもはやわが天子の御威光が渤海・岱山の遠方までを鎮定するに至ったことを喜ぶとともに、他方には我が君がかつて崆峒山のあたりまで御通過になったことはわすれられぬことである。
およそ三箇年というものは笛中に関山月の曲を吹いて戦になやんだが、いまやあらゆる地方が唐王朝軍の討伐の前面には草木の風になびく様に服従せんとするほどになってきた。』


(訳注)
中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。

わが唐の中興の諸将らは山東河北の土地を安慶緒らの手から奪回、回収して、その勝ちをしらせる旗印が夜中にくるし、昼もまた同じようにやってくる。
中興諸将 郭子儀等をいう。758年乾元元年十月郭子儀は杏園より黄河を渡り、東にむかい獲嘉に至り、安太清を破った。太清は衛州に敗走したが、郭子儀はこれを囲んで勝った。太清は史思明のもとに敗走した。また魯炅は陽武より渡り、李光環・雀光速は酸棗より渡り、李嗣業とともに皆衛州の郭子儀のもとに集結した。安慶緒は鄴城一帯の衆七万を以て鄴城に逃げ込むものを救ったが、郭子儀は次第に追い詰めていった。そして、安慶緒の弟安慶和を獲てこれを殺し、遂に衛州を手中にした。衛州は今の河南省衛輝府の汲県治である。この時から安慶緒は鄴城に籠城する。ネズミ一匹二千両、壁土のわらを馬糞と混ぜて馬に食わせたといわれる。これを救ったのが史思明である。(この詩の後のこと)○収山東 収とは回収したこと、山東とは大行山の東、河北の地をさす。○捷書 帛に文字をかき竿にかかげ、勝ち戦をしらすもの伝聞させる。〇清昼同 昼も夜と同じようにかちの報せがくる。


河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
きくところによると王朝軍は黄河の広い河水も一束の葦を浮べてわたるかの様に容易く過ぎてしまい、安慶緒の軍は危くなってその運命は破竹の勢に乗っていくものとしているほど迫っている。
河広 河は黄河。〇一葦 「詩経」衛風河広に「誰謂河広、一葦杭之。」(誰か河を広しと謂う、一葦をもて之を杭【わた】らん。)とみえる。一葦は、ひとたばのあしをいぅ。黄河の水が広くても一束の葦をうかべいかだのごとくにして渡れるということ、一葦過とは一葦杭のごとく容易にわたることをいう。○胡危 安史軍の形勢のあやういこと。○ 運命。○破竹中 晉書『杜預伝』に「今兵威己振。譬如破竹、数節之後、皆迎刃而解。」(今 兵威は己に振う。たとえば竹を破るが如し、数節の後も、皆刃を迎えて解く。」とある。竹を割る時は、一節割れば他の節はたやすくからからとわれてゆく、もろく割れようとする勢いのなかにあり、抑えがたい様子をいう。○砥残 ただあますことをいう。


秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
ただのこっているのは鄴城であるがそれも日数の立たないうちに吾が唐軍の手に得られるであろうし、すべて唐王朝軍のこの形勢をきめることは朔方節度たる郭子儀のはかられざる大功勲にすべてがかかっているのである。
鄴城 相州をいう。相州は武徳元年に置かれ、天宝元年には鄴郡と改め、乾元二年に鄴城となった、即ち河南省彰徳府安陽県治である。安史軍安慶緒が破れて鄴に敗走したのを以て郭子儀は許叔冀・董泰・王思礼等とこれを囲んだ。○不日 多くの日かずをまたず。○ 王朝軍の手に得ること。○朔方 朔方節度使郭子儀をいう、朔方軍は初めは霊州に鎮したが、のち邠州に鎮した。○無限功 大功勲。


京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
長安のみやこでも回紇(ウイグル騎馬)の兵が援助にきて彼等はみな汗血の馬に騎り、葡萄宮の役割の御苑宮城ですべて養われつつあるのである。
京師 長安、京は大、師は衆。大にして人口が多いので、京師という。○皆騎 回紇の兵は騎馬民族なので、兵の全員が皆騎ることをいう。○汗血馬 血の汗をだす名馬。もてる力を十分出すことができる馬のこと。〇回紇 ウイグル騎馬民族の名、唐の官軍の援助に来たのである。○喂肉  唐王朝が彼等を養うことをいう、喂ははぐくみ養う。畏れる意味を含む。『中華大辞典』喂は俗に用いて哺飼の意味に使う。○葡萄宮 漢の上林苑にあった宮の名、唐の御苑内の宮をいうのに天子を指すことになるので、古い呼び名をかり用いる。事実は758年乾元元年八月、回紇が其の臣骨啜特勅及び帝徳をつかわし、驍騎三千をもって安慶緒を討つことを助けさせた。天子は、朔方左武鋒便僕国懐恩をして、これを領せしめたということがある。


已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
一方にはもはやわが天子の御威光が渤海・岱山の遠方までを鎮定するに至ったことを喜ぶとともに、他方には我が君がかつて崆峒山のあたりまで御通過になったことはわすれられぬことである。
皇威 天子のご威光。○清海岱 海は渤海、岱は泰山、海岱にて山東省より河北省北部をかけていう、安史軍史思明の根拠地である。この時、一時的に史思明が唐王朝に随うように噂されていた。実際には史思明は三権鼎立を模索していたようだ。清とは風塵をきよめ、乱を鎮定すること。


三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』
およそ三箇年というものは笛中に関山月の曲を吹いて戦になやんだが、いまやあらゆる地方が唐王朝軍の討伐の前面には草木の風になびく様に服従せんとするほどになってきた。』
常思 いつもおもう、杜甫がいつもおもうこと。○仙仗過崆峒 粛宗の霊武に往来されたことをさす、仙仗は天子の道路行列にたでるもの、崆峒は山の名、甘粛省平涼府固原州の西百里(約8km)にある。〇三年 至徳元載より今乾元二年の初めまでをいう。○笛裏関山月 「関山月」は従軍の意をうたった笛の曲の名、笛曲中にこれを吹き奏すというは戦のつづいたことをさす。李白31 関山月李白『關山月』 「明月出天山、蒼茫雲海間。長風幾萬里、吹度玉門關。漢下白登道、胡窺青海灣。由來征戰地、不見有人還。戍客望邊色、思歸多苦顏。高樓當此夜、歎息未應閑。」とある〇万国 天下の諸地をさす。○兵前 王朝軍の討伐の前面。○草木風 草木が風になびきふすごとくに服従しょうとすることをいう。「三年」の句は「仙仗」の句を承け、「万国」の旬は「皇威」の句を承けていう、「中興諸将」より「万国兵前」まで河北の捷報をきき王朝軍の必勝の望みのあることをいう。この気持ちを持っていたから、その後、史思明が安慶著を助け、大逆転がおこったことで、杜甫が官を辞することになっていくのである。


黄河二首 杜甫