遣興五首其五 杜甫 <239>遣興22首の番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1166 杜甫特集700- 353



其一  
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。
冬眠している竜は冬三か月じゅうじっとして寝ているが、老いた鶴ははるか万里のさきまで飛んで行こうとする心を抱いているものだ。
昔時賢俊人,未遇猶視今。
昔から賢く優れた人達がでてきた、彼らはまだ好機時運に出遭うまではやはり、ここで私が今日、現状を眺めているような気持ちでいたであろう。(冬の寒い時期に)はじっとしているもので、好機を覗って体力を温存する。)
嵇康不得死,孔明有知音。
儒者で賢俊な嵇康は鍾会の讒言で死罪となり、政党なしに肩を売ることはできなかったし、諸葛孔明は劉備の如きすべてを理解し、信頼してくれる者があって用いられたのである。
又如隴坻松,用舍在所尋。
また、これらのことから、人も喩えて見ればこの地方の有名な隴坻の急峻な坂に生えている松の樹のようなものである、この松木を家を建てるのに用うると棄てて置くとはその材を尋ねる人如何にあるということである。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。
惜しいことにはあのように驚くべく大きな霜雪を凌ぐいで立っている松の幹であっても、いつまでも永久に棄ておかれたならば枯れ木の林になっているのである。
(其の一)
蟄竜【ちつりょう】三冬に臥す、老鶴【ろうかく】は万里の心。
昔時 賢俊【けんしゅん】の人、未だ遇わざりしときは猶お今を視るがごとくなりしならん。
嵇康【けいこう】は死を得ず、孔明は知音【ちいん】有り。
又た隴坻【りょうてい】の松の如し、用舍は尋ぬる所に在り。
大なる哉 霜雪の幹、歳久しくして枯林となる。


其二   
昔者龐德公,未曾入州府。
むかし後漢の龐德公は、鹿門山の中に薬芝を取るといって引き込んで一度も荊州や襄陽府にさえ入り込んだことがなかったのである。
襄陽耆舊間,處士節獨苦。
襄陽の名のある老人たちの間で話題にされた 「襄陽耆舊記」の問答集にでており、徳公は、独り処士を貫き、儒者としての苦しい節操を守った。
豈無濟時策?終竟畏網罟。
どうして、徳公に三国の時世を救う謀が無いわけはなかったが、結論を言うと、世へ出て罪禍の網をひっかけることに手を貸すことを憚ったのである。
林茂鳥有歸,水深魚知聚。
林が茂りゆたかになれば鳥というものはそこへ帰るというものだし、水が深くしずかであれば魚はそこへ集まるものだ、
舉家隱鹿門,劉表焉得取。
そこで安棲できることを知っているからである。徳公も鹿門山の山中がその場所だと悟っているからだ、
(其の二)
昔者龐徳公【ほうとくこう】、未だ曾て州府に入らず。
嚢陽【じょうよう】耆旧【しきゅう】の間、処士【しょし】節独り苦しむ。
豈 時を済うの策なからんや、終に竟に網罟【もうこ】を茂る。
林茂れば鳥帰する有り、水深ければ魚衆まるを知る。
家を挙って鹿門に隠る、劉表焉んぞ取ることを得ん。


其三   
陶潛避俗翁,未必能達道。
東晋の陶淵明は官を辞して世俗を避けて隠遁した老翁がいる、隠者として、古今東西を通じて一般に行われるべき徳を積んでいるとはおもえない。
觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
それは彼の作った詩集を見てみると、ただ単に落ちぶれて衰えた人というものではないか。
達生豈是足?默識蓋不早。
「荘子、達生」でいう自己を棄てようと思う者でありながら、 世を棄てられないということか、口に出さずに心中に会得するただ隠棲者としてはその生活は徳を積む悟りが早くはなかった。
有子賢與愚,何其掛懷抱?

彼の『責子』で子どものことを賢いとか、愚かだといっているのは隠者の言うことではないし、どうしてそういうことを胸にしまっておけなかったのであろうか。
(其の三)
陶潜は避俗の翁なるも、未だ必ずしも道に達する能はず。
其の著す詩集を観るに、頗る亦だ枯稿を恨む。
達生 豈に是れ足らんや、黙識 蓋し早からず。
子の賢と愚と有るも、何ぞ其れ懐抱に桂けんや。


其四   
賀公雅吳語,在位常清狂。
賀知章先生は朝廷内であっても江南語の国の方言ばかりで話しておられた。朝廷の秘書監でいる間も「四明狂客」と称され、おおらかで権力の争いには加わることのない清廉な方であった。
上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
出世を願うということもしなくて辞職を願い出た。道士の黃冠を以て故郷に帰った。
爽氣不可致,斯人今則亡。
人格はさわやかな気配を漂わせており、追究することなどない。しかし、この人は今はもう亡くなっていない。
山陰一茅宇,江海日淒涼。
会稽の南に一軒の粗末な茅葺の家を建てていた、銭塘江や大海原に抱かれて日々爽やかに過ごした。
(其の四)
賀公雅に呉語し、位に在りては常に清狂たり。
上疏して骸骨を乞ひ、黄冠故郷に帰る。
爽気致すべからず、斯の人今や則ち亡し。
山陰 一茅宇、江海日に凄涼たり。


遣興 其五  
吾憐孟浩然,短褐即長夜。
私は先輩の孟浩然を憐れむのであるが、官僚になることがなく、鹿門山の傍に隠棲し、短褐穿結の生活を長くされた。
賦詩何必多,往往淩鮑謝。
その賦や詩文のなんと必ず心打つものが多いことか、昔からその分野を見て鮑照と謝朓をはるかにしのぐのである。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。
清らかに流れる漢江に空しく死んだ魚が浮かんでいるということであり、春の長雨に日照りで甘くなっていく甘蔗が大水でもてあましているようなものである。
每望東南雲,令人幾悲吒。

何時も遠き東南の襄陽につづく雲を眺めているし、孟浩然を亡くした詩人の仲間たちは幾たびか哀しみと叱咤をするのである。
(其の五) 
吾は憐む孟浩然、短褐長夜に即くを。
詩を賦すること何ぞ必ずしも多からんや、往往にして鮑謝を凌ぐ。
清江旧魚空しく、春雨甘蔗余る。
東南の雲を望む毎に、人をして幾たびか悲吒せしむる。


 孟浩然が官に就くことなく優れた詩を残して貧窮の中に世を去ったことを悼む詩である。杜甫は、「解悶十二首」其六で孟浩然について次のように詠う。
復憶襄陽孟浩然,清詩句句盡堪傳。
即今耆舊無新語,漫釣槎頭縮頸鯿。
復た憶ふ 襄陽の孟浩然、清詩 句句 尽く伝ふるに堪へたり。
即今 耆旧 新語無く、漫に釣る 槎頭 縮頸の鯿。

 つくづく思うのは、孟浩然の清新な詩句はことごとく後世に伝えられるものである、しかし、彼以後、襄陽の詩人達には新しく作られる佳句がないのであり、ただ漫然と万丈潭で釣り糸を垂れているまるで詩人を筏で繋いだようであり、首をちじめているおしき魚ではないか。

とつぶやいているのである。秦州での作、遣興詩⑫と比べると、孟浩然の文学を称えることは共通しているが、成都に来て以降の杜甫はその生活からも物事を客観的に見るようになっていて、孟浩然が布衣として世を去ったことと深い哀悼の表現が解悶詩には見られなくなっている。



遣興其五
吾憐孟浩然,短褐即長夜。
賦詩何必多,往往淩鮑謝。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。
每望東南雲,令人幾悲吒。

(興を遣る 其の五)
吾は憐む孟浩然、短褐長夜に即くを。
詩を賦すること何ぞ必ずしも多からんや、往往にして鮑謝を凌ぐ。
清江旧魚空しく、春雨甘蔗余る。
東南の雲を望む毎に、人をして幾たびか悲吒せしむる


現代語訳と訳註
(本文)
遣興其五
吾憐孟浩然,短褐即長夜。賦詩何必多,往往淩鮑謝。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。每望東南雲,令人幾悲吒。


(下し文) (興を遣る 其の五)
吾は憐む孟浩然、短褐長夜に即くを。
詩を賦すること何ぞ必ずしも多からんや、往往にして鮑謝を凌ぐ。
清江旧魚空しく、春雨甘蔗余る。
東南の雲を望む毎に、人をして幾たびか悲吒せしむる


(現代語訳)
私は先輩の孟浩然を憐れむのであるが、官僚になることがなく、鹿門山の傍に隠棲し、短褐穿結の生活を長くされた。
その賦や詩文のなんと必ず心打つものが多いことか、昔からその分野を見て鮑照と謝朓をはるかにしのぐのである。
清らかに流れる漢江に空しく死んだ魚が浮かんでいるということであり、春の長雨に日照りで甘くなっていく甘蔗が大水でもてあましているようなものである。
何時も遠き東南の襄陽につづく雲を眺めているし、孟浩然を亡くした詩人の仲間たちは幾たびか哀しみと叱咤をするのである。


(訳注)
遣興其五
吾憐孟浩然,短褐即長夜。

私は先輩の孟浩然を憐れむのであるが、官僚になることがなく、鹿門山の傍に隠棲し、短褐穿結の生活を長くされた。
短褐 短褐穿結ということ。貧しい人や卑しい人の着る衣服。貧者の粗末な姿の形容。・短褐は短い荒布でできた着物。・穿結は破れていたり、結び合わせてあったりすること。


賦詩何必多,往往淩鮑謝。
その賦や詩文のなんと必ず心打つものが多いことか、昔からその分野を見て鮑照と謝朓をはるかにしのぐのである。
鮑謝 ここでは、鮑照と謝朓のことであるが孟浩然の詩は謝霊運の詩にかなり強く影響されている。儒者からの人物評価において、謝靈運に対する偏見が多く正当な評価がされていない。○顏謝 顔 延之と謝霊運の山水詩人。
・六朝からの山水詩人たちを凌駕したということ。


清江空舊魚。春雨餘甘蔗。
清らかに流れる漢江に空しく死んだ魚が浮かんでいるということであり、春の長雨に日照りで甘くなっていく甘蔗が大水でもてあましているようなものである。
舊魚 死んだ魚。・甘蔗【かんしゃ】サトウキビの別名。
・あれだけ、襄陽に在住し、実績を残した孟浩然の詩を受け継ぎ、越えて行こうというものがいないことをいう。


每望東南雲,令人幾悲吒。
何時も遠き東南の襄陽につづく雲を眺めているし、孟浩然を亡くした詩人の仲間たちは幾たびか哀しみと叱咤をするのである。
令人 よいひと。通常夫を亡くした妻ということであるが、ここでは孟浩然を亡くした詩人の仲間たちということ。
・杜甫が秦州に来たのは、長安、華州、洛陽、それ以東、乱れ、不安定な戦況から逃れ、詩人として生きていくことを決意したのである。



 杜甫の遣興詩は、当初、心にわき起こった様々な心情のうち、ことに愁の感情を詩によってはらうという作品であった。杜甫の「遣興」と題されたものを時系列に番号を付与したもので見ていく。特に連作の場合、その表現は共通する一定の枠組みを持っており、底辺に流れる感情や心情も同一のものであると考えられる。⑧~⑫については、詩人として生きていくことを決意した杜甫が心にとめる詩人のその詩の背景について評論しているものである。⑩の「遣興五首」其三「陶潜避俗翁」詩については、陶淵明批判の有無、自嘲の有無ということを中心にいくつかの解釈がなされているが、この連作のなかでそれぞれの詩の背景、共通の枠組みと底辺に流れる感情を措定し、枯楕を恨む陶淵明の中に自らとの同一性を見いだし、親近感を抱き、諧謔を含んだ表現を展開しているものとして理解することができる。「陶潜避俗翁」は、枯楕を恨む現在の自分の姿を改めて確認しているのであり、「賀公雅呉語」は、自らが手の届かない道士、黄冠の人であることを客観的に感じ、清狂なる官吏としての人生を表現し、「吾憐孟浩然」は、貧賤のなかで詩人として生き、幾ばくかの詩編を留めて世を去るであろう残された人生を自らの人生重ねている作品としてそれぞれ読むことができる。



遣興 756年 叛乱軍安禄山軍に拘束、長安で軟禁。
驥子好男兒,前年學語時﹕問知人客姓,誦得老夫詩。
世亂憐渠小,家貧仰母慈。鹿門攜不遂,雁足系難期。
天地軍麾滿,山河戰角悲。倘歸免相失,見日敢辭遲。

遣興 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 151


遣興三首 758 乾元元年罷諌官後作 ②
我今日夜憂,諸弟各異方。不知死與生,何況道路長。
避寇一分散,饑寒永相望。豈無柴門歸?欲出畏虎狼。
仰看雲中雁,禽鳥亦有行。

蓬生非無根,漂蕩隨高風。天寒落萬裡,不複歸本叢。
客子念故宅,三年門巷空。悵望但烽火,戎車滿關東。
生涯能幾何,常在羈旅中!

昔在洛陽時,親友相追攀。送客東郊道,遨遊宿南山。
煙塵阻長河,樹羽成皋間。回首載酒地,豈無一日還?
丈夫貴壯健,慘戚非朱顏。



遣興三首 759乾元二年秋在秦州作 ⑤
下馬古戰場,四顧但茫然。風悲浮雲去,黃葉墮我前。
朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏。故老行嘆息,今人尚開邊。
漢虜互勝負,封疆不常全。安得廉頗將,三軍同晏眠?
遣興三首 其一 <226>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1094 杜甫特集700- 329

高秋登塞山,南望馬邑州。降虜東擊胡,壯健盡不留。
穹廬莽牢落,上有行雲愁。老弱哭道路,願聞甲兵休。
鄴中事反覆,死人積如丘。諸將已茅土,載驅誰與謀?
遣興三首 其二 <227>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1097 杜甫特集700- 330

豐年孰雲遲,甘澤不在早。耕田秋雨足,禾黍已映道。
春苗九月交,顏色同日老。勸汝衡門士,忽悲尚枯槁。
時來展才力,先後無醜好。但訝鹿皮翁,忘機對芳草。
遣興三首 其三 <228>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1100 杜甫特集700- 331



遣興五首 759乾元二年秋在秦州作 ⑧
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。昔時賢俊人,未遇猶視今。
嵇康不得死,孔明有知音。又如隴坻松,用舍在所尋。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。

昔者龐德公,未曾入州府。襄陽耆舊間,處士節獨苦。
豈無濟時策?終竟畏網罟。林茂鳥有歸,水深魚知聚。
舉家隱鹿門,劉表焉得取。

陶潛避俗翁,未必能達道。觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
達生豈是足?默識蓋不早。有子賢與愚,何其掛懷抱?

賀公雅吳語,在位常清狂。上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
爽氣不可致,斯人今則亡。山陰一茅宇,江海日淒涼。

吾憐孟浩然,短褐即長夜。賦詩何必多,往往淩鮑謝。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。每望東南雲,令人幾悲吒。



遣興二首   759乾元二年秋在秦州作⑬
天用莫如龍,有時系扶桑。頓轡海徒湧,神人身更長。
性命苟不存,英雄徒自強。吞聲勿複道,真宰意茫茫。

地用莫如馬,無良複誰記?此日千裡鳴,追風可君意。
君看渥窪種,態與駑駘異。不雜蹄嚙間,逍遙有能事。



遣興五首  759乾元二年秋在秦州作⑮
朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。焉知南鄰客,九月猶絺綌。

長陵銳頭兒,出獵待明發。騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
未知所馳逐,但見暮光滅。歸來懸兩狼,門戶有旌節。

漆有用而割,膏以明自煎;蘭摧白露下,桂折秋風前。
府中羅舊尹,沙道故依然。赫赫蕭京兆,今為人所憐。

猛虎憑其威,往往遭急縛。雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。人有甚於斯,足以勸元惡。

朝逢富家葬,前後皆輝光。共指親戚大,緦麻百夫行。
送者各有死,不須羨其強。君看束縛去,亦得歸山岡。


浣花渓草堂  *****760年**********************
⑳遣興
干戈猶未定,弟妹各何之!拭淚沾襟血,梳頭滿面絲。
地卑荒野大,天遠暮江遲。衰疾那能久,應無見汝期。





21遣意二首    760
囀枝黃鳥近,泛渚白鷗輕。一徑野花落,孤村春水生。
衰年催釀黍,細雨更移橙。漸喜交遊絕,幽居不用名。
22
簷影微微落,津流脈脈斜。野船明細火,宿雁聚圓沙。
雲掩初弦月,香傳小樹花。鄰人有美酒,稚子也能賒。

xxxxxxxxxxxxxxxxxxx
漫成二首-------------------------
野日荒荒白,春流泯泯清。渚蒲隨地有,村徑逐門成。
只作披衣慣,常從漉酒生。眼邊無俗物。多病也身輕。

江皋已仲春,花下複清晨。仰面貪看鳥,回頭錯應人。
讀書難字過,對酒滿壺頻。近識峨眉老,知予懶是真。