寄李十二白 二十韻 杜甫 <232-#2> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1133 杜甫特集700- 342



此の詩は759年乾元二年秋作者が秦州にあって、李白の恩赦の事を明知しなかった時に作ったものであろうと思う。詩は多く李白のために弁護を費している。



寄李十二白二十韻 #1
昔年有狂客,號爾謫仙人。
前年、四明の狂客(賀知章)で朝廷の重鎮であったものがいて、君を謫仙人だと名づけられた。
筆落驚風雨,詩成泣鬼神。
君は詩文をつくるに紙の上に筆が落ちれば風雨さえ驚くかとおもわれるほど快速であるし、詩が成就してみると鬼神さえそれに感じて泣くほどである。
聲名從此大,汩沒一朝伸。
それによって君の名声は大きくなり、これまでのへき地に埋もれて世に出ない身がにわかにのびだすことになった。
文彩承殊渥,流傳必絕倫。
そうして君の文彩は天子の特別のあつい御寵愛をうけ、世間につたえられる作物も必ず絶倫のものであった。
龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。
あるときは天子が舟遊びをされるときわざわざ棹を留めておまちになったり、他人にくれるはずの獣錦袍をあらたに奪いかえして君にお授けになるというほどであった。

#2
白日來深殿,青雲滿後塵。
君は昼日中にも翰林院から奥御殿に出入りする、君の居る高き位のところには追随する後輩の士が充満していた。
乞歸優詔許,遇我夙心親。
それが事に由って君はお暇をいただいて故郷へかえりたいと願い出で、優詔を以てそれを許されて朝廷から下がった。それで君は自分とであうことができ、かねての心からおたがいに親しむようになった。
未負幽棲誌,兼全寵辱身。
君は官をやめたからといって幽棲の志に負くことはしないし、兼ねて故事に言う、「寵をうけて、また辱めをうけることもある」という、自分のからだをはずかしめることのなしで全うすることができた。
劇談憐野逸。嗜酒見天真,
君を慕う文人たちと激しく談義をしたし、わたしらの在野におかれた者たちを気の毒がってくれたものだった、酒を嗜んで飲むところに天真の様子が覗われたものである。
醉舞梁園夜,行歌泗水春。』

かくて我々は梁園の夜に酔うて舞うたりしたし、泗水の春には歩きながら歌ったりした。』

#3
才高心不展,道屈善無鄰。處士隬衡俊。諸生原憲貧。
稻粱求未足,薏苡謗何頻?五嶺炎蒸地,三危放逐臣。
幾年遭鵩鳥,獨泣向麒麟。
#4
蘇武元還漢,黃公豈事秦?楚筵辭醴日,梁獄上書辰。
已用當時法,誰將此議陳?老吟秋月下,病起暮江濱。
莫怪恩波隔,乘槎與問津。』

#1
昔年 狂客有り、爾を謫仙人【たくせんにん】と号す。
筆落つれば風雨【ふうう】驚き、詩成れば鬼神【きしん】泣く。
声名 此 従【よ】り大に、汩沒【こつぼつ】一朝に伸ぶ。
文彩【ぶんさい】 殊渥【しゅあく】を承【う】く、流伝【るてん】するは必ず絶倫【ぜつりん】なり。
竜舟【りょうしゅう】棹【さお】を移すこと晩く、獣錦【じゅうきん】奪袍【だつほう】新たなり。
#2
白日【はくじつ】 深殿【しんでん】に来たる、青雲に後塵【こうじん】満つ。
帰るを乞うて優詔【ゆうしょう】許さる、我に遇うて宿心【しゅくしん】親しむ。
未だ負【そむ】かず幽棲【ゆうせい】の志に、兼ねて全うす寵辱【ちょうじょく】の身。
劇談【げきだん】野透【やいつ】を憐れむ、嗜酒【ししゅ】天真【てんしん】を見る。
酔舞【すいぶ】す梁園【りょえん】の夜、行歌【こうか】す泗水【しすい】の春。』

#3
才高くして心展べず、道屈【くつ】して善【ぜん】隣り無し。
処士【しょし】隬衡【でいこう】俊【しゅん】に、諸生【しょせい】原憲【げんけん】貧なり。
稲梁【とうりょう】求むる未だ足らず、薏苡【よくい】謗【そしり】り何ぞ頻りなる。
五嶺【ごれい】炎蒸【えんじょう】の地、三危【さんき】放逐【ほうちく】の臣。
幾年か鵩鳥【ふくちょう】に遭える、独泣【どくきゅう】麟鱗【きりん】に向こう。
#4
蘇武【そぶ】元【もと】漢に還る、黃公【こうこう】豈に秦に事【つか】えんや。
楚筵【そえん】醴【れい】を辞せし日、梁獄【りょうごく】書を上りし辰【とき】。
巳に当時の法を用う、誰か此の議を将で陳【ちん】せん。
老いて吟ず秋月の下、病起【へいき】す暮江【ぼこう】の浜【ほとり】。
怪しむ莫れ恩波【おんは】の隔たるを、槎【さ】に乗じて与【た】めに津【しん】を問わん。』


現代語訳と訳註
(本文)
#2
白日來深殿,青雲滿後塵。
乞歸優詔許,遇我夙心親。
未負幽棲誌,兼全寵辱身。
劇談憐野逸。嗜酒見天真,
醉舞梁園夜,行歌泗水春。』


(下し文) #2
白日【はくじつ】 深殿【しんでん】に来たる、青雲に後塵【こうじん】満つ。
帰るを乞うて優詔【ゆうしょう】許さる、我に遇うて宿心【しゅくしん】親しむ。
未だ負【そむ】かず幽棲【ゆうせい】の志に、兼ねて全うす寵辱【ちょうじょく】の身。
劇談【げきだん】野透【やいつ】を憐れむ、嗜酒【ししゅ】天真【てんしん】を見る。
酔舞【すいぶ】す梁園【りょえん】の夜、行歌【こうか】す泗水【しすい】の春。』


(現代語訳)
君は昼日中にも翰林院から奥御殿に出入りする、君の居る高き位のところには追随する後輩の士が充満していた。
それが事に由って君はお暇をいただいて故郷へかえりたいと願い出で、優詔を以てそれを許されて朝廷から下がった。それで君は自分とであうことができ、かねての心からおたがいに親しむようになった。
君は官をやめたからといって幽棲の志に負くことはしないし、兼ねて故事に言う、「寵をうけて、また辱めをうけることもある」という、自分のからだをはずかしめることのなしで全うすることができた。
君を慕う文人たちと激しく談義をしたし、わたしらの在野におかれた者たちを気の毒がってくれたものだった、酒を嗜んで飲むところに天真の様子が覗われたものである。
かくて我々は梁園の夜に酔うて舞うたりしたし、泗水の春には歩きながら歌ったりした。』


(訳注)#2
白日來深殿,青雲滿後塵。

君は昼日中にも翰林院から奥御殿に出入りする、君の居る高き位のところには追随する後輩の士が充満していた。
白日 昼日中。昼中。○来深殿 白は奥ふかい宮殿までやってくる。○青雲 白の居る高い地位をさす。〇滿後塵 白の事後の塵を拝するもの、即ち李白に追随する文士が多くあること。


乞歸優詔許,遇我夙心親。
それが事に由って君はお暇をいただいて故郷へかえりたいと願い出で、優詔を以てそれを許されて朝廷から下がった。それで君は自分とであうことができ、かねての心からおたがいに親しむようになった。
乞帰 日が故郷にかえりたいということを玄宗にこう。高力士の讒言によったものである。○遇我 我とは作者みずからいう、杜甫が李白に遇ったのは、白の乞帰後のこと、天宝三載のことである。○夙心 平生からもっていた心。


未負幽棲誌,兼全寵辱身。
君は官をやめたからといって幽棲の志に負くことはしないし、兼ねて故事に言う、「寵をうけて、また辱めをうけることもある」という、自分のからだをはずかしめることのなしで全うすることができた。
幽棲志 山林生活の念。○寵辱身 「老子」(十三章)に「寵辱は驚くが若し」とある、人は君寵をうけて栄えるときがあり、またそれを失って辱められるときがある、故にこれをいましめねばならぬことをいう、白は早く退いた故に辱にあうことが少ない。


劇談憐野逸。嗜酒見天真
君を慕う文人たちと激しく談義をしたし、わたしらの在野におかれた者たちを気の毒がってくれたものだった、酒を嗜んで飲むところに天真の様子が覗われたものである。
劇談 はげしくものがたる。○憐野通 李白が杜甫らの在野におかれた不遇をあわれむこと、野逸は田野に退居することである。 ○見天真 杜甫が李白の天真なことを見ること。


醉舞梁園夜,行歌泗水春。』
かくて我々は梁園の夜に酔うて舞うたりしたし、泗水の春には歩きながら歌ったりした。』
 ○酔舞二句 李杜共同の以下の詩に詠われた頃のしわざである。○梁園 漢の時、梁の孝王がつくったもの、河南省帰徳府城東にあるという。・泗水 山東省兗州府にあり、杜甫が李白・高適と梁宋に遊んだのは744年天宝三載のことである、李・杜が魯斉の地方にあったのは明年四載のことである。李白44歳、杜甫33歳であった。

遣懐(昔我遊宋中) 杜甫 15

贈李白 杜甫16(李白と旅する)

贈李白 杜甫17 (李白と旅する)

昔遊 杜甫19(李白と旅する)

陪李北海宴歴下亭 杜甫 20

同李太守登歷下古城員外新亭 杜甫

與李十二白同尋范十隱居 李白を詠う(5

春日憶李白 杜甫25

送孔巢父謝病歸游江東,兼呈李白 杜甫

飲中八仙歌 杜甫28