秦州雜詩二十首 其十四 杜甫 第4部 <267> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1250 杜甫詩 700- 381


秦州雜詩二十首 第一部(其の一から其四)
●秦州の概要について述べる。


秦州雜詩二十首 第二部(其の五から其八)
●秦州と戰について述べる。


秦州雜詩二十首 第三部(其の九から其の十二)
●秦州城内のようすや住居のことを詠っている。

秦州雜詩二十首 第四部(其の十三から其の十六)
●隠棲の場所として東柯谷、仇池山の洞穴、西枝村の西谷を候補にする。


13 秦州雜詩二十首 其十三 杜甫
(他人に尋ねて東桶谷の幽勝地であることをのべた。)
傳道東柯谷,深藏數十家。
人々から伝え聞いたのは東河谷というところのことだ、まず、そこは谷間に数十戸の家が蔵されているという。
對門藤蓋瓦,映竹水穿沙。
門前に生えている藤がのびて屋根瓦にまで達し、蓋をしたようになる、水辺の竹林の碧が映り、水が射しこむ砂浜があり、清い水が流れている。
瘦地翻宜粟,陽坡可種瓜。
土地はやせているが却って粟がよくそだつので都合よいというものだ、日あたりの岡には瓜を種えることもできるとのことである。
船人近相報,但恐失桃花。

これほどに私の隠棲の場所としてよさそうであるが、船頭(姪杜佐)が近寄ってきて報せてくれたことがある、それは「早くあんないい場所に隠棲地と定めないと、桃源郷の花のようにすぐに無くしてしまう」ということである。
伝道【でんどう】す東柯谷【とうかこく】、「深く蔵【ぞう】す数十家。
門に対して 藤 瓦を蓋【おお】い、竹に映じて 水 沙【すな】を穿【うが】つ。
痩地【そうち】  翻【かえ】って粟【あわ】に宜【よろ】しく、陽坡【ようひ】  瓜を種【う】う可し」と。
船人【せんじん】  近【ちかづ)きて 相 報ず、「但【た】だ恐る桃花【とうか】を失せんか」と


14秦州雜詩二十首 其十四 
(古来、道教の仙人が住んだという仇池山の洞穴のことを想像してのぺる。)
萬古仇池穴,潛通小有天。
仇池山の洞穴は古来からある、そこははるか河南の王屋山にある小有天の洞穴とひそかに通じているという。
神魚今不見,福地語真傳。
その池にいるという神魚は今は見えないが、その場所が旧書の謂う所の仙人の住む福地だという話は本当に伝わっている。
近接西南境,長懷十九泉。
この秦州は西から南にかけて国境であり、異民族と接している、仇池山は国境近くに接している、自分はいつもそこに在るという恵み豊かな九十九泉のことなどおもっている。
何當一茅屋,送老白雲邊。
いつになったら一軒の茅屋をそこにかまえて、白雲の浮かべるあたりで老いさきを送ることができるであろうか。
万古仇池の穴、潜かに通ず小有天。
神魚今見えず。福地 語 眞に伝う。
近く接す西南の境、長【とこしえ】に懐う十九泉。
何の時か一茅屋、老を送らん白雲の辺に。

 
15 未暇泛蒼海,悠悠兵馬間。塞門風落木,客舍雨連山。
 阮籍行多興,龐公隱不還。東柯遂疏懶,休鑷鬢毛斑。
 
16 東柯好崖谷,不與眾峰群。落日邀雙鳥,晴天卷片雲。
 野人矜險絕,水竹會平分。采藥吾將老,兒童未遣聞。



現代語訳と訳註
(本文) 秦州雜詩二十首 其十四

萬古仇池穴,潛通小有天。
神魚今不見,福地語真傳。
近接西南境,長懷十九泉。
何當一茅屋,送老白雲邊。


(下し文)
万古仇池の穴、潜かに通ず小有天。
神魚今見えず。福地 語 眞に伝う。
近く接す西南の境、長【とこしえ】に懐う十九泉。
何の時か一茅屋、老を送らん白雲の辺に。


(現代語訳)
古来、道教の仙人が住んだという仇池山の洞穴のことを想像してのぺる。)
仇池山の洞穴は古来からある、そこははるか河南の王屋山にある小有天の洞穴とひそかに通じているという。
その池にいるという神魚は今は見えないが、その場所が旧書の謂う所の仙人の住む福地だという話は本当に伝わっている。
この秦州は西から南にかけて国境であり、異民族と接している、仇池山は国境近くに接している、自分はいつもそこに在るという恵み豊かな九十九泉のことなどおもっている。
いつになったら一軒の茅屋をそこにかまえて、白雲の浮かべるあたりで老いさきを送ることができるであろうか。



(訳注)
秦州雜詩二十首 其十四
(古来、道教の仙人が住んだという仇池山の洞穴のことを想像してのぺる。)


萬古仇池穴,潛通小有天。
仇池山の洞穴は古来からある、そこははるか河南の王屋山にある小有天の洞穴とひそかに通じているという。
仇池穴 仇池山は古来より神仙の住む聖地の一つとして名高い。池には神魚がいたし、はるか河南の王屋山にある小有天にも通じている。山頂には九十九泉があり、秦州の西南方向にあってさほど遠くない。其二十に「記を読みて仇池を憶う」と言っていることからすると、杜甫は何か古書の記録を読んでこれらを書き付け、仇池山に想いを寄せているのだろう。そう推測しているのは仇兆鰲である。階州成県の西にある山池の名、秦州の南にあるが、この詩では西南といっている、よほどの奇勝と思われる、「水経注」にいう、「仇池絶壁、峭峙孤険、高きに登って之を望めば、形は覆壷の若し、其の高さ二十余里、羊腸たる蟠道、三十六たび廻る、上に平田百頃あり、土を煮て塩を成す、因って百頃を以て号と為す、山上には水泉豊かなり、謂わゆる清泉湧準そ、潤気上流する者なリ。」と。○小有天 山西省の王星山の洞をいう、其の洞は「小有精虚之天」の名があり、仇池はこれと相い通ずると称せられる。


神魚今不見,福地語真傳。
その池にいるという神魚は今は見えないが、その場所が旧書の謂う所の仙人の住む福地だという話は本当に伝わっている。
神魚 仇池穴には神魚があり、これを食べると仙となるといいつたえる。○福地 ①幸福安楽の土地。文選、王融『三月三日曲水詩序』「芳林園者、福地奥区の湊、丹陵若水之舊。」②道教で、仙人の住むところ、名山または洞府を福地・鎮地とあてる。『通俗編、祝誦、福地』「亀山白玉上経、有三十六洞天、載有七十二福地。」およそ天下には三十六洞天・七十二福地があると称する。

神魚:福地、今:語、不見:真傳

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


近接西南境,長懷十九泉。
この秦州は西から南にかけて国境であり、異民族と接している、仇池山は国境近くに接している、自分はいつもそこに在るという恵み豊かな九十九泉のことなどおもっている。
十九泉 仇池の山上には田百頃と泉九十九眼があると称する。九十九を省いて十九という。九十九は無限に続くという意味であり、水と食物が潤沢にあることを表現している。そして、仇池山の要害としての堅固さ、農産物の豊富さ、隠遁地としての実績などを兼ね備えていることが念頭にあったからだと思われる。

近接:長懷、西南:十九、境:泉

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。

何當一茅屋,送老白雲邊。

いつになったら一軒の茅屋をそこにかまえて、白雲の浮かべるあたりで老いさきを送ることができるであろうか。
中国の隠遁は日本の隠遁と違って、家族の絆を捨てるのではなく、むしろ官を去り野にあって家族や一族のつながりの楽しみをこそ大切にするものである。だから家族との隠遁生活をイメージするのは当たり前である。だがそれにしても杜甫のこの妻や子の描き方は、独特な親近感と具体的なイメージを呼び起こす。
 それはともかく、ここは李廣の生誕、隠遁の地であること、杜甫は秦州の西北にある禹穴の蔵書の伝聞に心ひかれ、また仇池山に想いを馳せている。秦州滞在時に書かれたこれらの詩で、幾ばくか離れた仇池山のことを持ち出しているのは、隠遁地として、その意志を示すことであって、この仇池山の洞穴で現実的なものとしては違うのではないかと感じられる。しかし、秦州を去ってからの杜甫の南下の行程を見てみると、仇池山も候補地の一つとしてまんざらではなかったのではないかとも思えてくる。


万古仇池の穴、潜かに通ず小有天。
神魚今見えず。福地 語 眞に伝う。
近く接す西南の境、長【とこしえ】に懐う十九泉。
何の時か一茅屋、老を送らん白雲の辺に。



杜甫は_秦州雜詩二十首其十四の前六句で、仇池山がどのような所でどこに在るのかを紹介する。
  
秦州雜詩二十首 其十四
萬古仇池穴、潛通小有天。
神魚今不見、福地語真傳。
近接西南境、長懷十九泉。
何時一茅屋、送老白雲邊。

万古の 仇池の穴は、潜(ひそ)かに 小有天に通ず。
神魚は 今は見えざるも、福地なる その語は真に伝わる。
西南の境に近接し、長(はるか)に十九泉を懐う。
何(いず)れの時にか 一茅屋に、老を白雲の辺に送らん。


最後にいうのは、そんな所に一軒の草屋をこしらえ、長生きをしながら人生を全うしたいものだと詩を結ぶ。こういう結び方は、この頃の杜甫の詩全詩を熟読してしてある考察すると、一面では隠棲場所として充分なものであるが、いくらかの部分で問題点を持っている地点であるといっている場合の表現であるようだ。