秦州雜詩二十首 其十二 杜甫 第3部 <265> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1244 杜甫詩 700- 379


秦州雜詩二十首 第一部(其の一から其四)
秦州の概要について述べる。

秦州雜詩二十首 第二部(其の五から其八)
秦州と戰について述べる。

秦州雜詩二十首 第三部(其の九から其の十二)
秦州城内のようすや住居のことを詠っている。


乾元2年 759年 48歳
 「秦州雑詩二十首」は五言律詩の二十首に亘る連作で、官を辞して、漂浪生活の最初の寓居となった場所である。家族全員で総勢十人余りの旅に出た。
 杜甫は四十数年、士官だけを念頭にし生きてきた。自分の思いと現実のはざま、杜甫は左遷されて、約一年悩み、王維、孟雲卿、崔氏、高適、別賛上人らに相談し、出した結論であった。そこに追い込んだのは粛宗皇帝の権力闘争、戦略的思考に無知、失政、偏見であることと、相次ぐ戦争と飢饉による社会的疲労、官僚でさえ食べていけないほどの困窮、貧困が背景にある。

そして杜甫は政治的なフラストレーションを詩にしたためた。、①安禄山の叛乱は予測できたこと、②それに対する策が全くとらていなかったこと、③反乱を起こさせる数々の失政があったこと、重税のこと、府兵制の崩壊、節度使に分権していったこと、④叛乱直後圧倒的な戦力を持ちながら大敗し、陥落していったこと、などなど、これらすべてこの杜甫44・45~48歳の間、秦州での詩の前後、数年の詩から読み取れる。

当時の状況から、杜甫は安史の乱直後家族を邠州羌村に疎開させ、その後蘆子関を経て、霊武の行在所の向かおうとして安氏軍に捕縛され拘禁されたとき、そしてその中から脱出したこと、その叛乱軍の恐怖体験がトラウマになっている。その「おびえ」がそののちの行動に影響しているのである。

約200首ぐらいの詩にちりばめて①~④、反乱軍に対する怯えなどを表現している。確かに一部の師団長の叛乱から10年近く唐の全土に安穏の場所はないくらい大殺戮と略奪の数々あり、詩人は生きた心地がしなかったのである。そういった社会情勢の中、杜甫が家族を守れる手段は逃避しかなかった。最前線に赴任され守る方法も生きていく力もなくした杜甫は官を辞すよりなかった。東方、北方、南方すべて戦場、叛乱軍により、大殺戮があり、西方のみが逃避可能と考えられたのである。
 こうして秦州に逃避紀行したわけであるが、ここではまだ、官に心残りがあり、詩人として生きていく決意はしているものの葛藤している様子がうかがえる。

 秦州へ向かう杜甫の一行は、妻が杜甫より十歳下の三十八歳、長女は十三歳、長子宗文は十歳、次子宗武は七歳、次女は五歳であった。ほかに異母弟の杜占が加わっている。家族は七人、ほかに従僕が二人くらいはいたので、総勢十人の大移動だ。杜甫は馬に乗り、家財を載せた車に小さな子供を同乗させた旅である。
 隴山を越える困難の旅は七月中に秦州に到着した。五言律詩の連作「秦州雑詩二十首」は秦州作の有名な作品である。

「秦州雑詩」二十首は、四首ずつの五部構成になっているので、それに合わせページを変更することとする。全体を通せば、この秦州の地が詩人として、あるいは隠棲生活者として生きられるところではなく別の場所に向かわせることになるということを秦州での思いとしてつづったものである。



秦州雑詩二十首 其九
(秦州の駅亭付近の風景と戰の前線基地であることへの思いを詠った作。)
今日明人眼,臨池好驛亭。
今日になって人としての本来の見る眼になったようだ、景色のよい駅亨のさまを向こうの池から臨んで見たのである。
叢篁低地碧,高柳半天青。
そのそばには、竹やぶが地面にひくくたれて碧に立っており、この青い空の中ほどに届くかのように高い柳が青く繁っている。
稠疊多幽事,喧呼閱使星。
一人静かによい風景に関する事柄を確認したり、認識したりしてみるとそのほかくさぐさの風景がここにはあるが、しかしそこに興ざめであるところの吐蕃へ行く和平交渉、あるいは恫喝のための使者が議論して怒鳴り合いをしている。
老夫如有此,不異在郊垌。
年老いてきた士太夫のわたしがこのような景色の中にいるということで示されるように、林外の別荘に居るように静かにながめていようとおもうのに戦に行く人たちによりそれとは違ったものになってしまう。
雲気【うんき】  崑崙【こんろん】に椄し、涔涔【しんしん】として塞雨【さいう】繁【しげ】し。
羌童【きょうどう】 渭水【いすい】を看、使客【しかく】  河源【かげん】に向かう。
煙火【えんか】 軍中の幕【ばく】、牛羊【ぎゅうよう】 嶺上【れいじょう】の村。
居【お】る所  秋草【しゅうそう】静かなり、正【まさ】に閉ず小蓬門【しょうほうもん】。
駅亭の池01

秦州雑詩二十首 其十
(秦州の雨の景事を叙しながら、同時に前線基地であることを述べる。)
雲氣接昆侖,涔涔塞雨繁。
雨空を見上げると靄は雲とつながり崑崙山の方まで覆われている、秦州の雨はざ塞にもざあざあ降りつづく。
羌童看渭水,使節向河源。
あちらでは、異民族の子供らは雨にはしゃぎ渭水の水嵩を心配してみている、こちらでは唐王朝の使者は吐蕃と黄河の水源である地方で局地戦をしているところへ兵士を向かわせようとしている。
煙火軍中幕,牛羊嶺上村。
こちらでは炊煙がただよう軍中の幕営があり、あちらには嶺上の村に牛や羊が放たれている。
所居秋草靜,正閉小蓬門。
そして私の住んでいる処はというと秋の草が静かに生えていて、まさに今、よもぎのしげっている家の小さな柴門を閉じたところである。
雲気【うんき】  崑崙【こんろん】に椄し、涔涔【しんしん】として塞雨【さいう】繁【しげ】し。
羌童【きょうどう】 渭水【いすい】を看、使客【しかく】  河源【かげん】に向かう。
煙火【えんか】 軍中の幕【ばく】、牛羊【ぎゅうよう】 嶺上【れいじょう】の村。
居【お】る所  秋草【しゅうそう】静かなり、正【まさ】に閉ず小蓬門【しょうほうもん】。

秦州雑詩二十首 其十一
(秋雨の中に東方も西方も乱がおさまらず、西方の基地である秦州にいることに嫌気を示し作る。)
蕭蕭古塞冷,漠漠秋雲低。
しめやかにしずかな古くからある塞が秋のつめたさのなかにある、秋の長あめの雲がはるかに広く低くたれおおいつくしている。
黃鵠翅垂雨,蒼鷹饑啄泥。
せっかく黄鵠の故事のように愛娘を嫁がせて兩都を奪還したのに今やその一つである洛陽を奪われそうでまるで雨中にそのつばさを垂れて飛ぶ勢いがなくなってしまったのだろうか、あるいは後燕の慕容垂の故事のように蒼鷹が餓えて泥のなかの餌をあさっているというのか。
薊門誰自北,漢將獨徵西。
このときだれなのか薊門の方面の北から南進せんとするものは、それはせっかく謀反の矛を収めていた史思明が薊門の戦いからふたたび安慶緒を鄴城で助け洛陽に攻め入ってふたたび安史軍とし南下しているのである。漢将である郭子儀は最も大切な東伐をしないで独りこのような西にむかって吐蕃などを征するというのか。
不意書生耳,臨衰厭鼓鼙。
私のような一介の詩人ごときの耳に、そのうえ老衰にさしかかっているものに戰の太鼓の音が入ってくる。戦のない地をもとめ官を棄てたものに聞きあき、厭になることなのである。
蕭蕭【しょうしょう】として古塞【こさい】冷かに、漠漠【ばくばく】として秋雲【しゅううん】低【た】る。
黄鵠【こうこく】は翅【つばさ】を雨に垂れ、蒼鷹【そうよう】は饑【う】えて泥【でい】に啄【ついば】む。
薊門【けいもん】誰か北よりする、漢将  独り西を征す。
不意【おも】にして  書生【しょせい】の耳、衰【すい】に臨みて 鼓鞞【こへい】に厭【いこ】うとは。
秦州雑詩二十首 其十二
(隠遁の意志をその象徴としての南部寺のさまを述べることで表現したもので、同時に秦州が隠棲の場所ではないことをいう。)
山頭南郭寺,水號北流泉。
山の頭に在る南郭寺、その寺の傍に北流泉と呼ばれている泉がある。
老樹空庭得,清渠一邑傳。
この寺の庭に人影はない、老詩人と同様に老樹が一本孤立しているのみだ、清らかな水を湛えている泉は堀わりに広がり、そして全地方に伝わっていくのである。
秋花危石底,晚景臥鐘邊。
(ここには今の世を象徴するものがある)それは荒れ果てた境内には、秋の花があぶなげな石のねもとであわれにさいているし、悲愁の夕方の寺に、地べたに横たわっている鐘が夕映えが射しかけている。
俯仰悲身世,溪風為颯然。

わたしはそこで俛してみる或は仰いでみる、「自分自身」のこと「今の世」のことにつけてかんがえると悲しむことしかないのである、谷間の風も颯爽と吾が悲しみをたすけるかのようにさっと吹き来るのである。
山頭【さんとう】の南郭寺【なんかくじ】、水は号【ごう】す 北流泉【ほくりゅうせん】と。
老樹【ろうじゅ】空庭【くうてい】に得【う】、清渠【せいきょ】一邑【いちゆう】に伝う。
秋花【しゅうか】危石【きせき】の底【てい】、晩景【ばんけい】 臥鐘【がしょう】の辺【へん】。
俛仰【ふぎょう】身世【しんせい】を悲しみ、渓風【けいふう】も為に颯然【さつぜん】。

秦州 南郭寺

現代語訳と訳註
(本文) 秦州雑詩二十首 其十二
山頭南郭寺、水号北流泉。
老樹空庭得、清渠一邑伝。
秋花危石底、晩景臥鐘辺。
俛仰悲身世、渓風為颯然。


(下し文)
山頭【さんとう】の南郭寺【なんかくじ】、水は号【ごう】す 北流泉【ほくりゅうせん】と。
老樹【ろうじゅ】空庭【くうてい】に得【う】、清渠【せいきょ】一邑【いちゆう】に伝う。
秋花【しゅうか】危石【きせき】の底【てい】、晩景【ばんけい】 臥鐘【がしょう】の辺【へん】。
俛仰【ふぎょう】身世【しんせい】を悲しみ、渓風【けいふう】も為に颯然【さつぜん】。


(現代語訳)
(隠遁の意志をその象徴としての南部寺のさまを述べることで表現したもので、同時に秦州が隠棲の場所ではないことをいう。)
山の頭に在る南郭寺、その寺の傍に北流泉と呼ばれている泉がある。
この寺の庭に人影はない、老詩人と同様に老樹が一本孤立しているのみだ、清らかな水を湛えている泉は堀わりに広がり、そして全地方に伝わっていくのである。
(ここには今の世を象徴するものがある)それは荒れ果てた境内には、秋の花があぶなげな石のねもとであわれにさいているし、悲愁の夕方の寺に、地べたに横たわっている鐘が夕映えが射しかけている。
わたしはそこで俛してみる或は仰いでみる、「自分自身」のこと「今の世」のことにつけてかんがえると悲しむことしかないのである、谷間の風も颯爽と吾が悲しみをたすけるかのようにさっと吹き来るのである。


(訳注)
秦州雑詩二十首 其十二

(隠遁の意志をその象徴としての南部寺のさまを述べることで表現したもので、同時に秦州が隠棲の場所ではないことをいう。)


山頭南郭寺、水号北流泉。
山の頭に在る南郭寺、その寺の傍に北流泉と呼ばれている泉がある。
南郭寺 当時、南の廓にある寺とされる。南郭寺があるのは現天水市内南の南慧音山、頂上近くにある。○北流泉 寺のちかくにある泉と思われる。
 

老樹空庭得、清渠一邑伝。
この寺の庭に人影はない、老詩人と同様に老樹が一本孤立しているのみだ、清らかな水を湛えている泉は堀わりに広がり、そして全地方に伝わっていくのである。(自分は秦州に隠棲し、詩により世に広げたいと思っていた。)
空庭得 寺の空庭においてこの老樹を得たということ。杜甫は秦州において隠棲をするつもりで来たということ。この寺に来て誰もいない環境、これだけは隠棲に適しているかもしれないという意味で、老樹(=杜甫自身)を「得」ることができる。「空庭」にたいして、「一邑」であり、樹・空を「得」るのであり、それは自己の内面に向けてのものである。それに対して、「伝」は泉の水は流れて行くのであり、詩文によって世に伝えたいと外に向かう。○清渠 きよい水のはりわり、北流泉をさす。○言巴伝 一邑は秦州の全体をいう、伝とは次より次へとそそぎつたえることをいう。まさに杜甫が描いていたことである。

老樹 : 清渠  空庭 : 一邑 :


*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


秋花危石底、晩景臥鐘辺。
(ここには今の世を象徴するものがある)それは荒れ果てた境内には、秋の花があぶなげな石のねもとであわれにさいているし、悲愁の夕方の寺に、地べたに横たわっている鐘が夕映えが射しかけている。
晩景 晩幕の日影。○臥鐘 鐘楼はなく、地上に横たわる鐘をいう、寺のあれたさまを想像することができる。

秋花 : 晩景、 危 : 臥 、石底 : 鐘辺

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。



俛仰悲身世、渓風為颯然。
わたしはそこで俛してみる或は仰いでみる、「自分自身」のこと「今の世」のことにつけてかんがえると悲しむことしかないのである、谷間の風も颯爽と吾が悲しみをたすけるかのようにさっと吹き来るのである。
挽仰 伏・仰に同じ。客観的に総括してみるもと。○ 吾がために。○颯然 颯爽とふく。悲しんでも仕方のないこと、秦州を旅立つことにしないといけないのか。


杜甫s(12)
秦州雑詩二十首 其十二
山のほとりの南郭寺、湧き出る水を  北流泉という。荒れた庭に老木があり、清らかな水路が村中にゆきわたる。傾いた岩の根もとに秋草の花、転がった鐘のあたりの夕陽影。身もだえして  生涯のさまを悲しむと、谷風も共に寂しく吹いてきた。


其十二
山頭南郭寺、水号北流泉。
老樹空庭得、清渠一邑伝。
秋花危石底、晩景臥鐘辺。
俛仰悲身世、渓風為颯然。


山頭【さんとう】の南郭寺【なんかくじ】、水は号【ごう】す 北流泉【ほくりゅうせん】と。
老樹【ろうじゅ】空庭【くうてい】に得【う】、清渠【せいきょ】一邑【いちゆう】に伝う。
秋花【しゅうか】危石【きせき】の底【てい】、晩景【ばんけい】 臥鐘【がしょう】の辺【へん】。
俛仰【ふぎょう】身世【しんせい】を悲しみ、渓風【けいふう】も為に颯然【さつぜん】。