洗兵行 #4 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1001 杜甫特集700- 298
(洗兵行)


洗兵行(洗兵馬)
中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。
河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』
成王功大心轉小,郭相謀深古來少。
司徒清鑒懸明鏡,尚書氣與秋天杳。
二三豪俊為時出,整頓乾坤濟時了。
東走無複憶鱸魚,南飛覺有安巢鳥。
青春複隨冠冕入,紫禁正耐煙花繞。
鶴禁通宵鳳輦備,雞鳴問寢龍樓曉。』
攀龍附鳳勢莫當,天下盡化為侯王。
汝等豈知蒙帝力?時來不得誇身強。
關中既留蕭丞相,幕下複用張子房。
張公一生江海客,身長九尺須眉蒼。
徵起適遇風雲會,扶顛始知籌策良。
青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。』
寸地尺天皆入貢,奇祥異瑞爭來送。
僅かの取るに足らない土地・空間までもみな朝廷へ入貢するし、めずらしく変わったもの、目出度いしるしのものが、あちからもこちからも争うように送ってくる。
不知何國致白環,複道諸山得銀甕。
昔のものか、どこの国かはわからないが白玉の環を献じたというし、また世人のいうところによるといろいろの山々で見つけられた銀の「みか」の茶道具を献じた。
隱士休歌紫芝曲,詞人解撰清河頌。
それで通るなら、隠遁者も四皓のように山の中で「紫芝曲」などうたうことはやめてしまえばいいし、文学者は飽照ならずとも平和を讃える「清河頌」をつくることなどこころえていることなのだ。
田家望望惜雨幹,布穀處處催春種。
農家では失望ばかり、雨がすくなく、乾燥して惜しんでばかりいる。カッコウ鳥は食べるものがないので処々で種まきをさいそくしている。(雨が降らないから空を眺めてため息をつき、なす術がないことをいう。)
淇上健兒歸莫懶,城南思婦愁多夢。
淇水の方へ征伐にでかけている兵卒はどうぞ早く鄴城の安慶緒の叛乱軍を平げてすばやく帰ってほしいものだ。というのも、都の城南の出征兵の寡婦は夜、夫の夢ばかりみて心配ごとがおおくなるばかりなのだ。
安得壯士挽天河,淨洗甲兵長不用!』
自分はできるなら、壮士をやとい、天の川の水をひっぱってきて、さっぱりとよろいや武器を洗い去って永久に用いない様にしたいものだと願うのである。
#1
中興の諸将山東を収む、捷書【しょうしょ】夜報じて清昼【せいちゅう】も同じ。
河の広きも伝聞す一葦【いちい】過ぐと、胡危くして命【めい】は在り破竹の中。
秖【ただ】鄴城【ぎょうじょう】を残すも日ならずして得ん、独り任【にん】ず朔方【さくほう】無限の功。
京師【けいし】皆 騎【の】る汗血【かんけつ】の馬、回紇【かいこつ】肉を喂【い】す葡萄宮【ぶどうきゅう】。
己に喜ぶ皇威【こうい】の海岱【かいたい】を清【きよ】うするを、常に思う仙仗【せんじょう】の崆峒【こうどう】に過【よ】りしを。
三年 笛裡【てきり】の関山月、万国 兵前【へいぜん】草木の風。』
#2
成王【せいおう】功大【こうだい】にして心 転【うたた】小なり、郭相【かくしょう】謀【はかりごと】深うして古来少【まれ】なり。
司徒の清鑒【せいかん】明鏡【めいきょう】を懸【か】く、尚書【しょうしょ】の気は秋天【しゅうてん】と杳【はるか】なり。
二三の豪傑【ごうけつ】時の為めに野で、乾坤【けんこん】を整頓して時を済【すく】い了【おわ】る。
東走【とうそう】復【ま】た鱸魚【ろぎょ】を憶【おも】う無く、南飛【なんぴ】巣に安【やす】んずるの鳥有るを党ゆ。
青春復た冠冕【かんべん】に随うて入る、紫禁正に煙花の繞【めぐ】るに耐えたり。
鶴駕【かくが】通宵【つうしょう】鳳輦【ほうれん】備わり、雞鳴【けいめい】寝を問う竜楼【りゅうろう】の暁【あかつき】。』

攣竜【はんりゅう】附鳳【ふほう】勢【いきおい】当る莫し、天下尽【ことごと】く化して侯王【こうおう】と為る。
汝等 豈に知らんや帝刀【ていとう】を蒙【こうむ】るを、時来るも身の強に誇【ほこ】ることを得ず。
関中 既に留む蕭【しょう】丞相【しょうじょう】、幕下【ばくか】復た用う張子房。
張公 一生 江海の客、身の長【たけ】九尺 須眉【しゅび】蒼たり。
徵【め】され起【た】って適【たまたま】遇う風雲の会、顛を扶けて貯めて知る籌策【ちゅうさく】の良きを。
青砲 白馬更に何か有らん、後漢 今周【こんしゅう】再び昌【さかん】なるを喜ぶ。』

寸地 尺天【せきてん】皆入貢【にゅうこう】す、奇祥【きしょう】異端【いずい】争うて来り送る。
知らず何の国か白環を致す、復た道【い】う諸山【しょさん】銀甕【ぎんおう】を得たりと。
陰士【いんし】歌うを休めよ紫芝【しし】の曲、詞人【しじん】撰することを解す清河の頌。
田家 望望 雨の乾【かわ】くを惜む、布穀【ふこく】処処 春種【しゅんしゅ】を催【うな】がす。
淇上【ぎじょう】の健児は帰るに懶【らん】なること莫れ、城南の思婦【しふ】は愁えて夢多し。
安【いずく】んぞ壮士【そうし】天河【てんが】を挽きて、浄く甲兵【こうへい】を洗うて長く用いざるを得ん。』

唐宋時代鄴城05



現代語訳と訳註
(本文) 
#4
寸地尺天皆入貢,奇祥異瑞爭來送。
不知何國致白環,複道諸山得銀甕。
隱士休歌紫芝曲,詞人解撰清河頌。
田家望望惜雨幹,布穀處處催春種。
淇上健兒歸莫懶,城南思婦愁多夢。
安得壯士挽天河,淨洗甲兵長不用!』

(下し文) #4
寸地 尺天【せきてん】皆入貢【にゅうこう】す、奇祥【きしょう】異端【いずい】争うて来り送る。
知らず何の国か白環を致す、復た道【い】う諸山【しょさん】銀甕【ぎんおう】を得たりと。
陰士【いんし】歌うを休めよ紫芝【しし】の曲、詞人【しじん】撰することを解す清河の頌。
田家 望望 雨の乾【かわ】くを惜む、布穀【ふこく】処処 春種【しゅんしゅ】を催【うな】がす。
淇上【ぎじょう】の健児は帰るに懶【らん】なること莫れ、城南の思婦【しふ】は愁えて夢多し。
安【いずく】んぞ壮士【そうし】天河【てんが】を挽きて、浄く甲兵【こうへい】を洗うて長く用いざるを得ん。』

(現代語訳)
僅かの取るに足らない土地・空間までもみな朝廷へ入貢するし、めずらしく変わったもの、目出度いしるしのものが、あちからもこちからも争うように送ってくる。
昔のものか、どこの国かはわからないが白玉の環を献じたというし、また世人のいうところによるといろいろの山々で見つけられた銀の「みか」の茶道具を献じた。
それで通るなら、隠遁者も四皓のように山の中で「紫芝曲」などうたうことはやめてしまえばいいし、文学者は飽照ならずとも平和を讃える「清河頌」をつくることなどこころえていることなのだ。
農家では失望ばかり、雨がすくなく、乾燥して惜しんでばかりいる。カッコウ鳥は食べるものがないので処々で種まきをさいそくしている。(雨が降らないから空を眺めてため息をつき、なす術がないことをいう。)
淇水の方へ征伐にでかけている兵卒はどうぞ早く鄴城の安慶緒の叛乱軍を平げてすばやく帰ってほしいものだ。というのも、都の城南の出征兵の寡婦は夜、夫の夢ばかりみて心配ごとがおおくなるばかりなのだ。
自分はできるなら、壮士をやとい、天の川の水をひっぱってきて、さっぱりとよろいや武器を洗い去って永久に用いない様にしたいものだと願うのである。


(訳注)#4
寸地尺天皆入貢,奇祥異瑞爭來送。

僅かの取るに足らない土地・空間までもみな朝廷へ入貢するし、めずらしく変わったもの、目出度いしるしのものが、あちからもこちからも争うように送ってくる。
寸地尺天 いかにわずかの土地、空間までも。この語は心小さいことを示す使い方をすることから、価値のないものでも、媚びるために貢ぐことをいう。この句より、その様子を詠う。寸地は少しの土地。『唐書、李光弼傳』「李光弼曰、両軍相敵、尺寸地必争。」(李光弼曰く、両軍相敵すれば、尺寸の地も必ず争う。)尺天はわずかな空・すきま、寸田尺宅:わずかの資産、寸善尺魔:わずかな良いことにも大きな邪魔の入る意味で、成就しがたいことをいう、寸兵尺鉄:少しの武器。○入貢 中央朝廷の方へやって来て貢をたてまつる。○奇祥異端 めずらしくかわっためでたいしるしのもの、次聯にいう白環や銀甕等をさす。○来送 中央へおくりこす。


不知何國致白環,複道諸山得銀甕。
昔のものか、どこの国かはわからないが白玉の環を献じたというし、また世人のいうところによるといろいろの山々で見つけられた銀の「みか」の茶道具を献じた。
致白環 「竹書紀年」に帝舜の九年に西王母が来朝し、白環宝珠を献じたとの記載がある。白自環は白玉の環、致とはこちらへよこすこと。美女を示す場合が多い。○ 世間で一般的に言う。○銀甕 茶道具で銀製の湯沸し。ぎんのもたい、みか。六朝から高貴な趣向として、「茶」が盛んになってきたので貢物として茶道具を送ったもの。


隱士休歌紫芝曲,詞人解撰清河頌。
それで通るなら、隠遁者も四皓のように山の中で「紫芝曲」などうたうことはやめてしまえばいいし、文学者は飽照ならずとも平和を讃える「清河頌」をつくることなどこころえていることなのだ。
隠士 隠遁者。よすてびと。○休歌 歌うのをやめよとはかくれず世にいでよということ。○紫芝曲 商山の四皓はもと秦の博士であったが世のみだれたのにより山にかくれて採芝の歌をつくった。その歌は四言十句あって、「曄曄紫芝,可以疗飢。皇虞邈远,余将安歸」(曄曄たる紫芝、以て飢を療す可し。唐虞往きぬ、吾は当に安にか帰すべき。)の語がある。中国秦末、国乱を避けて陝西省商山に入った、東園公・綺里季・夏黄公・甪里(ろくり)の四人の隠士。全員鬚(ひげ)や眉が真っ白の老人であった。東洋画の画題として描かれた。杜甫『題李尊師松樹障子歌』○詞人 文学者。○解撰 つくることを心得ている。撰は法則、述べ、つくる。○清河頌 平穏なことを待っていてなれば喜ばしいこと。南朝、宋の元嘉中に河水、清水ともに清んだ、時に飽照は「河清頒」をつくった。黄河の澄むのは太平の象とせられる。「河清難俟」“いつも濁っている黄河の水が澄むのを待っていても当てにならない” ということに基づいている。


田家望望惜雨幹,布穀處處催春種。
農家では失望ばかり、雨がすくなく、乾燥して惜しんでばかりいる。カッコウ鳥は食べるものがないので処々で種まきをさいそくしている。(雨が降らないから空を眺めてため息をつき、なす術がないことをいう。)
田家 農家。孟浩然『田家元日』『田園作』参照。○望望 がっかりするさま。失意のさま。〇雨乾 ひでりで雨のないこと。乾元二年春にはひでりがあった。その前は、長雨で、杜甫は『喜晴』(晴れを喜ぶ)を詠っている。○布穀 カッコウの別名。鳩の一種、戴勝のことという。○ はとがなくのは節をしらせてたねまきをさせるためである。○春種 はるたねまきすること。


淇上健兒歸莫懶,城南思婦愁多夢。
淇水の方へ征伐にでかけている兵卒はどうぞ早く鄴城の安慶緒の叛乱軍を平げてすばやく帰ってほしいものだ。というのも、都の城南の出征兵の寡婦は夜、夫の夢ばかりみて心配ごとがおおくなるばかりなのだ。
淇上健児 淇は水の名、衛州(衛輝府汲県)にある、相州(鄴城)の南隣の地、淇上とは淇水のほとり。健児は武卒のこと。淇上の健児とは鄴城を囲むためにでむいている郭子儀など九節度使の王朝軍の兵卒をさす。○帰莫懶 もたもたせずと早くかえれ。懶はゆっくりとして物憂し、ただし早く功をなしとげたうえはやくかえれとの意。○城南 長安城南。○思婦 征伐に出ている夫をおもうている妻。出征兵の寡婦。○愁多夢 夢は夫についてのゆめ。 


安得壯士挽天河,淨洗甲兵長不用
自分はできるなら、壮士をやとい、天の川の水をひっぱってきて、さっぱりとよろいや武器を洗い去って永久に用いない様にしたいものだと願うのである。
安得 希望のことば。○壮士 兵卒。○天河 あまのがわ、そのかわみずをいう、かわ水で兵を洗うことはないけれども、雨が兵をあらうということはある。「説苑」に周の武王が殿の紺王を伐ったときに大雨がふった。(散宜生がこれは妖ではないかといったところ、武王は、しからず、これ天、兵を洗うなりといったという。)天河というのは日照り続きで、農民も兵も雨を待っていることを作者杜甫が想像をもちいて云ったものである。○洗甲兵 よろい、武器をあらう、洗兵のことは上にみえる。「寸地尺天」以下#4の末段はいよいよ太平の来る可能性が出てきたために、杜甫が期待していることをいい、早く戦争の終結することをいっている。


解説
●この詩の時期までは、唐の王朝軍が優勢であった。杜甫は間もなく王朝軍が勝利宣言をするものと思っていたのだろう。安禄山が反乱を起こすことが分かっていて、都長安から逃避し、鳳翔で左拾遺の地位にあって、長安、洛陽の脱会の折も、羌村に避難した。戦況のターニングポイントでその場をすべて回避している。この詩の時も唐王朝軍が勝つものと思い込んでいる。誠実実直な杜甫であるが、戦況、状況を見極める戦略師的な部分化欠如していたと見なければなるまい。

● この勝つべきものと思っていた戦いに大敗を喫するわけであるから杜甫が受けたショックは計り知れないものがあり、したがってだれよりも強い恐怖が杜甫を襲ったに違いないと思うのである。

●この時安慶緒は単独軍で戦って鄴城に追い詰められたのである。史思明は唐王朝と、安慶緒、そして史思明自身の軍の三権鼎立を模索して、唐王朝と安慶緒と、等間隔で対処していたのである。ここで史思明が安慶緒を援護に回ったことで、形勢が逆転したのだ。

●此の詩は、杜甫が官を辞したことの心情がくみ取れるものである。詩自体の出来はともかく官を辞す決意をさせることになった意味を知る作品である。左拾遺での仕事もほとんどしていないし、華州での仕事もしていない。結局、詩人として生きていくことの道を選ぶのである。