秦州雜詩二十首 其十 杜甫 第3部 <263> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1238 杜甫詩 700- 377

秦州雜詩二十首 第一部(其の一から其四)
秦州の概要について述べる。

秦州雜詩二十首 第二部(其の五から其八)
秦州と戰について述べる。

秦州雜詩二十首 第三部(其の九から其の十二)
秦州城内のようすや住居のことを詠っている。


乾元2年 759年 48歳
 「秦州雑詩二十首」は五言律詩の二十首に亘る連作で、官を辞して、漂浪生活の最初の寓居となった場所である。家族全員で総勢十人余りの旅に出た。
 杜甫は四十数年、士官だけを念頭にし生きてきた。自分の思いと現実のはざま、杜甫は左遷されて、約一年悩み、王維、孟雲卿、崔氏、高適、別賛上人らに相談し、出した結論であった。そこに追い込んだのは粛宗皇帝の権力闘争、戦略的思考に無知、失政、偏見であることと、相次ぐ戦争と飢饉による社会的疲労、官僚でさえ食べていけないほどの困窮、貧困が背景にある。

そして杜甫は政治的なフラストレーションを詩にしたためた。、①安禄山の叛乱は予測できたこと、②それに対する策が全くとらていなかったこと、③反乱を起こさせる数々の失政があったこと、重税のこと、府兵制の崩壊、節度使に分権していったこと、④叛乱直後圧倒的な戦力を持ちながら大敗し、陥落していったこと、などなど、これらすべてこの杜甫44・45~48歳の間、秦州での詩の前後、数年の詩から読み取れる。

当時の状況から、杜甫は安史の乱直後家族を邠州羌村に疎開させ、その後蘆子関を経て、霊武の行在所の向かおうとして安氏軍に捕縛され拘禁されたとき、そしてその中から脱出したこと、その叛乱軍の恐怖体験がトラウマになっている。その「おびえ」がそののちの行動に影響しているのである。

約200首ぐらいの詩にちりばめて①~④、反乱軍に対する怯えなどを表現している。確かに一部の師団長の叛乱から10年近く唐の全土に安穏の場所はないくらい大殺戮と略奪の数々あり、詩人は生きた心地がしなかったのである。そういった社会情勢の中、杜甫が家族を守れる手段は逃避しかなかった。最前線に赴任され守る方法も生きていく力もなくした杜甫は官を辞すよりなかった。東方、北方、南方すべて戦場、叛乱軍により、大殺戮があり、西方のみが逃避可能と考えられたのである。
 こうして秦州に逃避紀行したわけであるが、ここではまだ、官に心残りがあり、詩人として生きていく決意はしているものの葛藤している様子がうかがえる。

 秦州へ向かう杜甫の一行は、妻が杜甫より十歳下の三十八歳、長女は十三歳、長子宗文は十歳、次子宗武は七歳、次女は五歳であった。ほかに異母弟の杜占が加わっている。家族は七人、ほかに従僕が二人くらいはいたので、総勢十人の大移動だ。杜甫は馬に乗り、家財を載せた車に小さな子供を同乗させた旅である。
 隴山を越える困難の旅は七月中に秦州に到着した。五言律詩の連作「秦州雑詩二十首」は秦州作の有名な作品である。

「秦州雑詩」二十首は、四首ずつの五部構成になっているので、それに合わせページを変更することとする。全体を通せば、この秦州の地が詩人として、あるいは隠棲生活者として生きられるところではなく別の場所に向かわせることになるということを秦州での思いとしてつづったものである。



秦州雑詩二十首 其九
(秦州の駅亭付近の風景と戰の前線基地であることへの思いを詠った作。)
今日明人眼,臨池好驛亭。
今日になって人としての本来の見る眼になったようだ、景色のよい駅亨のさまを向こうの池から臨んで見たのである。
叢篁低地碧,高柳半天青。
そのそばには、竹やぶが地面にひくくたれて碧に立っており、この青い空の中ほどに届くかのように高い柳が青く繁っている。
稠疊多幽事,喧呼閱使星。
一人静かによい風景に関する事柄を確認したり、認識したりしてみるとそのほかくさぐさの風景がここにはあるが、しかしそこに興ざめであるところの吐蕃へ行く和平交渉、あるいは恫喝のための使者が議論して怒鳴り合いをしている。
老夫如有此,不異在郊垌。
年老いてきた士太夫のわたしがこのような景色の中にいるということで示されるように、林外の別荘に居るように静かにながめていようとおもうのに戦に行く人たちによりそれとは違ったものになってしまう。

秦州雑詩二十首 其十 
(秦州の雨の景事を叙しながら、同時に前線基地であることを述べる。)
雲氣接昆侖,涔涔塞雨繁。
雨空を見上げると靄は雲とつながり崑崙山の方まで覆われている、秦州の雨はざ塞にもざあざあ降りつづく。
羌童看渭水,使節向河源。
あちらでは、異民族の子供らは雨にはしゃぎ渭水の水嵩を心配してみている、こちらでは唐王朝の使者は吐蕃と黄河の水源である地方で局地戦をしているところへ兵士を向かわせようとしている。
煙火軍中幕,牛羊嶺上村。
こちらでは炊煙がただよう軍中の幕営があり、あちらには嶺上の村に牛や羊が放たれている。
所居秋草靜,正閉小蓬門。

そして私の住んでいる処はというと秋の草が静かに生えていて、まさに今、よもぎのしげっている家の小さな柴門を閉じたところである。

雲気【うんき】  崑崙【こんろん】に椄し、涔涔【しんしん】として塞雨【さいう】繁【しげ】し。
羌童【きょうどう】 渭水【いすい】を看、使客【しかく】  河源【かげん】に向かう。
煙火【えんか】 軍中の幕【ばく】、牛羊【ぎゅうよう】 嶺上【れいじょう】の村。
居【お】る所  秋草【しゅうそう】静かなり、正【まさ】に閉ず小蓬門【しょうほうもん】。


11 蕭蕭古塞冷,漠漠秋雲低。黃鵠翅垂雨,蒼鷹饑啄泥。
      薊門誰自北,漢將獨徵西。不意書生耳,臨衰厭鼓鼙。
 
12  山頭南郭寺,水號北流泉。老樹空庭得,清渠一邑傳。
      秋花危石底,晚景臥鐘邊。俯仰悲身世,溪風為颯然。
 

秦州雑詩二十首 其十

現代語訳と訳註
(本文)
秦州雑詩二十首 其十
雲気椄崑崙、涔涔塞雨繁。
羌童看渭水、使客向河源。
煙火軍中幕、牛羊嶺上村。
所居秋草静、正閉小蓬門。


(下し文)
雲気【うんき】  崑崙【こんろん】に椄し、涔涔【しんしん】として塞雨【さいう】繁【しげ】し。
羌童【きょうどう】 渭水【いすい】を看、使客【しかく】  河源【かげん】に向かう。
煙火【えんか】 軍中の幕【ばく】、牛羊【ぎゅうよう】 嶺上【れいじょう】の村。
居【お】る所  秋草【しゅうそう】静かなり、正【まさ】に閉ず小蓬門【しょうほうもん】。


(現代語訳)
(秦州の雨の景事を叙しながら、同時に前線基地であることを述べる。)
雨空を見上げると靄は雲とつながり崑崙山の方まで覆われている、秦州の雨はざ塞にもざあざあ降りつづく。
あちらでは、異民族の子供らは雨にはしゃぎ渭水の水嵩を心配してみている、こちらでは唐王朝の使者は吐蕃と黄河の水源である地方で局地戦をしているところへ兵士を向かわせようとしている。
こちらでは炊煙がただよう軍中の幕営があり、あちらには嶺上の村に牛や羊が放たれている。


(訳注)
秦州雑詩二十首 其十

(秦州の雨の景事を叙しながら、同時に前線基地であることを述べる。)


雲気椄崑崙、涔涔塞雨繁。
雨空を見上げると靄は雲とつながり崑崙山の方まで覆われている、秦州の雨はざ塞にもざあざあ降りつづく。
崑崙 山の名、黄河の出る所。○涔涔 雨の多いさま。○塞雨 とりでにふる雨、秦州の雨をいう。

羌童看渭水、使客向河源。
あちらでは、異民族の子供らは雨にはしゃぎ渭水の水嵩を心配してみている、こちらでは唐王朝の使者は吐蕃と黄河の水源である地方で局地戦をしているところへ兵士を向かわせようとしている。
羌童 異民族のこども。○看渭水 水量の如何をみること。○使客 唐より吐蕃への使者。秦州雑詩二十首 第2部(其五~八)に述べている。参照。○河源 吐蕃の地をさす、唐の鄭州鄯城(今の甘粛省西寧州碾伯県治)に河源軍を置いた、ここは吐蕃と黄河の水源である地方で局地戦をしているところへ兵士を送り込むことを示している。


煙火軍中幕、牛羊嶺上村。
こちらでは炊煙がただよう軍中の幕営があり、あちらには嶺上の村に牛や羊が放たれている。
煙火 炊事のけむり。○牛羊 民家の牧畜する所のもの。
所居秋草静、正閉小蓬門。
そして私の住んでいる処はというと秋の草が静かに生えていて、まさに今、よもぎのしげっている家の小さな柴門を閉じたところである。
所居 作者の住処。○蓬門 よもぎのしげっている家の門。

羌童 : 使客  、看 : 、渭水 : 河源

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。

煙火 : 牛羊  、軍中 : 嶺上 、幕 :

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。



秦州雑詩二十首 其十
雲気椄崑崙、涔涔塞雨繁。
羌童看渭水、使客向河源。
煙火軍中幕、牛羊嶺上村。
所居秋草静、正閉小蓬門。

雲気【うんき】  崑崙【こんろん】に椄し、涔涔【しんしん】として塞雨【さいう】繁【しげ】し。
羌童【きょうどう】 渭水【いすい】を看、使客【しかく】  河源【かげん】に向かう。
煙火【えんか】 軍中の幕【ばく】、牛羊【ぎゅうよう】 嶺上【れいじょう】の村。
居【お】る所  秋草【しゅうそう】静かなり、正【まさ】に閉ず小蓬門【しょうほうもん】。