秦州雜詩二十首 其十六 杜甫 第4部 <269> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1256 杜甫詩 700- 383


秦州雜詩二十首 第一部(其の一から其四)
●秦州の概要について述べる。


秦州雜詩二十首 第二部(其の五から其八)
●秦州と戰について述べる。


秦州雜詩二十首 第三部(其の九から其の十二)
●秦州城内のようすや住居のことを詠っている。

秦州雜詩二十首 第四部(其の十三から其の十六)
●隠棲の場所として東柯谷、仇池山の洞穴、西枝村の西谷を候補にする。

いよいよ杜甫は、隠棲するのにいい場所を見つけたようだ。東柯谷である。


13 秦州雜詩二十首 其十三 杜甫
(他人に尋ねて東桶谷の幽勝地であることをのべた。)
傳道東柯谷,深藏數十家。
人々から伝え聞いたのは東河谷というところのことだ、まず、そこは谷間に数十戸の家が蔵されているという。
對門藤蓋瓦,映竹水穿沙。
門前に生えている藤がのびて屋根瓦にまで達し、蓋をしたようになる、水辺の竹林の碧が映り、水が射しこむ砂浜があり、清い水が流れている。
瘦地翻宜粟,陽坡可種瓜。
土地はやせているが却って粟がよくそだつので都合よいというものだ、日あたりの岡には瓜を種えることもできるとのことである。
船人近相報,但恐失桃花。

これほどに私の隠棲の場所としてよさそうであるが、船頭(姪杜佐)が近寄ってきて報せてくれたことがある、それは「早くあんないい場所に隠棲地と定めないと、桃源郷の花のようにすぐに無くしてしまう」ということである。
伝道【でんどう】す東柯谷【とうかこく】、「深く蔵【ぞう】す数十家。
門に対して 藤 瓦を蓋【おお】い、竹に映じて 水 沙【すな】を穿【うが】つ。
痩地【そうち】  翻【かえ】って粟【あわ】に宜【よろ】しく、陽坡【ようひ】  瓜を種【う】う可し」と。
船人【せんじん】  近【ちかづ)きて 相 報ず、「但【た】だ恐る桃花【とうか】を失せんか」と


14秦州雜詩二十首 其十四
(古来、道教の仙人が住んだという仇池山の洞穴のことを想像してのぺる。)
萬古仇池穴,潛通小有天。
仇池山の洞穴は古来からある、そこははるか河南の王屋山にある小有天の洞穴とひそかに通じているという。
神魚今不見,福地語真傳。
その池にいるという神魚は今は見えないが、その場所が旧書の謂う所の仙人の住む福地だという話は本当に伝わっている。
近接西南境,長懷十九泉。
この秦州は西から南にかけて国境であり、異民族と接している、仇池山は国境近くに接している、自分はいつもそこに在るという恵み豊かな九十九泉のことなどおもっている。
何當一茅屋,送老白雲邊。
いつになったら一軒の茅屋をそこにかまえて、白雲の浮かべるあたりで老いさきを送ることができるであろうか。
万古仇池の穴、潜かに通ず小有天。
神魚今見えず。福地 語 眞に伝う。
近く接す西南の境、長【とこしえ】に懐う十九泉。
何の時か一茅屋、老を送らん白雲の辺に。


15 秦州雜詩二十首 其十五
(長雨で客舎にいて東柯に隠遁しての生活を想像して作る。)
未暇泛蒼海,悠悠兵馬間。
わたしの今の心境は孔子が弟子に「桴を海に浮べる」と話したという、船を浮かべて遠くへ去ってしまうという暇はいまだにないのである、これまでは長いあいだ兵馬にかこまれた中にさまよっているだけなのだ。
塞門風落木,客舍雨連山。
ここの秦州の関門に来てからは風が木の葉を落とす季節になっている、旅先の間借りの住まいに雨がふり、山々にもつづいて降っている。
阮籍行多興,龐公隱不還。
今の私は阮籍が出かけて行って「途窮まって慟哭した」と風興の多い生活をしているし、また隠遁を決意しており、龐徳公のように妻子を携えて山にかくれて世間へかえることはないと考えている。
東柯遂疏懶,休鑷鬢毛斑。
東柯というところに隠遁すれば嵇康がしたように「疏懶の本性」の限りを尽くし、鬢の毛の白髪をはさんだり、切ったりすることさえもしないで無精をしようとおもうのである。
未だ蒼海【そうかい】に泛ぶに暇【いとま】あらず、悠悠たり兵馬の間。
塞門【さいもん】風木を落とし、客舎【かくしゃ】雨山に連なる。
阮籍【げんせき】行くゆく興【きょう】多からん、龐公【ほうこう】隠れて還らず。
東柯【とうか】疏懶【そらん】を遂げん、鑷【はさ】むを休めよ鬢毛【びんもう】の斑【まだら】なるを。

秦州雑詩二十首 其十六
(東柯谷はよい所であるが土着の人に受け入れてもらえるものかどうか心配していることをのぺる)
東柯好崖谷、不与衆峰群。
東柯にきてみるとなるほどいい崖谷であるし、他の多くの峰とは連峰をなしてはいない。
落日邀双鳥、晴天養片雲。
太陽が落ちようとするとき二つの鳥がとび帰ってくるのを迎え見る。晴天の空に一片の雲があつらえた様に浮んでいる。
野人衿険絶、水竹会平分。
この地区の土着の人(姪杜佐など)はここの土地がすばらしく険阻なことを誇りにしているのがよくわかる、わたしは隠遁するためここへ移ってきてこの風流な恵みの水竹と景色を分けてもらうことにしょう。
採薬吾将老、児童未遣聞。

龐徳公のように隠遁して薬草をとりながらここでわたしは老年を送りたいとおもう。ただこれはわたしの決心でまだこどもらにも聞かせていないのである。
東柯【とうか】は好き崖谷【がいこく】にして、衆峰【しゅうほう】と群【ぐん】せず。
落日は双鳥【そうちょう】を邀【むか】え、晴天は片雲【へんうん】を養【やしな】う。
野人【やじん】は険絶【けんぜつ】なるを衿【ほこ】り、水竹【すいちく】は会【よ】く平分【へいぶん】す。
薬を採りて吾【われ】は将【まさ】に老いんとす、児童には未【いま】だ聞か遣【し】めず。


現代語訳と訳註
(本文) 秦州雑詩二十首 其十六

東柯好崖谷、不与衆峰群。
落日邀双鳥、晴天養片雲。
野人衿険絶、水竹会平分。
採薬吾将老、児童未遣聞。


(下し文) 其の十六
東柯【とうか】は好き崖谷【がいこく】にして、衆峰【しゅうほう】と群【ぐん】せず。
落日は双鳥【そうちょう】を邀【むか】え、晴天は片雲【へんうん】を養【やしな】う。
野人【やじん】は険絶【けんぜつ】なるを衿【ほこ】り、水竹【すいちく】は会【よ】く平分【へいぶん】す。
薬を採りて吾【われ】は将【まさ】に老いんとす、児童には未【いま】だ聞か遣【し】めず。


(現代語訳)
(東柯谷はよい所であるが土着の人に受け入れてもらえるものかどうか心配していることをのぺる)
東柯にきてみるとなるほどいい崖谷であるし、他の多くの峰とは連峰をなしてはいない。
太陽が落ちようとするとき二つの鳥がとび帰ってくるのを迎え見る。晴天の空に一片の雲があつらえた様に浮んでいる。
この地区の土着の人はここの土地がすばらしく険阻なことを誇りにしているのがよくわかる、わたしは隠遁するためここへ移ってきてこの風流な恵みの水竹と景色を分けてもらうことにしょう。
龐徳公のように隠遁して薬草をとりながらここでわたしは老年を送りたいとおもう。ただこれはわたしの決心でまだこどもらにも聞かせていないのである。


(訳注)
秦州雑詩二十首 其十六
(東柯谷はよい所であるが土着の人に受け入れてもらえるものかどうか心配していることをのぺる)


東柯好崖谷、不与衆峰群。
東柯にきてみるとなるほどいい崖谷であるし、他の多くの峰とは連峰をなしてはいない。
不与衆峰群 連峰の谷ではないこと。上句の「好崖谷」を受けており、大雨の際の大洪水がないことをいう。それでいて農作ができること、薬草、栗や栃の実が取れることをいう隠遁の基本は、医食同源である。


落日邀双鳥、晴天養片雲。
太陽が落ちようとするとき二つの鳥がとび帰ってくるのを迎え見る。晴天のそらに一片の雲があつらえた様に浮んでいる。
 目をもって迎えること。


野人衿険絶、水竹会平分。
この地区の土着の人(姪杜佐など)はここの土地がすばらしく険阻なことを誇りにしているのがよくわかる、わたしは隠遁するためここへ移ってきてこの風流な恵みの水竹と景色を分けてもらうことにしょう。
野人 東柯の土着人をさす。姪杜佐を含めた村の人々のこと。○ 俗語である。○平分 土着の人がもっているものを分けてもらうこと、そのなかでも水と竹について生活に欠かせないもののひとつである。竹も水をもたらすもの。水路と水筒。


採薬吾将老、児童未遣聞。
龐徳公のように隠遁して薬草をとりながらここでわたしは老年を送りたいとおもう。ただこれはわたしの決心でまだこどもらにも聞かせていないのである。
採薬 龐徳公の故事。隠棲することを意味する。秦州雑詩二十首 其十五参照。○老 老年を送ることをいう、隠居すること。○児童未遣聞 この句は、隠遁者の詩として常套語句である。訪ねて遭えず。聞かれて聞こえず。子供たちも華州を旅立つ時から隠遁先を求めていることは承知している。そういうことで否定文によって肯定を強調している。・ して、せしめる。



東柯の谷は  好ましい崖谷であり、
まわりの蓮峰からは  はずれている。
落日はつがいの鳥を迎え、
晴れた空にちぎれ雲がこの谷に湧く。
土地の者は 険しい地形を自慢し、
その自慢の水と竹は ほどよくわけてもらう。
隠遁して薬草採取でとしをとり過ごそうとも考える、
子供たち家族も承諾しているが まだ話していない

東柯【とうか】は好き崖谷【がいこく】にして、衆峰【しゅうほう】と群【ぐん】せず。
落日は双鳥【そうちょう】を邀【むか】え、晴天は片雲【へんうん】を養【やしな】う。
野人【やじん】は険絶【けんぜつ】なるを衿【ほこ】り、水竹【すいちく】は会【よ】く平分【へいぶん】す。
薬を採りて吾【われ】は将【まさ】に老いんとす、児童には未【いま】だ聞か遣【し】めず。