遣興五首其五 杜甫 <250>遣興22首の⑲番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1199 杜甫特集700- 364


其一(寒さの時になって富家のさまを見て自己の貧窮をのべた詩である。) 

朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。
冬を呼ぶ北風が北方異民族の地の「雁」を招き空に翻している、その「風」と「雁」は薄暗くものがなしい思いにさせるだけでなく、砂と小石混じりのすさまじい風をおびて吹き荒ぶのである。
長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
背の高い木の林は木々を抜ける風がびゅうびゅうとなんとさびしく吹きわたる。秋の草は茂りながらいまだに碧を濃くしている。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。
此の時、北里では富豪の家の勢焔は天をもくすぶらせるほどの勢いなのだ、そしてその富豪の高殿で夜を徹して笛を吹き宴をしているのだ。
焉知南鄰客,九月猶絺綌。
これに反して南に隣接の住民も、旅人であるわたしもどうしてこれを知らないはずがないのだ、その一方で、もうすぐ冬だという九月であるのにいまだに葛の単衣の着物で過ごしている者たちがいるのである。

朔風胡雁を諷す、惨澹として砂磯を帯ぶ。
長林何ぞ粛粛たる、秋草妻として更に碧なり。
北里富天を煮ず、高楼夜笛を吹く。
焉んぞ知らん南隣の客、九月に猶お絺綌なるを。


其二   (長安の貴公子達が猟に興じるさまを詠じた作品であり、幸せな充足した日々を過ごす貴公子達の姿が描かれている。)  
長陵銳頭兒,出獵待明發。
長陵にはとがった頭の貴公子がいる。狩猟に出かけると夜通しかけ、そこで夜明けを待つのだ。
騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
あか馬に乗り、黄金で飾りつけたかぶらの矢で弓を引き、白馬にまたがって僅かに積もった雪を蹴散らして走り去る。
未知所馳逐,但見暮光滅。
所構わず「競い馬」をするかとおもえば、夕日が沈んでゆくのを眺めている。
歸來懸兩狼,門戶有旌節。
帰って来れば二匹のオオカミに襲われたようなものだ、その貴公子の邸宅の門には権勢をあらわす天子から賜った門閥の季節を祝う旗が掲げられている。

長陵【ちょうりょう】鋭頭【えいとう】の児、猟に出でて明発【めいはつ】を待つ。
験弓【せいきゅう】金爪【きんそう】の鏑、白馬 微雪を蹴る。
未だ馳逐【ちちく】する所を知らず、但だ暮光【ぼこう】の滅するを見る。
帰り来りて両狼【りょうろう】を懸く、門戸に旌節【せいせつ】有り。


其三    (寵愛され出世した者がそれ故に身を滅ぼすことを、京兆尹であった蕭炅を例に挙げ粛宗批判を詠じている。)
漆有用而割,膏以明自煎;
漆はつなぐ用途のために木から割き採られるし、膏は燃やせば火で明るくなるけれど自らを煎じてしまう。(接着するのに剥がし、燃えて明るくするが自分を煮煎じている、あべこべの政治を揶揄している。)
蘭摧白露下,桂折秋風前。
蘭の香花も白露の下でその露に携えて持って行かれ、桂枝のかぐわしき香気も秋風の前に漂っていた香気は飛ばされやがては折れてしまう。
府中羅舊尹,沙道故依然。
宰相の府中には天子に寵愛された歴代京兆尹たちがならんでいるものであり、玄宗の時代から粛宗の時代になってもその宰相のとおる沙をしいた道路はもとどおりに存在している。
赫赫蕭京兆,今為人所憐。
さてかつて玄宗、李林甫の時代あれほど、権威赫赫として時めいて居た京兆尹粛炅は今は没落してしまい世間のものに気の毒がられているのである。(【首聯】の漆膏蘭桂のひゆは「蕭京兆」のことを言うためにある。賄賂・頽廃政治の典型としてあげたもの。) 
漆に用有りて割かれ、膏は明を以て自ら煎る。
蘭は摧く 白露の下、桂は祈る 秋風の前。
府中 旧尹羅なり、沙道 尚ほ依然たり。
赫赫たる蕭京兆、今時の憐む所と為る。

其四    (権威をかさに横暴をふるった富貴のものがその栄耀栄華が続くものではないことをいう)
猛虎憑其威,往往遭急縛。
獰猛な虎はその威嚇をよりどころにしているが、それが往往にして急にしばられるようなことに遭遇する。
雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
拘束されれば、そこで雷のごとくにはえたててもいたずらに吼えるだけである、機で組み合わせた檻の中ですでに足かせをされているのである。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。
その後たちまちにして、その皮は敷物にされてしまうのを看る、そして威嚇していたひとみもきらめきかがやくことはなくなってしまう。
人有甚於斯,足以勸元惡。
人間の場合はこの猛虎よりはなはだしく悲惨なことがある、このことは富貴の人たちよ世間の大悪をやれる限りやることを進めるが充分悲惨な末路となるに足るであろう。
猛虎 其の威に憑り、往往にして急縛に遭ふ。
雷吼 徒らに咆哮するも、枝撐 已に脚に在り。
忽ち看る 皮の寝処にあるを、復た晴の閃煉たる無し。
人 斯よりも甚しき有り、以て元悪を勧むるに足る。

其五   (富貴のものがどんな大きな葬儀をしようとも死によって解消し、意昧がなくなってしまう) 
朝逢富家葬,前後皆輝光。
朝、富豪の家の葬儀の行列に出遭った。行列の前にも後ろにも輝きひかるものをかかげて豪華な葬列である。
共指親戚大,緦麻百夫行。
共に目指している多くの親族縁者、権威に従っている大勢がいるのであった、そして緦麻を着た百人もいるとみられる家臣の行列である。
送者各有死,不須羨其強。
どれほどのものが死者を送っていても、誰もが死というものを迎えるのである、したがってこれほどの葬儀の行列を羨ましく思うものではないのである。
君看束縛去,亦得歸山岡。

君は見ただろう、死んだ者が小斂、大斂とぐるぐる巻きに縛られて行ったことを。そうしてまた、誰もがこの山や丘の土に帰っていくということを。(富貴と貧賤の無限の隔たりは死によって解消し、意昧がなくなってしまう)

朝に富家の葬に逢ふ、前後 皆 輝光【きこう】あり。
共に指す 親戚大にして、緦麻【しま】百夫の行ありと
送る者 各の死有り、其の強を羨むを須ゐず。
君看よ 束縛し去られ、亦た山岡に帰るを得るを。


現代語訳と訳註
(本文) 其五
朝逢富家葬,前後皆輝光。共指親戚大,緦麻百夫行。
送者各有死,不須羨其強。君看束縛去,亦得歸山岡。


(下し文)
朝に富家の葬に逢ふ、前後 皆 輝光【きこう】あり。
共に指す 親戚大にして、緦麻【しま】百夫の行ありと
送る者 各の死有り、其の強を羨むを須ゐず。
君看よ 束縛し去られ、亦た山岡に帰るを得るを。


(現代語訳)
朝、富豪の家の葬儀の行列に出遭った。行列の前にも後ろにも輝きひかるものをかかげて豪華な葬列である。
共に目指している多くの親族縁者、権威に従っている大勢がいるのであった、そして緦麻を着た百人もいるとみられる家臣の行列である。
どれほどのものが死者を送っていても、誰もが死というものを迎えるのである、したがってこれほどの葬儀の行列を羨ましく思うものではないのである。
君は見ただろう、死んだ者が小斂、大斂とぐるぐる巻きに縛られて行ったことを。そうしてまた、誰もがこの山や丘の土に帰っていくということを。
(富貴と貧賤の無限の隔たりは死によって解消し、意昧がなくなってしまう)


(訳注) 其五 の詩の前提(この詩の理解のため、儒教の葬儀)
儒教の五経典(易経、書経、詩経、儀礼、春秋)のうち『儀礼(ぎらい)』は古代中国の官吏階級の通過儀礼であり、冠礼、婚礼、喪礼、外交儀礼などを細かく規定したもので、周王朝(前1100頃~前256)の創始者であった周公が制定したものとされているが、孔子(前551~前479) が『書経』『詩経』とともに尊重した。
 『儀礼』の「士喪礼篇」は、士の階級にある者が、その両親を葬る際の儀礼を扱っている。

魂呼びの風習はどこにおいても行われ、旅館で死ぬと旅館、戦場で死ぬと戦場で矢をもって復を行った。招魂の儀式を行なっても死者が生き返らぬことがわかったら、葬送の準備が始められる。主君への死亡通知。⇒主君も使者を遣わして弔問。⇒「哭(こく)」と「足ふみ」。⇒主君は死者に衣服を贈る⇒翌日、死者を衣でぐるぐる巻きにする(小斂)⇒3日目死者を衣服でくるみ絞で縛ること(大斂)⇒3カ月の仮埋葬⇒柩を宗廟に移し、先祖の霊とまみえさせる
この時にこの詩で詠われる「大行列」を見るのである。五服という期間に応じた服を着る。斬衰(ざんさい)(三年)・斉衰(しさい)(一年)・大功(九か月)・小功(五か月)・緦麻(しま)(三か月)。


朝逢富家葬,前後皆輝光。
朝、富豪の家の葬儀の行列に出遭った。行列の前にも後ろにも輝きひかるものをかかげて豪華な葬列である。
富家葬 仮埋葬の邸宅から宗廟に向かうのである。先頭に依代(よりしろ)を持った者が立ち、次に前日の供物を持った者、明りを待った者、車に乗った柩、燭を持つた者、そのあとに3台の魂車がつき、そして喪主たちが従う。富貴の度合いで輝きものが増減する。


共指親戚大,緦麻百夫行。
共に目指している多くの親族縁者、権威に従っている大勢がいるのであった、そして緦麻を着た百人もいるとみられる家臣の行列である。
緦麻 五服の地、3か月間着ている服である。○百夫 百人の兵隊。多くの男子が列に続いている様子をいう。儒教に基づく葬儀であるが、限られたものしかできなかった。儒教の精神とはかけ離れた、賄賂、頽廃に染まったものほど葬儀に費やした。


送者各有死,不須羨其強。
どれほどのものが死者を送っていても、誰もが死というものを迎えるのである、したがってこれほどの葬儀の行列を羨ましく思うものではないのである。


君看束縛去,亦得歸山岡。
君は見ただろう、死んだ者が小斂、大斂とぐるぐる巻きに縛られて行ったことを。そうしてまた、誰もがこの山や丘の土に帰っていくということを。
(富貴と貧賤の無限の隔たりは死によって解消し、意昧がなくなってしまう)


中國の五服と喪の期間
(1)中国古代、王城の周囲を王城から五百里(周代の一里は約405メートル)ごとに区切って定めた五つの方形の地域。内より甸服(でんぷく)・侯服・綏服(すいふく)・要服・荒服。(2)中国で、喪に服す期間によって分けた五等の喪服。斬衰(ざんさい)(三年)・斉衰(しさい)(一年)・大功(九か月)・小功(五か月)・緦麻(しま)(三か月)。と三年喪に伏すのである。