寄李十二白 二十韻 杜甫 <232-#1> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1130 杜甫特集700- 341
(李十二白に寄す 二十韻)



永王璘は、玄宗の第十六子である。母が早く亡くなったので、粛宗が養育した。安禄山が反すると、玄宗は蜀に逃避するが、途中で、荊州大都督たる璘を山南・江西・嶺南・黔中の四道の節度使に任命して、ようし長江中流以下一帯の防衛を命じた。命を受けて璘は江陵に赴き、将士数万人を募った。そして、長江を下り、江南地方をねらった。粛宗はこれを見て、天下の実権をとり、帝位を奪取するのではないかと危惧して、璘に蜀の玄宗の下に行くよう命じた。璘は命を聞かず、舟師を率いて長江を下り、抵抗する者を破って金陵を取り、広陵に向かおうとしたため、江准地方は著しく動揺を来たすことになった。

李白は、永王璘から再三要請されたため結局応じたが、むろん安禄山に対する憤激の念と王室の回復のためであって、璘の心中など知る由もない。璘は賊軍討伐を旗じるしにしているので、李白ならずとも、この一帯の人々は疑う者なく、むしろ応援して幕下にはせ参ずる者が多かった。

李白は、後年、永王璘の幕府に参加したことを、「半夜に水軍来たり、尋陽(九江)は旗旅に満つ。空名のため適たま自からを誤り、迫脅されて楼船に上せらる。徒らに五百金を賜わり、之を棄つること浮煙の如し。官を辞し賞を受けざるに、翻って夜郎の天に謫せらる」(「乱離を経て、天恩にて夜郎に流さる。旧遊を憶い懐いを害して、江夏の毒太守良宰に贈る」)というが、脅迫されて水軍に連れ去られたとは、永王璘の強い要請を、あとからの反省でそう思ったので、当時は李白も積極的に出たものであろう。

永王璘の幕下に入ったのは、756年至徳元年十二月のことである。幕下に入ってからの李白の行動は明らかではないが、翌至徳二年に作った「永王東巡歌」十一首を見ると、水軍に従って東に向かったようでもある。そして、水軍に従ったことを喜んでおり、賊軍を一掃して、長安の都に入りたいと望んでいる。「東巡歌」全体を通じて璘を疑うことなく、挙兵を美挙として賛美している。この歌によると、至徳二年正月、永王の楼船は大江を下り、武昌を過ぎ、尋陽を過ぎ、金陵に着く。さらに丹陽(丹徒)から太湖辺まで行って揚州に泊まる。「戦艦は森森んにして虎しき士を蘿ね、征く帆は一一に竜駒を押す」という威武ある水軍を率いて行った。そしてやがて、「南風一掃して胡塵静まり、西のかた長安に入りて日辺に到らん」ということになるであろうという。いずれは長安の都に入って天子に仕えることができるであろうと、希望に胸をふくらませている。以上「中國の詩人、李白」小尾郊一著。



此の詩は759年乾元二年秋作者が秦州にあって、李白の恩赦の事を明知しなかった時に作ったものであろうと思う。詩は多く李白のために弁護を費している。



寄李十二白二十韻 #1
昔年有狂客,號爾謫仙人。
前年、四明の狂客(賀知章)で朝廷の重鎮であったものがいて、君を謫仙人だと名づけられた。
筆落驚風雨,詩成泣鬼神。
君は詩文をつくるに紙の上に筆が落ちれば風雨さえ驚くかとおもわれるほど快速であるし、詩が成就してみると鬼神さえそれに感じて泣くほどである。
聲名從此大,汩沒一朝伸。
それによって君の名声は大きくなり、これまでのへき地に埋もれて世に出ない身がにわかにのびだすことになった。
文彩承殊渥,流傳必絕倫。
そうして君の文彩は天子の特別のあつい御寵愛をうけ、世間につたえられる作物も必ず絶倫のものであった。
龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。

あるときは天子が舟遊びをされるときわざわざ棹を留めておまちになったり、他人にくれるはずの獣錦袍をあらたに奪いかえして君にお授けになるというほどであった。

#2
白日來深殿,青雲滿後塵。
乞歸優詔許,遇我夙心親。
未負幽棲誌,兼全寵辱身。
劇談憐野逸。嗜酒見天真,
醉舞梁園夜,行歌泗水春。』
#3
才高心不展,道屈善無鄰。
處士隬衡俊。諸生原憲貧。
稻粱求未足,薏苡謗何頻?
五嶺炎蒸地,三危放逐臣。
幾年遭鵩鳥,獨泣向麒麟。
#4
蘇武元還漢,黃公豈事秦?
楚筵辭醴日,梁獄上書辰。
已用當時法,誰將此議陳?
老吟秋月下,病起暮江濱。
莫怪恩波隔,乘槎與問津。』

#1
昔年 狂客有り、爾を謫仙人【たくせんにん】と号す。
筆落つれば風雨【ふうう】驚き、詩成れば鬼神【きしん】泣く。
声名 此 従【よ】り大に、汩沒【こつぼつ】一朝に伸ぶ。
文彩【ぶんさい】 殊渥【しゅあく】を承【う】く、流伝【るてん】するは必ず絶倫【ぜつりん】なり。
竜舟【りょうしゅう】棹【さお】を移すこと晩く、獣錦【じゅうきん】奪袍【だつほう】新たなり。

#2
白日【はくじつ】 深殿【しんでん】に来たる、青雲に後塵【こうじん】満つ。
帰るを乞うて優詔【ゆうしょう】許さる、我に遇うて宿心【しゅくしん】親しむ。
未だ負【そむ】かず幽棲【ゆうせい】の志に、兼ねて全うす寵辱【ちょうじょく】の身。
劇談【げきだん】野透【やいつ】を憐れむ、嗜酒【ししゅ】天真【てんしん】を見る。
酔舞【すいぶ】す梁園【りょえん】の夜、行歌【こうか】す泗水【しすい】の春。』
#3
才高くして心展べず、道屈【くつ】して善【ぜん】隣り無し。
処士【しょし】隬衡【でいこう】俊【しゅん】に、諸生【しょせい】原憲【げんけん】貧なり。
稲梁【とうりょう】求むる未だ足らず、薏苡【よくい】謗【そしり】り何ぞ頻りなる。
五嶺【ごれい】炎蒸【えんじょう】の地、三危【さんき】放逐【ほうちく】の臣。
幾年か鵩鳥【ふくちょう】に遭える、独泣【どくきゅう】麟鱗【きりん】に向こう。
#4
蘇武【そぶ】元【もと】漢に還る、黃公【こうこう】豈に秦に事【つか】えんや。
楚筵【そえん】醴【れい】を辞せし日、梁獄【りょうごく】書を上りし辰【とき】。
巳に当時の法を用う、誰か此の議を将で陳【ちん】せん。
老いて吟ず秋月の下、病起【へいき】す暮江【ぼこう】の浜【ほとり】。
怪しむ莫れ恩波【おんは】の隔たるを、槎【さ】に乗じて与【た】めに津【しん】を問わん。』


現代語訳と訳註
(本文)

寄李十二白二十韻 #1
昔年有狂客,號爾謫仙人。
筆落驚風雨,詩成泣鬼神。
聲名從此大,汩沒一朝伸。
文彩承殊渥,流傳必絕倫。
龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。

(下し文) #1
昔年 狂客有り、爾を謫仙人【たくせんにん】と号す。
筆落つれば風雨【ふうう】驚き、詩成れば鬼神【きしん】泣く。
声名 此 従【よ】り大に、汩沒【こつぼつ】一朝に伸ぶ。
文彩【ぶんさい】 殊渥【しゅあく】を承【う】く、流伝【るてん】するは必ず絶倫【ぜつりん】なり。
竜舟【りょうしゅう】棹【さお】を移すこと晩く、獣錦【じゅうきん】奪袍【だつほう】新たなり。


(現代語訳)
前年、四明の狂客(賀知章)で朝廷の重鎮であったものがいて、君を謫仙人だと名づけられた。
君は詩文をつくるに紙の上に筆が落ちれば風雨さえ驚くかとおもわれるほど快速であるし、詩が成就してみると鬼神さえそれに感じて泣くほどである。
それによって君の名声は大きくなり、これまでのへき地に埋もれて世に出ない身がにわかにのびだすことになった。
そうして君の文彩は天子の特別のあつい御寵愛をうけ、世間につたえられる作物も必ず絶倫のものであった。
あるときは天子が舟遊びをされるときわざわざ棹を留めておまちになったり、他人にくれるはずの獣錦袍をあらたに奪いかえして君にお授けになるというほどであった。


(訳注)
寄李十二白 十韻 #1
昔年有狂客,號爾謫仙人。

前年、四明の狂客(賀知章)で朝廷の重鎮であったものがいて、君を謫仙人だと名づけられた。
狂客 賀知事をいう。太子賓客賀知事は四明の人、自ずから四明狂客と号する。

對酒憶賀監二首 其二 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白135

「重憶」:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白136

送賀賓客帰越 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白137

送賀監歸四明應制 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白13

 汝、李白をさす。○謫仙人 罪によって天上より下界へ流しくだされた仙人、賀知章は紫極宮において李白を一見して謫仙人だと評したという。


筆落驚風雨,詩成泣鬼神。 
君は詩文をつくるに紙の上に筆が落ちれば風雨さえ驚くかとおもわれるほど快速であるし、詩が成就してみると鬼神さえそれに感じて泣くほどである。
驚風雨 快速なことをいう。


聲名從此大,汩沒一朝伸。
それによって君の名声は大きくなり、これまでのへき地に埋もれて世に出ない身がにわかにのびだすことになった。
汩沒 水平に沈む。転じて、へき地に埋もれて世に出ないたとえ。 
 

文彩承殊渥,流傳必絕倫。
そうして君の文彩は天子の特別のあつい御寵愛をうけ、世間につたえられる作物も必ず絶倫のものであった。
文彩 李白の文章が彩のあること。○殊渥 特別にあつい御恩、翰林供奉に任ぜられた類のことをさす。○流伝 世間へったわる作物、宮中行樂詞、清平調の詩の類をさす。
侍従遊宿温泉宮作 李白129  都長安(翰林院供奉)

宮中行樂詞八首其一 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白141

清平調詞 三首 其一 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白154


龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。
あるときは天子が舟遊びをされるときわざわざ棹を留めておまちになったり、他人にくれるはずの獣錦袍をあらたに奪いかえして君にお授けになるというほどであった。
竜舟 天子のおふね、頭に竜の飾りがある。○移植晩 舟を漕ぎうつさずにしばらくまっておる。玄宗が白蓮池に浮かんで李白を召し、序を作らせようとしたとき李白は己に翰苑において酒を被っていたので高力士に命じて李白を扶けて舟に上らせたという。○獣錦奪袍新 「新たに獣錦袍を奪う」の意。錦袍はにしきのうわぎ、獣はその模様がらである、則天武后が竜門に幸したとき従臣に詩をつくらせて先にできたものに錦袍を賜わろうという、東方虬が先ずできあがり、袍を賜わった、宋之問の詩がつぎにできあがった、もっとも巧みであったので虬より袍を奪って之間に賜わったという、李白に関し、類似の事があったのであろう。