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石壕の村で役人が河陽へゆくべき人夫を徴発するとき、こどもを二人まで戦死させた老婦人が乳のみの愛孫を家にのこし、その夫の老翁に代って出かけることをのべた詩。製作時は前詩に同じ乾元2年759年48歳


 杜甫が衛八(家に泊まり『贈衛八処士』を作)に泊ったのは、二月末のことだ。まだ相州の敗戦(三月四日)のことを知るわけもないが、、。杜甫は前年末に華州を出てから二か月以上たっているので、華州に帰ろうとしていた。そのとき相州の敗報を聞いて驚愕した。
 華州へ帰る途中での見聞をもとにまとめたのが五言古詩の連作六首「三吏三別」(さんりさんべつ)で、いずれも戦争に駆り出される民の辛苦を詠ったもの。
 石濠村は洛陽の西110km余の陝州(せんしゅう:河南省三門峡市陝県)の村。杜甫はその村の家に一夜の宿を求めた。そこでの役人と差し出す家族との様子をあらわした。
役人がやってきて、兵に出す男を捉えようとする。老人は垣根を跳び越えて逃げ、老婦が応対に出る。杜甫はその様子を客観的に見ていた。


杜甫乱前後の図003鳳翔

石壕吏
暮投石壕邨,有吏夜捉人。
老翁逾墻走,老婦出門看。」
吏呼一何怒,婦啼一何苦。
聽婦前致詞,三男鄴城戍。』
#2
一男附書至,二男新戰死。
(出征している三人の息子たちのうちの)一人の息子が手紙を託(たく)して寄こしてきた。(その手紙に拠ると、そのうちの)ふたりの息子は(今回の戦役で)新たに戦死したということなのだ。
存者且偸生,死者長已矣。」
生きている者は、しばらくはこっそりと生きのびることもできようが、死んでしまった者は、永久に終わってしまったのだ。』
室中更無人,惟有乳下孫。
部屋の中には、もう誰も壮丁となるべき人物はいないのだ。ただ乳離れをしていない孫だけがいる。
有孫母未去,出入無完裙。』
孫は居るので、その孫の母(つまり息子の嫁)はまだ、実家へ戻ってはいない。だけど家の出入りといった日常生活のうえで、嫁としてまともな形のスカートになってはいないのだ。』

#3
老嫗力雖衰,請從吏夜歸。
急應河陽役,猶得備晨炊。」
夜久語聲絶,如聞泣幽咽。
天明登前途,獨與老翁別。』



石壕の吏     
暮に石壕村に 投ず、吏 有り 夜 人を捉【とら】ふ。
老翁  墻【かき】を逾【こ】えて 走【に】げ、老婦  門を出【い】でて 看る。」
吏の呼ぶこと 一【いつ】に何ぞ怒【いか】れる、婦の啼くこと 一【いつ】に何ぞ 苦【はなはだ】しき。
婦の前【すす】みて 詞を致すを 聽く、「三男【さんだん】鄴城【ぎょうじょう】の戍【まも】り。」
#2
一男【いちだん】は書を附して至る、二男【にだん】は新たに戰死す。
存する者は 且【か】つ生を偸【ぬす】む、死者は長【とこし】へに 已【や】んぬ矣【い】。」
室中には更に 人無く、惟(た)だ乳下の孫有り。
孫有りて母 未だ去らず、出入に完裙【かんくん】 無し。』

#3
老嫗【ろうう】力 衰【おとろ】ふと 雖も、請【こ】ふ吏に從うて 夜歸らん。
急に河陽【かやう】の役【えき】に 應ぜば、猶ほ「晨炊【しんすゐ】に 備ふるを 得ん。」と。」
夜久しくして 語聲絶ゆ、聞くが 如し泣いて幽咽【ゆうえつ】するを。
天明前途に登らんとして、獨【ひと】り老翁と別る。」


現代語訳と訳註
(本文) #2

一男附書至,二男新戰死。
存者且偸生,死者長已矣。」
室中更無人,惟有乳下孫。
有孫母未去,出入無完裙。』


(下し文) #2
一男【いちだん】は書を附して至る、二男【にだん】は新たに戰死す。
存する者は 且【か】つ生を偸【ぬす】む、死者は長【とこし】へに 已【や】んぬ矣【い】。」
室中には更に 人無く、惟(た)だ乳下の孫有り。
孫有りて母 未だ去らず、出入に完裙【かんくん】 無し。』


(現代語訳)
(出征している三人の息子たちのうちの)一人の息子が手紙を託(たく)して寄こしてきた。(その手紙に拠ると、そのうちの)ふたりの息子は(今回の戦役で)新たに戦死したということなのだ。
生きている者は、しばらくはこっそりと生きのびることもできようが、死んでしまった者は、永久に終わってしまったのだ。』
部屋の中には、もう誰も壮丁となるべき人物はいないのだ。ただ乳離れをしていない孫だけがいる。
孫は居るので、その孫の母(つまり息子の嫁)はまだ、実家へ戻ってはいない。だけど家の出入りといった日常生活のうえで、嫁としてまともな形のスカートになってはいないのだ。』


(訳注)
一男附書至,二男新戰死。

(出征している三人の息子たちのうちの)一人の息子が手紙を託(たく)して寄こしてきた。(その手紙に拠ると、そのうちの)ふたりの息子は(今回の戦役で)新たに戦死したということなのだ。
 *「一男」の寄こした手紙の内容になる。○一男 「三男」(三人の息子)のうちの一人の息子。○ 託(たく)す。託(ことづ)ける。○ 手紙。○ くる。○二男 ふたりの息子。「三男」(三人の息子)のうちの息子二人。○ あらたに。


存者且偸生,死者長已矣。」
生きている者は、しばらくはこっそりと生きのびることもできようが、死んでしまった者は、永久に終わってしまったのだ。
存者 生きている者。○且 しばらく。しばし。○偸生〔とうせい〕こっそりと生きる。ひっそりと生きる。生をぬすむ。○長 とこしえに。永久に。 ・已矣 おしまいだ。終わってしまった。やんぬるかな。「已矣哉」は屈原の『楚辞・離騒』「亂曰: 已矣哉!國無人莫我知兮,又何懷乎故都? 既莫足與爲美政兮,吾將從彭咸之所居!」)、「已矣乎」は陶淵明の『帰去来兮辞』「已矣乎,寓形宇内復幾時。」にある。


室中更無人,惟有乳下孫。
部屋の中には、もう誰も壮丁となるべき人物はいないのだ。ただ乳離れをしていない孫だけがいる。
室中 部屋の中。○ この上に。ましてや。さらに。○無人 ここでは、壮丁となるべき人物はいない。○惟有 ただ…だけがある。惟≒唯。○乳下孫 乳離れをしていない孫。まだお乳を飲んでいる孫。


有孫母未去,出入無完裙。』
孫は居るので、その孫の母(つまり息子の嫁)はまだ、実家へ戻ってはいない。だけど家の出入りといった日常生活のうえで、嫁としてまともな形のスカートになってはいないのだ。
○有孫 孫はいるが。○ 孫の母=息子の嫁。○未去 まだ、実家へ戻ってはいない。○出入 家を出入りして、ご近所とお付きあいをするといった日常生活。○完裙 ちゃんとした当時のスカート。完全な形をしたスカート。嫁としての実態が完全でないことをいう。