洗兵行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ995 杜甫特集700- 296
(洗兵行)


この詩の結句「淨洗甲兵長不用」(浄く甲兵【こうへい】を洗うて長く用いざるを得ん)とある「洗兵」の二句をとって題とする。
天の河の水で武器をあらい去り、永久に用いない様にしたいという意味をのべた詩である。九節度の官軍が相州の鄴城に敗れたのは乾元二年三月三日壬中であり、此の詩はしきりに官軍の捷報を得て未だ敗れなかったときに成ったものであるから、そのことにより同年二月中の作で、洛陽での作とする。原注に「収京後作」とある。


洗兵行(洗兵馬)#1
中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。
河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』
#2
成王功大心轉小,郭相謀深古來少。
いま王朝の要路にいる人々を見るに、わが成王はうちたてられた功が大いなるものであるのに、その心は慎み深くちいさいとこまでの用意周到にせられ、宰相郭氏は謀のふかいことをむかしからめったにみせないほどである。
司徒清鑒懸明鏡,尚書氣與秋天杳。
司徒李光弼は人物をみぬく力のあり、性格はあかるくあたかも鏡をかけたようなのだ、兵部の王尚書の気象は秋の空とともにはるかに澄み渡っているのだ。
二三豪俊為時出,整頓乾坤濟時了。
これらの豪傑は時代を救わんがために出てきて天地の乱れたのを整えて時代を救い終わったのである。
東走無複憶鱸魚,南飛覺有安巢鳥。
だから張翰の様に秋風が吹いたといって東に走って鱸魚の刺身が恋しいなどいって、朝廷から逃げ出すものもなく、南の越の鳥は南枝にとんでおちついてその巣にとまっている様に人々は安堵しているのだ。 
青春複隨冠冕入,紫禁正耐煙花繞。
都を奪還されたことと共に文武百官がりっぱな冠をつけて歸入してきたことにつれて春景色もそれと一緒にめぐってきている、宮城のうちはちょうど煙霞や百花がぐるりととりかこむにふさわしくみえるようだ。
鶴禁通宵鳳輦備,雞鳴問寢龍樓曉。』
皇太子(成王)はよるになっても鶴駕にて天子の御安否をおたずねになり、それとともに天子もまた鳳輦をおそなえになって、御父子連れ立って、鳥の鳴く暁には御隠居の玄宗の御安否を寝門の外、南内にある興慶宮にお問いになるべく竜楼門にも比すべき御門からお出ましになる。』

#2
成王【せいおう】功大【こうだい】にして心 転【うたた】小なり、郭相【かくしょう】謀【はかりごと】深うして古来少【まれ】なり。
司徒の清鑒【せいかん】明鏡【めいきょう】を懸【か】く、尚書【しょうしょ】の気は秋天【しゅうてん】と杳【はるか】なり。
二三の豪傑【ごうけつ】時の為めに野で、乾坤【けんこん】を整頓して時を済【すく】い了【おわ】る。
東走【とうそう】復【ま】た鱸魚【ろぎょ】を憶【おも】う無く、南飛【なんぴ】巣に安【やす】んずるの鳥有るを党ゆ。
青春復た冠冕【かんべん】に随うて入る、紫禁正に煙花の繞【めぐ】るに耐えたり。
鶴駕【かくが】通宵【つうしょう】鳳輦【ほうれん】備わり、雞鳴【けいめい】寝を問う竜楼【りゅうろう】の暁【あかつき】。』
#3
攀龍附鳳勢莫當,天下盡化為侯王。
汝等豈知蒙帝力?時來不得誇身強。
關中既留蕭丞相,幕下複用張子房。
張公一生江海客,身長九尺須眉蒼。
徵起適遇風雲會,扶顛始知籌策良。
青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。』
#4
寸地尺天皆入貢,奇祥異瑞爭來送。
不知何國致白環,複道諸山得銀甕。
隱士休歌紫芝曲,詞人解撰清河頌。
田家望望惜雨幹,布穀處處催春種。
淇上健兒歸莫懶,城南思婦愁多夢。
安得壯士挽天河,淨洗甲兵長不用!』



現代語訳と訳註
(本文) #2
成王功大心轉小,郭相謀深古來少。
司徒清鑒懸明鏡,尚書氣與秋天杳。
二三豪俊為時出,整頓乾坤濟時了。
東走無複憶鱸魚,南飛覺有安巢鳥。
青春複隨冠冕入,紫禁正耐煙花繞。
鶴禁通宵鳳輦備,雞鳴問寢龍樓曉。』


(下し文)
#2
成王【せいおう】功大【こうだい】にして心 転【うたた】小なり、郭相【かくしょう】謀【はかりごと】深うして古来少【まれ】なり。
司徒の清鑒【せいかん】明鏡【めいきょう】を懸【か】く、尚書【しょうしょ】の気は秋天【しゅうてん】と杳【はるか】なり。
二三の豪傑【ごうけつ】時の為めに野で、乾坤【けんこん】を整頓して時を済【すく】い了【おわ】る。
東走【とうそう】復【ま】た鱸魚【ろぎょ】を憶【おも】う無く、南飛【なんぴ】巣に安【やす】んずるの鳥有るを党ゆ。
青春復た冠冕【かんべん】に随うて入る、紫禁正に煙花の繞【めぐ】るに耐えたり。
鶴駕【かくが】通宵【つうしょう】鳳輦【ほうれん】備わり、雞鳴【けいめい】寝を問う竜楼【りゅうろう】の暁【あかつき】。』


(現代語訳)
いま王朝の要路にいる人々を見るに、わが成王はうちたてられた功が大いなるものであるのに、その心は慎み深くちいさいとこまでの用意周到にせられ、宰相郭氏は謀のふかいことをむかしからめったにみせないほどである。
司徒李光弼は人物をみぬく力のあり、性格はあかるくあたかも鏡をかけたようなのだ、兵部の王尚書の気象は秋の空とともにはるかに澄み渡っているのだ。
これらの豪傑は時代を救わんがために出てきて天地の乱れたのを整えて時代を救い終わったのである。
だから張翰の様に秋風が吹いたといって東に走って鱸魚の刺身が恋しいなどいって、朝廷から逃げ出すものもなく、南の越の鳥は南枝にとんでおちついてその巣にとまっている様に人々は安堵しているのだ。 
都を奪還されたことと共に文武百官がりっぱな冠をつけて歸入してきたことにつれて春景色もそれと一緒にめぐってきている、宮城のうちはちょうど煙霞や百花がぐるりととりかこむにふさわしくみえるようだ。
皇太子(成王)はよるになっても鶴駕にて天子の御安否をおたずねになり、それとともに天子もまた鳳輦をおそなえになって、御父子連れ立って、鳥の鳴く暁には御隠居の玄宗の御安否を寝門の外、南内にある興慶宮にお問いになるべく竜楼門にも比すべき御門からお出ましになる。』


(訳注)
成王功大心轉小,郭相謀深古來少。

いま王朝の要路にいる人々を見るに、わが成王はうちたてられた功が大いなるものであるのに、その心は慎み深くちいさいとこまでの用意周到にせられ、宰相郭氏は謀のふかいことをむかしからめったにみせないほどである。
成王 粛宗の子、広平王俶、俶ははじめ楚王となり、758乾元元年二月成王に封ぜられ、四月皇太子となった、俶は南京を収復するのに大功があったのでここに言及するもの。○心転小 小心とは細慎な注意をすることで、小心者ではない、功を花にかけて慢心しないつつましいことをいう。○郭相 中書令(即ち宰相)郭子儀をいう、唐王朝軍の実質の総指揮官である。安史の乱の初めは、霊武にある郭子儀の朔方軍だけが王朝軍の中で唯一の軍であり、粛宗が霊武に行在所を置いた。それから、ウイグルの援軍を得て反撃したのである。長安洛陽の奪還も郭子儀なくしては奪還は不可能であったといわれている。


司徒清鑒懸明鏡,尚書氣與秋天杳。
司徒李光弼は人物をみぬく力のあり、性格はあかるくあたかも鏡をかけたようなのだ、兵部の王尚書の気象は秋の空とともにはるかに澄み渡っているのだ。
司徒 李光弼、時に検校司徒を加えられる。○清鑒 人物をみぬく力のあることをいう。○懸明鏡 かがみにたとえる。○尚書 王思礼をいう、時に兵部尚書に遷る、安慶緒を討つときに粛宗は河東の李光弼、沢潞の王思礼の二節度使をして、部下の兵をひきいてこれを助けさせた。○気与秋天香 気は人の気象をいう、その気象は、秋の澄みわたった気が天とともに高く遙かなのに似ている、思礼の意気の爽かなさまをいう。


二三豪俊為時出,整頓乾坤濟時了。
これらの豪傑は時代を救わんがために出てきて天地の乱れたのを整えて時代を救い終わったのである。
二三豪傑 上に列挙した人々をさす、万人に徳をするものを俊、千人に徳をするものを豪というという。〇 その時世。○整頓乾坤 天地のかたむきみだれているのを正しくととのえなおす。○済時 時代を難儀から救う。


東走無複憶鱸魚,南飛覺有安巢鳥。
だから張翰の様に秋風が吹いたといって東に走って鱸魚の刺身がこいしいなどいって、朝廷からにげだすものもなく、南の越の鳥は南枝にとんでおちついてその巣にとまっている様に人々は安堵しているのだ。 
東走無複憶鱸魚 晋の張翰が世の乱れたのを見、秋風の起るにあたって、故郷である呉の蒪羹、鱸魚を思うといって官を辞してかえったが、今は世が治まっているのでさようの人物が無いということ。東走とは呉は東南であるから東という。世の中が安定してくれば自分の役割は終了した、高級官僚に未練はなく故郷に帰って隠棲するということである。○南飛覺有安巢鳥 南の方から飛んできた鳥は南の枝を選ぶという故事。南の枝については、梅の南側の枝に蕾が付くもの、民衆は南の枝のツボミ、花ということという故事から来ている。古詩に「越鳥は南枝に巣くう」とある。越(今の浙江省)は南の国であるからその国の鳥はもし北方へゆけば木に巣をかまえるのにも南の枝をえらんですくうとの意。


青春複隨冠冕入,紫禁正耐煙花繞。
都を奪還されたことと共に文武百官がりっぱな冠をつけて歸入してきたことにつれて春景色もそれと一緒にめぐってきている、宮城のうちはちょうど煙霞や百花がぐるりととりかこむにふさわしくみえるようだ。
青春複隨冠冕入 青春ははるのこと。冠冕は高位の官のかぶりもの、これをかぶる人々をさす。人とは春もこれらの人々について都にはいったということ。冕は高官の冠に付け下げる珠。○紫禁 天子の居は天の紫微宮にかたどる、因って宮中を紫禁、禁中という。○煙花繞 春の煙霞や花がとりかこむ、春色のたけなわであることをいう。


鶴禁通宵鳳輦備,雞鳴問寢龍樓曉。
皇太子(成王)はよるになっても鶴駕にて天子の御安否をおたずねになり、それとともに天子もまた鳳輦をおそなえになって、御父子連れ立って、鳥の鳴く暁には御隠居の玄宗の御安否を寝門の外、南内にある興慶宮にお問いになるべく竜楼門にも比すべき御門からお出ましになる。』
鶴駕 太子の駕をいう、周の霊王の太子晋が白鶴に乗じて仙となって去ったのによって太子の駕を鶴駕という。ここでは太子俶の駕をさす。○通宵 夜通しのことであるが俶が、夜、粛宗の安否をとうことをいう。○鳳輩 天子ののる御手車、上に鳳鳥をのせる、粛宗の乗ずる所のものをいう。宮殿内の移動に使う。○ その用意をととのえることをいう。○雞鳴問寢 粛宗と供と、父子相い随って玄宗の安否を南内(興慶宮)に問うことをいう、「礼記」文王世子に文王が太子であったときその親の安否をたずねたことをのべて、「鶏初めて鳴き、寝門の外に至り、内竪の御者に問うて日く、今日 安否 如何と。」という。○問寝 寝門にいたって問うことをいう。竜楼暁は粛宗が子としての礼を玄宗につくすことは漢の成帝に似ていることをいう。成帝が太子であったとき元帝が急に太子を召したとき、太子は竜楼門より出て敢て馳道(天子の通るみち)をよこぎらなかったという。竜楼は門の名でその上に銅竜があるのによってかく名づけるという。粛宗の即位の制に「宗廟ヲ函雒に復し、上皇(玄宗)を巴萄より迎え、鑾輿を導きて、正に反し、寝門に朝して以て安きを問えば、朕の願は畢れり。」とある。「成王」の句より「雞鳴」の句までは粛宗の即位の制に報いられる将相の姿を故事を使ってといたもので、杜甫の官に対する未練を感じるものである。儒教的発想。