秦州雜詩二十首 其五 杜甫 第2部 <258> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1223 杜甫詩 700- 372



秦州雜詩二十首 第二部(其五―其八)

秦州雑詩二十首 其五
(監牧使の牧場には若い名馬はみな没した、残存した老馬がまだ戦いを思っているだろうことを、暗に自己をたとえていうのであろう。)
南使宜天馬、由来万匹強。
ここ秦州には監牧使をおいて大宛国の馬を天馬にそだてるのに都合のよいところで、太宗の時代からこれまで何十万匹以上も居たのである。
浮雲連陣没、秋草徧山長。
ところがその空に浮かべる雲のように見えていた多くの馬は安史の乱以来いくさに送られてそこで幾度かの大きな戦いに続けさまに戦没してしまった、そのため今やこの秦州あたりの山いっぱいにただ秋の草が背高くのびている。
聞説真龍種、仍残老驌驦。
聞くところによると、真の駿馬はの竜種たる名馬であり、だからそれがこの場所にもう老いてしまった古代の名馬、駿馬といわれる「驌驦」が残っているのだ。
哀鳴思戦闘、迥立向蒼蒼。

その老馬は哀しそうに鳴いて、戦いをしたいとおもっているのだろう、はるかなところで立ち、あおぞらの方に向かって訴えているのである。
(其の五)
南使(なんし)は天馬に宜(よろ)し、由来(ゆらい)  万匹強(ばんひつきょう)。
浮雲(ふうん)は陣を連ねて没し、秋草(しゅうそう)は山に徧(あまね)くして長し。
聞説(きくなら)く  真の龍種(りゅうしゅ)は、仍(な)お老いたる驌驦(しゅくそう)を残(あま)し。
哀鳴(あいめい)して戦闘を思い、迥(はる)かに立ちて蒼蒼(そうそう)に向かうと。

秦州雑詩二十首 其六
城上胡笳奏,山邊漢節歸。
防河赴滄海,奉詔發金微。
士苦形骸黑,林疏鳥獸稀。
那堪往來戍,恨解鄴城圍。

秦州雑詩二十首 其七
莽莽万重山、孤城山谷間。
無風雲出塞、不夜月臨関。
属国帰何晩、楼蘭斬未還。
烟塵独長望、衰颯正摧顔。

秦州雑詩二十首 其八
聞道尋源使、従天此路廻。
牽牛去幾許、宛馬至今来。
一望幽燕隔、何時郡国開。
東征健児尽、羌笛暮吹哀。



現代語訳と訳註
(本文)
南使宜天馬、由来万匹強。
浮雲連陣没、秋草徧山長。
聞説真龍種、仍残老驌驦。
哀鳴思戦闘、迥立向蒼蒼。


(下し文)
南使(なんし)は天馬に宜(よろ)し、由来(ゆらい)  万匹強(ばんひつきょう)。
浮雲(ふうん)は陣を連ねて没し、秋草(しゅうそう)は山に徧(あまね)くして長し。
聞説(きくなら)く  真の龍種(りゅうしゅ)は、仍(な)お老いたる驌驦(しゅくそう)を残(あま)し。
哀鳴(あいめい)して戦闘を思い、迥(はる)かに立ちて蒼蒼(そうそう)に向かうと。


(現代語訳)
(監牧使の牧場には若い名馬はみな没した、残存した老馬がまだ戦いを思っているだろうことを、暗に自己をたとえていうのであろう。)
ここ秦州には監牧使をおいて大宛国の馬を天馬にそだてるのに都合のよいところで、太宗の時代からこれまで何十万匹以上も居たのである。
ところがその空に浮かべる雲のように見えていた多くの馬は安史の乱以来いくさに送られてそこで幾度かの大きな戦いに続けさまに戦没してしまった、そのため今やこの秦州あたりの山いっぱいにただ秋の草が背高くのびている。
聞くところによると、真の駿馬はの竜種たる名馬であり、だからそれがこの場所にもう老いてしまった古代の名馬、駿馬といわれる「驌驦」が残っているのだ。
その老馬は哀しそうに鳴いて、戦いをしたいとおもっているのだろう、はるかなところで立ち、あおぞらの方に向かって訴えているのである。


(訳注)
其の五(監牧使の牧場には若い名馬はみな没した、残存した老馬がまだ戦いを思っているだろうことを、暗に自己をたとえていうのであろう。)


南使宜天馬、由来万匹強。
ここ秦州には監牧使をおいて大宛国の馬を天馬にそだてるのに都合のよいところで、太宗の時代からこれまで何十万匹以上も居たのである。
南便 監牧使をいう。『新唐書、百官志』のおおむね次のように書かれている。西方の馬をいったんここに集積し、一定期間飼育したのち、各地に配送した。開元年間には四十万頭もの名馬が飼育され、その馬をつかさどる役所をおいた。貰い受けるものは、「南使宜天馬」といった。秦州清水県に馬池があり、また隴西の神馬山に淵池があり、竜馬の生ずる所である。古代から西域大宛国血統の馬が優れた馬であることは周知のことである。
 唐の太宗以来、馬の飼育について740年頃、玄宗の開元年間まではよい馬を生産していたようだ。天宝以降李林甫の悪政、楊一族の横暴、安史の乱にかけて一切良い馬をつくより、戦争準備のため、かき集めた。そのため各地の良い馬を育てていた牧場は閉鎖された。杜甫はこの時代、馬の重要性について理解しており、良い馬をつくるための牧場がさびれていく様子を詩にしている。

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解説書の多くに、この「南」を「西」の誤記であるとして、西使は西へ行った使者、南使は南へかえる使者で、ともに漢使(漢より外国へやった使者)の意とする。しかしながら西使・南使ともに此の句においては通じがたい。それは次の「宜」の字に対して説明がつきかねる故である。西(或は「南」)使のままで解釈する方法があるか、識者の教えをまつ。或はいう、今は仮りに「西地」・「西境」の意味の字の誤りとして解して、中国本土の西北部地方の意とみておく。このブログでは、誤記という考え方こそ間違いであるという底本を重視している。○宜天馬 天馬のような名馬が産するのに似つかわしいこと。○ あまりの意。


浮雲連陣没、秋草徧山長。
ところがその空に浮かべる雲のように見えていた多くの馬は安史の乱以来いくさに送られてそこで幾度かの大きな戦いに続けさまに戦没してしまった、そのため今やこの秦州あたりの山いっぱいにただ秋の草が背高くのびている。
浮雲 群馬が疾走すると砂塵がわきたつさまを雲とする。早い馬ほど砂塵を湧き立たせる。風が雲を産むことから、早い馬が風を呼び雲を産むということ。○連陣没 連陣とは幾度もの戦に続けさまにの意。756年潼関、青坂、759年洛陽城の敗軍(乾元二年三月三日)をさす。没とは馬が死没することをいう。○徧山 この秦州地方の山にあまねく。
悲陳陶  悲青坂  など安史の乱以降、杜甫は多く詩を残している。上句で騒がしいこと、敗戦による悲惨さをいい、それを受けた下句では悲愁、茫茫とした草原の寂しさを詠う。

浮雲 : 秋草  、 連 : 、陣没 : 山長

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。



聞説真龍種、仍残老驌驦。
聞くところによると、真の駿馬はの竜種たる名馬であり、だからそれがこの場所にもう老いてしまった古代の名馬、駿馬といわれる「驌驦」が残っているのだ。
○聞説 他の人の説くをきくにの意。○真龍種 竜は竜馬、西域の天馬は竜の種であるといわれる。○驌驦 驌驦は鳥のこと、千里馬の別名。古代の名馬、駿馬のこと。 

聞説 : 仍残  、真 : 、龍種 :

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。



哀鳴思戦闘、迥立向蒼蒼。
その老馬は哀しそうに鳴いて、戦いをしたいとおもっているのだろう、はるかなところで立ち、あおぞらの方に向かって訴えているのである。
邁立 通ははるか、天に対して地上をいうことばである。○蒼蒼 天のあおあおとした色、すなわち天をさす。

***五言律詩。【首聯】【頷聯】【頸聯】【尾聯】で構成。同じ四分割の絶句の起承転結の一線の曲折にはならない。中の【頷聯】【頸聯】については対句が絶対条件である。