天末懷李白 杜甫 <233> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1142 杜甫特集700- 345
(天末にて李白を懐う)
秦州の天涯に居て李白のことを憤って作った詩。乾元二年秦州での作。


天末懷李白
天涯の天水において李白を懐かしく思う
涼風起天末,君子意如何?
天の果てともいうべき此処天水(秦州)に涼風がおこってきた。夢でしかあっていないあなたの今の心はどんなであるか。
鴻雁幾時到,江湖秋水多。
あなたからの鴻雁のたよりはいつこちらへ届くのか、今年の南方江湖の地方は秋の長水で増水して、多種でこまってはいないだろうか。
文章憎命達,魑魅喜人過。
あなたのように文章のすぐれたものは却って順境に居ることを嫌われる、文章なるものが人の運命の開けるのを憎んでいるかのようである。あなたの居る処にも、私の所にも、はびこっている悪鬼どもは人があなたに気がつかないで通り過ぎればよいと喜んでいるのだ。
應共冤魂語,投詩贈汨羅。
いまごろ、あなたは無実の罪に死んだ屈原の魂を相手に語りあっていることであろうか、きっと詩を投げて汨羅の淵に贈っているのであろうとおもう。


(天末にて李白を懐う)
涼風 天末【てんまつ】に起こる、 君子 意は如何。
鴻雁【こうがん】 幾時か到らん、江湖【こうこ】 秋水多し。
文章【ぶんしょう】 命の達するを憎む、魑魅【ちみ】人の過ぐるを喜ぶ。
応に冤魂【えんこん】と共に語るなるべし、詩を投じて汨羅【べきら】に贈る。


現代語訳と訳註
(本文) 天末懷李白
涼風起天末,君子意如何?
鴻雁幾時到,江湖秋水多。
文章憎命達,魑魅喜人過。
應共冤魂語,投詩贈汨羅。


(下し文) (天末にて李白を懐う)
涼風 天末【てんまつ】に起こる、 君子 意は如何。
鴻雁【こうがん】 幾時か到らん、江湖【こうこ】 秋水多し。
文章【ぶんしょう】 命の達するを憎む、魑魅【ちみ】人の過ぐるを喜ぶ。
応に冤魂【えんこん】と共に語るなるべし、詩を投じて汨羅【べきら】に贈る。


(現代語訳)
天涯の天水において李白を懐かしく思う
天の果てともいうべき此処天水(秦州)に涼風がおこってきた。夢でしかあっていないあなたの今の心はどんなであるか。
あなたからの鴻雁のたよりはいつこちらへ届くのか、今年の南方江湖の地方は秋の長水で増水して、多種でこまってはいないだろうか。
あなたのように文章のすぐれたものは却って順境に居ることを嫌われる、文章なるものが人の運命の開けるのを憎んでいるかのようである。あなたの居る処にも、私の所にも、はびこっている悪鬼どもは人があなたに気がつかないで通り過ぎればよいと喜んでいるのだ。
いまごろ、あなたは無実の罪に死んだ屈原の魂を相手に語りあっていることであろうか、きっと詩を投げて汨羅の淵に贈っているのであろうとおもう。


(訳注) 天末懷李白
天涯の天水において李白を懐かしく思う。
天末 天水、天のはて天涯。杜甫は天涯にいるし、。李白は南に果てに隔たっている。故に作者自己の居処秦州をさして天のはてという。ここではもうひとつの意味として、李白がこのとき流刑の地である夜郎をさしているともいえる。


涼風起天末,君子意如何?
天の果てともいうべき此処天水(秦州)に涼風がおこってきた。夢でしかあっていないあなたの今の心はどんなであるか
君子 徳のある人、ここでは李白をさす。


鴻雁幾時到,江湖秋水多。
あなたからの鴻雁のたよりはいつこちらへ届くのか、今年の南方江湖の地方は秋の長水で増水して、多種でこまってはいないだろうか。
鴻雁 おおとり、かり、李白からのでがみをさす。漢の武将蘇武は、匈奴にとらわれていたが、匈奴はそれを隠しすでに死んだと伝えた。漢の使者が、武帝の射た雁の足に蘇武の手紙が結ばれていたから生きているはずだと鎌をかけると、匈奴の単于はやむなく認めて蘇武を釈放した(『漢書』蘇武伝)。その故事から「雁」は手紙を届けてくれる鳥。○幾時いつ。○ 杜甫の方へ到著する。○江湖 江や湖のある地、南方李白の居るところをさす。○秋水多 多は水量の多いことをいうのではなく、水面の多種なことをいう。しかし、この年、秋の長雨による増水があり、むしろ水の減ずる秋なのに増水を心配している。当時の交通機関はおおくはふねでのいどうであったからである。この詩が759年秋に書かれたもの、杜甫に李白の消息が伝えられていないということがわかる。


文章憎命達,魑魅喜人過。
あなたのように文章のすぐれたものは却って順境に居ることを嫌われる、文章なるものが人の運命の開けるのを憎んでいるかのようである。あなたの居る処にも、私の所にも、はびこっている悪鬼どもは人があなたに気がつかないで通り過ぎればよいと喜んでいるのだ。
憎命達 命達とは運命が順調に開けていくこと、文章力、表現力の長じている人はかえって逆境に居ることで良い文章になるものなのでで、其の人の運命が開けると文章の神は憎むのである。文章の評価と生活が比例して向上することがないこと言う。杜甫も、李白も詩文章力の向上に伴って、生活が苦しくなっていったことからこうした考えをするようになった。○魑魅 冤鬼。山林の異気(瘴気)から生ずるという怪物のことと言われている。顔は人間、体は獣の姿をしていて、人を迷わせる。○善人過 鬼は人がとおればそれをつかまえて食べる。


應共冤魂語,投詩贈汨羅。
いまごろ、あなたは無実の罪に死んだ屈原の魂を相手に語りあっていることであろうか、きっと詩を投げて汨羅の淵に贈っているのであろうとおもう。
 旧解は次の句までかけるが予は上旬のみにかけてみる。○寛魂 屈原の魂、屈原は楚の嚢王に斥けられ遂に洞羅の淵に身を投げて死んだ。○ 白がはなしをする。○投詩 作者が投ずる。後楚は秦によって滅ぼされ、屈原の諫言の正しさを知った人々は、汨羅に眠る屈原の霊を慰める為に、毎年5月5日、粽を作って汨羅の淵に投げ入れるようになったという。このことに基づいている。○贈 漢の賈誼は左遷されて長抄に至り「弔屈賦」を作って屈原を弔った故事に基づく。李白も屈原と同じで無実の罪であるということをいったものである。○汨羅 湖南省長沙市の北にある淵の名。


天末懷李白
涼風起天末,君子意如何?
鴻雁幾時到,江湖秋水多。
文章憎命達,魑魅喜人過。
應共冤魂語,投詩贈汨羅。

(天末にて李白を懐う)
涼風 天末【てんまつ】に起こる、 君子 意は如何。
鴻雁【こうがん】 幾時か到らん、江湖【こうこ】 秋水多し。
文章【ぶんしょう】 命の達するを憎む、魑魅【ちみ】人の過ぐるを喜ぶ。
応に冤魂【えんこん】と共に語るなるべし、詩を投じて汨羅【べきら】に贈る。