秦州雜詩二十首 其七 杜甫 第2部 <260> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1229 杜甫詩 700- 374


秦州雜詩二十首 第二部(其の五から其八)
(詩人として生きることを決意し、隠遁の地,秦州が、吐蕃の乱により不安定なところであることをを述べる。)


秦州雑詩二十首 其五
(監牧使の牧場には若い名馬はみな没した、残存した老馬がまだ戦いを思っているだろうことを、暗に自己をたとえていうのであろう。)
南使宜天馬、由来万匹強。
ここ秦州には監牧使をおいて大宛国の馬を天馬にそだてるのに都合のよいところで、太宗の時代からこれまで何十万匹以上も居たのである。
浮雲連陣没、秋草徧山長。
ところがその空に浮かべる雲のように見えていた多くの馬は安史の乱以来いくさに送られてそこで幾度かの大きな戦いに続けさまに戦没してしまった、そのため今やこの秦州あたりの山いっぱいにただ秋の草が背高くのびている。
聞説真龍種、仍残老驌驦。
聞くところによると、真の駿馬はの竜種たる名馬であり、だからそれがこの場所にもう老いてしまった古代の名馬、駿馬といわれる「驌驦」が残っているのだ。
哀鳴思戦闘、迥立向蒼蒼。

その老馬は哀しそうに鳴いて、戦いをしたいとおもっているのだろう、はるかなところで立ち、あおぞらの方に向かって訴えているのである。
(其の五)
南使【なんし】は天馬に宜【よろ】し、由来【ゆらい】  万匹強【ばんひつきょう】。
浮雲【ふうん】は陣を連ねて没し、秋草【しゅうそう】は山に徧【あまね】くして長し。
聞説【きくなら】く  真の龍種【りゅうしゅ】は、仍【な】お老いたる驌驦【しゅくそう】を残【あま】し。
哀鳴【あいめい】して戦闘を思い、迥【はる】かに立ちて蒼蒼【そうそう】に向かうと。

秦州雑詩二十首 其六
其の六((安史の乱がおさまらず、吐蕃の乱におよび秦州においてが不穏な動きを嘆き述べる。)
城上胡笳奏,山邊漢節歸。
城郭に唐軍の行進にあしぶえが吹きならされ響き渡る、(まだ吐蕃の乱が収まらない)附近の山にはやっと朝廷から吐蕃へやられた使者がもどってきた。 
防河赴滄海,奉詔發金微。
使者に随行してもどってきた士卒をみるといかに辛苦をした様子で、見るからにからだもすすけてまっ黒く、それが木葉が落ちまばらな林に鳥獣さえも稀なるこの季節にもどったのである。
士苦形骸黑,林疏鳥獸稀。
吐蕃の乱が収まらないので詔を奉じて兵卒は金徴の地方から出発して、ここを通って黄河の防禦のため青海地方へ赴こうとしている。
那堪往來戍,恨解鄴城圍。
これら往来の戎卒はこの春(三月三日)官軍が負けるはずのない鄴城で大敗し囲みを解いてさえくれなかったならばと恨んでいるが、わたしはどうしてそのような話を聞くに堪えることが出来るというのか。
城上に胡茄【こか】奏せらる 山辺に漢節【かんせつ】帰る。
防河【ぼうが】として滄海【そうかい】に赴く 詔を奉じて金微【きんぴ】より発す。
士苦しみて形骸【けいがい】黒く 林 疎【そ】にして鳥獣【ちょうじゅう】稀なり。
那ぞ堪えん往来の戊の、鄴城【ぎょうじょう】の囲みを解きしことを恨むに。

秦州雑詩二十首 其七
(詩人として生きることを決意し、隠遁の地として考えたこの秦州が、吐蕃の乱により不安定なところであることを憂えた作である。)
莽莽万重山、孤城山谷間。
山々が幾重にもかさなり立って奥深く、グッと迫ってくる、山に囲まれ空が少ないすり鉢の底にある谷間に秦州の城郭がある。
無風雲出塞、不夜月臨関。
すり鉢の底より、それはあたかも洞窟の奥にある塞から気が湧き出ている。風によって集められなくても空が小さいので雲におおわれる塞なのだ。だから昼間に暗く夜もこないのに、この関所では月が出るのを待っている。
属国帰何晩、楼蘭斬未還。
本来、降伏した周辺異民族の吐蕃ごときを平定して帰るのがどうしてこんなにおそいのであろうか、反乱を起こした吐蕃の王を斬るつもりで出たのにまだかえってはこられない。
烟塵独長望、衰颯正摧顔。

わたしはただとおく戦の煙塵をながめているだけなのである、ここで詩人として隠棲生活を送ろうと願ってきた私がいまできることは、その意気がおとろえてまさに顔にしわを寄せてしかめ面をしていることである。

莽莽【もうもう】たり万重【ばんちょう】の山、孤城  山谷【さんこく】の間。
風無くして雲は塞を出で、夜ならざるに月は関【かん】に臨む。
属国  帰ること何ぞ晩【おそ】き、楼蘭【ろうらん】  斬らんとして未だ還【かえ】らず。
烟塵【えんじん】に独り長望【ちょうぼう】し、衰颯【すいさつ】として正【まさ】に顔を摧【くだ】く。

秦州雑詩二十首 其八
聞道尋源使、従天此路廻。
牽牛去幾許、宛馬至今来。
一望幽燕隔、何時郡国開。
東征健児尽、羌笛暮吹哀。


現代語訳と訳註
(本文)
莽莽万重山、孤城山谷間。
無風雲出塞、不夜月臨関。
属国帰何晩、楼蘭斬未還。
烟塵独長望、衰颯正摧顔。

(下し文)
莽莽【もうもう】たり万重【ばんちょう】の山、孤城  山谷【さんこく】の間。
風無くして雲は塞を出で、夜ならざるに月は関【かん】に臨む。
属国  帰ること何ぞ晩【おそ】き、楼蘭【ろうらん】  斬らんとして未だ還【かえ】らず。
烟塵【えんじん】に独り長望【ちょうぼう】し、衰颯【すいさつ】として正【まさ】に顔を摧【くだ】く。


(現代語訳)
(詩人として生きることを決意し、隠遁の地として考えたこの秦州が、吐蕃の乱により不安定なところであることを憂えた作である。)
山々が幾重にもかさなり立って奥深く、グッと迫ってくる、山に囲まれ空が少ないすり鉢の底にある谷間に秦州の城郭がある。
すり鉢の底より、それはあたかも洞窟の奥にある塞から気が湧き出ている。風によって集められなくても空が小さいので雲におおわれる塞なのだ。だから昼間に暗く夜もこないのに、この関所では月が出るのを待っている。
本来、降伏した周辺異民族の吐蕃ごときを平定して帰るのがどうしてこんなにおそいのであろうか、反乱を起こした吐蕃の王を斬るつもりで出たのにまだかえってはこられない。
わたしはただとおく戦の煙塵をながめているだけなのである、ここで詩人として隠棲生活を送ろうと願ってきた私がいまできることは、その意気がおとろえてまさに顔にしわを寄せてしかめ面をしていることである。


(訳注)
莽莽万重山、孤城山谷間。
山々が幾重にもかさなり立って奥深く、グッと迫ってくる、山に囲まれ空が少ないすり鉢の底にある谷間に秦州の城郭がある。
弄弄 暗味のさま。○孤城 ひとつあるしろ、秦州の城をさす。○山谷 山に囲まれ谷底に有る様子。空が少ないすり鉢の底にある谷間。

無風雲出塞、不夜月臨関。
すり鉢の底より、それはあたかも洞窟の奥にある塞から気が湧き出ている。風によって集められなくても空が小さいので雲におおわれる塞なのだ。だから昼間に暗く夜もこないのに、この関所では月が出るのを待っている。
無風・雲 「岩場や、洞窟の奥から気が湧き出て、風に乗り、集まって雲が生まれる」というのが、雲が生まれるメカニズムと考えられていたことに基づく。すり鉢の底より、それはあたかも洞窟の奥にある塞から気が湧き出ている。風によって集められなくても空が小さいので雲ができる。谷間に冷気がたまっていて上空が温かいと空気の断層ができ靄におおわれる現象であろう。したがって、暗い状況と思われる。
不夜一句 夜ではない、つまり、昼なのに暗い、夜を待たずに月が出るのを待っている。あるいは、井戸のような場所から、星が見えることから実際に月が見えるのだろう。それぐらい暗い関所、塞の様子をいう。詩人の表現法かもしれない。

無風 : 不夜  : 出塞 : 臨関

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。



属国帰何晩、楼蘭斬未還。
本来、降伏した周辺異民族の吐蕃ごときを平定して帰るのがどうしてこんなにおそいのであろうか、反乱を起こした吐蕃の王を斬るつもりで出たのにまだかえってはこられない。
属国 典属国の略、秦、前漢の官職名。降伏した周辺異民族を掌る。・漢の蘇武 蘇 武(そ ぶ、紀元前140年頃? - 紀元前60年)中国・前漢時代の人。字は子卿。父は衛尉・蘇建。兄は蘇嘉、弟は蘇賢。紀元前86年に彼は漢に帰還し、典属国を拝命した。母は死んでおり、妻は既に他の者に嫁いでいた。後、上官桀らに従っていた蘇武の子の蘇元が反乱を企んだ上官桀らに連座して処刑され、上官桀や桑弘羊と仲が良かった蘇武も逮捕されそうになったが、霍光がやめさせ、免官だけで済まされた。宣帝擁立に関与し、関内侯の位を賜り、張安世の薦めにより右曹・典属国に返り咲いた。神爵2年(紀元前60年)、蘇武は80歳余りの高齢で亡くなった。○楼蘭 新疆ウイグル自治区に存在した都市、及びその都市を中心とした国家。西域南道沿い、孔雀河下流のロプノール(Lop-Nur)湖の西岸に位置し、シルクロード交易で栄えた。紀元前77年に漢の影響下で国名を鄯善と改称したが、楼蘭の名はその後も長く用いられ続けた。ここは吐蕃の乱(765年平定される)にあてていう。 

属国 : 楼蘭  : 何晩 : 未還

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。



烟塵独長望、衰颯正摧顔。
わたしはただとおく戦の煙塵をながめているだけなのである、ここで詩人として隠棲生活を送ろうと願ってきた私がいまできることは、その意気がおとろえてまさに顔にしわを寄せてしかめ面をしていることである。
煙塵 兵乱のちりやけむり。煙/烟【けむる】1 煙が盛んに出たり、辺り一面に広がったりする。2 雨・霧・霞(かすみ)などで辺りがぼんやりする。3 新芽や若草が萌(も)え出てかすん○長望 とおくながめる。○衰颯 意気のおとろえたさま。○摧顔 皺だらけの顔。顔のしわののびないさまをいう。



幾重にも果てしなくつらなる緑の山々、
岩の谷間に孤り立つ、秦州の城。
雲は塞の底から湧く 風はない、 
夜でもないのに 月が関所を照らすのだ。
「典属国」の叛乱に なぜに平定が遅いのだ、
楼蘭を占拠した王を斬る者が 未だ帰らない。
わたしは戦塵のけむる彼方を眺めるだけ、
隠遁の地はないと気力も萎え、顔をしかめる。



此の詩で、楼蘭と指摘した地域
貿易の重要な要衝の地である。ここを支配するものがその利益を得ることが出来たので古来より、戦が絶えないのである。その時々の国力と安定性のある国がこの地域を制覇できたのである。

吐蕃は680年頃から東トルキスタン(中央アジア東部)に進出したが、このためやがて唐と対立するようになり、唐は玄宗の頃に吐蕃を攻撃した。751年イスラム軍と唐の将軍高仙芝のタラスの戦い、しかし、763年には吐蕃が一時長安を占領した。その後も対立関係が続いた。この西域はアッバース朝のイスラム教(遊牧)、仏教国のチベット(吐蕃)(狩猟)と漢民族(農耕)の戦いが恒常的におこなわれていた地域である。


751年中央アジア、天山山脈北西麓のオアシス都市タラス(Talas)近郊で、(アッバース朝)コラーサーン提督と唐の将軍高仙芝との間の戦いで唐軍は大敗し、唐の西方における勢力は後退。その上、吐蕃が楼蘭から臨兆に進出し、さらに拡大しようとしてきた。この其の七の詩はそうした、先行き不安の情況を前半四句で山間にある秦州城の寂しい様子を詠うことであらわし、後半四句では属国の匈奴へ使いした蘇武(そぶ)や楼蘭に使者となった傅介子(ふかいし)が手柄を立てて帰国した故事を暗に示しながら、吐蕃(チベット)を平定できないふがいなさを、隠棲生活をしたい気持ちが崩れていく様子を詠っているのが見て取れる。