留花門 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1004 杜甫特集700- 299
(花門すなわち回紇種族<ウイグル騎馬民族>の兵を内地にどめておくこと)

花門すなわち回紇種族の兵を内地にとどめておくことにつき、そのとどめておくべからざることをのべた詩である。製作時は乾元元年秋とする。
 

留花門 #1
花門の回紇種族(ウイグル騎馬民族)の軍隊を国内にとどめる。
北門天驕子,飽肉氣勇決。
花門の回紇種族(ウイグル騎馬民族)の軍隊は天子の降せる“いたずら坊や”であって、平生飽きるほどの肉食提供をしていて、気象が勇決なものである。
高秋馬肥健,挾矢射漢月。」
彼らは天高い秋、馬の肥えて達者な時候になる、矢をたばさんで唐の月を射んとするのである。」
自古以爲患,詩人厭薄伐。
このウイグル異民族らは古来より中国の人々がこまりごととしたものであったのだ、すでに「詩経」の作者の詩人たちもこれを征伐にでかけることをきらったものであったことをのべている。
修德使其來,羈縻固不絕。
それでウイグルとの戰はできるだけしないで、こちらの徳を修め、感化してこちら側へ来させるようにしむけ、牛馬を繋ぐ様につないで離れさせぬように取り扱うことはもとより絶えずやってきてはいるのだ。
胡爲傾國至,出入暗金闕。』

ところで回紇はどうして自分の国を傾けるかもしれなのに、勢力をこぞってこちらへやって来て、その出入りするときには金闕を暗くなるほどにむらがっているのであろうか。』
#2  
中原有驅除,隱忍用此物。
公主歌黄鵠,君王指白日。
連雲屯左輔,百里見積雪。
長戟鳥休飛,哀笳曙幽咽。
田家最恐懼,麥倒桑枝摺。』
#3
沙苑臨清渭,泉香草豐潔。
渡河不用船,千騎常撇烈。
胡塵逾太行,雜種抵京室。
花門既須留,原野轉蕭瑟。』


(花門を留む)#1
花門は天の驕子【きょうし】、肉に飽きて気勇決【ゆうけつ】なり。
高秋 馬 肥健【ひけん】なり、矢を挾【さしはさ】みて漢月を射る。」
古より以て患【うれ】えと為す、詩人薄伐【はくばつ】を厭【いと】う。
徳を修【おさ】めて其をして来たらしむ、羈縻【きひ】固【もと】より絶えず。
胡為【なんす】れぞ国を傾けて至、出入金闘【きんけつ】に暗きや。
#2
中原に駆除有り、隠忍して此の物を用う。』
公主黄鵠【こうかく】を歌い、君王白日【はくじつ】を指す。
雲に連なりて左輔に屯【ちゅん】す 百里積雪を見る。
長戟【ちょうげき】飛ぶことを休む、哀笳【あいか】曙【あけぼの】幽咽【ゆうえつ】す。
田家 最も恐懼【きょうく】す,麥 倒れて桑枝【そうし】摺る。』
#3
沙苑 清渭に臨む,泉 香【かんば】しく草豐 潔【けつ】なり。
河を渡るには船を用いず,千騎 常に撇烈【へつれつ】たり。
胡塵【こじん】太行を逾【こ】え,雜種 京室【けいしつ】に抵【いた】らんとす。
花門既に留むるを須【ま】たば、原野転【うた】た蕭瑟【しょうひつ】たらん。』


現代語訳と訳註 #1
(本文)

北門天驕子,飽肉氣勇決。
高秋馬肥健,挾矢射漢月。
自古以爲患,詩人厭薄伐。
修德使其來,羈縻固不絕。
胡爲傾國至,出入暗金闕。』


(下し文) (花門を留む)#1
花門は天の驕子【きょうし】、肉に飽きて気勇決【ゆうけつ】なり。
高秋 馬 肥健【ひけん】なり、矢を挾【さしはさ】みて漢月を射る。」
古より以て患【うれ】えと為す、詩人薄伐【はくばつ】を厭【いと】う。
徳を修【おさ】めて其をして来たらしむ、羈縻【きひ】固【もと】より絶えず。
  くに かたむ いた  しゆつにゆうっ くら
胡為【なんす】れぞ国を傾けて至、出入金闘【きんけつ】に暗きや。


(現代語訳) #1
花門の回紇種族(ウイグル騎馬民族)の軍隊を国内にとどめる。
花門の回紇種族(ウイグル騎馬民族)の軍隊は天子の降せる“いたずら坊や”であって、平生飽きるほどの肉食提供をしていて、気象が勇決なものである。
彼らは天高い秋、馬の肥えて達者な時候になる、矢をたばさんで唐の月を射んとするのである。」
このウイグル異民族らは古来より中国の人々がこまりごととしたものであったのだ、すでに「詩経」の作者の詩人たちもこれを征伐にでかけることをきらったものであったことをのべている。
それでウイグルとの戰はできるだけしないで、こちらの徳を修め、感化してこちら側へ来させるようにしむけ、牛馬を繋ぐ様につないで離れさせぬように取り扱うことはもとより絶えずやってきてはいるのだ。
ところで回紇はどうして自分の国を傾けるかもしれなのに、勢力をこぞってこちらへやって来て、その出入りするときには金闕を暗くなるほどにむらがっているのであろうか。』


 (訳注)
留花門

花門の回紇種族(ウイグル騎馬民族)の軍隊を国内にとどめる。
 唐の方へひきとめておくことをいう。ウイグルの援助がなければ、唐王朝は消滅し、奪回等及びもつかなかった。○花門 堡の名であるが回紇種族(ウイグル騎馬民族)そのものをさす。元来、居延海(寧夏省の西北境にある湖水)の北にある要塞の名であるが、当時その地点は回紇の領土としていたところからこの名前を使った。『唐書』地理志「甘州寧寇軍の東北に、居延海あり、又北三百里にして、花門山堡あり、又東北千里にして、回紇の衙帳に至る。」

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北門天驕子,飽肉氣勇決。
花門の回紇種族(ウイグル騎馬民族)の軍隊は天子の降せる“いたずら坊や”であって、平生飽きるほどの肉食提供をしていて、気象が勇決なものである。
天驕子 漢書の匈奴伝に「胡は、天の驕子なり」とみえる、えびすは天の“いたずら坊や”であるといっている。○飽肉 肉食に十分あきる。757年9月援軍に参加したウイグル軍には食料として毎日,羊200匹,牛20頭,米40石 が支給さることが約束され実行された。「飽肉」という表現は、この事実に基づいている。.○ 気象。
 

高秋馬肥健,挾矢射漢月。
彼らは天高い秋、馬の肥えて達者な時候になる、矢をたばさんで唐の月を射んとするのである。」
射漢月 漢の月に向かって矢をいる、漢とは唐をいう。彼ら騎馬軍団は、弓矢についても的中率が高かった。


自古以爲患,詩人厭薄伐。
このウイグル異民族らは古来より中国の人々がこまりごととしたものであったのだ、すでに「詩経」の作者の詩人たちもこれを征伐にでかけることをきらったものであったことをのべている。
詩人「詩経」の詩の作者をさす。○厭薄伐「詩経」(六月)に周の宜王が北秋をうつことをのべて、「薄【いささ】か玁狁【けんいん】を伐ち、太原に至る」といっている、薄伐の二字はこれより借用する、玁狁は後世の匈奴である。


修德使其來,羈縻固不絕。
それでウイグルとの戰はできるだけしないで、こちらの徳を修め、感化してこちら側へ来させるようにしむけ、牛馬を繋ぐ様につないで離れさせぬように取り扱うことはもとより絶えずやってきてはいるのだ。
修徳 中国の天子たるものが自己の徳を修めること、『易経、蹇』「山上有る水蹇、君子以て反身修徳。」(山上水有る蹇、君子以て身に反みて徳を修む。)また[国語]に「先王の制、戎瞿荒服なる者、王ならざるあらば、則ち徳を修む」とみえる。○使其来 其とはえびすをさす、来は来たり従わしめることをいう。○羈縻 どちらも「つなぐ」こと、馬には羈といい、牛には縻という、四方の夷狄をこちらへつけておくことが、牛馬をつなぎとめておくがごとくであることをいう。


胡爲傾國至,出入暗金闕。』
ところで回紇はどうして自分の国を傾けるかもしれなのに、勢力をこぞってこちらへやって来て、その出入りするときには金闕を暗くなるほどにむらがっているのであろうか。』
胡為 胡は何と同じ、「なんすれぞ」、どういうわけで。○傾国至 自分の国の勢力のほとんどを中国の方へむけている。○出入 ウイグル兵の出入りすること。○ 無数なるゆえ「くらし」という。ウイグル兵は馬で移動するため、砂塵がけたたましく上がったこともある。○金闕 黄金をかざった天子の宮殿の脇の潜りの御門。