有懷台州鄭十八司戶虔 杜甫 <234-#3> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1151 杜甫特集700- 348
(台州の鄭十八司戶虔を懷う有り)


秦州に来てある日、儒者である鄭虔を懐かしく思い出した。杜甫30代後半長安で就職活動をしているときこの鄭虔には人からならぬお世話になっている。当時、廣文館博士であった鄭虔とともに何将軍の山荘に遊んでの詩。杜甫、五言律詩篇『陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 』から『十首』に心安らぐ様子をあらわしている。
 また鄭虔は房琯に連座して台州の書記官に左遷された様子を杜甫、七言律詩『送鄭十八虔貶台州司戶、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 』「鄭公樗散鬢成絲,酒後常稱老畫師。」(鄭公樗散贅糸を成す、酒後常に称す老画師と。)とあらわしていた。

有懷台州鄭十八司戶虔
台州司戶で親族の十八番目の鄭虔先生を懐かしむことがあった時の詩。
天臺隔三江,風浪無晨暮。
天台はこの国の三大河川を隔てた向こうにある。そこは、風が吹き大波が朝夕の隔てなくあるのである。
鄭公縱得歸,老病不識路。
鄭虔先生はたとえ今帰ることを許されたとしても、寄る年波に加えてもともと病弱でその病気があるため帰路に就くことは考えられないことだろう。
昔如水上鷗,今如罝中兔。
私が知っている廣文館博士のころは、鴎が水の上で遊ぶように生き洋々とされていた。しかし、今はきっと網の中に捕えられたウサギのような生活をされていることと思う。
性命由他人,悲辛但狂顧。
その人に持って生まれた運命と性格というものは他人によって影響を受けるものである。いまはつらく悲しいことがあってもただ振り返ってみるということだけなのだ。
#2
山鬼獨一腳,蝮蛇長如樹。
山中の怪物は単独であるいているものであり、マムシなどは木と木の枝に一体になっているものなのだ。
呼號傍孤城,歲月誰與度?
孤城のほとりで名を呼んで叫んでみる、そのように独りでこの歳月をだれと過ごしてゆくというのだろうか。
從來禦魑魅,多為才名誤。
これまで山林の異気(瘴気)から生ずるという怪物と一緒にいるといわれている。多くの才能あるもの、名分をつくるものがどれほど多く間違ったことをしてきたのか。
夫子嵇阮流,更被時俗惡。

それ、そのことは先生が建安の儒者、嵇康と阮籍のように清談をし汚れたものを避けた生き方をしてきた、ところが今世俗はさらに低俗なものになっているのである。
#3
海隅微小吏,眼暗發垂素。
先生は大海の傍の台州で州の役人を細々としていて、目は少し見えなくなり、髪は白髪になっている。
黃帽映青袍,非供折腰具。
それでは隠遁して、黄色の頭巾をかぶり、青袍の制服が映え、腰の佩び珠はそろっていなくていい。
平生一杯酒,見我故人遇。
通常、毎日一杯の酒を呑み、私が見るのは親しい友人が会いに来てくれる時だけだ。
相望無所成,乾坤莽回互。
お互いに臨んでいることは、先生がその場所、わたしがこの場所を終の棲家としないことだろう、だからここらで思い切って天と地、草深いところを互いに遊び回ってみようではないですか。


(台州の鄭十八司戶虔を懷う有り)
天臺 三江を隔てる,風浪 晨暮 無し。
鄭公 縱い歸るを得るとも,老病 路を識らず。
昔 水上の鷗の如し,今 罝中の兔の如し。
性命 他人に由,悲辛 但だ 狂顧す。


山鬼 獨り一腳し,蝮蛇 長じて樹の如し。
呼號して孤城の傍,歲月は誰と與り度る?
從來 魑魅に禦し。多為 才名 誤る。
夫子 阮流に嵇し,更に時に俗惡を被う。


海隅にして小吏を微し,眼暗にして垂素を發す。
黃帽 青袍に映え,腰具を折るを供にし非ず。
平生 一杯の酒,我の故人に遇うを見る。
相い望むも成す所無く,乾坤 莽として回互す。


現代語訳と訳註
(本文)
#3
海隅微小吏,眼暗發垂素。黃帽映青袍,非供折腰具。
平生一杯酒,見我故人遇。相望無所成,乾坤莽回互。


(下し文)
海隅にして小吏を微し,眼暗にして垂素を發す。
黃帽 青袍に映え,腰具を折るを供にし非ず。
平生 一杯の酒,我の故人に遇うを見る。
相い望むも成す所無く,乾坤 莽として回互す。


(現代語訳)
先生は大海の傍の台州で州の役人を細々としていて、目は少し見えなくなり、髪は白髪になっている。
それでは隠遁して、黄色の頭巾をかぶり、青袍の制服が映え、腰の佩び珠はそろっていなくていい。
通常、毎日一杯の酒を呑み、私が見るのは親しい友人が会いに来てくれる時だけだ。
お互いに臨んでいることは、先生がその場所、わたしがこの場所を終の棲家としないことだろう、だからここらで思い切って天と地、草深いところを互いに遊び回ってみようではないですか。


(訳注) #3
海隅微小吏,眼暗發垂素。

先生は大海の傍の台州で州の役人を細々としていて、目は少し見えなくなり、髪は白髪になっている。
發垂素 發は髪の毛。垂は老年の力のない髪が垂れてくること。素は白髪頭。


帽映青袍,非供折腰具。
それでは隠遁して、黄色の頭巾をかぶり、青袍の制服が映え、腰の佩び珠はそろっていなくていい。
黃帽映青袍 黃青袍も身分の低いものが身に着けるもの。ここでは、隠遁生活のことをいっている。


平生一杯酒,見我故人遇。
通常、毎日一杯の酒を呑み、私が見るのは親しい友人が会いに来てくれる時だけだ。
平生 隠遁生活での日常のことを言う。・故人 親しい友人。


相望無所成,乾坤莽回互。
お互いに臨んでいることは、先生がその場所、わたしがこの場所を終の棲家としないことだろう、だからここらで思い切って天と地、草深いところを互いに遊び回ってみようではないですか。
乾坤 1 易(えき)の卦(け)の乾と坤。2 天と地。天地。3 陰陽。4 いぬい(北西)の方角とひつじさる(南西)の方角。
 1 草。草むら。「草莽」 2 草深いさま。

有懷台州鄭十八司
(台州の鄭十八司虔を懷う有り)  
天臺隔三江,風浪無晨暮。
鄭公縱得歸,老病不識路。
昔如水上鷗,今如罝中兔。
性命由他人,悲辛但狂顧。
天臺 三江を隔てる,風浪 晨暮 無し。
鄭公 縱い歸るを得るとも,老病 路を識らず。
昔 水上の鷗の如し,今 罝中の兔の如し。
性命 他人に由,悲辛 但だ 狂顧す。
(台州司で親族の十八番目の鄭虔先生を懐かしむことがあった時の詩。)
天台はこの国の三大河川を隔てた向こうにある。そこは、風が吹き大波が朝夕の隔てなくあるのである。
鄭虔先生はたとえ今帰ることを許されたとしても、寄る年波に加えてもともと病弱でその病気があるため帰路に就くことは考えられないことだろう。
私が知っている廣文館博士のころは、鴎が水の上で遊ぶように生き洋々とされていた。しかし、今はきっと網の中に捕えられたウサギのような生活をされていることと思う。
その人に持って生まれた運命と性格というものは他人によって影響を受けるものである。いまはつらく悲しいことがあってもただ振り返ってみるということだけなのだ。
山鬼獨一,蝮蛇長如樹。
呼號傍孤城,
月誰與度?
從來禦魑魅,多為才名誤。
夫子嵇阮流,更被時俗惡。
山鬼 獨り一し,蝮蛇 長じて樹の如し。
呼號して孤城の傍,
月は誰と與り度る?
從來 魑魅に禦し。多為 才名 誤る。
夫子 阮流に嵇し,更に時に俗惡を被う。
山中の怪物は単独であるいているものであり、マムシなどは木と木の枝に一体になっているものなのだ。
孤城のほとりで名を呼んで叫んでみる、そのように独りでこの歳月をだれと過ごしてゆくというのだろうか。
これまで山林の異気(瘴気)から生ずるという怪物と一緒にいるといわれている。多くの才能あるもの、名分をつくるものがどれほど多く間違ったことをしてきたのか。
それ、そのことは先生が建安の儒者、嵇康と阮籍のように清談をし汚れたものを避けた生き方をしてきた、ところが今世俗はさらに低俗なものになっているのである。
海隅微小吏,眼暗發垂素。
黃帽映青袍,非供折腰具。
平生一杯酒,見我故人遇。
相望無所成,乾坤莽回互。
海隅にして小吏を微し,眼暗にして垂素を發す。
黃帽 青袍に映え,腰具を折るを供にし非ず。
平生 一杯酒,我を見て故人に遇う。
相望するは成す所無く,乾坤は互に回り莽す。
先生は大海の傍の台州で州の役人を細々としていて、目は少し見えなくなり、髪は白髪になっている。
それでは隠遁して、黄色の頭巾をかぶり、青袍の制服が映え、腰の佩び珠はそろっていなくていい。
通常、毎日一杯の酒を呑み、私が見るのは親しい友人が会いに来てくれる時だけだ。
お互いに臨んでいることは、先生がその場所、わたしがこの場所を終の棲家としないことだろう、だからここらで思い切って天と地、草深いところを互いに遊び回ってみようではないですか。