垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1064 杜甫詩集700- 319
 759年乾元2年秋~冬 48歳 秦州で華州で見たことを思い出し詩にした時の作。(3回分割の2回目)

垂老別       杜 甫
四郊未寧静、垂老不得安。
子孫陣亡尽、焉用身獨完。」
投杖出門去、同行為辛酸。
幸有牙歯存、所悲骨髄乾。
男児既介冑、長揖別上官。』
#2
老妻臥路啼、歳暮衣裳単。
やはり、老いた妻は路傍に伏して泣いている、歳の暮れこの寒さに単衣の薄い衣裳だけでいる。
孰知是死別、且復傷其寒。
この度の別れは死に別れになるのだと誰が知っていようか、かといって、また妻の寒そうな姿を見て心を痛めないわけにはいかないのだ。
此去必不帰、還聞勧加餐。』
自分は今ここを出掛ければ再び戻れないに決まっていることは分かっている、にもかかわらず妻が自分に対して少しでも多く食事をして、体を愛おしみ気を付けよといってくれるのを耳にするのである。』
土門壁甚堅、杏園度亦難。
絶対に負けると心配したものでもない、土門の城壁ははなはだ堅固なものであるし、杏園の渡りも安史軍が渡ってくるには困難なものである。
勢異鄴城下、縦死時猶寛。」
現在、出掛けて行く河陽の地の官軍の勢いまは鄴城の下で負けた時とは違って整えて違ってきている、たとえ戦死するにしても大敗してすぐというわけでなく、ゆとりがあるように思う。

#3
人生有離合、豈択衰盛端。
憶昔少壮日、遅廻竟長嘆。』
萬国尽征戍、烽火被岡巒。
積屍草木腥、流血川原丹。
何郷為楽土、安敢尚盤桓。 
棄絶蓬室居、搨然摧肺肝。』

老いて垂【なんな】んとする別れ #1
四郊 未だ寧静【ねいせい】ならず,老いて垂【なんな】んとして安らかなるを得ず。
子孫 陣亡【じんぼう】し尽し,焉ぞ身の獨り完【まつた】きことを用いん。
杖を投じて門を出て去る,同行し為に辛酸【しんさん】する。
幸に牙歯【きば】の存する有り,悲しむ所 骨髄【こつづい】乾く。
男児 既に介冑【かいちゅう】し,長揖【ちょういう】して上官と別れる。
#2
老妻【ろうさい】路に臥して啼く,歳暮れて衣裳は単【ひとえ】。
孰【たれ】か知らん是れ死別なるを,且つ復た其の寒からんことを傷む。
此【ここ】を去りては必らず帰らず,還た聞く加餐【かさん】を勧めるを。』
土門 壁甚【はなは】だ堅し,杏園【きょうえん】度【わた】るも亦た難し。
勢いは鄴城【ぎょうじょう】の下に異なり,縦【たと】い死しても時猶を寛【かん】ならん。」
#3
人生 離合あり、豈に衰盛の端を択【えら】ばんや。う昔,昔 少壮【しょうそう】なりし日を憶いて,遅廻【ちかい】して竟に長嘆【ちょうたん】するを。
萬国尽【ことごと】く征戍【せいじゅ】,烽火【ほうか】岡巒【こうらん】に被る。
積屍【せきし】草木【そうもく】腥【なまぐさ】く,流血 川原【せんげん】丹【あか】し。
何れの郷か楽土と為し,安んぞ敢て尚を盤桓【ばんかん】せん。
蓬室【ほうしつ】の居を棄絶【きぜつ】して,搨然【とうぜん】肺肝【はいかん】を摧【くだ】く。


四方、どこもかしこもいまだ平和に収まらない、この老いかかった身の老人も落ち着いていることができない状況だ。
子も孫もみな戦死し尽くした今となって、どうしてこの身体だけ生きながらえていくことがなんの役に立つというのだろう。』
頼りにした杖を投げ捨てて我が家の門から出掛けてゆくと、一緒に行く仲間のものは自分のために悲しんでくれる。
幸に自分には牙や歯はまだ残っているが、悲しいことには骨の髄が干からびて関節痛になっている。
しかし自分はもはや男児として、こうして鎧兜を身につけたかぎりには、上官の方に立ち会釈して出て行くのだ。』

やはり、老いた妻は路傍に伏して泣いている、歳の暮れこの寒さに単衣の薄い衣裳だけでいる。
この度の別れは死に別れになるのだと誰が知っていようか、かといって、また妻の寒そうな姿を見て心を痛めないわけにはいかないのだ。
自分は今ここを出掛ければ再び戻れないに決まっていることは分かっている、にもかかわらず妻が自分に対して少しでも多く食事をして、体を愛おしみ気を付けよといってくれるのを耳にするのである。』
絶対に負けると心配したものでもない、土門の城壁ははなはだ堅固なものであるし、杏園の渡りも安史軍が渡ってくるには困難なものである。
現在、出掛けて行く河陽の地の官軍の勢いまは鄴城の下で負けた時とは違って整えて違ってきている、たとえ戦死するにしても大敗してすぐというわけでなく、ゆとりがあるように思う。


人間世界では逢うと別れとは時節が決まり無いものであり、血気盛んなときだけ別れをさせ、衰えたときには別れをさせないというようなものではない。
しかし昔、自分がわかく元気であったときのことを思いだすと、今もあのころのようならばと考えて、ぐずぐずして前へすすまない、結局ため息して嘆くばかりなのである。』
今や天下中みんな叛乱を征伐や叛乱から守る戰ばかりで、のろし火の煙が岡や山におおわれているのである。
積まれた屍はあたりの草木までもなまぐさい臭いが充満している、血は流れて川や野原も真っ赤に染まっている。
どこの地方が安楽世界なのかと思うが、そんな所がありはしないのだ。どうして尚ここにのんびりぶらしていられようか。
こういうことが原因で自分は断然として住み慣れた蓬の家を放棄するのである。そのため意欲がなくなっており、辛さに肺や肝までくだけるのである。』


垂老別 現代語訳と訳註
(本文)
#2
老妻臥路啼、歳暮衣裳単。
孰知是死別、且復傷其寒。
此去必不帰、還聞勧加餐。』
土門壁甚堅、杏園度亦難。
勢異鄴城下、縦死時猶寛。」


(下し文) #2
老妻【ろうさい】路に臥して啼く,歳暮れて衣裳は単【ひとえ】。
孰【たれ】か知らん是れ死別なるを,且つ復た其の寒からんことを傷む。
此【ここ】を去りては必らず帰らず,還た聞く加餐【かさん】を勧めるを。』
土門 壁甚【はなは】だ堅し,杏園【きょうえん】度【わた】るも亦た難し。
勢いは鄴城【ぎょうじょう】の下に異なり,縦【たと】い死しても時猶を寛【かん】ならん。」


(現代語訳)
やはり、老いた妻は路傍に伏して泣いている、歳の暮れこの寒さに単衣の薄い衣裳だけでいる。
この度の別れは死に別れになるのだと誰が知っていようか、かといって、また妻の寒そうな姿を見て心を痛めないわけにはいかないのだ。
自分は今ここを出掛ければ再び戻れないに決まっていることは分かっている、にもかかわらず妻が自分に対して少しでも多く食事をして、体を愛おしみ気を付けよといってくれるのを耳にするのである。』
絶対に負けると心配したものでもない、土門の城壁ははなはだ堅固なものであるし、杏園の渡りも安史軍が渡ってくるには困難なものである。
現在、出掛けて行く河陽の地の官軍の勢いまは鄴城の下で負けた時とは違って整えて違ってきている、たとえ戦死するにしても大敗してすぐというわけでなく、ゆとりがあるように思う。


(訳注)
老妻臥路啼、歳暮衣裳単。

老妻【ろうさい】路に臥して啼く,歳暮れて衣裳は単【ひとえ】。
やはり、老いた妻は路傍に伏して泣いている、歳の暮れこの寒さに単衣の薄い衣裳だけでいる。
○老 年老いた妻、この老人の妻である。○歳暮 必ずしも年末をささず、寒いことをいうため、晩秋以後はみな歳暮という、ここは759年乾元二年9月末から10月10日の間と推察する。○ 寒空の下単衣のものをきている。


孰知是死別、且復傷其寒。
孰【たれ】か知らん是れ死別なるを,且つ復た其の寒からんことを傷む。
この度の別れは死に別れになるのだと誰が知っていようか、かといって、また老妻の寒そうな姿を見て心を痛めないわけにはいかないのだ。
孰知 誰か知る。知るものがいない、気がつかない。○死別 死にわかれ。○傷其寒 傷とは老人がいたむこと、其寒とは老妻のさむいこと。


此去必不帰、還聞勧加餐。
此【ここ】を去りては必らず帰らず,還た聞く加餐【かさん】を勧めるを。』
自分は今ここを出掛ければ再び戻れないに決まっていることは分かっている、にもかかわらず妻が自分に対して少しでも多く食事をして、体を愛おしみ気を付けよといってくれるのを耳にするのである。』
此去 此処を去るとこののちと意を兼ねる。○不帰 老人はもうもどって来ないこと。○ 老人がきく。○勧加餐 老妻が老人に加餐せよとすすめるのである、加餐とは少しでも食物を多くとってもらいたいこと。


土門壁甚堅、杏園度亦難。
土門 壁甚【はなは】だ堅し,杏園【きょうえん】度【わた】るも亦た難し。

絶対に負けると心配したものでもない、土門の城壁ははなはだ堅固なものであるし、杏園の渡りも安史軍が渡ってくるには困難なものである。
土門 河北省正定府の井隆県にある井隆関であるとする、しからば賊の山西省に入るのを防ぐ処である。○ 城壁。○杏園 河南省衛輝府汲県の香園鋲をひく、「唐書」に「郭子儀香園ヨリ河ヲ渡リテ衛州ヲ囲ム」 の記事があるので香園は黄河の南岸にある。香園は河陽(浦氏は河陽を河の南岸とする)の附近の地であるという説もある。〇 渡と同じ、安史軍がわたること。


勢異鄴城下、縦死時猶寛。
勢いは鄴城【ぎょうじょう】の下に異なり,縦【たと】い死しても時猶を寛【かん】ならん。」
現在、出掛けて行く河陽の地の官軍の勢いまは鄴城の下で負けた時とは違って整えて違ってきている、たとえ戦死するにしても大敗してすぐというわけでなく、ゆとりがあるように思う。
勢異 今回の官軍の形勢が以前とちがうことをいう。○鄴城下 乾元二年三月鄴城の下で九節度の軍が大敗したこと。○ 切迫せぬこと、余裕あること。