秦州雜詩二十首 其十九 杜甫 第5部 <272> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1265 杜甫詩 700- 386



秦州雜詩二十首
秦州雜詩二十首 第一部(其の一から其四)
●秦州の概要について述べる。

秦州雜詩二十首 第二部(其の五から其八)
●秦州と戰について述べる。

秦州雜詩二十首 第三部(其の九から其の十二)
●秦州城内のようすや住居のことを詠っている。

秦州雜詩二十首 第四部(其の十三から其の十六)
●隠棲の場所として東柯谷、仇池山、西枝村の西谷を候補にする。いよいよ杜甫は、隠棲するのにいい場所を見つけたようだ。東柯谷である。

秦州雜詩二十首 第五部(其の十七から其の二十)


17秦州雜詩二十首 其十七
(東柯谷の雨中山居のさまをのぺる。)
邊秋陰易久,不複辨晨光。
辺地の秋に雨雲で昼でも暗く、夕がたになるとはやく暮れてしまいやすいし、秋の夜長がさらにながい朝の区別が谷あいのためわからないに加えて雲りのために夜が明けたからといっても日光が知り分けられるわけではない。
簷雨亂淋幔,山雲低度牆。
のきばにそそぐ雨はみだれて幔幕にしただり、山よりおこる雲はひくく土塀をこえつつある。
鸕鶿窺淺井,蚯蚓上深堂。
鵜の鳥は浅い井に餌があるかとのぞきこんでくる、みみずは奥のざしきまであがってくる。
車馬何蕭索,門前百草長。
訪いくる車馬はなくてひっそりさびしいものであり、門前にはたださまざまの草がせたかくのびている。
邊秋【へんしゅう】陰【くも】りて久しくなり易し、複た晨光【しんこう】をも辨【べん】ぜず。
簷雨【えんう】亂れて幔に淋り、山雲【さんうん】低【た】れて牆【しょう】を度【わた】る。
鸕鶿【ろじ】浅井【せんせい】を窺【うかが】い、蚯蚓【きゅういん】深堂【しんどう】に上る。
車馬何ぞ蕭索【しょうさく】たる、門前【もんぜん】百草【ひゃくそう】長し。



18秦州雜詩二十首 其十八
(客人として間借りの身でいるために吐蕃の乱の基地であるため憂えた詩である。)
地僻秋將盡,山高客未歸。
この山間僻地のこの地に秋がもう尽きかけている。わたしは山が高くとりかこんでいるこんなところに隠遁できなくてまだ旅人のままでいる。
塞雲多斷績,邊日少光輝。
とりでの上にうかぶ雲は途切れたり続いたりしているし、ここ国境地域の太陽はひかりが薄く見える。
警急烽常報,傳聞檄屢飛。
吐蕃の乱で一刻も警備をいそがねばならぬことは蜂火がいつもそれを知らせてくるし、軍隊の戦意高揚の檄もたびたび飛んでいるということは人伝にきいている。
西戎外甥國,何得迕天威。
西戎たる吐蕃は我が唐にとっては甥の国であったはず、それなのにどうして天子の御威光にさからうのであろうか、さからえるはずはないのであるが。
地僻【ちへき】にして 秋 将に尽きんとす、山高くして客未だ帰らず。
塞【さい】雲 多く断続す、辺【へん】日【じつ】光輝【こうき】少なし。
警急【けいきゅう】蜂常に報ず、伝聞す檄【げき】の屢【しばし】ば飛ぶを。
西戎【せいじゅう】は外甥【がいせい】の国、何ぞ天威【てんい】に迕【たご】うことを得ん。



秦州雑詩二十首 其十九
(吐蕃の西北辺の乱は心配の種で、良将が任ぜられて、この地が安寧することをのべる。)
鳳林戈未息、魚海路常難。
鳳林関のあたりではまだ戦争がやまない、吐蕃征伐の魚海湖の方面にいくにはいつも難儀な道路である。
候火雲峰峻、縣軍幕井乾。
その地区の戦況はのろし火が急峻に聳える雲の峰であげられてわかるし、遠くからやってきた唐王朝軍の設営場所はいつの場合も井水は空からの状況である。
風連西極動、月過北庭寒。
いまや時節は晩秋となって、風は西のはての地方から連って吹き、月の光は寒さを帯びて照らされ北庭都護府を過ぎて寒さが来る。
故老思飛将、何時議築壇。
漢の飛将軍李広はこの地で育った、このような人がいま居たならばと老人たちはそれを思慕しているが、いつになったら朝廷でその大将を郭子儀が任命せられるために壇をきずく御相談があるのであろうか。



この長安の幽閉を中にはさむ一年半ばかりは、杜甫の一生のうちもっとも小説的な時期であるが、このあいだに杜甫の詩は大きな転化と生長をとげた。それは憂愁にみちた人類の運命への覚醒である。この乱により深い憂愁を体験した杜甫は、自己の憂愁を媒介として、ここに人類に普遍な憂愁に目ざめたようである。それまでの詩は単に自己の世にいれられぬ悲しみと、不正にみちた世の中の事象を歌うにとどまっていたが、このころの詩は、もはや自己一身の悲しみや、外界の事象をのみ歌うものではない。それは自己の悲しみを歌いながらも、その悲しみはつねに同じ悲しみをもつ多くの人々の上へとおしひろげられていこうとする傾向を顕著に示しはじめる。それは、左拾遺という地位にいながら実際には朝廷内において約一年疎外をうけ、司功参軍において下級事務官で約一年、その間に歴史的な詩を残しそして官を辞した。


 秦州に來るにはこれまでの家族を伴った過酷な旅行・移動ではなかった。杜甫は隠棲生活の場として秦州を選んだ。それは、東柯谷であり、姪の杜佐の隠棲の場所であったが、杜甫のトラウマ、秦州が吐蕃の乱の前線基地であることで憂愁をぬぐいきれないことであった。


 秦州、それは中国の西北に位置する田舎町である。杜甫はこの地に三か月余りを送るが、ここもまた戦火の不安を拂えず、天候不順で食糧のこと、そのうえ国境の町の異様な自然と人事とは、杜甫の神経を極度にさいなんだ。このころの杜甫の詩は病的に尖鋭であり、悲観的、絶望的である。



現代語訳と訳註
(本文)

鳳林戈未息、魚海路常難。
候火雲峰峻、縣軍幕井乾。
風連西極動、月過北庭寒。
故老思飛将、何時議築壇。


(下し文)
鳳林【ほうりん】 戈【ほこ】未だ息【や】まず、魚海【ぎょかい】 路【みち】常に難【かた】し。
候火【こうか】雲峰【うんぽう】峻【けわ】しく、縣軍【けんぐん】幕井【ばくい】乾く。
風は西極【せいきょく】に連なりて動き、月は北庭【ほくてい】を過ぎて寒し。
故老【ころう】飛将【ひしょう】を思う、何の時か築壇【ちくだん】を議(ぎ)せん。


(現代語訳)
(吐蕃の西北辺の乱は心配の種で、良将が任ぜられて、この地が安寧することをのべる。)
鳳林関のあたりではまだ戦争がやまない、吐蕃征伐の魚海湖の方面にいくにはいつも難儀な道路である。
その地区の戦況はのろし火が急峻に聳える雲の峰であげられてわかるし、遠くからやってきた唐王朝軍の設営場所はいつの場合も井水は空からの状況である。
いまや時節は晩秋となって、風は西のはての地方から連って吹き、月の光は寒さを帯びて照らされ北庭都護府を過ぎて寒さが来る。
漢の飛将軍李広はこの地で育った、このような人がいま居たならばと老人たちはそれを思慕しているが、いつになったら朝廷でその大将を郭子儀が任命せられるために壇をきずく御相談があるのであろうか。


(訳注)
秦州雑詩二十首 其十九

(吐蕃の西北辺の乱は心配の種で、良将が任ぜられて、この地が安寧することをのべる。)


鳳林戈未息、魚海路常難。
鳳林関のあたりではまだ戦争がやまない、吐蕃征伐の魚海湖の方面にいくにはいつも難儀な道路である。
鳳林 関の名、蘭州府河州の西に在る。臨洮を西に進むと、蘭州方面と、臨夏の魚海にわかれる地域をいう。○魚海 今の甘粛省の臨夏の西、吐蕃(チベット)との境にある湖水の名である。岑参『封大夫破播仙凱歌二首 其二』「日落轅門鼓角鳴、千群面縛出蕃城。洗兵魚海雲迎陣、秣馬龍堆月照營。」(日は落ちて轅門 鼓客鳴り、千群 面縛して蕃城を出ず。兵を魚海に洗えば 雲 陣を迎え、馬を竜堆に秣かえば 月 営を照らす。)「兵を魚海に洗う」の句があることで湖名である。


候火雲峰峻、縣軍幕井乾。
その地区の戦況はのろし火が急峻に聳える雲の峰であげられてわかるし、遠くからやってきた唐王朝軍の設営場所はいつの場合も井水は空からの状況である。
候火 敵情をうかがうための火、のろしぴのこと。○雲峰 候火を挙げる地をいう。○縣軍 遠くより馳せ来たった軍、唐の軍である。○幕井 幕営地の井戸。○ 水量の少ない地に軍隊が多く来る故に井水がつねに飲みはされること。実際は、水のあるところは木々があり、古来「設営場所を林に為さず。」三国志、蜀の劉備が呉の陸遜に大敗を喫したことでもわかるように乾燥地に陣取るものなのである。


風連西極動、月過北庭寒。
いまや時節は晩秋となって、風は西のはての地方から連って吹き、月の光は寒さを帯びて照らされ北庭都護府を過ぎて寒さが来る。
風連・西動・月過・北寒 節候をいう、冬の節候はえびすが南下して攻め寄せるときである。○西極 西のはて、ここでは吐蕃をさす。〇 月の光をさす。○北庭 唐では北庭都護府を置いた、隴右道に属する、今の新彊ウイグル自治区土魯番の境に在った。

 
故老思飛将、何時議築壇。
漢の飛将軍李広はこの地で育った、このような人がいま居たならばと老人たちはそれを思慕しているが、いつになったら朝廷でその大将を郭子儀が任命せられるために壇をきずく御相談があるのであろうか。
故老 秦州地方の父老。○飛将 漢の李広、右北平の太守となったとき、匈奴は彼を飛将軍と称した。この地で彼の勇気は育まれた。○何時一句 東柯谷の故老の考えとしても杜甫自身の考えとしてもともに通じるというもの。○議築壇 ・は議論する。・築壇は韓信の故事、漢の高祖(紀元前三世紀末)が信を大将に任ずるとき特別にたかい壇をきずいて任命したことをいう。杜甫は郭子儀をせつぼうしていた。